25話 止めなきゃ
夕刻。
せつなが眼鏡っ娘と試合をしてから、何時間も経った頃。
彼女は自宅の玄関前にいた。
ドアを開けながら体を進め「ただ」いま、と続けるのをせつなが止めたのは
中には誰もいなかったからだ。
この家は、駅近くのマンションの中にあるものだ。
借家では無い、せつなの父が丸ごと購入したものだ。
ハッキリいってかなり良い住宅である。
駅からも近いし、日当たりもよくて、そして建っている場所の治安もいい、多くの人間が「こんな家にすみたい」と思う要素を多く満たしている。
せつなはそこに、糸川にっけに会う前に、少し準備をしに来たのである。
いつもそうしているように電気をつけて、玄関を通る。
物が少なく仏壇バッカリ目立つ寂しいリビングへ、そして右に曲がってドアを開け自分の部屋に足を踏み入れた。
せつなの部屋は、一見綺麗であった。
棚も、勉強机も、ベッドも、そこそこ掃除されている。
だがしかし、隅を見ると埃が溜まっていたり本棚の漫画の並びは巻数が滅茶苦茶だったりする。
たくさんのゲームのパッケージがあるが、中を見れば「CHAOS KODOMO」というゲームのディスクが「CHAOS NA ATAMA」というゲームのパッケージに入っていたりする。
良くも悪くも部屋主の性格が鏡のように映った部屋だ。
「……えっと」
せつなは辺りを見回した。
机の上に置いスマホを一つ取る、充電はフルで無いが問題ないだろう。
ついでに棚の瓶から飴をわしづかみにして、ポケットに突っ込む。
小腹がすいたら食う。
「……むぅ――」
まだ部屋に何本かある木刀も持っていこうと思った、誰かと殴り合おうとしてるわけで無いが持っていれば落ち着くのだ。
だけれども、つい先日一気に無くなって大損したトラウマが蘇る。
というわけで一本だけとった。
一本だけ使うより二刀流の方が好きなのだけど、持ち運びに不便にはなる。
「ちょっと調子確かめとくか」
せつなは木刀をしっかり握りしめ、振るう。
袈裟切り、から逆袈裟切り、そしてバトンでも扱うかの様に手元で回転させる。
「あッ!」
手が滑って、投げ槍のように木刀は飛んで行きガッ!!と壁にぶつかった。
「やべ!」
ちょっと、壁に穴が空いた。
「……今日調子悪いな」
――
一本の木刀に布を巻き背中に紐でつける。
昨日壊れたのと同じ予備の仮面もついでに懐にしまった。
いざという時正体を隠すためのものだが地味にデザインが気に入っている。
以上、準備の行程は後一つを残すだけ。
部屋を出てリビングでたちどまった。
仏壇にはせつなと全く同じ顔の写真が飾られている。
しかし当然ここにいるせつなでは無い。
彼女はまだ動いているし喋っているし意思があるのだから遺影は必要ない。
つまりこれは、せつなと遺伝子的に大いに関りが有る者、いわゆる母親である。
もっとも、せつなの記憶の中に彼女の事は一切無い。
元より忘れっぽいせつなが物心つく前に死んでしまったから仕方がないが。
「じゃ、行って来ます」
せつなは出かける時いつもその写真に挨拶をする。
父親がそうするのを真似していた影響で、クセになってしまったのだ。
それから、玄関で靴を履く。
糸川にっけがどこにいるか、場所を知る者はせつなの周囲にいなかった。
だがしかし、ある程度見当がついている、どうするかどこに行くかは決まってる。
どう調べたかというと方法は簡単、二つの事を行った。
まず一つ目、運よくせつなにとってちょうどいい時間にセーフキリングの会場から徳宮サイバーテクノロジーの車で出ていく彼女を頑張ってつけた。
途中で見失ったが、どういう方角・ルートに帰るのか途中まではわかった。
そして二つ目セーフキリングに参加するために便利な宿を、一つ目で調べたモノを参考に地図であたりをつける。
そうすると幾つかの“ここに泊まっているのでは?”という候補がうまれた。
よし、さっそく会いに行こうと玄関ドアに手をかけようとした瞬間。
彼女の目の前で、彼女の意志と無関係に開いた。
「ッい!?」
せつなの心臓がドキリと跳ね上がった。
静かで規則的な足音だけでも、誰が入って来たのかわかったからだ。
入ってきたその男を一言で表すのであれば、冷淡である。極寒と言い換えてもいい。
感情はどこにも無いかのように、表情が無い。
彼はスーツを着てただそこに立っているだけなのに周りを冥府に引きずり込みそうなほど不気味だ。
せつなが戦っている時、ところどころで恐ろしく近寄りがたい雰囲気を出すが、それを彼は常に高いレベルで持っている。
例外はせつなの母の遺影に対面する時。少しだけ寂しそうにするくらい。
目の前で人が殺されて怯えなかったせつなすら、彼は自分の父親……漁火与獲に心の準備無しに対面して鳥肌をたてていた。
それは理解出来ないからでなく、彼の異常性を理解しているからこそであった。
「どこへ行く?」
与獲が淡々と聞く、全てを吸いこんでしまいそうな深い闇の瞳でせつなを見ながら。
「こ、古武術教室」
嘘をついた。毎週行きは確かにしているが今日では無い。
だが彼に自分の行動を悟られてはいけない理由がある。
「休みだろう」
一瞬で嘘を見抜かれたせつなは焦った。
彼に今からやる事を正直に言ってはいけない、彼にだけは見抜かれてはならない理由がある。
しかし、嘘を付いても一瞬で見抜かれていく。
逡巡。
どうするか。
しかし迷い続ける暇も無い、そうする間どんどん怪しさが高まる。
”アダルトビデオを買いに行くんだ”と言おうとした。
慌てていたのは気まずさ恥ずかしさゆえだと誤魔化すか一瞬迷った。が。“お前の年齢で買えないだろ”とカウンターを食らいそうだった、止めた。
アダ……とまでは声に出してしまった。
「あ、っそうだ、なに、なんで急に帰って来たの?」
せつなの言葉は反射的、無意識的に口をついて出た。
そもそもの話題を変えてしまう手法が効く相手は限られる。
しかし、どこか淡々としていて余程の事でないとこだわらない与獲に対してはかなり効果的だ。
「書類が必要になった、ここにある」
父は、ふと思い出したかのようにせつなの横を通り過ぎ部屋の奥へ向かっていく。
相当に重要らしく、せつなへの追究を忘れているようだ。
せつなはホッと胸を撫でおろし、逃げるように外へ飛び出した。
そのまま、数秒小走りに、それから全力疾走に切り替えてその場を去った。
――
せつなはとある重大な疑惑を持っていた。
ここ最近、街で多発している行方不明事件についての事だ。
ソレは、いなくなっても問題になりにくい人物が被害者になっている。
例えば、仲間のいないホームレス、虐待を受けて家出した少女、外国から違法にやって来た役所も知らない人間。
偶然ではない、意図的に誰かが攫っている。
せつなはその”誰か”に見当をつけていた。
それは自分の父であり、セーフキリングを提案し実行し運営すらしている漁火重工のトップ漁火与獲だと。
確定的で動かぬ証拠等は無い。
ホームレスや家出した人間について調べていたり、その瞳に不気味な物を孕んでいた李細かい疑惑が幾つもあるだけだ。
しかし家族だからこそ確信にいたれた。
彼の意思の強さ、権力の強さ、世渡りの上手さ、経営手腕。
その全てによって、漁火与獲は普通の人間が出来ない行為が可能な人間である事をせつなはよく知っている。
今、街でひっそりと起きていることにおそらくかかわっていると、理解できる。
せつなは、感情が薄い。
無いのではない。
ゲームも漫画も好きだ、ロボットアニメも好きだ。酒にも興味があるし、いずれ飲みたいと思っている。
だが”薄い”
例えば公園にいる徳さんが死んでも、泣くことも無くただ受け入れる。
好きなゲームの続編が駄作でも、憤りもせず悲しみもせず、少しだけ残念と感じて受け流せる。
しかし家族に関してだけは違う。
せつなにとって、家族は最も重い。
本人ですら、なぜと聞かれればわからぬほど小さな感情がきっかけだが、重たい。
家族なのだから、とにかく悪い事をしているなら止めなきゃ。
警察に捕まったり、誰かに殺されたり、殺してしまったりして与獲が手遅れな状態になる前に。
殺す事に関してはもう手遅れかもしれないが、それでもやはり、とにかく止めないと。
そういう目的があった。




