レポート86:『一方、その頃……3年文(女)』
「以上です。何か質問のある方はいますか?」
『近江乃々《このえのの》』は元副会長である。
親の遺伝でルビーのように赤い目と綺麗な銀髪をしている彼女は、目立つことを嫌う。
そのため、生徒会に加入した際には表舞台に立たないことで影に埋もれてきた。
黄金色の丸縁眼鏡と銀髪おさげで見た目を地味にすることで、さらに印象を薄くして、極力人と関わらぬよう休憩時間は読書に励む。
訳ありの生徒の多い五市波高校においては、髪を染める生徒も多く、それが余計に彼女の存在を空気に溶け込ましていた。
そんな彼女が今、後輩のためにと同級生の前に立ち、扇動を切っている。
別段、人と話すのが苦手なわけでも、あがり症というわけでもなく、ただ目立つことが嫌いというだけで、テキパキとした言動で事はスムーズに運んでいる。
透き通るような声ではっきりと、球技大会についての説明を終え、チームの在り方についての話も済ませた。
残すところ、自身が率いる3年女子文化系たちにおける疑問を解消していくこと。
――なのだが、
目の前にはしんと静まり返った光景があり、どの顔も不安に満ちた表情はなく、内容については大体把握できている様子が見て取れていた。
「なければこれで今日は終了です。お疲れ様でした」
綺麗に一礼し、皆は続々と足を校舎へと傾ける。
体育館を去るスキール音がしながら、周りの文化系と合流を果たして、この場を後にしていく。
「ふぅ」
それを横目に近江は一息つく。
たとえ後輩のためとはいえ、今まで表立って活動してこなかった彼女にとって、少しの気負いもなかったわけではない。
ただ大半を『榊燎平』というカリスマに任せていたため、大抵の視線は彼に集中していた。
人前に一人で立つというのは、どこにも視線を誘導する的がないために自分が最も強い光を放つ存在となる。
故に逃げ場もなく、事を早く済ませることが彼女にとって一番嫌いな面倒事から解放される行為であり、安らぎへと導く術だった。
「まさか、最後の最後になって、こんな大仕事が待っているとはね……」
今まで目立つことを避け、会長の影に隠れ、常に鳴りを潜めて学園生活を送って来た。
生徒会に入って2年間。
書記から副会長へと役職が変わろうとも、影に徹することは変わらなかった。
唯一、司会だなんだと人前に立った経験はあれど、そこには大抵会長がいた。
だが今回は、引き継ぎという体で、会長共々駆り出され、人前に立つ破目となった。
受験のためにと早く切り上げた生徒会活動も、校長と交わした約束とは言え、ここに来ての目立つ行為は不意打ちにも程がある。
ただ可愛い後輩のために先輩の威信を懸けて、見栄を張ったに過ぎない。
頼られるのは、嫌いではないから。
それに……。
「―――」
体育館の外、解放された扉の向こうに見える野球部のグラウンド。
視線の先に映る男子の集団。
日陰のこちらとは違い、日を浴びる彼らはより一層眩しく感じる。
そして、そんな彼らを仕切る、眼鏡で長身の優等生に目は移る。
その本性は、ただの腹黒眼鏡であるからして、周りの彼を慕う姿に苦笑する。
面白おかしく戯けてはいるものの、それはチームをまとめ上げるために和やかな空気をつくっているだけで、信頼関係を築かせやすくしているだけに過ぎない。
「ほんと、すごいな……」
好き勝手やって、狙って笑いを取りに行って、それを全て計算してやっているのだから、恐ろしい限りである。
彼の凄いところは、口だけ達者というわけではなく、勉学やスポーツなど、確かな実績を持って証明しているため、口だけではないということが嫌でも伝わってくる。
そのくせアニメや漫画、ゲームといったサブカルチャーにまで詳しかったりするのだから、誰とでもコミュニケーションを図れる会話術は向かうところ敵なしというか、説得力の塊でしかない。
だから誰もが彼の言葉に耳を傾け心を開くし、彼を慕い付いてくる。
自分もまた、その一人なのだと思うと、呆れてため息が零れてしまうけれど、それがどうして嫌というほどではなかった。
ふとひっそりと、生徒会に誘われた時のことを思い出し、頬が綻んでいた。
先輩でも友達でも、知人やクラスメイトでもない。
別クラスにいた、ただの同級生。
そんな彼と生徒会活動を共にして、いつしか芽生えた感情。
彼女には決意していたことがある。
それはこの球技大会を無事に終えた後、彼に告白をするというもの。
3年生である彼ら彼女らにはもう、この機会を除けば受験に本腰を入れる時期で、二学期ともなれば、それに手いっぱいになる。
受験が終わった後に告白をすることもできなくはないが、浮ついた気持ちは今のうちに払拭して、受験に集中したいというのが本音。
卒業式に伝えるというのがラストチャンスではある。
それまでにだって、いくつかチャンスは巡ってくるだろう。
ただこのまま行けば、受験に支障が出かねないと、彼女の心は察知していた。
思いはそれほどまでに色濃く募っていた。
静かなる覚悟を胸に、秘めたる思いを解放すべく、二人でまた生徒会活動を担うというチャンスに不純な動機で彼女は挑んでいた。
らしくない自分であることは重々承知している。
それぐらい彼の存在が自分に大きな影響を齎していたということも。
だからこそ、別れを告げなければいけない。
この思いからは――。
そうして彼女は確固たる意志のもと、彼に背を向け、歩き出していた。




