流れ星を待つ泉にて
昔々、泉のそばに作られた小さな町がありました。
この土地には『流れ星が中に落ちると、泉が光り輝いて、その時に飛びこめばどんな病気でも治る』という言い伝えがありました。
そのため、様々な土地から集まった人々が、泉の中に流れ星が落ちるのを待つために作ったのがその町でした。
もっとも、今となってはそんな言い伝えを信じている人はいません。
実際、その町には今はだれも住んでおらず、放置された建物があるだけです。
今の時代、本当に病気を治してほしければ、お医者さんに頼むのが当たり前の事です。
もちろん、そうするにはかなりのお金が必要ですし、お医者さんと言えども、どんな病気でも治せるわけではありません。
お医者さんでも治せない病気にかかっている人は、もっと腕が良くてもっとお金のかかるお医者さんにお願いするか、病気を治すこと自体をあきらめるしかありませんでした。
ところで、ある貧しい家に、目の見えない娘が暮らしていました。
娘は幼い時に視力を失って、お医者さんからも手の施しようがないと言われていました。
この娘の両親は既に亡くなっており、年のはなれた兄が仕事をしながら娘の世話をしていました。
娘は目が見えないながらも、最低限の家の手伝いなどはやっていましたが、兄に負担をかけていることをいつも気に病んでいました。
そんなある日の事でした。
この国の天文学者が「近いうちに、おびただしい数の流れ星が夜空に現れるだろう」と語ったのだそうです。
今の時代でも、こうした星にまつわる出来事は、何か良い事の前触れか、あるいは悪い事の兆しではないかと、人々の耳目を集めるもののようです。
先ほどの娘と兄の耳にも、この話は入ってきました。
「兄さん。私、言い伝えにある泉に行ってみたい。そこで流れ星が落ちるのを待ってみたいの」
妹の言葉に、兄は我が耳を疑いました。
この娘は、どちらかというと現実的な考えの持ち主であり、そうした言い伝えのようなものを信じるような子ではなかったからです。
「私、今のままだと、ずっと兄さんに負担をかけてばかりになるわ。行ってみてだめならその時はその時よ。少しでも、この目が治る可能性があるなら、それに賭けてみたいの」
兄は、しぶしぶながら妹の提案を受け入れました。
妹の事を負担だと思っていたわけではないですし、言い伝えを真に受けるのもどうなのかとは思いましたが、他でもない妹のお願いです。
仕事の都合をつけると、最低限の身支度をして、泉へと向かいました。
「流れ星は、近いうちの夜中に現れるんだろう? 俺は夜通し見張りをする。もし泉に流れ星が落ちたら、お前はそこに飛びこむんだ」
兄は、妹にそう言って聞かせました。
娘と兄は、泉のそばの放置された建物のうちで、崩れそうにないものを選んで、雨露をしのぐ場所としました。
ほとんど野宿と変わらない様子でしたが、泉に落ちる流れ星を待つにはこうでもするしかありません。
幸か不幸か、自分達と同じように考えて泉に近寄る人間はいませんでした。
その日の夜、娘を寝かせた兄は夜通し流れ星を待ち続けましたが、星が降ってくることはありませんでした。
次の日の昼下がりの事でした。
兄は眠っており、娘はじっと座って辺りの気配を感じ取ろうとしていました。
何か変わったことがあったら、兄を起こすように言われています。
特に何も起こらず、日差しの温かさに娘も眠ってしまいそうになっていたその時でした。
突然、だれかのささやき声がしたのです。
「お主は、目が癒えるのを願ってこの泉を訪れたのか?」
それは、年老いた男の声でした。
娘はとっさに、かたわらで眠っている兄を起こそうとしました。
「安心せい。別にお主を危ない目にあわせたりするつもりは無いぞ?」
声は、娘を制しました。
娘の方も、声の主が言っていることがウソではないような気がしたので、声の主に従う事にしました。
「あなたは一体、だれなんですか?」
「わしはな、この泉の精じゃよ」
「泉の精ですって?」
そんなものが本当にいるだなんて、にわかには信じられません。
泉の癒しの力についても、心のどこかで疑っていたくらいですから。
「さよう。お主も知っての通り、泉の中に流れ星が落ちて、わしがその力を得た時に、人に癒しを与える事が出来るのじゃ」
「でも、あなたの言っていることが本当だとして、私たちの間ではその言い伝えはまゆつばだと言われているのはご存じですか?」
「わしも老いている。仮に流れ星が落ちて来ても、十分な癒しの力を得る事が出来ない時もあるのじゃよ。特にここ最近はな」
泉の精と名乗る声の話を聞いて、娘は顔をしかめました。
「それじゃあ、上手くいかない可能性も高いってことですか?」
「お主らは、今度現れる流れ星が泉に落ちるのを待っておるのじゃろう?」
「ええ、はい……」
娘は小さくうなずきました。
「おそらくじゃが、今度降るであろう流れ星の力は強い。その力を得れば、お前さんのその目を治してやることもできよう。ただし……」
「ただし?」
「わしはもう老い先短い。そう遠くないうちにわしは消え去り、この泉も涸れる運命なのじゃ。だから決して、この機を逃してはならんぞ?」
そんな言葉を残して、声の主の気配は消え去りました。
泉の精を名乗る声の話を、娘は兄に話しませんでした。
もしかしたら自分も気づかないうちに夢を見ていただけなのかもしれないし、兄に話したらいつもと様子が違いすぎると心配されるのではと思ったからです。
その日の夜も、その次の日の夜も、流れ星は落ちてきませんでした。
そして、この泉を訪れてから四日目の朝を迎えた時の事でした。
泉へ水をくみに行った兄が、だれかと話している声が聞こえてきて、娘はそちらの方へ注意を向けました。
どうやら兄は、少し怒っているような様子です。
心配していましたが、しばらくすると兄がもどってきたので、娘は何があったのかを訪ねました。
兄はこう答えました。
「俺たちと同じように、泉の力で病気を治してもらうつもりの奴がいたんだ。そいつもこの辺りに寝泊まりしている。背中の曲がった、よたよた歩きの年増男さ。折角ここまで頑張ってきたのに、あんな奴に泉の癒しの力を取られてたまるかよ」
その日の昼も、兄は眠って、娘は起きていました。
娘は、その男の事が何だか気がかりで仕方ありませんでした。
もしも、泉の癒しの力が、あの泉の精と名乗る声の言葉が本当だとしたら。
その男も、癒しの力にすがってここまで来ているとしたら。
自分がその男を差し置いて、癒しを得たとしたら。
そんな事を考えていると、あの声が再び聞こえてきました。
「お主の心に迷いが生じておるようじゃな」
目が見えない娘には姿は見えませんが、気配は感じられます。
「改めて聞こう。お主は、何のためにここで流れ星を待っているのだ?」
「私は……今のままでいたくないから。目が見えないまま、兄さんの足手まといのままでいたくないから、ここに来たんです。うちは貧しいですし、お医者さんに私の目を治せるかも分からないので……こうするしかないと思いました」
「だが、お主も言った通り、泉に入った者が癒しを得るという話はまゆつばだと考えている者も多い。お主だって、心の底から信じていたわけではなかっただろう?」
娘は、だまってしまいました。
「今のお主は、『もしも泉に入った者が癒しを得るという話がウソだったらどうしよう』と考えているのではなく、『もしも泉に入った者が癒しを得るという話が本当だったらどうしよう』と考えているのではないか?」
「……はい」
泉の精の言葉に、娘はうなずきました。
「もしも本当に自分が癒しの力を得る事になったら。それによって、他の人間が癒しを得る事が出来ないとしたら。そう思っているのだな?」
「……その通りです。他の人を差し置いて、自分の目を治してほしいと言う事が本当に正しいのか……兄さんに迷惑をかけたくないと思っているのは本当の事なんですが、どうしてもそんな風に考えてしまいます」
「わしの見たところによると、お前さんの目が見えなくなったのはお前さんが何か悪い事をしたせいでも何でもない。一方で、あの年増男がああなっているのは、自分のだらしなさのせいで自分を病気にしてしまったためじゃ。そう考えるなら、お前さんの方が癒しを得るにふさわしいと思わんかね?」
「……だからといって、それが私だけが病気を治してもらう理由にはならないと思います」
「医者だって、全ての人間の病気を治すことは出来んぞ。たとえどれほどの名医であったとしてもだ。どうしても、助かる人間と助からない人間が出てしまう」
泉の精の言葉を聞きながら、娘は小刻みに肩をふるわせています。
「この泉の話も同じだと思わんかね? 流れ星が泉に落ちた時に、運よく飛びこむ事が出来る人間など限られている。自分に合った良い医者にめぐり会える人間も限られている。全てを救うのはとても難しい事じゃ」
そこまで話してから、泉の精は娘の様子を見て、こうたずねました。
「ところでお主は、目が見えるようになったら何をするつもりなのじゃ?」
「……私は……」
少し考えてから、娘は答えました。
「兄さんに迷惑をかけないで、一人でもちゃんと生きていけるようになりたい。家の事もちゃんと出来る、立派な大人になりたい。そう思っています」
「そうか……ならば、もう一つ聞きたいことがあるのじゃが」
「……何でしょうか?」
娘に向かって、泉の精は再びたずねました。
「お主が言う立派な大人とは、どんな人間の事だ?」
「それは……例えば、私の事をずっと世話してくれている兄さんのような……あっ……」
娘は、何かに気づいたようなそぶりを見せました。
「そうか……私が思っている立派な大人って、困っている人や弱い人を助けられるような人の事なのね……」
「一人の医者や、一つの泉で救える人間の数は限りがある。しかし、救われるべき者に手を差しのべる事が出来る人間が増えれば、全てとは言わずとも、より多くの者を救う事は出来るじゃろう」
「私、決めました。この目がよくなったら、お医者様……は難しいかもしれないけれど、病に苦しむ人を助ける事が出来るような人になりたいです! 私だけが癒しの力を得て終わりにするんじゃなくて、それを皆にも分けてあげられるように……!」
娘は、自分の心からさっきまでの迷いが消えたような気がしました。
「良い事じゃ。お主のような人間を最後に癒してやれるとしたら、わしとしても本望じゃ」
そんな声が聞こえると、声の主の気配は消えてしまいました。
「おい、起きろ! 流れ星が現れたぞ!」
どうやら娘は、いつの間にか眠ってしまっていたようです。
すでに辺りは夜のようで、ひんやりとした空気がただよっています。
兄に起こされ、娘は泉のそばまで連れて行かれました。
「すごい……本当に次から次へと流れ星が落ちてくる……あっ!」
兄が声を上げ、娘の身体を抱き寄せました。
娘には見る事は出来ませんでしたが、夜空から一筋の光が落ちてきました。
その光は、まぎれもなく流れ星です。
流れ星は、泉の中へと吸いこまれるように落ちていきました。
泉が流れ星を受け入れたとたん、水面は青白い光を発しました。
「今だ、ほら! 早く飛びこむんだ!」
娘は、兄に導かれて泉のへりに立たされました。
娘の心にはまだ、自分が癒しを得る事へのためらいがありました。
しかし、それよりも強い決意を持って、娘は泉の中に飛びこみました。
本当に自分が癒しを得たら、何をなすべきなのか。
泉の精と語った事を思い起こしながら。
娘が泉の中に飛びこんだとたん、水面をおおっていた光は娘の身体を包みこみました。
光に包まれた娘は、そのまま気を失ってしまいました。
光が消えた後、ぐったりとしたままの娘を、兄がとっさに引き上げました。
娘は、光に包まれながら、あの泉の精の声を聞いたような気がしました。
「おい! しっかりしろ! 大丈夫か!」
大声で自分の名前を呼ばれていることに気が付いて、娘が目を開けると、目の前には若い男の顔がありました。
その男が発している声は兄のものだったので、兄はこういう顔をしているのだなと娘は考えました。
それから少し遅れて、やっと自分の目が見えるようになっていることに気が付きました。
「お前……目が見えるようになったのか! 俺の事が分かるのか!?」
兄は、娘を抱きしめて泣きました。
娘は空を見上げました。
空にはまだいくつもの流れ星が現れては消え、月明かりが泉を照らしていました。
「……まさか、本当に病が治るとはな。まあよいわ。わしはもうここを引きはらうとしよう」
背後からそんな声が聞こえてきたので、娘と兄はそちらに目をやりました。
そこに立っていたのは、背中の曲がった年増男でした。
男はくるりと向きを変えると、建物のすき間に向かってよたよたと歩き始めました。
「あれが、朝に俺が話していた男だよ……お前は気にするな」
兄はそう言って、娘をしっかりと抱きしめました。
しかし、男の背中を見ていた娘は、ふと気が付きました。
あの泉の精の声と、今さっきの年増男の声が、全く同じものであると言う事に。
「お前、やめるんだ! 何であいつを追いかけようとするんだ!?」
「止めないで、兄さん! どうしても、確かめたいことがあるの!」
兄の手をふりほどき、娘は年増男を追いかけようとします。
しかし、娘が男に追いついたと思ったら、その姿はどこかに消えてしまっていました。
まるで、建物のかげに吸いこまれてしまったかのように。
翌朝、娘と兄は自分たちの家へと帰る事にしました。
結局、泉の精の事も、年増男の事も、娘には分からずじまいでした。
泉の精なんて初めからいなくて、全てはあの男が演じていたのか。
もしそうだとしたら、何のためにそんな事をしたのか。
それこそ、だまって泉に飛びこめばいいものを、自ら癒しを得る機会をふいにするような事をするものだろうか。
それとも、あの男が、泉の精の化身だったのだろうか。
そうであるならば、なぜあんな年増男の姿で兄や自分の前に現れたのだろうか。
いくら考えても、本当のところはどうであったのか、分かりそうにありませんでした。
「兄さん。私、お医者様になりたい……病に苦しんでいる人を救えるような大人になりたい」
家へ帰る道すがら、娘は兄にそう語りました。
貧しい家の子どもで、女の子で、今までずっと目が見えないままで暮らしてきた自分には、とても難しいことかもしれません。
それでも、娘には迷いはありませんでした。
そうする事が、癒しを得た自分がなすべき事であると考えていたからです。
それから何十年もの月日が流れました。
あの泉はとっくに干上がっており、訪れる人もいなくなっています。
しかし、この泉に最後に飛びこんだ娘は、今では立派な医者になっていました。
貧しい人々や恵まれない人々、難しい病気にかかっている人々に寄りそうことに人生をささげ、国じゅうの尊敬を集めています。
彼女の活躍を聞いて、その活動を支えたり、彼女のような医者になろうとする若者たちも増えています。
泉は涸れてしまっても、彼女の働きはこの国の多くの人々を癒し、潤しているのです。