7.美しく青きランデ
「感謝します」
アルフォンスは公爵に一揖し、ジュスティーヌに左肘を差し出した。
ジュスティーヌの兄夫婦、そしてドニが不安げに見守る中、アルフォンスは踵を返して──驚いた。
いつの間にか音楽が止まっていて、踊っていた者達が壁際に退いていく。
戸惑いながら楽団の方を見ると、指揮者の傍にカタリナがさりげなく佇んでいる。
どうやって交渉したのか、いったん音楽を止めさせたようだ。
無人となったフロアを、アルフォンスとジュスティーヌは進む。
次第に壁際の灯が薄暗くなっていく。
きっと、ノアルスイユの仕業だ。
まばゆいシャンデリアに煌々と照らされたフロアの真ん中で、軽く手をつないだまま、アルフォンスはジュスティーヌと向き合った。
周りが暗いから、舞台の上に二人きりで立っているようだ。
ジュスティーヌのドレスは、ほっそりとした優美な身体の線を強調する仕立て。
すっきりしたシンプルなデザインだが、つややかなサテンにオーガンジーを重ねていて、ジュスティーヌ自身が持つ並外れた透明感が際立つ。
鎖骨を綺麗に見せる、刳りの浅い清楚なドレスの胸元には、青紫の大きな魔石が輝く。
ほのかに微笑んでアルフォンスを見つめるジュスティーヌは、触れれば溶けてしまう雪の精のように見えた。
緊張も忘れて見惚れるアルフォンスの耳に、遠くからホルンのメロディが聞こえてきた。
大定番のワルツ、王都を流れる河の美しさを称える「美しく青きランデ」だ。
一歩下がって互いにお辞儀をし、半歩近寄って組んだ。
アルフォンスは右手を、ジュスティーヌの左腰に添え。
ジュスティーヌの左手は、アルフォンスの右肩に添えられる。
アルフォンスの肩に触れる時、ジュスティーヌは、一瞬はにかむように眼を伏せた。
アルフォンスは、左手でジュスティーヌの右手をすくい上げるように握ると、腕を横に伸ばす。
他国に嫁いだ上の姉は、この曲のピアノ版を弾くのが好きだった。
そのピアノにあわせて、子どもの頃、よく二人で舞踏会ごっこをした曲だ。
あの頃のように、頷きあいながら前奏の残りの拍を数える。
アルフォンスとジュスティーヌは、ひたと眼を合わせたまま踊り始めた。
滔々と流れる大河を思わせる出だしに合わせて、最初のステップを大きめに踏み出す。
曲に耳を傾け、リズムに乗って。
くるり、くるりと向きを変え、弧を描きながら2人は踊る。
ほのかな笑みを湛えたまま、ジュスティーヌは自分を見上げている。
アルフォンスは魅入られたように、そのアメシストのような瞳を見つめた。
今日の君はいつもにも増して美しい、とか。
本当は、まっさきにワルツを申し込みたかったんだ、とか。
舞踏会ごっこが懐かしいね、とか。
大人になったら結婚しようと言ったら、王太子となる方が軽々しくそんなことを言ってはいけないって怒ったよね、とか。
バレバレだったと思うけど、あの頃からずっと君を愛しているんだ、とか。
言いたいことは次々と脳裏に浮かぶのに、流麗なメロディとジュスティーヌの微笑みに溶けて、うたかたのように流れ去ってゆく。
ジュスティーヌの後ろに見える貴族たち、父母やシャラントン公爵のことも、いつしかアルフォンスの意識から消えていった。
世界はもう、美しい音楽と美しいジュスティーヌだけ。
曲調が変わり、ひときわ華やかになった時、アルフォンスはつないだ手を高く上げた。
ジュスティーヌがつないだままの腕の下をくぐってくるくるっと回り、ドレスの裾がふわりと大きく広がる。
ジュスティーヌの紫の瞳が、愉快そうにきらめく。
いつもの微笑みが、はっきりと晴れやかな笑みへと変わっていく。
ちょうど、わずかにほころんでいたつぼみが、大きく花開いていくように。
アルフォンスは、何度もジュスティーヌをくるくるっとターンさせた。
逆にジュスティーヌが腕を高く上げてきて、アルフォンスもぎこちなくくるくるする。
珍しく、ジュスティーヌは声を立てて笑った。
フィナーレに向かって、踊って踊って踊り切って。
気がついたときには、曲は終わっていた。
Johann Strauss, Jr.: An der schönen, blauen Donau, op. 314 - Wiener Philharmoniker - Carlos Kleiber
https://www.youtube.com/watch?v=9hRrGpB0DiU
ノアルスイユ「腕を高く上げてくぐってくるくるー、社交ダンス用語ではアンダーアーム・ターンというそうです(他にも色々名称アリ)。ジルバやルンバなどでは男性側も行うようですが、ワルツでも行うのかは確認がとれませんでした」(眼鏡キラーン)
カタリナ「めんどくさい人ね。ワルツなんて楽しく踊ればいいのよ」(ワインぐびー)