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仮面舞踏会 ~隠密優等生《オタク》な俺と生徒会長《おさななじみ》の君と~  作者: 「S」
生徒会日誌Ⅱ ―波乱の球技大会(1学期編)―
100/114

レポート96:『デートのお誘い』

春乃瑠璃視点。

 週末の金曜日。

 学校や仕事が終わり、土日の休日を前に羽を伸ばし始める夜のひと時。


 いつも通り、目の前で美味しそうに晩御飯を頬張る鏡夜を眺め、ご満悦になる。


 毎度、毎度。

 どんな料理であろうと、鏡夜は私が作った料理には文句ひとつ言わず、美味しそうに平らげてくれる。

 

 初めは余所余所しく、ゆっくりと食事する大人しい子だった。

 他人の家だから、良い子にしなきゃと気を張り詰めて、愛想笑いばかり振り撒いていた。


 けれど日に日に心を開いてくれるようになり、徐々に徐々に頬張って食べるスタイルへと変わっていた。

 これが本来の鏡夜の食べ方なのだろう。


 食欲旺盛なのか、線の細い体つきでありながら、鏡夜はよく食べる。

 偏食とまではいかないが、好きな料理だと3人前を平らげるほどの胃袋を持ち、それ以外だとご飯一杯で済ましてしまう。


 嫌いというわけでも、苦手というわけでも、食べられないというわけでもない。

 ただ、好きな料理だと笑顔でおかわりをする。

 とても子供らしくて、愛らしい。


 そんな鏡夜が可愛らしくて、好きな料理を作りすぎてしまったある日。

 いつも完食してくれるはずの鏡夜も、さすがに食べきれない量にお腹を押さえて悔しげな顔を浮かべていた。

 悪いのは、作りすぎた私の方だというのに。

 鏡夜は食べ残しを許さない性格の持ち主だった。


 ただ、翌日の忙しい朝なんかに作り置きしたご飯を出した時には、出来立てでなくとも鏡夜は嬉しそうに食事につく。


 気に入った料理には、敢えて残して、明日も同じ幸せを噛み締めたいと言わんばかりに今食べたい気持ちを我慢して。

 今平らげてしまうか、明日も食べるか。

 その葛藤する様に『また作ってあげよう』と微笑ましく思う。


 何度味わっても、たまらない。

 鏡夜の食事シーンだけでご飯三杯は食べられる。

 いやむしろ、私の分も鏡夜に回して、ずっと眺めていたい。


「リスみたい」


「?」


 ああもう、箸を銜えて小首を傾げる姿なんか超可愛い!!!!

 いっそ私が食べちゃいたい!!!!


 どうしよう、食欲が性欲に変わってしまう。

 そして最後には睡眠欲になってしまうって?


 人間の三大欲求、恐るべし……!


「そんなに詰め込むと、喉詰まるよ?」


「モフモフ」


「ちょっと何言ってるかわかんない」


 口に詰め込みすぎて喋れないんだよね?

 わかってる……わかってるよぉ。


 ああでも、喋らせたい。

 喋れない中、食事と会話どっちつかずでどっちもしてしまう鏡夜をもっと私に!


 否!

 鏡夜の食事を邪魔したいとは何たることか!

 鏡夜健やか見守り隊(会員一名)としてあるまじき行為!


 私だって、美味しそうに食べている鏡夜をもっと見たいわけだし。

 うむ、邪魔しちゃ悪いよね。


 いやでも、食べきってしまったら、今の鏡夜はもう見れないわけで……やはり今を優先すべき……?


 ん?

 どっちも食べ終わってしまったら見れないのでは……?


 ああああ!もうどうしたいいの!


「大丈夫。俺、喉詰まっても死なないから」


「何それコワイ」


 あぁ……頬が萎んでモチモチの肌に……。

 これもこれで……いやこれ普通の鏡夜だな。


 あ、でも可愛い。

 なんだろう……イケメンでも男の娘でもない、ただの小顔で童顔なだけなのに愛らしく思えて仕方がない。


 結局、私は鏡夜なら何でもいいのでは……?


 うむ、やぶさかではない!


「ごちそうさまでした」


 ああああ!

 そうこうしているうちに完食してしまった……。


「はい、お粗末さまでした」


 思わず完食してくれた嬉しさで、慈愛の満ちた笑みで返したけど……。


 うう……もっと見たかった……。

 

「瑠璃……」


「何?」


 食器を片づけ、ティーカップを用意する。

 そこへ紅茶を注ぎ込み、紅茶を差し出す。


 鏡夜が紅茶を苦手なことは知っている。

 それでも、差し出されてしまえば、鏡夜は文句一つ言わず飲み干してくれる。

 だから困り顔の鏡夜を知らんぷりして何食わぬ顔で紅茶を一口する。


 私はこれと言って紅茶が好きというわけではない。

 どちらかと言えばコーヒーの方がよく飲むのだが、寝る前にコーヒーを飲むと、リラックスして眠れる半面、逆に目が冴えたり、口臭が気になってしまうため、あえて飲まないでいる。


 ただ、私が紅茶を好きだと勘違いしている鏡夜に対し、私に気を遣って表情に出さぬよう必死に堪えて紅茶を飲む姿が愛おしくてたまらない。


 私のために必死に足掻いている様がそそり、ちょっと癖になっていて、やめられないでいる。


 ふふ……私はドSかな?


「えっと……ちょっと、情報が欲しい」


「情報?」


「うん……」


 おや?

 困り顔の原因は別にあった様子。


 なんだね、なんだね?

 お姉さんがなんだって叶えてあげるよ?


 ただし、ただで叶えてあげるほど私はお人好しじゃないんでね。


 いつも通り、悪魔の取引と行こう。


「対価は何?」


 思わず酷く冷たい声が零れてしまい、辟易する。

 取引となると、裏の自分が顔を出して、相手を疑わずにはいられなくなる。


 たとえ鏡夜でも、それだけは避けられない。

 こんな自分が嫌になると同時、怖い思いをさせて申し訳なく思う。


 だがそれを鏡夜は気にも留めず、平然としており、憮然とする。


 初めは、あまりの変わりように目を見開いて驚愕していたのに。

 付き合いが長いからか、もう慣れたものだった。


 ビクつく鏡夜も可愛かったため、それが少し残念に思う。


 情報が欲しい、ねぇ……。

 はてさて、何の情報が欲しいのやら。


 ま、何でもいいけど……交換条件次第かな!


「家事代行、とか?」


「ふむ……」


 鏡夜の手料理か……。

 うむ、悪くない。


 最初は野菜の皮むきもぎこちない鏡夜だったけど、今では上達して、食べやすい大きさにカットできるようになって、味付けも完璧で。


 相手の好みや体調に合わせて作られる料理は私にとって最高の秘薬。

 その思いやりの詰まった料理が疲労回復を促進させる。

 仕事で疲れた週の真ん中、水曜日あたりに食べさせてくれると、疲れなんて吹っ飛んでしまう。


 それほどまでに鏡夜の料理は私にとって価値あるもので……。


 いや待て、家事代行ってことは他にもあるんだよね?


 だが鏡夜はいつも、家事を手伝ってくれたりする。

 洗濯物を取り込んでくれたり、食器を洗ってくれたり、部屋の掃除をしてくれたり、ゴミ出しとか、私を寝かせつけてくれたりと、他にも色々……。


 あれ?

 私、介護されてる?


 鏡夜はホームヘルパーか何かなの?

 いや、どっちかって言うと執事?


 え、鏡夜にお世話してもらってるの私?

 役得過ぎない?


 え、待って、この日常最高すぎない?


「えっと……あとは……その……」


 ん?

 鏡夜がもじもじしている……。

 言いにくそうに目を伏せて……。


 これってもしかしてあれ?

 もっといい選択肢があるってこと?

 え、そんなものあるの?


 おいおい、やめてくれよジョニー。

 これ以上幸せにされたら、お姉さん爆死しちゃうよ。


「デート1回……とか?」


「! それは誠でございますかご主人様!?」


 思わず食い気味に反応してしまった……。

 若干引いてるじゃん、鏡夜……私のバカ……。

 いや、ただの嬉し恥ずかし困り顔か……可愛いなチクショー。


 おっと、そんなこと考えてる場合じゃない。


 落ち着け。冷静に。

 私はクールビューティーな女だろう?

 私はナイスガイな女……。


 ……って、誰がナイスガイだ!

 ナイスガイって男だろ!

 ナイスガイは鏡夜でしょ!


「え、あ、うん……瑠璃がいいなら、だけど」


「もう何なりとお申し付けくださいませ! 何だったら添い寝でも結婚でもなんでも要求してくれて構いませんぜ!?」


 もっ何に不満がありましょうか!

 何も問題ありません!

 そんな大役、わたくしめ以外に誰が務まりましょう!?

 謹んでお受け致します!!


 ……と、思わず即答してしまった……。

 欲望ダダ漏れだな私……。


「いや、情報だけでいいんだけど……ていうかそれ、瑠璃の願望じゃん!」


「チッ、バレたか」


「隠す気ゼロだな……」


 そりゃ崩されてしまいますよ。

 だって、プライベートなんだもの。


 家でくらい寛いで、好きな人とイチャコラしたいですよ。

 でなきゃ、割に合いませんぜ、旦那?

 あ、まだ旦那じゃないか。


 え? 誰の旦那かって?

 ふふ、そりゃ神のみぞ知る世界さ。

 ……なんてね。


 さて、戯けるのもこのくらいにして。

 そろそろ、本題に入りましょうか。


「それで? 何が知りたい?」


 球技大会まで残り一週間を切った。

 彼が提案した『ルール改定案』やチームの統率は計画通り、上手く行っている。


 ならば、他に彼が懸念していることは何か。


 生徒会の仕事は順調だというのに。

 何の情報が欲しいというのか。


 いくら鏡夜の頼みだからと言っても、口外できる情報には限りがある。

 はてさて、何をお望みかな。


「野球部についての情報」


「ほう……というと?」


「下手に分析するより、瑠璃の情報網から確かな能力値を知りたくて」


 カップに手を付け、紅茶を口に含む。

 舌を湿らせたところで、口を弧にする。

 

 個人情報ではあるが、選手のデータを分析したいというのであれば、問題ない。

 情報戦は、野球界で当たり前のことであるから。


 彼の狙いがわかったと同時、交渉としての対価は申し分なく、寧ろおつりがくるほどこちらへのメリットが大きい。


 いやはや、鏡夜も成長したものである。


「なんだそういうことか。いいよ、パソコンにデータ入ってるから。好きなだけどうぞ」


「ありがとう」


 お礼を言うと、すぐさま席を立ち、鏡夜は私の部屋へと足を踏み入れる。

 そこに我が家の愛猫である灰色碧眼の子猫『ミー』が、ついていく。


 開いた扉の隙間から、パソコンに向かう鏡夜が目に入り、真剣な顔で画面と睨めっこしている姿に頬杖をついて一瞥する。


「熱心だねぇ……」


 必死に敵の情報を調べ、頭に叩き込む。

 そこから作戦を練り、勝利の方程式を構築する。


 もう、全員参加の目標は達成間近だろうに。

 彼は、勝利までも手にしようとしていた。


 それが誰のためと聞かれたら、それもやはり、きっと彼女のため。


 かっこ悪い姿は見せられないと、見栄を張って。

 彼女が必要としてくれているのは凄い自分であるからと、頼りがいのある姿を見せたくて必死になっている。


 本当は、とても弱い人だというのに。

 彼女のためとなると、いつもこれだ。


「ほんと、妬けちゃうなぁ……」


 鏡夜の全ては彼女のためにある。


 彼女の記憶を取り戻すため。

 ここに居候している理由も、五市波高校に通っている理由も、生徒会に入ったことでさえ、全ては『長重美香ながえみか』に直結する。


 かく言う私も、五市波高校の校長という立場を利用して、彼を手助けすることを名目に彼と同棲生活を送っているのだが、控えめに言って職権乱用である。


 そもそも、五市波高校の規則は他校に比べ当たり障りなくともルーズであるため、守らなくとも咎めはしない。

 当たり前のことを当たり前にこなし、人様に迷惑を掛けてさえいなければ問題はない。

 破った者には、それ相応の罰を与えるというだけ。


 ただ、その罰則が厳しいもので、生徒はそれを恐れて規則正しく生活している。

 加えて、根が真面目な生徒が多く、ルールを破るような子や誰かに迷惑を掛けるような子はもともと、中学の段階で事前調査のうえ、受け入れてはいない。


 そして五市波高校うちは、家庭の事情や環境に恵まれなかった子供たちに少しでも夢と希望に満ちた人生を送って欲しいということで設立された学校であり、戦争孤児であった初代校長の手によって発足されたもの。


 自身が教育者の道を歩む中で、過去と向き合った結果、小さい孤児院で身寄りのない子供を引き取り、読み書きを教える道を選んだ。


 孤児が、持っていた夢を叶えるための苦労。

 その大変さ、息苦しさ。

 それを知っていたから。


 子供たちには少しでもマシな人生を送ってもらいたい。

 子供には何の罪もないのだから。


 校長の通っていた学校は規則が厳しく、それが息苦しかったという経験から、ルールにはあまり囚われない思想で、孤児院には貧しい家庭で学校に通えないという子も受け入れて、無償で授業を行うようになった。

 結果、生徒数は増え、その評判からお金持ちの貴族から融資を受け、孤児院は学校規模の大きさにまで発展した。

 それが今の五市波高校の旧校舎である。


 のちに旧校舎が手狭ということで、新校舎を向かいに渡り廊下で繋ぐ形で設立され、時が経つにつれ老朽化が進み、一挙にリフォームされた。

 それが現在の五市波高校にあたる。


 そういった創設起源から、五市波高校には訳ありの生徒が集まってくる。

 いつしか、夢を叶えるための環境として自由な校風をしているとの噂だけが広がり、不正してでも入学しようという受験者やからが後を絶たない。


 故に面接や学校調査などを徹底し、厳正なる審査のうえ合格通知を送るという方式へと移行した。


 もちろん、学力も見ての判断ということで、いくら金を積まれても裏口入学や親の顔を利用したものまで、生徒の実力以外の一切を禁じている。

 世間体問わず、当人の性格や経歴を吟味した結果、合格が認められるため、今まで培ってきた人間性が問われる。


 五市波高校に訳ありの生徒が多いというのは、こういった背景があるから。


 国からの問題視がないというのは、歴史が古いだけでなく、OBなどの融資や力添えが多く、中には著名人がおり、一度は道を踏み外した者が更生され、環境に恵まれなかった子が夢を叶えたりなど、数々の実績、武勇伝からなるもので。


 そんな学校を国が潰そうとすれば、強靭なバックを敵に回すことになり、誰も口出しできない。

 それどころか、世話になった者が多すぎて、感謝を述べられることの方が多い。


 教員もまた、色々と訳ありということで、中には生徒たち同様、酷い生い立ちをした者がおり、母校に貢献したいということで所属していたりする。

 それにより、生徒たちの悩み辛みを深く理解でき、一人一人に真摯な対応を心掛けている。


 それでも、全ての問題が解決するわけではないから、絶望している生徒もチラホラといて。

 いつかは『自分次第である』と気づかされ、結局は自分一人でどうにかして行く。


 ようするに創設理念からしてみれば、記憶喪失の『長重美香ながえみか』に普通の高校生活を提供するというのは当然の処置で、そんな彼女を追ってきた『真道鏡夜しんどうきょうや』という生徒を入学させたことも、別段問題ではない。


 ただ鏡夜の場合、入学手続きをスムーズに運ばせるために過去を捨てさせているため、そこがネックではある。

 手の込んだ嘘であるため、その隠し事が明るみになることは同郷の者が動かない限りそうそうない。


 とはいえ、私的利用を含め酷な選択をさせたことは事実。

 それを彼が何とも思っていないことが、また問題なのだけれど。


 兎にも角にも、色々と複雑な事情が絡み合った末、今があるわけだが、鏡夜たち在校生は時代の流れにより五市波高校の成り立ちを一切知らない。

 リフォームされたことで当時は新設校と間違われることもあったが、鏡夜たちが入学する頃には『創設年数にしては綺麗な学校だな』という印象を受ける程度。

 校舎が古いこと、数年前にリフォームされたことを除けば、鏡夜たち現代っ子が経緯を知る術はない。

 

 唯一、旧校舎の使われなくなった一室に当時の歴史が、資料となって開かずの間に封印されてはいれど、公にしない方がいいという暗黙の了解で、その歴史は次第に闇に葬られていった。


 よって、インターネットが普及し、五市波高校のHPホームページができた頃には、歴史が古いものの校舎は綺麗で、偏差値が高い進学校としての情報と、多種多様な部活があることから、青春を謳歌できる学校として名を広げて行った。


 規則はあれど、厳しくはない。

 制服は可愛く、学校は山の上にあれど、交通の便も悪くはない。


 入学を希望する学生が興味を惹く話題で埋め尽くされ、次第に埋もれて行った歴史ではあるが、ニュースに取り上げられるほどの実績ではない。

 ただ生徒・教員・卒業生の一端が、それぞれが努力を積み重ねてきた結果、大成したという話が多いだけで、皆が総じて五市波高校ぼこうに感謝しているに過ぎない。


 学校側が背中を押し、時には愛の鞭でけつを叩き、人としての成長を促した。

 人生において、その人が歩むべき道標を指し示し、やりたいことがあればそれを応援し、助力は惜しまない。

 皆が『お世話になった』と口を揃えて言うのも、母校のそういった姿勢があったから。


 自らの人生を彩ってくれる。

 一筋の光で照らしてくれる。


 豊富な部活動でやりたいことに全力を注がせ、学業も両立させる。

 人として成長できるうえ、進みたい道を自由に選べる。

 それらは生徒の自主性を重んじた結果、生まれるものでもある。 

 

 まるで『青春』の全てが、そこにあったと言わんばかりに思い出が光り輝く。

 そういった学園づくりが五市波高校にはある。


 『春乃瑠璃はるのるり』は、それを利用している。


「む~」


 そんな歴史なんて、今はどうだっていい。

 今はその学園の一部伝統を壊してまで実行している球技大会について、鏡夜が夢中になっていることが気に食わない。


 明日から休みだというのに。


 普通ならゲームの一つでもして、だらけるのが学生というものではないのだろうか。

 なんだったら、私の相手をしてくれてもいいだろうに。


 鏡夜の頭の中はいつだって、彼女でいっぱいで。

 そのためだったら、自分を犠牲にすることだって厭わない。

 

 たとえば、立てこもり犯に長重さんが人質に取られたとしよう。

 その時、犯人に『彼女のために今すぐ命を差し出せ』とでも言われたら、鏡夜は迷わず己の心臓を差し出すだろう。

 まぁそれも、救い出す方法を模索した結果、それ以外の道がなかったらの話にはなるのだが。

 

 それほどまでに『真道鏡夜しんどうきょうや』は『長重美香ながえみか』に心酔していた。



「―――」



 寂しい。

 苦しい。

 愛おしい。


 私だけを見て欲しい。

 あなたがいないと切なくなる。


「私は……嫌な女だ」


 空っぽになったカップを目に呆れてため息をつく。

 

 彼の心を少しでも靡かせるために色々と手の込んだことをしてきたというのに彼の心は一向に靡かない。

 それどころか、自分の方が彼にご執心になっている。


 けれど、諦める理由にはならない。


 これを積み重ねていけば、彼の心は嫌でも揺らぐ。

 いずれ最後には、とても大きな存在として映ることになる。


 ただ、彼を本格的に誘惑し始めて1年半。

 もしかしたら、この先も鏡夜の思いは変わらないかも知れない。

 鏡夜の片思いは、彼此10年と続いているものだから。

 きっと意中の子が誰を好きになろうとも、鏡夜が好きなのは長重さんで、それは一生変わらない。


 鏡夜にとっての一番も、最も愛した女性も。

 生涯、長重美香さん以外、他にいない。


 記憶を取り戻すという役目を果たした時でさえ、胸にずっと居座り続ける。

 鏡夜はそれをいつも通り、大切に保管する。

 

 時折、そんな未来が目に見えてならない。


「……よし」


 その不安を解消するにはやはり、鏡夜を手にしてしまうのが手っ取り早い。

 とは言っても、それは今すぐという話ではなく。


 今まで通り、鏡夜とイチャコラして、私が癒してもらおうというだけの話。

 これと言って、策という策はない。


 ただ、鏡夜にはこれが一番よく効く。

 鏡夜は積極的な女性に滅法弱いから。


 無遠慮に、素直に、適度な距離感を保ちながら、時折ベタベタとくっついて。

 無邪気に笑い掛けて、清楚に振る舞いながら、頼れる存在であることをアピールし、どんな時でも傍にいて、裏切ることなく寄り添い続ける。


 彼が最も欲しているのは、そう言った漫画やアニメのように九死に一生を得る際、駆けつけてくれる仲間のような存在だから。


 私はそれを全部持っている。

 鏡夜の夢を叶えられるのは、鏡夜に夢を見せ続けられるのは、私だけなのだ。


 けれど、長重さんは違う。

 当たり障りのない日常の中、自分の何気ない振る舞いが鏡夜の心をいとも容易く射止めて行く。

 まるで、運命の相手だと言わんばかりに鏡夜の心は夢中だった。


 『彼女』もまた、鏡夜に何かしらの感情を抱いていたのかは知らない。

 だが、自ら歩み寄って話しかけて行くあたり、少しは興味があったのではないかと思う。

 少なくとも中学以前の『長重美香ながえみか』とは、そういう存在だったと聞く。


 今もさほど、変わっていないようには思うけれど。

 おそらく、以前の『彼女』とは決定的に違う点が一つ。

 本人も自覚していない事ではあるため、確証はないけれど、このまま行けば確実になるであろう事象。


 長重さんから歩み寄っていく時点で、答えは明白。

 それもこれも、鏡夜が彼女に歩み寄って、何もかもを解消していくからに他ならないのだが。


 自分から歩み寄るようなことはしないから、相手こっちから近づいて親密な関係を築いていく。

 鏡夜の人間関係は大体、そういう風にできている。


 誰かが話しかけなければ、誰とも関わることなく終わったであろう道。


 運がいいのか、悪いのか。

 類は友を呼ぶとでも言うか、鏡夜の周りは、彼が思っている以上に恵まれている。


 五市波高校うちにやって来て以降、鏡夜から誰かに話しかけたことは一度もない。

 あるとすれば、用件を伝える程度のもので、仲良くなろうとして取った言動は一つもない。


 只々、休憩時間中に読書に励むだけの無口な少年。

 素顔を隠し続けるオタクな彼に興味を持った文化系が次々と話しかけていき、鏡夜の周りは、いつしか数人のコミュニティが形成されていた。


 最初は先生とすら、コミュニケーションを交わさず、クラスで唯一喋ったのは、自己紹介の場面くらい。


 そこから先は、常に一人で行動し、誰とも口を利くことはなかった。

 関わる気のない相手とは、どんな大声で話しかけられても無視をし続け、授業で当てられた時は小首を傾げて回避する。

 

 お弁当も自席で一人で食べ、周りの視線など一切気にすることなく。

 我が道を貫き通し続ける、信念のもと徹底した行動は、清々しいものだった。


 一歩間違えば、いじめの標的にされ、酷い仕打ちに遭ったであろうに。

 五市波高校うちには、陰口を叩く程度の生徒しかおらず、いじめに時間を割くほど暇な者もいなければ、そこまで尖った存在も稀で。


 何の音沙汰もなく、日々は過ぎ去り、日常と化して行った。


 何度も話しかけていれば、嫌でも口を開く。

 鏡夜の周りは、無口故に自然と聞き上手になった手前、好きな話を好きなだけ語れる存在ということで、オタク界隈の話し相手として持ち上げられていた。

 

 相談相手と言うべきか、お人好しの性格も相俟って、頼れる存在として、次第に慕われていった。


 そんな中で、一人。

 曲げない信念に惹かれ、誰よりも彼を慕う人物がいる。

 その者は、いつしか私の仮面さえも見破り、剰え交渉まで取り付けてくる始末。

 

 『氷室輝信ひむろけんしん』という元ヤンキーで、中学では喧嘩に明け暮れていた情に厚い存在。

 その尖った存在に鏡夜は好かれ、同時に最高の駒を手に入れていた。


 環境ではなく、人との巡り合いでの話。


 貧乏な家庭で、欲しいものは悉く手に入らない。

 酷い親を持ったのは事実。


 それでも、全てを憎むことはできない。


 鏡夜は優しいから。

 誰にでも共感して、いくつもの『もしも』の世界を想像して。

 そうやって自己完結して、納得して行く。


 何も手に入らなかった世界だから、手に入れられた思考。

 自分の手で切り開くしか手に入らないと悟った数々の幸せ。


 夢を見続けた少年が、いずれ現実を知って絶望する未来。

 きっと何もかもが叶わず、終わるはずだった道。


 そこに私が介入して、氷室輝迅という相棒と出逢って。

 悲劇に遭い、今もその旅の途上にはいるけれど、幸か不幸か鏡夜の周りは『いい人』で溢れ返っていた。


 この先も色々な巡り合わせが重なって、鏡夜の人生は色々なもので溢れ返ることになるだろう。

 それは何よりも色褪せない思い出となって、誰もが羨ましがるであろう過去になって、鏡夜の人生を彩ることになるだろう。


 そんな色濃い『青春』を前にして、鏡夜は一体何を思うのだろうか。

 その全てを手引きしていた存在を知った時、鏡夜は一体何を思うのだろうか。


 後になって、それが明かされた時。

 鏡夜の反応は如何なものか。


 それが楽しみでならない。


「ムフフ~♪」


 そんな果てしない思惑など知る由もなく。

 伊達眼鏡をかけて真剣な顔でパソコンと向き合っている鏡夜に忍び寄る。


 クールで大人ぶった鏡夜もかっこいいのだが、私はやはり、恋愛に奥手でドギマギしている鏡夜が一番好き。


 だって、可愛いから。


 だから、静かに近寄って勢いよく飛びつく。


「鏡夜~!」


「……っ!」


 そうそう、この驚き顔が見たかったのだ。

 目を見開いて、口を真一文字に結んで、猫のようにビクついた反応。

 それが愛しくて堪らない。


 そこへ抱きしめると見せかけての顔を前に突き出した、鏡夜の無防備な唇に口付けを狙ったフェイント。

 さすがにあからさますぎたか、唇を尖らせた顔つきから行動を予測した鏡夜は、すかさず避けようと顔を背ける素振りを見せる。


 しかし、抱擁だと受け入れて、反応が少しでも遅れた時点で、このまま行けば確実に頬には触れてしまう。

 

 くくく……私は頬だろうとなんだろうと、鏡夜とイチャつきたいだけなのだ!

 どこであろうと一向に構わない!


 君の身体に私の存在を刻み込めたら、それでいい。

 見えないところでもなんでも、キスマークをつけられたら、私の所有物として征服感は満たされ、悦に浸れるわけだから。

 敵が誰であろうと、長重さんだろうと、私の不安は解消される。

 


「―――」



 『取った!』と思ったと同時、柔らかい感触が唇に伝う。


 やった!

 鏡夜に触れた!

 真正面からの突撃で、受け流されることなく、ついに、ようやく!


 にしても、唇を跳ね返す感触に違和感を覚える。


 なんだかやや硬く、鏡夜とは別の匂いが鼻腔を擽る。



 ――ん~?



 閉じた瞼を開けてみれば、そこには宙に浮いた猫がいた。


 否。

 よく見ればそれは、鏡夜に抱き抱えられたミーの肉球だった。


 なぜこんな状況になっているのか、脳裏に刹那の記憶がフラッシュバックする。


 突如、勢いよく接近した私に驚いてか、ミーが鏡夜の膝に飛びついた。

 顔を背けた鏡夜の視線の先、手元にはミーがおり、鏡夜は咄嗟にミーを盾にして防御。 

 のちにミーが、右前足を突き出して、迫りくる私の唇を押しのけていて。


 そして、今に至る、と。


「ん」


 全てに合点が行き、一人と一匹を目に瞬きする。


 つぶらな瞳で笑むように『ミッ』と鳴くミーと、その陰に隠れ、恥ずかしそうに顔を上気させ、目を伏せている鏡夜。


 もうなんて可愛らしい姿なの……!

 絶景かな……絶景かな……。


 だが私は、そんなことでは止まらない!


「ギュ~!」


「むっ」


「ミー!」


 可愛すぎる一人と一匹をまとめて抱きしめ、それぞれうめき声を漏らす。

 私と鏡夜の間に挟まれたミーは、苦しさのあまりすり抜けて、私の胸を土台に蹴り飛ばし、部屋を全速力で駆け出ていく。


 自室に残された私と鏡夜。

 私はそれにお構いなしに鏡夜との抱擁をやめることなく、戸惑う鏡夜を堪能する。



 ――ああ……鏡夜、良い匂いがする。



 鏡夜は汗臭さを気にするあまり、制汗剤やら香水やら使って自身の臭いを誤魔化そうとするけれど、私は鏡夜の匂いが堪らなく好き。


 汗をかいた鏡夜に匂いを嗅ごうとすれば嫌がられるため自重しているが、それとは別に風呂上りに漂うフローラルな香りが好ましく、定期的にスーハ―したくなる。


 鏡夜には実家と同じシャンプーとトリートメントを使ってもらい、私は私で別に自分のシャンプーやモイスチャーを使っているため、匂いが違う。


 洗剤やら柔軟剤やら、衣服の匂いに至るまで、洗濯を二回に分けることで匂いが混じらないようにしている。


 鏡夜には最初、同じものでいいと言われ遠慮されていたが、そこは男女なのだから別々にしないとということで納得してもらった。


 が、実際には私色に染まって欲しいけれど、鏡夜には鏡夜のままでいてほしいという願望が強かったため、体のいい言い訳で誤魔化したに過ぎない。


 私と同じものを使ってしまったら、同じ匂いで所有感は満たされても、鏡夜の匂いを嗅ぐことができなくなるから。


 匂いフェチというより、好きな人の匂いが好き。

 特に風呂上がりからしばらくして、ほのかに香る甘いトリートメントの匂いが、同棲している者の特権で余すことなく嗅げるというのが、傍に好きな人がいるという証で最高に良い。


 鏡夜は抱きしめられることに意識が向いて、気づいてはいない。

 抱擁自体は嫌っていないため、私がここぞとばかりに鼻で息をしているだけ。


 あまり吸いすぎると、鏡夜をベッドに連れ込みたくなる衝動に駆られるため、ギリギリのところで離れて、欲求を抑えてはいるけれど、今日はなんだか少し物足りない気分。


 何かで埋めようと思った時、先ほど鏡夜の放った発言が脳裏を過ぎって。

 『そうだ、それがいい!』と内心で叫んだと同時、鏡夜から顔を離して見つめ合う。

 そこには、未だ瞬きを繰り返して戸惑う鏡夜がいて、私は満面の笑みで思いついたことを口にした。


「鏡夜! 明日、デートしよ!」


 鏡夜とはいつも、土日のどっちかで買い物に付き合ってもらっている。

 一方で、出かけない日は一緒にゲームをしたり、背中合わせに漫画を読んだり、リビングのソファで二人寄り添ってアニメを見て、趣味に没頭していたりする。


 もはや、既に恋人と言われても過言ではない日々を送っているわけなのだが、鏡夜の意識的には女友達と暮らしている感覚か。

 鏡夜は私を異性として意識してはいても、恋仲としては見てくれていない。


 明確な線引きをしているわけではないにしろ、これは意識の問題。

 鏡夜の心は長重さん一筋ではあるけれど、それは必死に他の女性を見ないよう抵抗しているからであって、頑なに誓って破ろうとはしない信念に基づいたもの。


 鏡夜が誰か他の女を好きになることも、付き合うと言った行為でさえ、鏡夜自身が拒んでおり、それは私だって例外ではなく、鏡夜から私に手を出したことは一切ない。


 唯一、鏡夜が寝ぼけ眼な時や風邪で寝込んだ時など、たかが外れて時たまに甘えん坊になることがあるけれど、それはあくまで子供な部分が現れているだけであって、普段の鏡夜なら絶対に取らない行動。


 鏡夜は常に強靭な理性で覆われているから。

 それを剝がす術を知ってはいれど、私がものにしたいのは普段の鏡夜であるため、他は大体ノーカウントとして扱っている。


 よって、今までは私が普段の鏡夜をからかい、鏡夜に甘えたりして、徐々に徐々に距離を詰めて行ったわけなのだが、鏡夜から恋人のような扱いをされるというのは珍しいもので。

 鏡夜の口から『デート』という誘いがあっただけでも、昇天しそうな勢いだった。


 それがため、普段の二人で買い物をする休日を日曜に回すことで、別に引き籠っていたはずの土曜日をデートに回せば、欲求不満な今を解消できるうえ、実質デート2回で二度美味しいというズル賢い発想が浮かんだ次第。


 我ながら素晴らしい閃き。


 ここでいきなり『デート1回』を使うのは勿体ない気もするけれど、鏡夜は既に情報収集を開始してしまっているため、拒否権はない。


 何より、自分は今、鏡夜を欲しており、満たされるには鏡夜を摂取するしかない。

 もう頭の中は鏡夜とのデートでいっぱいで、土日ともにデートしたい気持ちで溢れている。


 これを止めるには、さすがの私でも難しい。

 鏡夜に受け入れてもらうほかない。



「―――」



 ふと、気を取り直した鏡夜は優しげに笑みを零し、私もつられて笑みを零す。

 このまま相槌を打ってくれるなり、二つ返事で仕方なくも受け入れてくれるのが、いつもの鏡夜であったから。

 いつも通りの流れに嬉しさのあまり、二ヤつきが止まらない。



「じゃあ――」



 脳内が完全にデート一色に染まったその時。

 デートコースや服装について思考を巡らせた瞬間。


 予定を口にしようとした私の声を遮るように鏡夜はゆっくりと口を開く。

 変わらぬ笑みで、とても困った様子で、眉を八の字にして。


「ごめん、明日は用事があるから……」


 そう暗闇の中で、ひっそり告げていた。


 申し訳なさそうにする鏡夜に対し、私の笑顔は凍り付いたまま、頭の中は真っ白に染まっていた。



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