第七話:ルチオ教授とサルヴァトーレ事務長が大喧嘩
さて、美文館で「文化芸術庁買い上げ美術展」を開催。
今回は作品も多く、展示室の他に講堂も使用するので学生さんのバイトを雇う。
看守は全員学生バイトさんにまかせればいいと思ったんだけど、例によって予算が少ないとやらで交代であたしも看守についた。
鑑賞する人の反応を見ると、やはりあの緑一色の絵を見て、「なんだよ、この絵は。俺にでも描けるぞ。こんな絵を国が購入すんな!」って文句言って帰る人がいる。「あたしもそう思います」とはさすがに言えない。
しかし、相変わらず鑑賞者が少ない。緑一色の絵はともかく、他の作品は素晴らしいのでもっと見てもらいたいなあ。看守として椅子に座っている目の前の衝立には、あたしが素敵と思った雪山の絵が飾ってある。うーん、何度見てもいい絵だなあ。あたしが金持ちだったら、五万エンじゃなくて五百万エンくらいで購入したくなる。実際は五百エンも出せない。貧乏はつらい。
しかし、素敵な絵だと思うけど、見続けていたらうつらうつらとしてきた。今回も昼食後なのでお腹がいっぱい、なんだか眠いと思っていたら、突然肩をポン! と叩かれた。びっくりして、また「うわっ!」って声を出してしまった。気が付くと傍らに事務員のジュシファーさんがニコニコしながら立っている。
「ローラさん、お昼寝の邪魔をしてすみませんが交代の時間ですよ」
この前と同じように、あたしはいつのまにか寝ていたようだ。
「ごめんなさい」と謝りつつ椅子から立ちあがる。
時計を見ると交代する時間から十分程過ぎている。
「なんだかローラさんがぐっすりと寝ているので起こすのも悪いかなと思いまして」
「さっさと起こしてくださいよ、恥ずかしいですよー」
クスクスと笑いながら、ジュシファーさんが言った。
「ローラさん雪山で遭難しそうな感じで寝てましたよ、ウフフ」
「ちょっと怖い事言わないでよ」
ジュシファーさん、あたしのいい加減さに内心、呆れてんじゃないかな。
あたしが講堂から事務室へ戻ろうとする途中、入口の前に蒸気自動車が止まった。
老人が降りてきた。
ズカズカと美文館に入って来る。
ルチオ教授じゃないか。
「おお、ローラさんか」
「教授、絵を鑑賞に来たんですか」
「わしは美術なんかに興味はないぞ」
「じゃあ、なんのご用ですか。そうだ、会員の先生方の家に押しかけたりしたそうですね。あたしの名前を出すのやめてくださいよ。苦情の電話がいっぱいかかってきたんですから」
「まあまあ、そう怒らないで。今日はここの責任者に会いにきたんだよ」
「例のクトゥルフの件ですか」
「そうだよ。重要な話だ」
「館長はいませんけど。サルヴァトーレ事務長ならいます」
「ああ、その人でいいよ」
勝手に応接室に入るルチオ教授。
強引な人だなあ。
サルヴァトーレ事務長に報告すると嫌な顔をした。
「ローラさん、君とその教授が親しいからってこっちにも都合があるんだけど」
「別に親しくないですよ! 強引な人なんですよ、こっちも迷惑かけられて困っているんです」
「例のクトゥルフの話かな」
「多分、そうだと思います」
やれやれといった感じで応接室に向かうサルヴァトーレ事務長。
あたしがお茶を持って行くと、「そんなの困りますよ!」とサルヴァトーレ事務長の怒鳴り声が廊下に聞こえてきた。
「失礼します」と中に入ると、ルチオ教授とサルヴァトーレ事務長がにらみ合ってる。思わず、お茶を置いてさっさと出ようとすると、「ローラさん、あんたもちょっといてくれないか」とルチオ教授に言われた。
ルチオ教授がまたなにを面倒なことを言いにきたかというと、例の亡くなったミケーレ先生の作品『深淵への誘い』を宮殿の王室の間に飾るのを辞退しろって話。
「あの絵は危険なんだよ、クトゥルフを描いた絵なんだからな。ローラさんもあのミケーレ氏がクトゥルフを描いた絵の前で死んでいるのを見ただろ」
「そうですけど、クトゥルフが原因かどうかあたしにはわかりませんよ」
サルヴァトーレ事務長が顔を赤くして反論する。
「そのクトゥルフとかなんとかわけのわからないことを言ってますが、これは慣例で決まっていることなんですよ」
「慣例ってことは法律で決まっているってわけじゃないんだろ」
「そうですが美文館の活動を邪魔するのはやめてくれますか」
「美文館の邪魔してんじゃなくて国王陛下を守るのが目的だよ。すでに情報省から国王官房にも連絡が行ってるんじゃないかな。あんたは国王陛下を危険にさらしていいのかよ」
「あの絵を私も見ましたが、別に体がおかしくなったりとか異常はなかったですよ」
「長時間見た場合だよ。王室の間に飾って、陛下が長々と見て、倒れたらどうするんだ。わかってんのか、お前は!」
また怒鳴り始めるルチオ教授。
サルヴァトーレ事務長の顔がますます険しくなった。
葉巻を吸いながら事務長を詰問するように聞いてくるルチオ教授。
「今までも受賞作品が王室の間に必ずしも飾られていたわけじゃないんだろ」
「そうだが、あんたの言うクトゥルフとかわけのわからないことが理由ではない。他の美術館にすでに寄贈することが決まってた作品とかの場合だよ」
サルヴァトーレ事務長も敬語を使うのをやめてルチオ教授をあんた呼ばわり。
喧嘩腰だ。
あたしはいたたまれない。
うーん、さっさとこの部屋から出たいなあ。
「まあ、国王官房から断られると思うがな。さて、それは置いといてもっと重要な話があるんだ」
「まだあるのかよ」
「わしは会員に聞いてまわったんだ。いろいろと質問した。まあ、門前払いをくらったとこもあるがな。それで、わしの聞いた範囲では『深淵への誘い』に投票した会員は一人もいなかったんだよ。つまりインチキだな」
「おい、あんた権威ある美文館賞を侮辱する気か」
「ちょ、ちょっと、事務長、落ち着いてください」
今にもルチオ教授に殴りかかりそうなサルヴァトーレ事務長をあたしはなんとかおさえる。
「あれは会員全員の前で開票して決めたもんなんだぞ」
「ちゃんと数えたのか」
「当たり前だろ」
サルヴァトーレ事務長がものすごい怖い顔であたしに命じた。
「おい、ローラさん。係長と主任を連れてきてくれ。保管してある前回の投票用紙も持ってくるように」
「はい、わかりましたー!」
やれやれ。
えらいことになったな。
応接室で係長と主任、それにあたしで票を数えなおすことになった。
候補作品は十作品で、年齢順に投票用紙に題名と作者名がすでに印刷されている。出席会員は九十名。投票枚数も九十枚で無記名投票。数えなおした結果、『深淵への誘い』が五十票を得票。それ以下が四十九票、四十八票、四十七票、四十六票、四十五票、四十四票、四十三票、四十二票、四十一票で、投票数の過半数以上を取った五作品が賞に選ばれている。実際、講堂で当時に行われた投票結果と変わってない。
しかし、何かおかしい。
「なんだか、上から五十票、そこから一票ずつ減らしていくってわざとらしい得票じゃないかね。ふざけた感じがしないか」
ルチオ教授の指摘にあたしもそう思った。
サルヴァトーレ事務長がルチオ教授を睨み付けながら反論する。
「そういう場合があっても不思議じゃない。投票に関しては全部に丸をつけてもいいし、一切空欄で出してもかまわないからな」
サルヴァトーレ事務長が睨みつけても平然とした顔でルチオ教授が聞いてくる。
「この投票用紙って毎年同じ形式なんだろ。用紙もそこら辺の文房具屋で売ってるものを使ってるわけだ」
「ああ、そうだよ」
「じゃあ、年齢順ってことだから同じ投票用紙を印刷することは可能なわけだ。事前に候補者の履歴とか作品名などの資料は配っているんだろ」
「何が言いたい」
「投票は本当にちゃんと行われたのかよ」
「当たり前だろ」
「本当か」
「本当だって言ってんだろ」
また、事務長がルチオ教授に殴りかかろうとするんじゃないかと冷や冷やする。
しかし、ベルトランド主任がなにか思い出したようだ。
「そういや、あの時、事務側が出席会員全員から投票用紙を回収して投票箱から出して、館長が座っている机の前で投票用紙を数えて、ちゃんと出席者分ありますねって確認した時に急に停電になったなあ」
ルチオ教授が身を乗り出して興味深そうにベルトランド主任に質問した。
「会員の人たちはそのまま座っていたのか」
「いや、当日は大雨で、投票が行われた講堂がかなり暗くなったので、みんな談話室でお茶を飲んだり、トイレに行ったりしてましたね。実は停電がよくあるんですよ、この会館古いもんで。またブレーカーが落ちたりしたのかと係長や俺も停電の原因を調べに機械室に行きました。まあ変な停電でしたけど」
「なにが変なんだ」
「建物の構造上、美文館全体が停電ならわかるんですけど、講堂だけ停電ってのはおかしいんですよね。まあ、少ししたら、講堂の照明が点灯したってジュシファーさんが連絡してきたんですぐに戻ったんですけどね」
「館長はどうしてた」
「確か、機械室から戻ってきたら、席から立ち上がって窓際にいて、事務長とお喋りしながら中庭に大雨が降る様子を見てましたね」
「投票用紙はその間、どうなっていたんだ」
「館長の机の上に置きっぱなしですね」
「じゃあ、その間、うまくやれば投票用紙をすり替えることは誰にでも出来たわけだ」
葉巻を吸いながら二ヤついているルチオ教授。
「なんてこと言い出すんだ、お前は!」
ハゲ頭から湯気を出す勢いで怒り出すサルヴァトーレ事務長。
「しかし、その可能性も無いとは言えないだろ。要するに誰かが投票用紙をすり替えて、『深淵への誘い』を受賞作品、それも王室の間に飾ることができるナロード王国賞にすることは可能だったわけだ」
葉巻の煙をサルヴァトーレ事務長の顔に吹き付けるルチオ教授。
「ふざけんな!」
事務長がルチオ教授に飛びかかりそうになるのを係長、主任、あたしでなんとか抑えた。
「まあ、いろいろとまだ調べることがあるんで、また来るよ」とルチオ教授はニヤニヤ笑いながら応接室を出て行った。
結局、サルヴァトーレ事務長を怒らせるは、美文館賞に因縁つけるはと散々かき回してルチオ教授は帰っていった。
ふう、疲れた。
「あの爺さん、ふざけやがって。ちょっと国王官房まで行ってくる。慣例とは言え、今まで美文館賞を取った作品が例年、宮殿の王室の間に飾られたということを報告しに行こう。ドメニコ係長、資料を用意して一緒に来てくれるか」
「は、はい、資料を用意いたします」
ちょうどジュシファーさんが看守から戻ってきた。
ドメニコ係長がジュシファーさんに頼んでいる。
「ジュシファー君、悪いが一緒に国王官房まで来てくれないか。私一人では昔の資料とかいっぱいあって全部持てないので」
「はい、わかりました」
どうやら、サルヴァトーレ事務長は国王官房に直訴するらしい。
あんな気味の悪い絵を無理に王室の間に飾ることはしなくていいんじゃないかとあたしは思った。
あれ、そう言えば確か授賞式の時って、国王陛下に作品を紹介するんじゃなかったっけ。
つまり、国王陛下はすでにあの絵を見てるんだ。
あたしは、事務室に残ってやる気無さそうに仕事をしているベルトランド主任に聞いてみた。
「国王陛下は授賞式の前に展示室で作品を鑑賞するって聞いてましたが、前回、ミケーレ先生の『深淵への誘い』をご覧になったときはどんな感じだったんですか」
「あの時はねえ、俺は時間調整の係を担当してたんだ。作品について受賞者が説明して陛下が質問したりするんだけどね」
「陛下は美術に興味があるんですね」
「いやあ、実は全く芸術には興味がないって噂があるね」
「あれ、そうなんですか」
「それでも事前に自分で勉強して質問事項をまとめたりしているらしいよ。興味のないことも調べなきゃいけないなんて王様も大変だね」
「それで、『深淵への誘い』の時はどうだったんです」
「それがねえ、一応、受賞者には陛下に説明するのは一人五分程度って時間が決まっていたんだけど、ある受賞者の一人が延々と自慢気に自分の作品について喋りまくって時間が足りなくなったんだよ」
「それでどうなったんですか」
「結局、『深淵への誘い』は作者が欠席しているし、もう時間がなくて国王陛下に付いてまわっていた館長が製作者の履歴を簡単に説明しただけなんだよ」
「じゃあ、国王陛下はあの絵を見てないんですね」
「まあ、ちらっと見て、ほぼ素通り同然だったな」
実際にほとんど見てないなら影響なんてわからないなあ。
ルチオ教授の意見では長時間見続けないと効果は出ないようだし。
「ルチオ教授はクトゥルフの絵は危険とか言ってますけど」
「確かにあの絵を見て倒れた人いるし、係長も気分が悪くなったみたい。けど、俺はあの絵を見ても何ともないけどな。気のせいじゃないの。あのルチオって変な爺さん、幻覚でも見てるんじゃないの。美文館に来てほしくないんだけどなあ。仕事の邪魔もするし。不愉快だよ。ローラさんもあの絵を見て何ともないんでしょ」
「ええ、そうですけど」
クトゥルフってあのルチオ爺さんの妄想のような気もするが、なんか変だなあとあたしは思い始めた。あの投票用紙。みんなには言わなかったけど、丸印とは言え、字が似ているのよねえ。同一人物が書いたような気がする。
それに得票数がおかしい。五十票から一票ずつ減らしていく。『深淵への誘い』を第一位にして、ルチオ教授が言った通り、あとは適当にふざけて丸を記入したような感じもしてきた。クトゥルフはともかく、誰かがイタズラしているみたい。
それに推薦したアルバーノ先生は投票しなかったし、ルチオ教授が言うには他にも投票したと言った会員はいなかったらしい。
ちょっと気になったので再度ベルトランド主任に聞いてみる。
「会員の先生方って、あの作品が選ばれたのに疑問を持たなかったのかしら。その時、どうだったんです」
「別に誰もなにも文句は言わなかったよ」
「先生方は変な作品が選ばれたって思われなかったんでしょうか」
「自分は投票しなかったけど、他の会員が入れたと思ったんじゃない。無記名投票出しね。総会で発言する会員ってほとんどいないんだよなあ」
「なぜですか」
「偉すぎて、会員同士がお互い牽制しあっている感じだなあ」
「派閥争いみたいなもんですか」
「まあ、そんな大げさなもんじゃないけどね。もう、いいんじゃない。選ばれちゃったんだし。後は王宮に飾るかどうかってことだけど、作者は死んだし、本人は文句は言えないわけだ。飾らなくてもいいんじゃない。たかが絵画作品。面倒だ。どうでもいいよ」
「はあ」
やっぱりこのベルトランド主任さんは面倒くさがり屋だなあとあたしは思った。
夕方になって、展示も終わりバイトさんたちには日当払って、帰っていただいた。
守衛のおじさんが裏口から入ってきた。よく見ると猫缶を持っている。
「猫好きなんですか」
「うん。猫が好きなんだ。けど、本当は勤務時間中に野良猫とかにエサを上げるのはいけないんだけど、内緒にしてくれないかなあ」
「いいですよ」
猫が好きな人に悪い人はいないというのがあたしの信条である。
おっと、例の黒猫が近づいてきた。
裏口と建物の間にはちょっとした敷地の空間がある。
「なんだ、お前。またエサがほしいの」と守衛のおじさんと一緒に、猫にエサをあげてやる。
美味しそうに食べてる。
可愛いので背中とか擦ってあげた。
その後、抱き上げてみるが抵抗しない。
裏口あたりで猫を抱えて遊んでいると、急に暴れだして逃げて行った。
何だろうと思っていたら、裏口がドカン! と開いた。
サルヴァトーレ事務長が鬼の形相で入って来る。ドメニコ係長がオドオドしてその後ろを、そしてジュシファーさんがいつもと変わらずニコニコとしながら入って来た。
こっそりとジュシファーさんに聞いた。
「サルヴァトーレ事務長が鬼みたいな顔してたからか知らないけど猫が逃げちゃったんだけど、何かあったの」
「そうですねー、例の絵を王室の間に飾る件がだめになりそうなんですよ。他にもいろいろと言われまして」
「いろいろってなに」
「係長から説明があると思いますよ」
ジュシファーさんは依然としてニコニコと笑っている。
サルヴァトーレ事務長は不機嫌そうにカバンを持って、「お疲れさん……」とボソッと言ってさっさと帰っちゃった。
ドメニコ係長が事務室の皆にぼやいている。
「国王官房から、王室の間に『深淵への誘い』を飾るのは難しいって言われてしまってねえ。まだ、正式に決まったわけじゃないんだけど」
疲れた顔をしているドメニコ係長にあたしは聞いた。
「例のクトゥルフの件でそうなったんですか」
「はっきりとは言わないけどそうなんだろうなあ。情報大臣から連絡があったそうだ」
「ルチオ教授がはったりでクトゥルフの危険性とかを言っただけじゃないですか。後、この前、逮捕だの拘留だの言ってましたけど、あれルチオ教授のウソみたいですよ」
「え、本当か。なんだよ、ウソつくなんてひどい人だなあ」
ドメニコ係長が不愉快な顔をしている。
「まあ、それはしょうがないとして、他の事まで言われちゃってねえ」
「どういうことですか」
「なんで美文館の会員だけで受賞者を決めてるんだって言われてねえ」
「そりゃ美文館の賞だからじゃないですか」
「けどナロード王国賞を授与してるし、授賞式には国王陛下もお招きしているし、国の機関だしってことでさあ。会員手当だって国民の税金から出てるし。新会員の選出も含めて、外部の芸術家の意見も取り入れるべきではって言われちゃったんだ」
「あー、やぶ蛇って奴ですね」
「事務長は館長に明日相談しに行くみたいだけどね」
「美文館も改革しろってことですか」
「そういうことかなあ」
外部の人も入れるとなると、例の『大人の事情』の件も公になるかもしれないなあ、ヘタすると。
クトゥルフどころじゃないな。




