1.アマドゥール公爵邸
「ここが、アマドゥール公爵様のお屋敷……」
よく晴れた青空に映える、真っ白な外観の建物。王都にある貴族の屋敷の中でも有数の広さを誇る面積と、外観を見ただけでも分かる明らかに裕福な暮らしぶりであろう立派な屋敷は、ここデュロワ王国の外務大臣であるセヴラン・アマドゥール公爵のタウンハウスとして有名だった。
そんな建物を、今しがた鉄柵でできた門をくぐってきたばかりの馬車の中から見上げているのは、雪原を彷彿とさせるようなスノーホワイトの髪と鮮やかなエメラルドグリーンの瞳、そして透けるような肌の持ち主のソフィア・ブランシェ伯爵令嬢。彼女はとある人物からの依頼を受けて、ブランシェ伯爵領から迎えの馬車に乗り二日かけてここまでやってきたのだが。そのあまりの場違い感に、思わず身震いしてしまう。
(あぁ、本当に……どうしてこんなことになっているのかしら)
依頼内容を聞いた時から思っていたことではあるが、やはり自分が公爵家の屋敷に足を踏み入れることになるなど、何かの間違いなのではないかと。ソフィアは今も困惑しつつ、それでもこれが現実であることもよく分かっているので、ここまで来てしまった以上はやるしかないと覚悟を決める。
(でも……そう、よね。そうよ。混乱している場合ではないわ。領地のためにお話をお受けして、すぐに契約金もいただいていて。さらには多額の報奨金まで約束されているのだから、頑張るしかないのよ)
ここで大切なのは、今後定期的に貰う約束をしているのは報奨金であって、報酬金はまた別途支払われる予定だということである。つまり依頼を完遂できようができまいが、仕事を続けるだけでも十分に意味があるということだ。とはいえ、ソフィアがこの依頼を受けた理由は金銭的な意味合いだけではなく、別の理由も大いに関係していたのだが。
仕事の内容については、ある程度の概要は事前に手紙で教えてもらってはいるのだが、詳細まで書くことはできないので屋敷に着いてから話したいとあった。同じ手紙の中ではとても簡単な仕事だと書かれていたのだが、概要を知っている身としてはとてもそうは思えないと彼女が不安に思ってしまうのも、致し方がないことだったのだろう。公爵家の人間からの直接の依頼であれば、なおさら。
様々な思いを胸にアマドゥール公爵邸を見上げるソフィアを乗せた馬車は、徐々に速度を落としながら、やがてエントランス前へとたどり着くとゆっくりと停車した。いよいよだと緊張感が高まっているソフィアが、たった一つの荷物であるトランクの持ち手部分をギュっと両手で握る。
「ようこそおいでくださいました、ブランシェ伯爵令嬢様。お手をどうぞ。お足元もお気を付けくださいませ」
開いた馬車の扉の向こうから顔を出したのは、二十代後半から三十代前半といった雰囲気の、見目の良い男性使用人。ここが公爵家であることと彼の見た目と年齢を考えると、おそらく従僕なのだろうとソフィアは推測するが、その手を取りながら思うことはただ一つ。
(さすが公爵家。お金持ちだけに許された使用人の雇い方よね)
そもそも見た目を重視するような男性使用人は、他の使用人たちとは違い生活するのに必須ではない。けれど、そんな存在が当たり前のように出迎えの場に出てきているということは、この場所ではそれが普通のことなのだという証拠でもある。
「ありがとうございます」
その手に自分の手を重ねて、用意された階段をゆっくりと下りながら。この時点で、すでに実家との差を色々と目の当たりにしてしまっているソフィアは、先ほどの決意がさっそく揺らいでしまいそうになっていた。当然、そういうわけにはいかないのだが。
「長旅、お疲れ様でございました。お荷物はこちらでお預かりいたしますので、まずは応接間にご案内いたします。どうぞこちらへ」
そのまま彼は、まさにお客様対応といった雰囲気の、それはそれは爽やかな笑顔を向けて案内を申し出てくれたので。控えていた別の女性使用人に促されるまま、ソフィアはたった一つだけの荷物であるトランクを彼女に預けてから、言われるがままに彼のあとをついて歩き出す。
外から見てもその大きさは認知できていたのだが、ひとたび屋敷の中に足を踏み入れてみれば、そこはもうソフィアにとっては完全に別世界だった。
玄関ホールや廊下には、見たこともない大きな絵画や彫刻が並び。歩く場所には必ず、鮮やかな色をした美しい模様入りの、柔らかな毛足の絨毯が敷かれ。それでいて大理石の床にはホコリどころか、一切の汚れも曇りも見当たらない。
先ほどと同じように、さすが公爵家は違うと似たような感想を抱きながらも、同時にソフィアはそこに趣味の悪さは全く感じなかった。むしろある種の統一感があるようにすら見受けられるのは、この屋敷の主の趣味の良さが反映されているのかもしれないとも思う。
(ただ……我が家とは全くの別物すぎて、その良さが私には分からないのが残念だけれど)
そんなことを考えるソフィアは、長い長い廊下を歩きながら、二日前まで過ごしていた領地へと思いを馳せたのだった。