レポート74:『集計①』
いつも通り、生徒会室へと集まった役員一同。
その手には各学年・各組の提出書類が積み上げられており、それぞれがそれぞれの机の上へドサッと置いていた。
「おっし」
氷室は張り切っているのか肩を回し、仕舞いには指を鳴らして笑っており、その様はまるで、今にも喧嘩を始めようという勢いで苦笑する。
「んじゃ、やるか!」
気合を入れる一言に戦いの幕は切って落とされる。
と言っても、書類整理という雑務に過ぎないのだが、ただの書類整理ではない。
昨日行った意味不明なアンケート。
それは紛れもない、生徒会が企てたものの一つ。
生徒一同に自分自身が体育会系であるか、文化系であるかを問うたもので、もうすぐ開催されるイベントのために意識調査の一環として行われたもの。
要するに下準備である。
1組は長重、2組は氷室、3組は真道、4組は松尾、5組は富豪という割り振り方で、1年から3年までのアンケート用紙の仕分けをする。
五市波高校の全校生徒は600人ほど。
一クラス大体40人前後で構成されている。
そのため、単純計算で一人120枚のアンケート用紙を請け負わされているというわけで、厚さにして約1センチある。
こう聞くと多そうに見えるが、以外と3クラス分の情報を頭に入れればいいだけで、それほど苦行な作業ではない。
寧ろ、体育会系と文化系に学年ごとに分けて、割合比率を知るためのものであるため、普段の雑務よりはマシなのであった。
「お、榊部長のだ……ってあの人、文化系に丸してやがる!? マジかよ!?」
氷室の大きな独り言から、どうやら3年生クラスを仕分けしているのだと理解できる。
同時に榊という名から、一人の人物が脳裏を過ぎる。
前生徒会長にして、バスケ部部長の3年生。
黒髪くせっ毛、黒縁眼鏡、高身長でイケメン。
学内では優秀で優男と謳われている人。
その本性は腹黒で油断のならない先輩であるというのが、自分の中での見解だった。
それが『榊燎平』という男の正体。
そんな先輩が、まさか文化系を選んでいるとは思いもしない。
バスケ部の部長であり、キャプテンであり、首相である。
ちゃんとしたレギュラーであり、試合にも出ているため、形だけの4番ではない。
故にチームの要である先輩が、運動よりも勉学や芸術といった文化系を選択していることは、意外なことだった。
ただあの人の性格上、何を企んでいてもおかしくないため、あり得なくはない話だった。
先日、バスケ部の『いじめ』に関する問題を解決し、先輩の本性を知って以来、隣にいる氷室も含め、許せなかった人物の一人。
けれど、それはそれ、これはこれ。
たとえ先輩が自分の中でどれだけ好かない人物であろうと、そんな私情など今は関係ない。
何より、今ではあの先輩はまだ他に何かを企んでいたのではないかと、そう思えてならない。
五市波高校、史上最高の優秀生。
その異名が伊達ではないのだから。
変な勘繰りをするなと言われる方が無理な話。
兎にも角にも、あの人は自分の考えだけで納まるような人ではなく、偏見や憶測で語れるほど、程度が知れた者でもない。
そんなものでわかった気になっても何の意味もなさない。
結局のところ、自分は『榊燎平』という男の全貌を知っているわけではないから。
何を語れるというほどでもない。
それ故に今は気にせず、聞き流すだけというのが一番の対応であると、そう思う。
「ん?」
ふと、とあるアンケート用紙を目に思う。
そこには『富澤幸彦』という名があり、再び『いじめ案件』の記憶が蘇る。
いじめに悩まされた被害者であり、自分のよく知る幼馴染の一人『豊臣海斗』というバスケ選手に憧れたバスケ部の1年。
栗色の髪で目を隠し、その奥に潜んだエメラルド色に光った瞳。
自分よりも身長が少し高く、170ほどあるが、線は細い。
だが、これからもどんどん大きく成長していくことのように思う。
そして、整った目鼻立ちを含めると、将来もてはやされること請け合い。
まったく、榊先輩といい、氷室といい、富澤といい。
どうしてこうもバスケ部にはイケメンが多いのか。
実力も相当ながら、ルックスで言えば全国トップクラスなのではないだろうか。
「お、富澤か?」
「ああ」
「……って、あいつも文化系か!」
「どうやらそうらしい」
「は~、知り合いがこうも立て続けにこっち側につくと、感慨深いもんがありますね~……」
氷室とは対照的に順よく1年生から仕分けしていたわけなのだが、どちらもバスケ部なのに文化系を選択していて呆然とする。
知り合いが見つかると言うのは、少しの安心感があると同時、なぜこっちなのだと勿体ない気がしてならない。
氷室もこういう感覚だったのだと、呑気にも思う。
「ん?」
しばらくして、今度は物珍しい名前のアンケート用紙を見つけ、読み方が気になる。
「らくま……?」
「らくま?」
またも氷室は作業の手を止め、こちらのアンケート用紙に食いつく。
覗き込む氷室に『手を止めるんじゃないよ』と思うも、氷室の「ああ……」という一言に眉を顰める。
「『楽間葉月』。うちのマネージャーだな」
「へ~……」
ラ行の苗字など、あまり聞いたことがないため、結構なレアキャラなのではないかと思う。
氷室の情報から、同時に1年の女子なのだと確定づけられ、文化系ではあるものの、自分とは縁も所縁もない後輩だなと仕分けに戻る。
「……」
またも読めない名前が上がり、眉根にしわを寄せる。
「すが……すが……ダメだ読めん」
「ん~?」
三度、氷室が迫り鬱陶しいため、アンケート用紙を手渡して回避する。
「なんだこれ?」
どうやら氷室にもわからないようで、呼び方なんてどうでもよく、流して仕分けを済ませようと思うと、長重が席を立っていた。
「どれどれ~?」
長重も気になってか、氷室からアンケート用紙が渡り、「ふむふむ」と首を縦に振る。
「きさき……ほし?」
「そのまんまじゃねぇか」
わかったようでわかっていない長重に氷室は呆れ返る。
続いて富豪が顔を上げ、ひっそりと口を動かす。
「ひまり……ではないか?」
「え、そんな読み方もできるんだ」
「ああ、何かの雑誌で読んだ気がする」
「ん~、どうなんだろ……」
未だわからず仕舞いの読み方に三人は頭を悩ませる。
考えるのはいいが手を止めるんじゃないよと、そう思いつつ自分は仕分けを進めるも、頭の中では読みを考えている。
わからないものを考えたところで、答えがパッと浮かんでくるはずもない。
考えれば考えるほど、余計にモヤモヤする今日この頃であった。
「きあら」
そこへ透き通るような声が乱入し、全員の視線がそちらに向く。
「『須賀妃星』」
繋げてフルネームで松尾は平然と答えを告げる。
少しの静寂が辺りを包み込み、皆の気持ちが晴れていく。
「すが……きあら……」
「なんか、どっかで聞いたことあるような……」
「確か、アイドルでもそんな者がいたような……」
と思いきや、顎に指を当て首を傾げる長重と腕を組んで思考を凝らすガタイのいい男二人がおり、ため息が零れる。
「女バスの後輩。ヒムロンは知ってるはずだよ」
「え、俺?」
「……覚えてないの?」
「恐れながら……」
申し訳なさそうに頭を掻く氷室に松尾は顔を顰め、嘆息すると口を動かす。
「ほら、茶髪のショートカットの子」
「あ~、あの子か」
ようやく思い出したのか、合点する氷室に怪訝な眼差しが集中砲火する。
「お前、知らなすぎだろ……後輩だろ?」
「いや、話したことあるけど、須賀って苗字しか知らんし」
「まぁ、それなら……」
『忘れても仕方ないな』と、そう言いかけたその時、松尾は更に歪んだ表情を見せ口を開く。
「ボール拾ってあげた時、クラスと名前言ってたよ? 堂々と、敬礼して」
「おい、なんで忘れてんだよ。印象深すぎだろ」
松尾の指摘に氷室への賛同を瞬時に取り消す。
その後、松尾から氷室を含め諸々の経緯を知らされる。
彼女が入部してまだ日も浅い頃、体育館の半面を女子バスケ部が使っており、もう半面を男子バスケ部が使用して、男女で別れて練習を行っていた4月のある日。
ボールが男子の方へ転がり、氷室の足に当たる。
その時、松尾と氷室が会話している中、駆け寄った須賀さんが謝罪すると、氷室は優しく微笑んで、ボールを拾う。
『新入生?』
『は、はい! 1年3組、須賀妃星です!』
『そうか。頑張れよ』
そう言って、氷室はボールを彼女に返したそうな。
須賀さんは顔を真っ赤にして、お礼を言うとダッシュで練習に戻ったそう。
「……という、感じでね」
『うん、もう絶対気があるよね』というのが、一番の感想だった。
ルックスから言えば、読者モデル級の氷室を前にその時折見せる笑顔に仕留められたのだろう。
要するに一目惚れをしてしまったということ。
おそらく今では、明るくて、優しくて、面白くて、頭がいい。
そんな情報が擦り込まれており、より一層、思いを募らせているのではないかと思う。
そんな純粋な子を誑かせておきながら、当の本人は記憶の欠片も覚えていないというのだから、現実はなんと無慈悲なことをするのだろうと泣けてくる。
「いやー、なんつうか……ナハハ」
笑って誤魔化そうとする氷室に睨みつける攻撃が殺到する。
「ヒムロン、酷い」
「酷い!」
「酷い」
「ふん」
「どうもすいませんでしたああああ!」
松尾、長重、真道、富豪から続々と叱責を受け、氷室は深々と頭を下げる。
そこに『まぁ、わかればよい』と氷室の肩に手を置く。
「ダメだ許さん」
「なんでだよ!?」
反省の意を示すには、言葉ではなく誠意を見せろ。
ということで、行動で示させるべくプリントの束を一クラス分わけてやる。
「罰として俺のアンケート用紙もやれ」
「それお前がやりたくねぇだけだろ!?」
「じゃあ私も」
「私も」
「ふん」
「お前らまで!?」
続々と氷室の机にアンケート用紙の段が積み重なり、「チキショー!」と嘆きながらも氷室は迅速に作業を遂行していく。
さすが輝迅という名を持つだけある。
元ヤンキーだけあって、男気を見せている。
そんな氷室を目に思う。
「暇だなぁ」
「そりゃ俺に仕事を押し付けたからだろ!」
「ズズズ―」
「無視!?」
松尾が淹れてくれたお茶を飲み、ほっと一息つく。
うむ、今日も世界は平和である。
「クッソ……! 呑気にお茶なんか啜りやがって……ん?」
何に気づいたのか、氷室はアンケート用紙の仕分けをする手を止める。
すると、二枚のアンケート用紙を目に表情が変わる。
「おい、お前ら」
とても低い声音から、ただ事ではないのだと察せられる。
他3人にもそれが伝わったらしく、氷室の歪んだ笑みに瞬きする。
立ち上がり、手に持ったアンケート用紙に役員全員の視線が集中する。
しばらくして、以下に該当する2名は顔を強張らせ、視線を逸らしていた。
「なんで体育会系に丸をしてんだ?」
沸々と煮え滾る静かな怒りがオーラとなって漂わせ、氷室の笑みに2名は言い返す言葉もなく冷や汗を垂らしている。
そのアンケート用紙に書かれていたのは、二人の名前。
『長重美香』と『松尾あかね』という生徒会長と書記という生徒会役員であり、今球技大会における『ルール改定案』で女子をまとめ上げる根幹を担わされた二人。
「……説明してもらおうか~?」
そんな二人が、やらかしているという事態が発覚し、氷室の怒りは頂点に達する。
早くも『ルール改定案』は波乱の一途を辿っていた。




