レポート76:『援軍①』
「部長!」
「会長!」
現れた長身の榊先輩を前に氷室と長重は、それぞれ声を上げ、先輩は苦笑する。
「元会長、な」
「あ、そでした」
笑い合う二人を目に胸の奥が少しざわつく。
『榊燎平』は前年度まで生徒会長だった。
そして、ここにいる『長重美香』は前年度まで副会長だった。
それ故に二人の仲は親しく、それが少し妬ましい。
相手が相手だけに余計に気に障る。
なんてったって、榊先輩は氷室経緯で長重の記憶がないことを知り、面白がって玩具にしていた節がある。
だからこそ、絶対に好きにはなれない人物なのである。
そんな者が引退した身でありながら、今更何の用なのかと、苛立ちを覚える。
「忙しそうだな」
「調度、ひと段落したところです。部長こそ、何のご用件で? そんな美人まで連れて」
氷室の言葉を耳に榊先輩に連れられて入室する一人の女子に目が行く。
銀髪の三つ編みに丸眼鏡をした少女。
背丈は自分より少し高く、170センチはある。
瞳は赤く、目つきは鋭利で、その眼光はまるで春乃校長を彷彿とさせる。
その凍てつくような面持ちに思わず視線を逸らせば、次に目が行ったのは、胸部だった。
胸の膨らみは、瑠璃ほどではないが大きい部類ではあるのだろう。
サイズで言えば、瑠璃>長重>松尾と、こんな感じだろうか。
銀髪眼鏡の人は丁度、瑠璃と長重の間くらいと言ったところか。
長重も松尾も小さい方ではないけれど、標準よりはあるような気がする。
標準がどれくらいかは知らないけれど、周りと比較すればその大きさは一目瞭然であるから。
そんなことは、さておき。
問題は、この人が誰で、何をしにここへ馳せ参じたのか。
動機としては不明だが、榊先輩とは知り合いであることだけは察せられる。
過去のトラウマのせいか、あまり怖い人とは関わるのは得意ではない。
ただ仮面を被り、道化を演じることには慣れていたから。
どんな人とだって、上手くやれる自信はある。
それでも、関わりたいか、関わりたくないかで言えば、後者である。
心の中ではいつも怯え、緊張感で吐きそうな自分を押し殺して対応している。
常に無表情だから、顔に現れることはなく、誰にも思考を読まれない。
影が薄いことと、口数が少ないことを含めれば、ただの空気でしかないだろう。
そんな自分を前に銀髪の人が近寄ってくる。
「ああ、彼女は――」
榊先輩の紹介を遮るように一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
そして目の前まで来ると、彼女はゆっくりと頬を綻ばす。
「部長?」
「部長?」
そこに反応したのは、隣にいる松尾だった。
オウム返しをするように松尾の言葉に疑問符を重ねる。
こちらに近づいてきた時点で、何かあるのかとは悟っていた。
けれどそれが、傍にいる松尾に用があったのだと理解したのは、その反応を見てからだった。
銀髪などという印象的で現実味のないキャラの濃い人とは面識がないため、おかしいとは思ったのだが、最後まで足の動きが現前としてあり、行動が読めなかった。
この人は眼鏡だけでなく、ミステリアスという属性も持っているのかと、呑気にも思う。
「仕事は、もう慣れた?」
「はい、一応……少し、大変ですけど」
「慣れれば簡単よ。私も1年生の頃は書記だったから」
「そうだったんですね」
仲睦まじい様子を見せる二人には気品があり、微笑み合う姿には心底『お淑やか』という言葉がよく似合う。
会話の内容から察するに銀髪の人は先輩で、松尾の部活における部長。
生徒会で言えば、過去に書記だった経歴を持ち、自分たちの先輩でもある。
まとめると、そんなところだろうか。
「えっと……で、結局、どちら様で?」
頭を掻き尋ねる氷室に先輩らは苦笑する。
自分も氷室と同様の質問を胸の内に抱いていたのだが、見覚えはあるので、何とも言い難い。
顔は見たことある。
名前も聞いたことがある。
それはわかるが、顔と名前が一致しない。
あまり関わりのない人のせいか、それとも興味がないだけなのか。
将又、そのどちらともなのか。
とても歯痒い今日この頃である。
「3年4組、『近江乃々《このえのの》』。去年まで副会長をしていたわ」
「へ~……鏡夜、知ってる?」
「ん? ああ……目立つからな。何度か見たことあるし」
改めて、先輩の名を聞かされたことで、記憶が呼び起こされる。
確かに幾度か、全校朝会で司会をやっていた姿を見掛けている。
ただ司会だけで、壇上に上がることはなく、遠目に眺めるだけ。
名前が上がることも、そこまでなかったような気がする。
生徒会などという目立つ役職を請け負っていながら、記憶に残っていないと言うのだから、影の薄さは相当である。
記憶力にだけは自信があるのに覚えていないというのだから、そういうことなのだろう。
銀髪で、しかも美人な先輩だというのに記憶が朧気など、まるでどこかの誰かさんのような存在感である。
「知らないのも無理ないわ。私はあまり、表舞台に立たないから。表立って動くのは全般、榊君に任せてあるもの。その分、裏方に回ってるって感じで……あまり、目立つのは好きじゃないから」
困ったように微笑み掛ける近江先輩の言葉に合点が行く。
たとえ銀髪で美人であっても、傍に榊先輩というカリスマがいれば、その存在は霞む。
三つ編みで地味な印象を醸し出し、鳴りを潜めて学園生活を送ることで、どれだけ目立つものでも空気と化す。
まさに『真道鏡夜』が歩んでいる道のりを彼女は体現している。
生き様もまた先輩であるということに思わず心の内で『先輩!』と体育会系のような敬礼を披露する。
ちゃっかり『やめて』とゴミを見るような目で罵倒されるところまで想像できたのは、ここだけの秘密である。
「目立つのが好きじゃないって……」
意外そうな反応を見せる氷室に近江先輩は影のある表情を見せる。
どこか悲しげに俯く様から、嫌なことであることだけは察せられた。
人には誰しも、触れられたくない過去がある。
ふと先輩の顔を見て、そのことを思い出し、反応に困る。
地雷を踏んでしまったんじゃないかと、いたたまれない気持ちになる。
銀髪で、美人で、生徒会役員を務めていた。
そんな人が目立たないはずはなく、寧ろ、ならばこそ、なぜそのような目立つ行為を取っているのか。
榊先輩が傍にいれば、確かに多少は自身の存在感を薄められるかもしれない。
けれど逆に言えば、いつも目立つ榊先輩の傍にいれば、自身の存在もセットで目立つ存在として認識され、余計に存在感を際立たせる。
人の視線を搔い潜りたいのであれば、もっと徹底的にやるだろう。
そうしないということは、何かしらの理由があるということ。
それが氷室同様、気になりはするが、聞いてはいけない部分なのだと思い、言葉にならず、踏み止まる。
周りの表情も暗く沈み、空気が重くのしかかる。
ただ少しの間を置いて、近江先輩は再び口を開いた。
「私はハーフでね、髪と目は遺伝なの。ただ顔つきは母に似て日本人譲りだから、髪を染めた人みたいに映っちゃう。目立つけど、地毛だし……私もこの髪の色好きだし……だから、この色」
銀髪と赤眼の理由は、自然なものだった。
親との繋がりを象徴とし、近江先輩はそれを大切に思っている。
その気持ちが強く、ありのままでいるのだと。
髪を染めない理由は、そういうことなのだと。
遠回しの説明に納得がいく。
「生徒会に入ったのは、単純に先生から声をかけれて、試しに入ってみたって感じで……字が綺麗ってことで、書記を任せれていたの。それから経験を積んで行くうち、副会長に任命されたの」
「なるほど。そういう経緯があったんですね」
後輩の不躾な質問にも、優しく受け答えしてくれるという先輩の度量の大きさに感服する。
答えていく感じから、答えあぐねたのは過去に嫌なことがあったというよりも、別の何かがあると言ったような淀み方だった。
ただそれが気になるも、これ以上深掘りして先輩を困らせてはいけないと、それよりも気になる話題へと焦点が行く。
「それで? 先輩たちは一体、何しにここへ? まさか、顔合わせをしに来ただけってわけじゃないですよね?」
絶えない疑問を一つずつ解消していき、ようやく本題へと移る。
氷室の物怖じせず、素直に聞きたいことを聞いていくスタイルは、見ていて気持ちがいい。
寧ろ、この場においてはありがたく、こいつがいてくれて良かったと心底思う。
悪く言えば、デリカシーのないやつだと評するのだろうが、純粋に相手に興味を持っているからこそ聞けるのであって、臆して腰が引けるような者よりは幾分かマシに思える。
よくそこまでズカズカ聞けるものだなと、感心する。
相変わらずの余計な一言に先輩がキレないかだけが心配ではあるけれど、二人とも寛容であるみたいなので、心配はいらなそうである。
「いや、そのまさかさ」
逆光により眼鏡を光らせ、不敵に笑う榊先輩に眉を顰める。
近江先輩でさえ、眼鏡に光を反射させ、そっと笑みを零しており、何かを企んでいることだけは容易に察せられる。
二人して眼鏡であるから、不気味で堪らない。
本当に何を企んでいるのやら。
嫌な予感がするばかりである。
「現生徒会と交流を深めようと思ってね。お邪魔しに来たってわけ」
にこやかに突拍子もないことを言う榊先輩に瞬きを繰り返す。
押しかけてきて、何を言うかと思えば、くだらない戯言だった。
この人が、そんな人が好いことをするはずがない。
絶対に裏があると、誰もが思う。
それ故に室内にいる大半の者が怪訝な表情を見せていた。
「……というのは、半分冗談で」
周りの反応を気にすることなく、笑顔を崩さない榊先輩に『こいつスゲーな』とメンタルの強さに感嘆の息が漏れる。
のちに榊先輩は、机の上に目を向けると、それを指差す。
周りの視線は、その紙の束へと集中する。
「用は、そいつさ」
「アンケート用紙?」
長重と同様、首を傾げる皆を前に榊先輩は眼鏡をクイッと正す。
中指で直すあたり、探偵のような仕草だなと呑気にも思う。
「球技大会という1学期最大のビックイベント。その準備に勤しむはずの期間にそんなアンケートを全校生徒に向けて実施した。内容からして、先生たちがそんなアンケートを実施するとは到底思えない。これは間違いなく現生徒会の仕業だと思った」
本当に探偵のような推理力に眉を顰める。
『いじめ案件』の時といい、長重のことといい。
『榊燎平』の勘は鋭く、恐ろしいくらい的を射ている。
その予想でさえ、当たっていると言うのだから、本当に『優秀』であると改めて実感する。
「そして、もう一つ。ここに来たのは、春乃校長から直々に声が掛かったからだ。あれをやれってね」
「あれ?」
首を傾げる長重に今度は困ったように微笑を一つ零す榊先輩に違和感を覚える。
そこにいたのは、いつでも自信満々、悪戯な笑みを添えて語る榊先輩の姿などではなく、申し訳なさそうに苦笑した姿だったから。
それ故に物珍しく感じていた。
一体、何が先輩に負い目を感じさせているのかと。
そのわけをため息を漏らすように先輩は口にする。
「引き継ぎだよ」
「引き継ぎ?」
「普通なら5月までやってるところ、俺たちは早く引退したからな。長重以外、生徒会は初心者だ。仕事内容の理解について深めるようにということで、元生徒会長と元副会長の俺たちが派遣されたんだ」
「ほえ~、それはご愁傷さまですね」
「……言っとくが、お前らも来年あるんだからな?」
他人事のように「ナハハ」と笑う氷室を目に『呑気だな』と思う。
だが確かに自分たちも来年やるのだなと想像しては見ても、あまり実感は湧かない。
そんなものは当事者にならなければ、わからないことだろう。
――それに。
来年、自分たちが3年生になったら。
計画の時まで、そこから半年も経てばすぐである。
高校最後の文化祭。
それを中学最後の文化祭に見立て、長重の記憶を取り戻す。
それまでに長重と本来あるべき関係図を築きながら、計画の時を待つ。
それが今ある『真道鏡夜』の現在地。
すぐそこにあるのだと思うと、本当にあと少しである。
今が2年生の6月であるから、3年生の11月まで、あと1年と5か月。
それよりも先に2学期になれば、生徒会役員として文化祭を支える立場になる。
去年は遠巻きに長重の様子を観察しながら、適当にやり過ごしていたけれど、今回ばかりはそうも言っていられない。
兎にも角にも、先の話を考えるより先に、今は目先の問題である。
球技大会を乗り越え、期末試験を終えれば夏休み。
期末試験の前に球技大会を無事に成功させなければならないのが現状。
自分が提案した『ルール改定案』を形にする。
そのための時間でもあるというのに先輩たちが押しかけて来たせいで滞っている。
早く切り上げてくれないものだろうかと、少し焦る。
ただ彼らを仕向けたのが瑠璃であるため、また何かを企んでいるのは明白。
色々と糸が絡まったような現状に一人、眉を顰める。
「そういえば、先輩たちが生徒会を辞めた理由って何なんですか?」
ふとした疑問を氷室が口にし、釣られて思考はそこへと向く。
言われてみれば、3年生までできる生徒会の仕事をどうして2年の後半でやめてしまったのか。
1年も満たない活動期間に不思議に思う。
「いや、普通に受験のためだよ」
「受験?」
「早いやつなら、2年の夏休みくらいから志望校を決め始める。行きたい大学があるやつなら、早くて1年の時から受験勉強を始めてる。生徒会活動をしてると、圧倒的に時間が足りないんだよ。勉強に費やせる時間がな。だから、校長に相談して早く切り上げさせてもらった。まぁ普通なら、最後までやれって言われるところ、無理に押し切ったって感じだから。今までの功績から了承してくれたって感じだな。それでも、引き継ぎはどこかで行わなきゃならないからってことで、引き伸ばしにされたてた。んで、それが今なんだと、声を掛けれたってわけ」
「はえ~、そんなわけがあったんすか。にしても、2年からもう受験のこと考えてたんすか。早くないっすか?」
「俺は医大志望だからな。これでも遅いくらいだ」
「医大ですか……確か、親が医者なんでしたっけ?」
「そ。父親の後を継ぎたいってわけ」
「は~、できた人ですね~。お宅の息子さん」
「お前、誰目線だよ」
二人盛り上がる氷室と榊先輩に皆は揃って頬を緩ませる。
仲良く笑い合う二人を目に微笑ましく思う。
二人ともバスケ部のレギュラーであるから、仲がいいのは知っている。
ただこんな風に笑い合うのかと、見ていて新鮮で和む。
さっきまで重たい空気はどこへ行ったのやらと、氷室のコミュニケーション能力の高さに二度目の感心を抱いていた。
「近江先輩は、どこ志望なんすか?」
「私は……」
今度は近江先輩へと会話の矛先は向き、少しの静寂が訪れる。
その待ち時間に思うことがあるとすれば、近江先輩は自分のことを話すのが苦手ではないかという疑念。
今までのこと、これからのことなど。
頭も良く、物事に対する説明も上手い方ではあるけれど、自分で自分のことがわからないと言ったタイプだろうか。
何も考えていないというわけじゃないけれど、自分でも曖昧な感情を持て余し、言うべきか言わざるべきかを考えてしまう。
そういう迷いと言った感情と常に表裏一体である。
それが近江先輩の現状なのではないかと、そう思う。
「まだ決まってないの。ただ、文系・理系どちらでもいいように勉強してるわ」
「そっすか」
深掘りしてはいけないことを察したのか。
氷室は満面の笑みで淡泊な返しをする。
そんな氷室なりの気遣いに近江先輩は安堵するように微笑み返す。
どうやら氷室の選択は間違っていなかったみたいで、さすが空気の読める男は違うなと、見た目だけでなく中身もイケメンなのだと、その理由に拍車をかけているのだと思う。
「えっと……で、引き継ぎって何やるんですか?」
会話が逸れに逸れ、ようやく話に割り込めた長重の一言に榊先輩は微笑する。
長重は去年、生徒会を副会長として勤めていたため、仕事内容は熟知している。
一人わかっている者がいれば、あとはそれを周りに伝えて行けばいいだけの話。
五市波高校の生徒会に人数規定がないにしろ、それほど多くもない人数で回っている現生徒会は、問題のないように思える。
先輩たちから見習わなければならないのは一体何なのか。
榊先輩を見るに『腹黒?』と思うも、それなら元副会長の近江先輩から手取足取り教えてもらう方がためになるのではないかと個人的には思う。人柄的に。
「今回の球技大会、俺たちも一枚噛ませてもらう」
「というと?」
「要するにアドヴァイザーだな。わからないことがあったら、相談してくれって感じで、協力は惜しまないって感じだ」
「妙にざっくりですね」
榊先輩にしては漠然とした、らしくない発言に氷室は苦笑する。
その言葉を耳に長重はと言えば、申し訳なさそうに手を上げていた。
「今のところ、困ったところはないんですが……」
「え、嘘? 俺たちいらない? 解雇?」
「そもそも雇ってもいないんですが……まぁ、助けてくれると言うのであれば、ありがたく頂戴します」
「あ、そ。それならよかった」
氷室の反応より、長重の有能すぎる発言に狼狽える榊先輩に思わず失笑する。
榊先輩が動揺すると、あんな風に戸惑いを露にするのだと新たな発見に心が躍る。
すると近江先輩と目が合い、彼女も笑っていたことにより一層の親近感を覚える。
その微笑みに心が少しときめいてしまったのは、言うまでもない。
「それで? 俺たちは何をすればいい?」
「そうですね……」
榊先輩の一言に長重の視線がこちらに向く。
見てわかる通り、どうやら困っているご様子。
その視線を追い、周囲の視線が一気に集まり、嘆息する。
とりあえず、現状を把握してもらうのが一番だと『ルール改定案』の資料を手渡し、先輩たちに目を通してもらうことにする。
「これは?」
「今回の球技大会における、俺たちの企画です」
「……なるほど」
あらかた内容を一覧したのか、榊先輩の黙読の速さに驚く。
次いで、近江先輩の読むスピードも速く、途端に眉間にしわを寄せる。
「これ、校長からの了承は得ているの?」
「はい」
近江先輩の疑問に長重はいち早く解答を提示する。
その迷いの無さから、現状の問題はそこではないと理解できる。
「そう。なら今は、アンケートの収集が終わり、情報の公開に移る段階かしら」
「よくわかりましたね?」
「さっきひと段落したところって、氷室君が言ったんじゃない」
さすが榊先輩の右腕とでも言うべきか。
近江先輩の理解も早く、驚く氷室と同様の感情を抱く。
「ただ一つ、問題があって……」
頭を掻く氷室に現生徒会は先ほど生まれた問題に回帰する。
一応、解決案は提示したが、まだ安心できるというほどではない。
それを見抜いてか、榊先輩の足は動く。
「これだな」
体育会系・文化系に仕分けたアンケート用紙を手に榊先輩は口を開く。
『ルール改定案』の全貌を把握した先輩が現状を目に何を思うのか。
五市波高校史上、最も優秀な男の技量。
お手並み拝見である。
「……やはりな」
それだけで何がわかったのか。
榊先輩の予想にはまだ先があったような呟きに『この人はどこまで見据えているのだろう』と本当に末恐ろしい限りである。
「これ、色々と雑多になってるんだろ?」
「ええ、まぁ……」
「アンケートを取る時点で、何かあるとは思っていたけど、まさかこんな取り組みをしてるなんてなぁ……面白いことするねぇ、君たち」
「提案したのはきょう……真道ですけどね」
長重の改まった呼び直し方に既視感を覚える。
それはとても、とても些細なことだけれど、感慨深く思う。
中学の頃も、長重はよく、こうやって名前を言い直したりしていた。
小学で一度は訪れるであろう『クラスの誰かが誰かにあだ名をつけていくブーム』により、それぞれがそれぞれに苗字を捩ったり、最近の流行りを真似て『あだ名』をつけていた。
クラスで一番多かったのは苗字の間に『っ』や最後に『ー』をつけたりして、『っしー』や『ティー』などが大半だった。
自分は、それとは関係なく、人それぞれに違う『あだ名』をつけられ、5個ぐらいは持っていたように思う。
中でも印象的だったのは、長重につけられた『苗字の一文字目と二文字目を入れ替えた呼び方』だった。
クラスの皆と『あだ名』で呼び合い、9年以上も一緒にいれば嫌でも仲は深まっていく。
だからこそ、浸透していった『あだ名』のせいか、よくやっていたのが、誰かに友達を紹介する際『あだ名』で呼んでしまい、わけがわからなくなること。
授業中など、誰かの名前を上げる時、思わず『あだ名』で呼びそうになり、咄嗟に苗字で呼び直す。
特に長重は、そういうことが多かったように思う。
自分も人のことは言えないが、人と関わる機会が多く、気をつけていたため、それほどではなかった。
記憶を失くしても、呼び方は違えど、やはり癖は変わらないのだと、改めて彼女も『彼女』であると理解した今日この頃である。
とても刹那の出来事に懐かしさが滲み出た瞬間だった。
「―――」
ふと長重と目が合い、唇を尖らせながらも少し恥ずかしそうにそっぽを向く姿に瞬きを繰り返す。
その後、笑って誤魔化すという仕草を見せてくる長重に頬が緩む。
本当に彼女は何も変わっていないのだと、心底思う瞬間だった。
「そういえば、部長」
「何?」
「部長はなんで、文化系を選択したんですか?」
氷室の疑問に現生徒会の思考は瞬時にそちらへと集中する。
ずっと気になっていた事項に対し、現状の打開策となるヒントが転がっているんじゃないかと耳を澄まして待ち望んでいる。
「普通に考えたら、体育会系を選んだだろう。けど、これは絶対なんかあると思ったからな。敢えて、違う方を選んでみた。ただそれだけの話さ。ま、結果は案の定だったけど」
「うへー」
どれだけ何を疑えば気が済むのか。
悪戯な笑みを添えて答える榊先輩に皆は総じてため息が零れる。
榊先輩の勘繰りはデフォルトのようなものなので、あまり参考にはならなそうである。
「それよりも、現状困っているのは、そのアンケートの割合がごっちゃになってるってことだろう? どうするつもりなんだい? 資料を見る限り、このままだと危うい感じがするけど」
「ああ、それなら……」
先ほど自分が提案した生徒会メンバーとそれ以外の面々から招集をかけることで問題に対処する策を氷室が口頭で説明し、榊先輩は頬を緩ませる。
「……つまり、軍師としての力が試される場というわけだな」
何を考えているのか、不敵な笑みでキラリと目を輝かせる榊先輩には『腹黒』という言葉がよく似合う。
近江先輩はと言えば、表情一つ変えることなく納得した様子を見せていた。
「ならば、3年生の方は俺たちに任せてもらおう」
「いいんですか?」
「ああ……そんな面白い話、退屈しなさそうだしな」
どこかで聞いたことのあるような台詞を吐く榊先輩は「それに……」と言葉を繋ぐと「目にもの見せてくれようぞ!」と声高らかに「フハハハハ!」と笑う。
受験の疲れで頭でもおかしくなったのかと思うも、この人はこれがデフォルトであるため問題はないなと自己完結する。
いや、普通に考えて、問題ありの性格なんだけども、そこには触れずスルーする。
「気にしないで。榊君、人を貶めることに目がないから」
「それはそれで人としてどうなんですか……?」
呆れながらも冷静な近江先輩の一言に氷室は冷や汗を垂らす。
「とにかく、そういうことなら、私たちは協力を惜しまないわ。遠慮なく先輩たちを頼りなさい。私たちにできるのはそれだけだしね」
心優しい近江先輩の微笑みに思わず『はい! 一生ついて行きます!』と口走りそうになり、心の内に留める。
とりあえず、強力な援軍を確保できたことで、選択肢の幅が広がった。
あとは、直すべきところを直して、修正の果てに公開と言ったところだろうか。
「あとは、そうね……1年生の方でも候補を上げておくべきってところかしら」
自分でも思っていた疑問を次々と上げる近江先輩に興味関心が高まっていく。
先ほどまでは、長重と松尾のミスから問題を発見し、解決のためにそのミスを利用して外部から協力を得ようと考えていた。
2年生のところは伝手を使えばなんとかなるけれど、他学年で頼める人は伝手のない自分には無理な話。
後々、考えていかなければならないはずだった箇所を提示してくれる先輩はなんと頼もしいことか。
「そっちの候補は決まってる?」
「いえ、私たちが決めたのは2年生までです。よね? 鏡夜?」
「いや……正直、3年生は文化系を選択していた榊先輩あたりに頼んで、1年は同じく文化系を選択していた富澤か、学級委員の誰かにでも頼もうかと踏んでました。学年をまとめる役割を担うので、元会長か学級委員が無難かなと。体育会系はおそらく、部長クラスかクラスでの人気者がリーダー格になると予想していたので」
「……」
「……?」
長重のふりに先ほどまで考えていた問題解決のための案を開示し、そこまで考えていたのかというような驚きの視線がチラホラと集中する。
「何それ」
「初めて聞いた」
「俺も」
「ふん」
長重、松尾、氷室、富豪と怪訝な表情を向けられ、反応に困る。
いや、話そうにも話す前に先輩たちが乱入してきたせいで話せていなかっただけなんだけども。
驚きを露にしたのは現生徒会の皆だけで、元会長は「へ~……」と不気味な笑みを見せおり、近江先輩はそっと微笑んでくる。
とても『なんだかなぁ』という気分である。
「……あなた、いい読みしてるわね」
「いや、誰にでもわかることでしょう?」
「ええ、でも……自分で企画したことでありながら、そこまで先を見据えている人なんてそうそういないわよ。現状をちゃんと客観視できてる。見る目がある証拠だわ」
確かに客観視は得意ではあるけれど、そんなに褒められることだろうかと、あまり実感が湧いてこない。
とりあえず、近江先輩に褒められると嬉しいということだけはわかった。
「ふ~ん……候補としてはこんなところかな」
すると、榊先輩が仕分け終わったアンケートから、それぞれ一枚ずつ取り出し、机の上に並べていく。
体育会系からは各4名の札が上がり、文化系からもまた、各4名の札が上がる。
それはどちらも生徒会を抜いた各3年生と1年生の名前であり、候補。
一体、どういう基準で選ばれているのだろうか。
「まず、文化系だが、3年は男女で俺と近江が引き受けよう」
初めに文化系の男女3年の候補を示し、氷室は意外そうな表情を見せる。
「近江先輩も文化系なんですね」
「私が運動得意なように見える?」
「見えないですね」
「そういうことよ」
氷室の失礼な物言いに近江先輩は笑って答える。
それを気にすることなく、続いて1年生の候補の説明に入る。
「1年男子は富澤でいいだろう。学級委員だしな」
「え、そうだったんすか」
「知らないのか? あいつ、優しいからな。意外と人望あるんだぞ」
「初めて知りました」
富澤の一面が見れたということで、真面目な性格も鑑みて引き受けてくれるだろうという榊先輩の見立てから、1年文化系男子代表は富澤が選出される。
「1年女子だが、楽間ならウケもいいし人気もある。その立場を利用しない手はない」
「確か、バスケ部のマネージャーでしたよね?」
「ああ」
「どんな子なんです?」
「ん~……小悪魔系、かな?」
「はあ?」
「長重みたいな子ってことだな」
「「「「「ああ~」」」」」
「何そのまとめ方!?」
長重の抱いた疑問を長重だけが理解できないまま会話は進み、今度は体育会系へと移る。
「3年は俺が出てきたことで、おそらく黒木が先導に立つだろう。女子も同じくして、おそらくは岸昏が率いることとなる」
「それは勘?」
「勘」
「そう」
何やら意味深な会話をする元会長と元副会長に首を傾げる。
理解できたことがあるとすれば、男子の対立関係の構図から選出されているという点だろうか。
おそらくは女子もそうなると、榊先輩は見ている。
「1年男子は、豪太が出るだろう」
「ごうた?」
「野球部の新星だ」
聞き馴染みのない名前に氷室は首を傾げる。
1年男子の体育会系は『豪太轟』という名前の男が上がり、上も下も『GO! GO!』な名前にとあるアイドルが脳裏を過ぎる。
「1年女子は、須賀かな。あいつにはリーダーシップがある」
「妃星ちゃん、だっけ?」
「ああ、氷室が誑かした子な」
「いや言い方!」
長重に付け加えた一言に氷室は「誑かしてねぇし!」と供述するも、誰も聞いてはおらず。
「とまぁ、こんな感じかな。他学年はどうにかするから、2年の方は自分たちでどうにかしてくれ」
「わかりました」
そう言い放って、しばらく。
先輩たちと球技大会の『ルール改定案』についての話し合いの場が設けられ、互いに理解を深めていく。
すると先輩たちは最後に他学年の生徒とも顔合わせをする機会を設けてくれることを約束し、話は先へ先へと進んで行く。
そうして『ルール改定案』の内容は固まっていき、残す問題は『人員誘導』を行うのみとなっていた。




