レポート77:『援軍②』
数日後、とある昼休憩の時間帯。
榊先輩の手配により、一人の生徒が生徒会室へと訪れる。
栗色の髪で透き通った緑の瞳を隠した線の細い少年。
バスケ部1年――『富澤幸彦』。
予定の時刻よりも少し早めに来た彼は恐る恐る「失礼しま〜す……?」と扉を開く。
そこへ滲んだピエロのメイクをした氷室がライトで顔面を照らして登場し、同時にムンクの叫びのようなマスクをした自分が死神の鎌を持って暗闇から『ぬんっ』と飛び出す。
「うわあぁあっ!?」
それを見るなり、富澤は腰を抜かして仰天し、思いのほか良いリアクションを見せてくれる富澤に氷室は腹を抱えて爆笑する。
富澤は、ピエロの正体が氷室だとわかるまでしばらく、瞬きを繰り返して呆けていた。
「ダーハハハハっ! 良いリアクションするな、お前!」
そんな笑いこける氷室の背後には、呆れた長重が佇んでいる。
「もう、何後輩ビビらせてんのよ」
自分は、事前に後輩が来ることを知らされた氷室に連れられて、仮面と鎌を渡されただけだというのにとんだ巻き込まれ損である。
室内にいた松尾はクスリと微笑しており、富豪も相変わらず座席で腕を組んで、鼻で笑っている。
その光景を目に富澤は怒るでもなく、寧ろおかしそうに笑っており、お気に召して何よりだと思う。
「あれ? 一人だけ?」
すると長重が富澤を目に首を傾げ、その一言に榊先輩の言葉を思い出す。
確か榊先輩から聞いた話によれば、二人が来る予定であるはず。
だが目の前には富澤一人しかおらず、一体どういうことなのだろうかと疑問に思う。
「ああ……もう一人は、遅れてやって来るそうです」
その言葉に皆は顔を見合わせると、とりあえず富澤を氷室の席へと誘導する。
自分も自席に座ろうかと思えば、氷室に袖を引っ張られ、悪戯な笑みにより察する。
内心『まだ足りないのか……』と呆れながらも、ここまで来たらなら最後まで付き合ってやるかと、富澤の背後に揃って棒立ちになる。
まるで番人や守護神とでも言うような威風堂々とした立ち振る舞い方に富澤から「あの、座らないんですか……?」と声をかけられるも、無言でやり過ごす徹底ぶり。
ここまで来ると、バカを通り越して仕事人である。
「ん?」
ふと、廊下から誰かの走る足音が聞こえてくる。
その音は徐々に増し、こちらに近づいてくるものだと察した時、勢いよく生徒会室の扉は開かれ、全員の顔がそちらに向く。
「すいません! 遅れまし――――うわぁああっ!?」
入室した途端、彼女はこちらの顔を見るなり驚愕する。
富澤ほどではないが、口を押さえて目を見開く彼女もまた良いリアクションで、氷室は大爆笑する。
「あの……これは一体、どう言う状況なんでしょうか……?」
戸惑う彼女を前に直後、長重から「もうそれやめなさい!」とお叱りを受ける。
全く、氷室の悪ふざけに付き合うとろくなことがない。
そう思いながら、松尾から貰ったおしぼりでメイクを落とす氷室に『……これで満足か?』と仮面を外して目で訴えかけてみれば、氷室は満面の笑みを返して来ていた。
「それじゃ、始めよっか」
朗らかに微笑みかける長重の一言を合図に本日の会合は行われる。
「とりあえず、軽く自己紹介から。生徒会長の長重美香です。この子が書記の松尾さん。偉そうに座ってるのが、庶務の富豪くん。そこのフード被った人が副会長の真道で、さっき脅かしてたのが二人ともご存知、会計の氷室くん」
長重の淡々とした生徒会メンバーの紹介に二人は相槌と会釈を繰り返す。
その後、二人にバトンは渡され、まずは富澤が前に出て挨拶する。
「えっと……1年3組、富澤幸彦です」
無難な挨拶ではあるが、富澤のことは富豪を除く全員が知っているため、問題はない。
けれど、遅れてやって来たもう一人の人物に関しては、あまりに情報が少なく、氷室を除く皆の意識はそちらに向いていた。
改めて、その一人である彼女の容姿をまじまじと観察して思う。
セミロングの茶髪には艶があり、大きく丸い瞳はリスを彷彿とさせる。
胸はそこそこ膨らみがあり、長重と同じくらいはある。
背丈は低く、160もないように思う。
肌は白く、全体的に小柄な印象を覚える。
そんな彼女は大きく息を吸うと、満面の笑みで口を開く。
「初めまして! 1年4組、楽間葉月です♪ バスケ部のマネージャーやってます♪」
軽く敬礼して、目配せする楽間に思うことがあるとすれば『キャピキャピしてんなぁ』という一言だった。
明るいという印象では長重と近いところが確かにあるかも知れないが、楽間の場合はどこか胡散臭い。
八方美人とでも言うか。
物事を穏便に済ませたいがために何でも笑顔で誤魔化している。
そういうタイプなのではないかと、過去に見てきた人物から近いものを感じる。
どこに小悪魔系の要素があるのかと思うも、いずれはわかることであろうと保留にする。
今はこの二人の力を借りるためにどう説得するか。
それが問題であり、今回における重要事項である。
「二人は、今回のこと、なんて聞いてる?」
「部長からは『球技大会の運営について生徒会から話がある』とだけしか……」
「同じく、そんな感じですっ♪」
「そう……」
どうやら榊先輩は二人に何の説明もしていないらしい。
ほとんど丸投げという感じではあるが、これは現生徒会の仕事。
逆に具体的なことは何も話してくれていないことで、こっちのペースに持ち込みやすい状況であると言える。
おかげで、練ったプラン通り会話を進められそうである。
「二人を呼んだのは他でもない。球技大会当日までにやってもらいたいことがあるからなの」
長重の眴により、松尾は動く。
富澤と楽間にそれぞれの資料を手渡し、二人は軽く目を通していく。
「今回は、今までにない取り組みをやろうとしている。成功させるためには、有望な人材が必要不可欠。特に……周りを引っ張って行けるリーダーシップを持った人材が」
とても直球な物言いをする長重の言葉に二人の表情はバラバラだった。
不安を覚えている富澤と、何を考えているのか、先ほどまでの明るさはどこに行ったのかというほど無表情な楽間。
ただどちらも、真剣味を帯びていたため、今のところは特に問題はなさそうだった。
「二人とも学級委員だから、どのみち本番は駆り出されることになる。けど、それをやるかやらないかは別の話。答えは、今ここで出してもらいたいの」
手に持った資料と長重の表情を見比べながら、二人は思案する。
イエスか、ノーか。
その答えどちらか次第で『ルール改定案』の取り組みは成功か失敗か、大きく結末は変わることになる。
揺れ動く天秤はどちらに傾くのか。
はてさて、二人はどちらを選んでくれるのやら。
少しの緊張が走る静寂である。
「あの、幾つか聞いてもいいですか?」
「何?」
そこへ何に疑問を持ったのか、挙手する楽間に緊張感は増す。
乗るか、反るか。
それを決めるのだから、質問があって当然。
逆にない方が能天気すぎて、任せてもいいものか危うさを感じる。
とりあえず、渡した資料における『ルール改定案』の内容に関しては、一通り、何を聞かれても大丈夫なように対策はして来た。
あとは何が聞かれるかが問題ではあるが、何を聞かれても不安な顔を見せるなと長重には言ってある。
楽間の疑念を晴らすことはできるか。
皆の意識は再び、彼女に集中する。
そっと開かれるその口に耳は傾けられる。
「どうして私たちなんですか? 学級委員なんて他にもいますよね?」
「それは……」
話してもいいものか。
長重の確認の視線がこちらに及び、迷わず首を縦に振る。
ここでの迷い戸惑いは思考を鈍らせる。
何より、指揮するものに自信がなければ、下のものにも伝染する。
長重には堂々としてもらわなければ、二人を説得することはおろか、今回の難関は乗り越えられなくなる。
一つのミスが命取りとなる。
成功へと導くためには、迷いのない選択がこの場では必要であり、周りにもどれだけ参加して損はないと思わせられるかが肝。
参加意欲を湧かせられなくとも、参加意欲が失せることだけは避けなければ、今回の趣旨からは大きく外れてしまう。
とはいえ、選んだのが榊先輩であり、素直にそう答えてしまっては、現生徒会の今後にも関わってくる。
どうして二人でなければいけないのか。
その理由が答えられなければ、今回の件は白紙になりかねない。
そしてそれを長重自身の言葉で言えなければ意味がない。
ここで試されているのは、長重の技量。
長重自身の言葉で、どれだけそれらしい理由をつくれるか。
嘘ではない事実を淡々と並べられるか。
口八丁手八丁で二人の気を引けるかが勝負。
長重のカリスマ性の見せ所である。
「今回取ったアンケート、覚えてる?」
「アンケート?」
「ああ……あの、体育会系か文化系か問うやつですか?」
どうやら長重は、アンケートの話題と二人に向けた資料をもとに順を追って説明しようとしている。
そこから二人をどう説得するかは不明だが、アンケートに関しては、富澤しか覚えていなかったご様子。
まさか、そのアンケート結果の内容を基準に選んだなどと、口が裂けても言えない。
そんな安直な理由だけでは、誰もついては来ないのだから。
この生徒会長様は一体、何を考えているのやら。
とにかく、説得は長重に任せているため、今は様子を見ることにする。
「それ、私たちが手配したものなの。今回の球技大会のためにね」
「はぁ……それが何ですか?」
「二人は文化系に丸をしたでしょ? それが理由」
長重の解答はひと段落したのか、再び辺りは静まり返る。
いやはや、まさか本当にそれだけで終わってしまうとは、二人の心には何も響かず仕舞いである。
案の定、富澤も楽間もポカンとしている。
「え、それだけ……ですか?」
理解が追いついていないようで、楽間は長重の反応を伺う。
長重の落ち着いた表情から、楽観的な思考から絞り出された答えではないと見て取れる。
長重は本当に何を考えているのやら。
楽間の一言から間もなく、長重は再び口を動かす。
「理由はもう一つ」
やはりまだ、長重の解答は終わりではないらしい。
間を置いた理由は定かではないが、おそらくはここからが本番なのだろう。
なんせ、長重が言ったのは、ただの事実であって、そこに長重の言葉は何一つして存在してはいないのだから。
経緯は語った。
それは単なる選択肢でしかない。
その中から二人が選出されたのはなぜか。
ここから理由をどうでっち上げるか。
見ものである。
「体育会系のリーダーが誰か。そっちのリーダーが豪太くんと、須賀さんに決まったから」
「「―――」」
二人の表情は微かにひくつき、確かに動揺が露わになる。
少し顔が強張ったことから、自分たちの立場を理解したのか、緊張感が増しているのを感じる。
ただ、これが嘘だということを生徒会の皆は知っている。
どこにも長重の言葉に信憑性なんてない。
なぜならここに呼んだのは、文化系の二人のみであり、体育会系には声をかけていないから。
これから声をかける予定もない。
体育会系に関しては、そうなるであろうという予想だけに過ぎない。
けれど、文化系を選択した二人がこちら側についたなら、それが高確率で起こり得る事象でもある。
そしてそれは、逆もまた然り。
富澤と豪太、楽間と須賀。
二人はそれぞれ、互いを敵対視している節がある。
それぞれにどんな因縁があるかなんて知らない。
ただ、榊先輩の見立て通りであるならば、二人は絶対に食いつくと踏んでいる。
それがため、長重は嘘をついた。
しかしそれも、二人が確定してしまえば、結果的には真実になり得る。
もっとも、交渉の場に向いているのは、文化系を選択した富澤と楽間だからこそこの場に呼んでいるのであって、豪太と須賀への説得は今のところ考えていない。
けれど、二人に与えた衝撃としては十分のように思える。
先に単なる事実を述べ、それが二人にとってはくだらない情報であったために後者の理由はより一層強烈なものとなった。
間を置いたのも、二人の心に隙を与えるほか、思考を凝らす時間としても利用できる。
長重がどこまで計算して取っている言動かは知らないが、指摘通り狼狽える姿を見せていないことで『こいつ、できる……!』と錯覚させられるほどの風格を見せているのではないかと思う。
エサは撒いた。
あとは理想とする結末にどう導くか。
今はまだ、決め手に欠けている。
結局、二人だからこその理由がまだ上がってはいないのだから。
二人の返答は、それ次第である。
さあ、どうする。生徒会長?
「それに対抗するには、それ相応の人材が必要とされる。中でも、誰かのために動ける人材、誰にでも優しく振る舞えるような社交性のある人材が求められてくる」
二人にも当てはまるような例え方はまるで、バーナム効果を利用した占い師の手口を彷彿とさせる。
それに当てはまる人材など、五市波高校を探せば二人以外にもいるような気がする。
されど、二人はもう長重の術中に嵌っているため、気づけないのだろう。
話の内容に自らが敵だと思う存在がおり、自分を必要としてくれる人が、自分にも当てはまる条件を並べ立てて、協力を要請している。
そしたら、嫌でも実感するだろう。
今目の前にいる相手が欲しがっているのは、紛れもないここにいる自分自身であり、今話しているのは自分自身についての話なのだと。
ここにはまだ、その自分を求めている確かな要素など含まれていないというのに。
長重の言葉巧みな誘導により、二人から承諾を得るまで、あとはもう時間の問題であると思われる。
「富澤くんは優しいと、クラスでも評判。富澤くんの言葉なら、誰も恐れを抱くことはない。優しいからこそ、誰とでも仲良くなれる。そんな君が誰かを思い、指摘した言葉なら、必ずそこには優しさが含まれている。それを誰もが理解している。その献身的な助言が、皆をまとめる力になる」
『優しい』という言葉をキーワードに周りが抱いている確かな印象から、そんなありのままの自分を欲しているのだと言われたら、彼は一体、何を思うのだろうか。
その力を活かすだけでいいのだとしたら、協力してみてもいいんじゃないかと、肩肘張らずに気楽にこなせるのではないかと、そう思い込むんじゃないだろうか。
「楽間さんは常に笑顔で明るいと、聞いた人の誰もがそう答える。常に笑顔でいられる人なんて、そうそういない。その振る舞いが、周りにも伝わり、明るく周りを染め上げていく。その影響力がチームを活気付け、勝利へと導く鍵となる」
楽間に対しても同様の手口で、特徴的な『笑顔』と第一印象の『明るい』から『欲しいと思う彼女』を組み立てている。
あたかも『今までにそういう経験があったのではないか』と見てきたような言い回しをして、それが『未来でも起こり得る事象ではないか』と、言われているような気にさえなってくる。
本当に魔性の女、ここに極まれり(爆誕)である。
「どちらも、二人にしかできないことだ」
――それがおそらく、決め手だった。
二人はもう一度、資料と長重を見比べると険しい表情を浮かべていた。
「僕に務まるでしょうか……」
不安な表情を見せる富澤に長重は優しく微笑む。
「私たちが求めているのは、いつも通りの二人。気を張る必要はないよ」
慈愛に満ちた笑顔に富澤はまだ、一握りの感情を見せていた。
「……わかりました」
そこへ楽間は口を開く。
覚悟を持った瞳で、決意を露にしている。
「私、やります」
そこに迷いは感じられなかった。
ただひたすらに真剣味を帯びた顔。
それは気負っているわけでも、緊張で強張っているわけでもない。
ただ、ここのどこにも『明るく笑顔が印象的な子』なんて、いなかった。
彼女が何を考えていたのかはわからないけれど、それが隣にいる富澤の目に火をつけたのは言うまでもない。
「……やります。やらせてください!」
楽間に触発されたのか、うじうじと悩み続ける富澤は、この場にはいなかった。
二人とも決心がついたようで、長重は安堵の笑みを浮かべていた。
「これからよろしく!」
「はい!」
「はい♪」
嬉しさが滲み出た長重の顔に負けじと富澤は満面の笑みを返し、いつの間にか楽間の表情は、最初に見た『取り繕ったあざといもの』へと変わっていた。
「それじゃ、これからの流れだけど……」
二人から承諾を得たところで、次に渡した資料をもとに二人に球技大会当日までにやってもらいたいことを説明する。
詳しいことは全部、プリントに箇条書きで収めてはいるが、気になる点については逐次、長重が口頭でわかりやすく嚙み砕いて説明して行き、理解を深めていく。
そうして、あっという間に時間は過ぎていき、その日を終える。
二人からの承諾は得た。
これで3年生、1年生からの強力な助っ人を得たことになる。
あとは、2年生の選定。
――そして、
「氷室」
「ん~?」
「二人の説得はどうなった?」
「ふん……バッチリよ!」
「……そうか」
富澤と楽間が真剣な顔つきで長重と会話している隅で、氷室にこっそりと確認を取ったため、残すところは全校生徒に向けた解禁のみとなる。
それ即ち『ルール改定案』の全貌、そのお披露目会である。




