2.なーにをもたもたしてるの!
残されるかたちになったカタリナが呆れ顔で、アルフォンスに長手袋をした右手を突き出してくる。
やむをえず、アルフォンスはカタリナの手を取り、踊る人々に混ざった。
リズム感があまりよろしくないアルフォンスはダンスが苦手だが、これくらい混んでいればなんとかごまかせる。
「なーにをもたもたしてるの、殿下!
お陰で、わたくしが最初に殿下と踊ることになってしまったじゃない。
うちの父を調子づかせないでちょうだい!」
いかにも艷麗にほほえみながら、カタリナはアルフォンスだけに聞こえる声で思いっきり毒づいてきた。
それだけでは気が収まらなかったのか、アルフォンスの向こう脛をげいんと蹴ってくる。
「ぁぅ!」
アルフォンスはどうにか悲鳴を噛み殺した。
「なによその情けない声。
殿下ったら、こんなに顔はいいのに、どうしてこうなのかしら」
「顔はいいとか言われても。
だいたい、顔なら、サン・フォンの方が男らしくていいじゃないか。
ノアルスイユだって、銀縁眼鏡キラーンがいいってインテリ好きの令嬢たちにキャーキャー言われているし」
アルフォンスは、大陸一の美姫と謳われた母にそっくり。
将来の国王として見ると魔力は微妙、なにか抜きん出た能力らしいものもなくて「顔はいい」と言われがち。
だが、これでも女顔を地味に気にしているのだ。
はあぁぁぁぁとカタリナは溜息をついた。
「『大陸社交界新報』が年末に出すイケメン貴公子ランキングで、社交デビュー前から殿堂入りしてる人がなにを言っているの。
というか、マズいわよ。
うちの腹黒お父様、今度こそ王太子妃をサン・ラザールから出すんだって、わたくしが生まれた瞬間から息巻いているのに。
最初に踊ったりしたら、いかにも殿下のお気持ちがわたくしにあるように見えてしまうじゃない。
知らないわよ、いつの間にかわたくしを娶らないといけないことになっても」
「え」
アルフォンスの背をたらりと冷や汗が伝った。
そういえば、家族の団欒の折、父が「将来の王妃にふさわしい令嬢であれば、お前の相手は誰でもいいといえばいいのだが、公爵家の中でサン・ラザールだけまだ王妃を出していないんだよなああああ」と明後日の方を向きながら言い出したことがあった。
アルフォンスは「カタリナは素晴らしい令嬢ですが、私には気が強すぎます」と即答し、母や妹達も頷いて、父は黙り込んだのだが──
「とにかく、次は絶対にジュスティーヌを誘いなさい。
で、なるべく派手に、華麗に、『あーもうこの二人で決まりだよね』って雰囲気を出しながら踊りなさい。
いいこと?」
カタリナは、アルフォンスをバキッと睨んだ。
派手顔の美人なだけに、なんならシャラントン公爵より怖い。
「わ、わかった」
とりあえず、アルフォンスは頷くしかなかった。
曲が終わったところで、カタリナは「殿下の印象を薄めるために、今日は顔のいい殿方全員と踊り倒さないと。あー忙しい忙しい!」と、勝手なことを言いながらどこかに行ってしまった。
ジュスティーヌはどこにいるのだろうとアルフォンスは見回すが、お祝いを言おうと押し寄せてくる貴族達を捌くのでいっぱいいっぱいだ。
「あ、ノアルスイユ! ジュスティーヌを見なかったか?」
ひょろっとガリッとした銀縁眼鏡の幼馴染を見つけたアルフォンスは、勢い込んで訊ねた。
ノアルスイユはくいいっと眼鏡を押し上げる。
「あー……シャラントン公爵を探した方が早いのでは?
レディ・ジュスティーヌなら、一曲終わればまずは父君のところに戻られるでしょうし」
最初から若い者同士でわちゃわちゃすることも増えているが、本来デビュタント・ボールでは、両親に娘と踊ってよいかどうか訊ねて、了解を得るのがマナーだ。
「さすがノアルスイユ、それだ!」
流れでノアルスイユを付き合わせながら、アルフォンスはシャラントン公爵を探す。
人混みの中でも、身長が2mを越えているシャラントン公爵なら確かに探しやすい。
すぐに公爵は見つかった。
大広間の壁際で、貴族達から挨拶を受けている。
ジュスティーヌ、そしてジュスティーヌと仲の良いピンク髪の男爵令嬢ジュリエットも一緒だ。
稀少な光魔法が使えるジュリエットは、田舎育ちで、貴族の礼儀作法が全然さっぱりわかっていないことから「野生の男爵令嬢」と呼ばれている。
ちなみにこのジュリエット、一時期は魔力原理主義の貴族たちの間で「次代の妃にふさわしいのでは」と囁かれていたらしい。
幸い、天真爛漫すぎる当人を見れば「いくらなんでもこりゃ無理だ」となるので、沙汰止みになったようだが。
アルフォンスは急いだ。
幸い、ドニの姿は見えないし、早く公爵の許しを得て、ジュスティーヌを誘ってしまわねば──
「シャラントン公爵」
いつになく機敏に、公爵の前にたどり着いたアルフォンスは、呼びかけて──固まった。
さっきより圧の強い眼で、公爵はアルフォンスを見下ろしている。
感情のないその眼はガラス細工のよう。
怖い。
なんでだかわからないが、めちゃくちゃに怖い。
さっきも怖いと思ったが、さっきの倍くらい怖い。
傍にいるノアルスイユも、あうあうと固まっている。
視界の端で、ジュスティーヌとジュリエットがこちらを心配げに見ているのがわかるが、言葉が出てこない。
アルフォンスはこれでも王太子。
ジュスティーヌと踊りたいと言えば、断られるはずがないのに。
なのに、唇は、はくはくと動くだけ。
そして、公爵も無言のままアルフォンスを見下ろし続ける。