レポート90:『一方、その頃……2年体(男)』
「……ということだ、皆の者」
グラウンドの四隅のうち一つに屯する彼ら2年男子体育会系チーム。
本来であれば、彼らもまたリーダーを決め、指名選手を一人決める流れだったのだが、彼らのチームは既に決まっていた。
そこに不満を覚える生徒は少なくなく、同時に彼らを率いる『総大将』と名乗る人物に誰もが唖然としていた。
そこへ、一人の生徒が彼の名を呼ぼうとするのだが、
「バカもん! 総大将と呼べ……」
その度に彼の声が言わせないと言わんばかりに声を遮っていた。
それを嘲笑する者もいれば、諦めたかのように流れに乗ることを決意する者もいた。
「……総大将、質問があります」
「なんだ?」
一人の生徒が手を挙げる。
だが、その内容を口にしたのは、また別の人物だった。
「――なんでお前、こっちにいる?」
顔は笑っているようで、とても怪訝そうな面持ち。
その反応を見せるのは一人だけではなく、主に野球部レギュラーの面々が同じような態度で彼を迎えていた。
文化系でもないのに体育会系にはリーダーがいる。
しかもそれは2年男子体育会系チームにのみ存在しており、彼自身が指名選手も請け負うと宣う。
球技大会のソフトボールと言えば、野球部の男子が活躍する場であり、1軍レギュラーも数多く存在する2年男子体育会系チームにとって、日々の鬱憤やストレスを運動によって精算できるというこういうイベント事は、お祭り男のように大はしゃぎできる唯一の場。
それ故に生徒会の結果の見えた企画には、不満を覚える生徒が多少なりとも存在しており、それは主に野球部の面々だったりする。
野球部にはお調子者や不真面目な生徒が多く、無頼漢とまでは言わないが、陽気で強気な連中の多いこと。
先生からのお叱りも、茶化して流すような悪ガキであるものの、言いつけにはちゃんと守る素直な子。
仲間を大切にする彼らが、タバコや飲酒と言った悪事を働くわけではないにしろ、一部生徒から恐れられているのも事実。
そんな彼らが、ざわめき、発言一つするだけで、空気は少しピリつく。
だが、彼はそこに一切動じていなかった。
「それはだな……」
神妙な表情で、顎を摩りながら答える。
「……勝ちたい相手がいる。だから、皆の力を借りたい」
それはとても、愚直な発言だった。
具体的なことは一切言わず、ただ真っ向から意見をぶつけているだけに過ぎない。
とても人を説得する言葉とは思えないほど無策で、周到さの欠片もない無謀な考えだった。
「頼む。この通りだ」
言葉だけではない。
彼は誠心誠意を持って、首を垂れている。
「「「「「……」」」」」
いつも偉そうにお高くとまっていた彼が、人に頭を下げている。
その現状に誰もが困惑する。
普段なら絶対に取らない行動を彼は取っている。
こんなことがあってもいいのかと、その言動を心配している者もいる。
実際、彼の家柄上、人に頭を下げるというのはあってはならないことで、恥ずべきことだと教育を受けてきた。
それでも彼は、それを承知の上でその言動を取っていた。
「――……しゃーない、力貸してやるとすっか」
呆れながらに不敵な笑みを添えて、甲高い声をした緑色の髪を逆立てた男が一人、頭を掻く。
「――俺は好きやぞ、そういうの!」
いかつい菩薩顔をした暑苦しい坊主もまた、野太い声で賛同する。
「――くく、面白くなってきたぜ」
オレンジ色の瞳を光らせながら、茶髪ウルフカットのイケメンはいつも通り悪い顔をしている。
「――うん」
白髪をスポーツ刈りにした男は静かにグーサインを送って頷いている。
「――やってやんぞオラァ! 誰倒すか知んねぇけど!」
「――それな!」
「――関係ねぇよ! どのみち全員ぶっとばすんだから!」
「――先輩も?」
「――先輩だろうが、なんぼのもんじゃぁあい! 引きずり降ろしてやる! ふーん!」
「――あとでキャプテンに言っとこ」
「おまっ、それはやめろよな……っ!」
いつの間にか、チームは活気で溢れていた。
野球部の決意表明のような口上が次々とやる気となって伝染し、いつしか他のメンバーにも移って場の空気は盛り上がっている。
そこに今度は、説得を試みた総大将自身が唖然と立ち尽くしていた。
そんな彼を受け入れるように彼らは熱い視線を送る。
「別にお前に言われたからやるんじゃねぇからな! 俺たちは最初っから、全員倒す気でいんだからな! 足引っ張ったら承知しねぇぞ!」
なぜかキレ気味に答える一人に彼は目を点にする。
「そんで? 総大将、作戦のほどは?」
茶髪ウルフカットのイケメンは頬を緩ませながら、低い声音で彼に問う。
まるで野球部全員の意見を取りまとめたような一言に息を呑む。
野球部レギュラーにして、正捕手であり、月刊誌に取り上げられるほどの活躍を見せている選手。
プロからも注目されており、次期キャプテンとまで噂されている男。
所謂、世間で言うところの『天才』と呼ばれる部類であろう彼の名は――『明神賢哉』。
一部生徒からは『野球部界の榊燎平』と謳われており、カリスマ性は当の本人を超えるほどの勢いがある。
そんな彼にも臆することなく、総大将は作戦を提示する。
「ああ、それはな……」
その間、彼の心は安堵に見舞われていた。
――上手く行って良かった。
彼の取った言動、それ即ち全てが演技だった。
彼らを納得させ、味方につけるためだけに形成された人物を象った張りぼて。
もちろん、吐いた言葉が嘘というわけではないけれど、欺瞞が通じない相手だと彼は最初から見抜いていた。
彼らには嘘偽りや、建前のような方便は、体のいい言い訳にしか聞こえない。
だからバカ正直に伝えるのが一番であると判断して全てをさらけ出していた。
たとえ頭は良くても、単純な彼らであれば情に訴えかければ説得は容易い。
全ては計算しつくされてできた流れだった。
それを気づかず、周りは彼を慕うような形で、笑顔で溢れていた。
『彼がやっていたのは、こういうことか』と理解が行きながらも、胸は確かな違和感を感じていた。
事を上手く運ぶためだけに自分を偽り、場や状況に応じた自分を形成する。
猫を被るとでも言うか、仮面を被って道化を演じていると言った方が近い。
とても窮屈で、息苦しい感覚だった。
――父さんが言っていたことも、こういうことだったのかもしれないな。
相手を騙し、バレない嘘を貫き通す。
バレなければそれは、そもそも問題として認知されないということ。
もしかしたら、大人になるということは、そういう嘘偽りや欺瞞に満ちた関係を平気で築ける人間のことを言うのだと。
納得しがたい思想が脳内で沸々と過ぎっていく。
その感覚に嫌悪しながら、彼はただ『あいつに勝つためだ』と自分に言い聞かせながら、偽りの自分を司っていた。




