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レポート36:『静かなる決着』

 攻守交替したということで、ドリブルで対峙する。


 ここまでノーミスで、あと1本までたどり着いたということで、相手には相当なプレッシャーが掛かっているのではないかと思う。


 それを証拠に目の前にいる黒木先輩の表情は多少なりとも強張ったものとなっており、多田野先輩や久保先輩にも緊張が走っているように見える。


 それも仕方ないのかもしれない。


 初心者と侮っていた相手にここまでやられ、負ければ退部という条件を突き出しているのだから。


 その結末が今、すぐそこにまで迫っている。

 背後にあるゴールは、今まさに先輩たちの未来と化している。

 おそらく、試合とはまた別の緊張感が漂っているのではないかと思う。


 バスケ部ではないため、その真意はわからないが、きっと恐ろしいものなのではないかと、勝手に想像して同情する。


 自分で吹っ掛けておきながら、何を甘い考えをしているのだろうと、自分でも思う。


 それでもやはり、手を抜くわけにはいかない。そんな余裕もない。


 何より、好きなことで手を抜かれるというのは相手に失礼であると、最後の最後まで全力でプレーしたいと思う。



「―――」



 味方二人にアイコンタクトを送り、相槌が返ってくる。


 確認を取ったところで左手を天に掲げ、先ほどと同様に『恐竜の挨拶』を発動する。


「またか……っ!」


 すかさず二人は走り出し、黒木先輩の背後にまでやってくる。


 けれどここで、二つの誤算があった。


 一つは氷室と富澤がマークを振り切れていないということ。


 みっちりと二人に張り付く多田野先輩と久保先輩により、パスコースを塞がれている。


 そしてもう一つは、黒木先輩の不意を突いたと思いきや、左手を翳した時点でスティールせんと動き出していること。


 やはり同じことを繰り返しても、2度目の印象は弱く、効果は薄い。


 不意打ちというのは、奇襲であってこそ意味があると改めて理解する。


「く……っ」


 ドライブが下手だということに気づいているのか否か、それはわからない。


 けれども手を伸ばされてしまうと、バックステップでかわすしかない。


 そう思い後ずさりした直後、氷室と富澤が真横のライン上に到達しようとしていた。


 それにより一瞬、黒木先輩の目が泳ぐ。

 パスするのではないかという疑念が黒木先輩の思考と身体を硬直させる。

 それを見逃さなかったおかげで、こちらはドライブで切り抜けることができる。


 しかし、後方に下がった勢いから前方に動きの向きを変更するというのは、ぎこちないもので、ここに来てドライブのつたなさが浮き彫りになる。


 黒木先輩の視線が富澤の方へ向いているということで、左サイドから抜きに行こうとドライブをかけるも、ボールがすっぽ抜けそうになっていた。


「……っ」


 それを片手で修正し、奇しくもインサイドアウトという内にボールを持って行きながら、外に運ぶという技巧を発動して、黒木先輩の後ろに回っていた。


「な……っ」


 黒木先輩が振り返る頃には、敵味方含め全員が自分の後を追う形となり、ゴール前で立ち止まって見れば、両サイドを多田野先輩と久保先輩が富澤と氷室に張り付いたまま、パスを防がんと駆け寄っていた。


 パスはできない、ならばシュートか。


 そう考えシュートモーションに入った時、背後からとてつもない圧を感じる。

 もしかしなくとも、足音で黒木先輩が迫って来ていることがわかる。


 ここですかさずシュートを放っても高さで叩き落とされる。

 ボールは既に両手で持っており、動いてしまえばトラベリングとなってしまう。


 どうすればいいのか、瞬間的な焦りが酷く、全身から冷や汗が噴き出す。


「へい!」


「……っ!」


 ふと富澤の声が聞こえ、目をやればライン際際きわぎわ、コートの隅で顔を出しており、すかさずパスを出す。


 多田野先輩のマークをギリギリで切り抜け、富澤の胸元にボールは行き届く。


 そこに安堵したのも束の間、シュートしようと構えた富澤の前に多田野先輩が立ち塞がる。


「させるかよ!」


 富澤がボールを天に掲げ、打とうとした刹那、その高さにシュートは叩き落とされると誰もが直感した。



「―――」



 咄嗟の判断か、富澤はガラ空きの股下に目掛け、ボールを抛る。

 多田野先輩の足元を抜け、ボールは跳ねて、こちらへと帰ってくる。

 その痺れるようなパスに思わず息が詰まる。



 ――お前もか……っ!



 バスケ部のパスは、常人には速く取りづらいものである。

 故に一歩の遅れがボールに触れられるかどうかを左右させる。


 迫ってくるボールに恐怖するのが、運動が苦手な文化系のさが


 取れるだろうか、顔に当たるんじゃないか。


 そんなことが多々あったということを思い出し、現状に既視感を覚える。


「んぐ……っ」


 右足を踏み出したところで、膝が落ちる。


 汗で足を滑らせたのか、もしくは無理な体重移動で態勢を崩したのか。

 ボール1個分の距離が1メートルに感じられるほど、手が届きそうにない。


 いや、届いたところで、片手で触れられるかどうかの距離。

 握力の弱い自分に右手でボールを掴むのは不可能。


 両手で取れたとしても、シュートモーションに入る頃にはゴールを黒木先輩に塞がれているだろう。


 これは、どうあがいても詰んでいる。



 ――この勝負は、捨てざるを得ない。



 しかし、ここで捨ててしまえば、次で取れる可能性は更に低い。


 どうすればいい、どうすれば勝てる。


 誰も答えてくれるはずのない質問だけが、脳裏に渦巻く。



「―――」



 ふとボールを捉えていた視界の隅で、何かが動いた影が映る。


 ドンと強く床を叩きつけられる音と、微かに見えた怖い笑みから、自然とそれが誰の者なのか察せられる。


 見えなくともわかる誰かの跳躍に身体は考えるよりも先に動いていた。


 目の前にあるボールに対し、相も変わらず右手を伸ばしながら、ボールの真下に手は空振りする。


 けれどそこから、左半身を回転させ、ボールに掌を当てる。


 それはまるで、ピッチャーの投球フォームのように低い体勢となっていて、全身の力を込めて腕を振り切っていた。


 投げ飛ばしたボールの先には、やはりとでも言うべきか。


 ゴールに向かい右手を翳した選手が一人、宙を舞っていた。


「んぬぅおぉらぁあっ!!」


 ボールより先に跳んでいながら、手に張り付くように氷室はボールを掴み取る。

 身体は重力に従い沈んでいきながらも、肘から先はリングを超えている。


 その光景を目に一言、胸の奥で呟く。



 ――これで、王手だ。



 振り翳された手が、ゴールに向かい叩きつけられる。


 ボールがネットを潜る音よりも、リングを掴んだ手による振動音の方が大きく、体育館中に響き渡る。

 

 バスケットにおいて、誰もが憧れるダンクシュート。


 その中でも、強烈なダンクシュートのことを俗に『スラムダンク』と言う。


 まさかそれを間近でお目にかかれるとは思っても見ず、着地する氷室に唖然とする。


 ただ何を言うでもなく、自然とガッツポーズする氷室に歩み寄っていた。

 氷室も無言のまま足を動かして近づいてくる。


 掲げた手も相変わらず、言葉を交わすこともなく、互いに頬を緩めて対峙していた。


 そうして笑い合いながら、掌をぶつけ合っていた。


 強く叩いた手は痛く、赤くヒリヒリしているのに心地よく感じられていた。

 だから惜しむように拳を握り締める。


 ゴールの振動音とハイタッチの音がまだ耳に残っている。

 その光景が、頭の奥でそっとリフレインする。


 目に焼き付いて離れない。


 沸き立った高揚感が納まることを知らない。


 これが勝利の愉悦なのかと、当たり前の感情になんだか報われた気分だった。



「――鏡夜?」



「……っ」


 忽然と聞こえた声に息が詰まる。

 咄嗟に顔を上げてみれば、榊先輩の傍で佇む一人の女生徒がいた。


 前生徒会長の隣にいるのは、綺麗な黒髪が特徴的な現生徒会長。

 胸に手を当て、微笑ましそうに眺めている姿がある。


 そんな『長重美香ながえみか』の存在を目に茫然としていた。


「あれ、お前気づいてなかったの?」


「ああ……」


 氷室は気づいていたのかと、自分の不甲斐なさに苦虫を噛み潰す。


 いくら集中していたとはいえ、コート外にいた長重に気づかないなんて、一生ものの不覚である。


 自分だけは、意中の子の存在くらい一目散に気づいていなければならない。


 『彼女』がいつどこで、目覚めるかはわからない。

 それが自分の傍であったなら、見落とすわけにはいかない。


 あくまでも『真道鏡夜』の目的は『長重美香の記憶を取り戻すこと』なのだから。

 それが『真道鏡夜』の存在意義であり、宿命でもある。

 そんな自分に科した盟約を片時も忘れてはならない。


 にも拘らず、長重のためとはいえ勝負に現を抜かし、察知できなかった。


 『一体、彼女はいつからそこにいたのだろう』という疑問が絶えない。


「ちょうど1回戦目くらいだったっけか。鏡夜がドリブルしてる頃にはもういたぜ? てっきり気づいてるもんだとばかり……」


「……そうか」


 氷室の視野の広さは、バスケ譲りのものなのか。


 相手の心情を読み取ることに長けている。

 時折、氷室のその察知の良さには舌を巻くものがあり、同時に羨ましく思う。


 氷室の解説はありがたいようで、思わず顔を顰めてしまう。

 唇を噛みながら、フードを深く被り直して、必死に冷静を装う。


 先ほどまでの高揚感はどこへ行ったのかと思うほど、心は静かに意気消沈していた。


「おい」


 ふと背後から声が掛かり、俯きかけていた顔を上げる。

 振り返ってみれば、黒木先輩が氷室にボールを預け、隣まで歩み寄って来ていた。


「約束通り、俺たちはバスケ部をやめる」


 平然と無表情に黒木先輩はそう告げる。

 後ろには悔しそうに目を伏せた多田野先輩と久保先輩がいる。

 再び足を動かす黒木先輩を目に当初の計画を思い出す。


「あの、それなんですけど……」


 無言で立ち止まる黒木先輩に気まずく頬を掻く。


 先輩らは勝負に負け、こちらは長重の登場により、互いに心境は複雑なものとなっている。


 それでも、誤解だけは解いておかなければならない。


 この勝負を仕掛けた、本当の目的を。


「やめなくていいんで、富澤に謝ってください。これを機に改心してくれるなら、それでいいです」


「……は?」


 その言葉に思わず黒木先輩は振り返る。


 そういう反応にもなるだろう。


 悲壮な覚悟でコートから去ろうとしていた選手に覇気のない声で前言撤回を申し出ているのだから。


 それがどういった意味の言葉であるのか、詮索されても困るため、黒木先輩の横を通り過ぎて、この場を立ち去ろうと動く。


 入口までやってくると、意味深に笑う榊先輩の顔が見え、視界に長重が入りそうになり、思わず顔を背ける。


 勝ったのは自分の方だというのに何故だか惨めな気分だった。



「―――」



 下を見ながら歩いていたその時、目の前に自分とは別の足が映る。


 小さな上履きと紺色の靴下、徐々に視線が昇っていくと、白いスカートに紺色のブレザーとふくよかな胸があり、目のやり場に困って、すぐさま顔を上げる。


 首元のリボンから女生徒だということはわかっていた。


 けれどそれが、先ほどまで離れて佇んでいたはずの長重だということは、顔を見てから知っていた。


 どうやって距離を詰めたのか、長重がすぐ目の前にいることに驚きが絶えない。


 走って駆け寄ったとでも言うのか。

 将又、自分が気づかなかっただけなのか。


 どちらにせよ、今は彼女の顔を見る勇気さえ、持てはしなかった。


「はい」


「ぇ……」


 足止めを食らい、何かと思えば、長重は水色のタオルを手渡してくる。


 それほど汗は掻いていないというのに。


 鉢合わせたにしろ、用意が良すぎではないのかと、呆れてしまう。


「ありがと……」


「どういたしまして」


 素っ気ないお礼に長重は屈託のない笑みで、嬉しそうに応えてくれる。


 その大らかな態度に自分の気にしていたことが、途端にちっぽけなものに感じてくる。



 ――やっぱり、眩しいな……。



 どんなに何を気にしていようとも、彼女はいつも通りでいる。


 見せかけばかり、取り繕っているだけの自分とは違う。

 素で優しく、常に朗らかで、笑顔を振り撒いてばかりいる。


 人の悩みなど気にも留めず、ただそれだけの行為で吹き飛ばしてしまう。


 それでもやはり、長重に対することだから、気にせずにはいられない。


 だからタオルで顔を拭って、気持ちを切り替えることにする。



「―――」



 タオルの心地いい毛並みと、少し糸が擦れるような感触に違和感を覚える。


 もう一度、タオルをよく見てみれば、紺色の刺繍で大きくアルファベットが綴られている。


 どこかで見覚えのあるデザインだなとタオルを広げてみれば、とても身近な代物だった。


 『KYOYA★』という大きな文字スペルと、隅には黒い糸で『I LOVE』という前文が縫ってある。


 それだけで、このタオルが誰の私物で、誰の差し金で長重がこの場に呼ばれたのかが明白になり、ため息が零れ出ていた。


「そういうことか……」


 言わずもがなと言うべきか。


 これほどあからさまで、わかりやすい犯人はいない。


 ただ今すぐにでも犯人に問い詰めたいという気分にはなれず、放課後という貴重な自由時間に何をやっているのだろうと思いながら、体育館を後にしていた。


 背中に無言でこちらを見つめる長重の視線を一身に浴びながら、静かに廊下を進んで行く。


 途中、廊下の隅で壁に背中を預けて立ち尽くした仕掛け人を捉え、足を止めて一瞥するも、声を掛ける余裕もなく。


 またひっそりと、重たい足取りで帰路を目指していた。



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