20話 「にっけちゃん」
私がやろうとしたことの重大さが、今更胸を締め付ける。
間違っていると自分で理解したうえでやったこととはわかっているが、それでも息苦しさを覚える。
徳宮テクノロジーの社長室は、静かだった。
私の心臓の鼓動すら聞こえてくる気がする。
机や椅子、壁といったモノはここの主であるモノ、ギリギリ威厳を保てるレベルの品ばかり。
でも、社長用の席に座った彼が、彼の言おうとする言葉が恐ろしい。。
胸が締め付けられるようだ。
いつでもサポートに入れる彼の隣にいる秘書も、見ていると緊張する。
なんだか髪留め針金が緩い気がして、ついきつく締めた。
能力測定で会ったメンバーと全く変わらないのに雰囲気は全く違う。
いちおう私のマネージャーみたいな立場らしい桂木について来て貰って隣にいるが、不安は拭えない。
所詮付添でしかなく、彼がいる=私が救われるというワケでも無い。
自分が頑張るしかないのだ。
ココで失敗すると牡丹との約束を反故にすることになる。
これはそういう場だ。
だから、私は状況をしっかり見て、上手く相手を説得するしかない。
体中が冷たい。
だというに、汗は出る。
「……話がある、というのは、おそらく私が話したかったことと同じ事についてなのだろう?」
社長が話を切り出した。
その通り。
私は彼に呼び出される前に、話があると先に切り出したためここにいる。
自分からそうした方が印象が良いと思った。
「昨日の風火との戦いのことです」
やはりな、と社長は頷いた。
「昨日の君は、明らかに勝ちに行っていたからな、私はスグに気付いていたよ」
ぼそりと、秘書の人が“嘘です、ソレに気づいたのは私だ”と呟いている。
しかし社長は耳が遠いのか、その事に関心が無い。いや気づいたうえの無視か?
まぁいい、些事に構ってる暇はない。
「……負けろと言われながら、引き分けに無理くり持ち込んでしまった事の責任問題についてです」
「引き分けとはいえ大空生命グループの評判はあの一戦で上がった、君はいい結果を残した」
秘書の人は納得してないらしく反論する。
「ですが命令無視はたしかです、それ自体には処分を下さねばなりません」
やはりそう言うか。
そりゃそうだ。
いくらいい結果を出そうと、集団のルールや方針を身勝手な理由で破ったということ自体は問題だ。
「すいませんでした」
秘書の人が言うことは完全に正論なので私が頭を下げると、秘書の人が文句を言いたいらしく怒り顔で一歩進んだ。だけど、社長が手で静止する。素直に彼女は止まった。
社長の、喉が枯れてしまう程の齢を感じさせる掠れた声、が私にかかる。
「……ならば、どうする?」
答えを求められている……どう答えればいい?どう答えるのがベストだ?
迷っていると社長はつづけた。
「命令無視の責任をとって、我々と君の契約を切る選択肢もありうる」
ぐっ。と呻きたくなった。
「社長、彼女は命令無視したかもしれませんが、ソレは彼女は少女であり社会経験が大人と比べ少ないせいでもあると思います、だから仕方ない側面もあると考えて……」
桂木は反論してくれる。
「桂木!今は社長が話しているのです、遮らないでください」
けどやっぱり、余計怒らせた。秘書を。
声だけで人が殺せそうな迫力で彼女が静止すると、桂木はすぐ口を閉じた。
桂木に焦ったり怯えてる様子は無い。
ビビってるんじゃなく、これ以上喋るのは不利益と判断したわけか。
引き際をわきまえてくれているらしかった。
さて、私はなんと答えるのが良いだろう?
……正直に熱意を伝える?それとも他になにかあるか?社長はどういう答えを求めてる?
なんて迷ってたら、私より先に社長が話をする。
「では、聞こう、”君は徳宮テクノロジーの選手として”このまま戦いたいか?」
なんだ、その質問。
答えなど、決まり切っている。
「もちろん戦いたいです」
嘘じゃない。
クビになればここに私はいれない、宿代が出ない。
そしたら金の無い私は牡丹との約束を破ることになる。
彼女と一緒にいるという約束は、私の限界まで守りたい。
「では、君は何を目指す?何を為す?」
社長は特に感慨も無く。答えはわかりきっていたという風にさらに質問した。
こっちが本題だということか。
「優勝します、この誓いを破った場合、私が得たファイトマネーは全額徳宮テクノロジーのモノにしてもらって構いません」
ハッタリに近い誓いだった。
難しいことはわかってる、優勝なんて出来ない可能性の方が高い。
でも、ソレは大事じゃない。
肝心なのは“金を渡す”ことだ。
牡丹と、出来るだけ長く間一緒にいるため。
私に取っては、数百万円くらい捨ててもいいことであった。
愛することも愛されることも、牡丹がいなければ多分ない。
他人と一緒にいる事に大した価値が無いと知っていて、孤独な生き方が平気になる事を憧れて。
でもどこかで、信じあえるような存在を願う。
そんな私が牡丹と共にありたいと願っている。
孤独の価値を知っているのに。
でも、それでいい。
誰ともかかわらず一人になれたら最大の幸福、でも牡丹だけ例外。
そんなのは矛盾しているけど。
その歪さに気づきながらも捨てられない願いならば。
たとえ苦しくてもきっと、こうするのが私にとっての最良なのだろう。
そこまでの覚悟で、私は社長の返答を待っていたが
「あぁ、君は徳宮テクノロジーのセーフキリング選手だ」
あっさりと、社長は言った。
「ソレに、優勝できなかったから全額没収など、ありえん」
え? ほんとに? いいの?
「君が不動君の代役に来てくれたおかげで我々は技術力の宣伝が出来ているのだからな」
思考を読んだかのように、社長が笑った。そんなにわかりやすかったか。
ソレから、一気に場の緊張が解ける。
そんな気がした。
秘書が、フ―っと呆れるように、でもどこか嬉しそうにため息をついている。
桂木が、真面目な場だというのにガッツポーズをして大喜びしている。
なんか、釘にぬかを打ってるというか、のれんを必死で押しているというか、そんな感覚が襲ってくる。
「えっと、え――……ありがとうございます」
とりあえず、そう言って頭を下げる。
それでも違和感がぬぐえない。
だけど、これ以外に私にできる事は無かった。
なんかやれよと疑問がある奴がもしもいたら逆に聞きたい。
イイ感じにまとまりそうな出来事を、わざわざ崩せというのか?
ともかく。
こうして私が風火に本気で勝ちに言った問題は、不問とされた。
そして、当たり前に時間が過ぎて、夕方になった時。
いつの間にか宿に帰って来ていた。
自分の部屋で、晩御飯を待つ時間である。
畳みに寝っ転がる。ざらざらと硬い。
昨日も味わったこの感触にすら違和感がある。
なんかチリチリとして変だ。
でも、疲れたので無理矢理寝ようと目を閉じる。
しかし、頭の中で声が響いた。
”おかしいだろ!”
体中に、違和感が駆け巡る。
吐き気と頭痛が鳴り響く。
それでいいのか?ホントに?さっきの全て幻覚じゃなかろうか?いや、現実だけど。
完全なる無罪放免で罰が何も無い。
本当にいいのか?
コレで?
本当に?
どうなんだ?
え?
気持ちが悪い。吐きそう。
胃の中を、いや、体中を不快感がぐるぐる駆け巡ってる。
毒ガスでも吸ったんじゃないかコレ。
「……ッ」
今、喉のあたりまで胃の内容物がせり上がって来ていた。
嘔吐するギリギリであった。
無理矢理飲み込んで腹までそれらを戻す。
このままじゃ、マズイ。
――じゃあ。どうする?
思いついたことがあって、体が直情的に走り出していた。
部屋から出て、階段を一段も踏まず一気に一階まで飛び降りる。
着地の衝撃はパルクールのように転がって受け流した。
そのまま、走って、自分の靴を適当に履く。
「ちょっと、何騒いでるの?」後ろで誰かから声がかかった気がする、無視して、すばやく外に出た。
「うぎゃっ」
そして、一歩目でこけた。
足元を見ると、靴紐がほどけていた。
「クソ」
一秒もかけず、結び直して立ち上がる。
膝が熱い、すりむいてる。
でも、死んだりするレベルじゃない。
だから、知った事か。
そのまま感覚を頼りに、走る。曲がり角を適当に曲がる。
“求めるモノはこっちにあるかもしれない”そういう適当さで動いていた。
胸の内にある、気持ち悪さを振り落としたかった、置いてけぼりにしたかった。
そして、どれほど私は走ったのだろう?
いつの間にか、街の通りにいた。
本屋やバーガー屋や牛丼屋、洋服屋などが立ち並んでいる場所。
でも、そんなの今はどうでもいい。
目の前に電話ボックスがある。
コレだ。
コレを求めていた。
コレに入りながら、ポケットからマジックテープ式の安い財布を取り出した。
バリバリ音をたてながら開く。
なけなしの小銭と、未だ使っていない桂木からもらった千円札が入ってる。
これを、これを今、今使うべきだ。
そう思えば、指が震える。
でも小銭をつまんで、コインの投入口に入れたら
今度は電話番号を入力だ。
ぴっ、ぴっ、ぴっ。
丁寧に、押し間違えないように、でも速くボタンを押していく。
かける場所は決めている。
先日貰った一閃からの名刺に書かれていたところ。
彼女なら、納得できる答えを持っているのかもしれないから。
小さな場所を世界と例えがちな彼女なら。
私が徳宮テクノロジーを捨てようとしたきっかけの一つなら。
何か、何か納得できる答えが無かったら、ゲロを吐くだろうな。
そう思ってビニール袋を用意しようか迷ったが、そんな暇は無くてすぐに電話は繋がった。
『はい、記者の茨城一閃です、仕事の依頼かなにかですか?』
「に、に、にっけッ、にっけです、聞きたいことがあります」
震える声で尋ねると。
『じゃあ今度正式に取材させて貰える?』
「え?」
意外な返答であった。
『私ちゃんと記者なのよ』
あ、あぁ。”お話は取材と引き換え”ってことかなるほど。
打算的である、むしろ少しその態度が私を穏やかにさせる。
『地球再生党のメンバーが皆ある特殊な共通点を持ってるって暴いたのも私なのよ、へへっ』
一閃が自慢げに、話すソレは詳しく聞きたかったが、今はそういう場合じゃないだろう。
「出来る限り協力はします」
取材は社長の許可がいるので、出来ると断言はしきれない
『じゃあ、話してごらんなさい』
こんな曖昧な返答でも満足だったらしく一閃の声が上ずっているのは、電話でもわかった。
でも、そんなこともどうでもいい。
間髪入れず、私は話した。
「……私は、世界を壊そうとしました」
『うん』
世界なんて言い出したにもかかわらず一閃は大人しく聞いている。
「でも壊れなかった、偶然ですけど、いや、必然?いや必然って程でも、あ、世界っていってもそんな大きい話でも……会社クラスの話で、あ、でも、牡丹のためというか自分のために牡丹をよろこば……牡丹っていうのは……」
なんだコレ。
今明らかに、グチャグチャに話してると自分でもわかる。
『落ち着きなさい、でもが口癖みたいになってるわよ』
「え、でも‼‼」
あ。
でも、と確かに言ってしまっている。
無性に気恥ずかしくなった。
指示された通りとりあえず、一回深呼吸。
心臓がバクバクいってる、中々落ち着かない。
こんなに人の心音は大きくなるんだと自分で驚く。
でも、話さなきゃ。
「……なのに私への罰があまりにも軽すぎる」
『受けたいの?罰を?マゾヒズム?あ、マゾヒズムってわかる?』
「いや、べつにそんな被虐精神は持ってませんよ、」
そういうワケじゃない。
あと、サディストってワケでも無い。たぶん。
『気づかないモノよ、自分の持ってる奇特な性質は』
「いや!でも私は……!その!」
話がそれていきそうなので、その談義は無視していいだろう。
「やったことのツケを充分に払うのは、必要だと思うんです、でも、私は無かった、凶行をした時のツケを払うことが出来ないまま、許された、だからって、どうしたら」
数秒間、沈黙。
でもまた会話は再開される。
『……そういえば、言いそびれた事があったわね』
あぁ、そうだった、初対面の時、桂木が来たからいなくなった時彼女は言おうとしていた事があった。
『問題を起こした人がそのツケを払わなかった場合の話』
はやく話してよ、いや、話してください。話せください。
その話を私は聞きたかったんだ。
『ま――その人じゃない別の誰かが、本人に払えないぶんのツケを払ってくれたってことなのよね、払えないぶんは他人が払うしかない』
「じゃあ、私のやった事も周りの人がツケを払ったってことですよね』
『あなたが何やったか知らないけど、多分そう』
「じゃあ私はどうすればいいんですか?どうやってソレを取り戻せばいいんですか?」
『気にしなくていいわよ、あなたが今そこでそうしているのだって誰かの責任のツケを払っているハズだから、あなただけが一方的に誰かを傷つけているんじゃない』
そうじゃない。
気にするなと言われて気にしない事が出来る程度なら相談なんかしないのだ。
『満足したかしら?』
一閃がコレで切り上げそうだった。
でも、確かに。これ以上話を続けても無意味だろうか?
この先、納得できる答えが見つかるとは限らない。
だから。
「スッキリしました、ありがとうございました」
納得いかないと本音を語れば不愉快な終わりになる。
しかし、こう言っておけば愉快に切り上げられる。
だというに。
『あらら、ウソついてる、演技ね』
「え?」
一瞬頭が真っ白になった。私の演技は、完璧だったハズだ。
『声色、隠してるけれど、見抜けるわよ、あなたのやる事は質が高いのに全部不完全って言ったでしょ?』
言ったっけ、どうだっけ。
うん、言ってない。言ってませんよ。絶対言ってない。
けど、そんな事今は大事じゃない。
『……ま、感情が読めたからって、結局心の問題は自分で解決してもらうしかできないのだけれども、周りは補助しかできないのよね』
『というワケで、あなたじゃなく、もし私があなただったらどうするか言うわ』
タップリと溜めの時間をとってから一閃はシッカリした声で言った。
『私があなたの立場で、苦しんでるとしたら私は罪悪感に浸っている善人でいたいだけ、そんなの逃げとしか思えない、だから私は堂々とするわ』
「……ソレは」
言葉が続かない。
ホントにそれでいいのか。ホントにそうなのか。
それが答えなのか?
いいのだろうか?
その惑いを知っているかのように。
『善悪の主な基準は思い込みと、集団の持続に貢献するかよ……』
一閃がのたまう。
『だからあなたも、堂々としてなさい』
「え?」
ズバッとした答えだった。
はい、わかりましたあとロクに考えず納得しそうになるくらい堂々とした回答だ。
『あなたはそれが出来るでしょう?』
「でも」
なにに反論したかったのか、自分でもわからなかった。
『だから、ツケを払ってもらった礼をしたいなら、焦らず楽しく暮らしてなさい、罪悪感や後悔に浸り続けくすぶってても、被害者がソレを望まないなら意味の無いどころかさらなる嫌がらせに等しいわよ』
……今は何もするな、そして色々気にするなって事か。
結局結論は、先程と同じだった。
ただ、どうして一閃そう思っているかの一端が見えただけ。
だが、過程や意味を知った結論と、すっとばした結論は私の中で隔たりを持つ。
ぬかに釘を打ったら、なぜかしっかり突き刺さったような不可思議な感覚を得る。
「ソレで、いいんですか?ホントに?」
聞きつつも、自分の導く結論は心の大半で決めていた。
『さっき言った善悪の基準くらいあなたなら覚えてるわね』
「ん?」
『しかし、責任感っていうか、執着心っていうか、意地みたいのが強いのかしら、あなた?もっと気軽に言う事やる事変えてもいいと思うわよ』
一閃はなにやら私への分析をしだした。
けど、すぐに止めて全く話題を変える。
『とりあえず、今やるべき事は”すぐ傍にいる人と向き合う”ことなんじゃない?』
電子音がした。ツーツーと長く高く。
「ぁッ!?」
電話が切れている。
なぜ、なぜ切った、そんな疑問はすぐ消えた。
一閃は、やはり聴力に優れてるらしい。
耳をすましたら声がするのである。
「にっけちゃ―ん?」
牡丹の声がした。探しに来たのだろうか。
宿を出るまえ私を呼び止めたのは、彼女だった。
そんな事に気づき、無視したのを申し訳なく思いながら電話ボックスから出ると、牡丹が少し遠くにいた。
「ここにいるよ!」
呼ぶと、ドタバタ走ってきた。
遅ッ。遅い。全力疾走なのだろうが、間違いなく遅い。
こっちから向かった。
彼女はぜはぜはと膝に手をついて、息を切らし。
汗だく。でも拭いてやるものが無い。
「ねぇ、にっけちゃん、一緒に、いれるの?」
途切れ途切れに、聞いて来る。
「まぁ、しばらくは」
私がうなずくと、飛びついて、抱きついて来た。
「うわッ!」
私はつい叫んだ。
牡丹の体中が熱を帯びているし、彼女の汗もべっちょりついた。
それ程までに、密着していた。
「良かったあ」
温もりを与えるまま、牡丹は言う。
「離れてくれない?体冷まして水飲まないと熱中症になるよ」
「ん―――」
不服そうとはいえ、牡丹はどうにか離れてくれた。
でも。
体がべたつく、汗めっちゃ移された。
汚いのだろう。
だけれども、牡丹のモノであるから別に不快感は無い。
不思議だった。
「……ところでココどこ?」
私を追って走るのに夢中だったみたいで、きょろきょろと、牡丹は不可思議そうにあたりを見回している。
迷ったのかよ。
まぁでも問題ない、道なら覚えてるから。
「……宿から出てきて、左に直進、それから右に三回、ゴミみたいな匂いがする家を左に曲がって直進、信号があるから渡ってそれからあとは直進100mちょいの本屋があるとこで右に曲がる」
「あ、覚えてるんだ、良かったぁ」
まぁ、このくらいなら覚えるのは軽い。
「このまま、帰る?」
私が聞くと、牡丹は首を振った。
汗が飛び散る。
「うわッ、ちょ、汗!汗!」
汗のをバックステップで回避しながら文句を言うと、ハンカチを取り出して拭きながら彼女は言った。
「晩御飯の前に、せっかくだからちょっとだけ寄り道しようよ」
「どこに?」
急にそんなこと言われても、準備をロクにしてない。
なけなしの小銭もさっき使ってわけで、桂木から貰った千円しか私は持ってない。
だから、場所によってはロクに遊べず終わる。
「買い物」
牡丹は体力がようやく戻って来たらしく笑って答えた。
「私、千円しか持ってないけど」
「だいじょぶだいじょぶ、待ってて!」
そして、本当にちょっとの間だけ待った。
人通りの少ない中、電柱によりかかって。
牡丹が何やら小奇麗な店……服屋か?に入って、出て来たのはすぐだった。
手になにかを持っている。
「ねぇコレ300円!凄くない?!こんなに綺麗なのに!!」
牡丹が高いテンションではしゃぐ。
……はしゃいでる時点で高いテンションじゃないか?つまり重複表現……まぁいいか、ダジャレみたいなものと思おう。
柔らかそうな黒い輪っかに、中に葉っぱみたいな模様が入ってるレジンがついてた。
この緑色は、アイビーだっけか?
「これ、なに?」
「ヘアゴム、にっけちゃんポニーテールだから使うかなって」
そういえば、言われて気づいた。
ヘアゴム使ったことない。
針金で留めるのが、いつの間にか当然のようになってしまっていた。
「ちょっとじっとしてて」
牡丹が私の後ろに回り込み、私の髪を優しくつかむ。
くすぐったいが、嫌じゃない。
「うん、似合う似合う、テレビのcmで見た時から気になってたんだ」
ヘアゴムをつけたらしい、私の視界から見えないからどうなっているのか正直よくわからないが。
牡丹から見れば似合うのだろう。
じゃあ、つけたままにしておくとするか。
そういや人からプレゼントを貰った事は久々な気がする。
桂木から千円を一応貰ったけど何というか、アレはセーフキリングに参加させようとしてる契約金みたいな感じがあるし。
いやまぁ、そんな事どうでもいいや。
それよりも、貰ったのだから。
「ありがとう、牡丹はなにか欲しいモノある?」
お返し、というのはしたい。
「……え?」
牡丹が、何か豆鉄砲を食らった鳩みたいになってる。
「ちょ、なに、変なこと私言った?!」
なにか、なにか最悪な発言をまたしてもしてしまったのか?
ソレは最悪だ。
土下座をするか?いや、こんな場所でされても逆に迷惑だろ。
焦っていると牡丹は答えた。
「いやぁ、にっけちゃんが名前呼んでくれるの珍しいなあって」
え、あ、そうだっけ?
彼女は眩しく笑う、私の心に光をおとす。
他の諸々が眩しすぎてどうでもよくなる程。
「それでさ、私が欲しいモノ……の話だけどさ」
牡丹は私の両肩に手を置いた、そのまま口づけをするかのようにゆっくりと顔を近づける。
今気づいたが牡丹は相当綺麗だった。
無垢で子供っぽい仕草や表情で気づきにくいだけで。繊細な顏をしている。
髪の艶も、きれいだ。
彼女の宇宙のように黒い、吸い込まれそうな瞳から、麻痺毒をくらったように目が離せない。
そして、唇が触れそうなほどの間合いで彼女は囁いた。
「にっけちゃん」
……え?
え?!??
困惑、ただソレだけが出てくる。
多分、周りから見たら相当間抜けな顏になっていると思う。
そんな私を尻目に、牡丹は元のちょうどいい距離に戻った。
「ウソウソ、本気に近い冗談だよ!」
それ冗談っていうのか?
心臓がバクバクと跳ねているのは自分でもわかった。
「それじゃ、帰ろっか!」
牡丹は、私の手を掴んだ。
どきり、と心臓が跳ね上がる。
とりあえず握り返した。
そのまま、牡丹は手を引っ張って歩き出して、そうやって帰り道を進む。
私はそれに、少しだけ後ろからついていく。
牡丹は曲がり角で立ち止まる、その度に私がどっちに行けばいいか話す時間が出来た。
そのせいだか、会話はずっと続いていた。
「にっけちゃんは、どんなご飯が好きなの?」
牡丹が、聞く。
彼女の声がする度、彼女以外目に入らなくなる。
「牛丼、あと炒飯、まぁぶっちゃけ嫌いなモノほぼ無いかもしれない」
率直に、正直に答える。
牡丹には身構えなくても良いと思えて。
「私は、イカの天日干し、前のお母さんが作ってくれたのが妙に印象に残っててさ」
「へぇ」
こんな他愛もない会話だった。
そんなのが、続いた。
大概の場合退屈になってしまうような話題ばっかりだった。
でも、きっと私は牡丹が嫌いじゃなくなっていたのだと思う。
友達、というヤツなのだろう。
……久々に友達が出来た気がする。以前は誰と仲が良かったのか思い出せないので多分相当久しぶりだ。
そもそも友達が出来た事はないのではないかという疑問が湧いたが、牡丹の存在を感じる方が大事だった。考えないでおく。
いつしか会話にも疲れて、口を閉じてただ二人並んで歩いているだけになっても。
胸に温もりがあった。
例えば幼児が公園でずっと遊んでいたがるような、なにも気にせず、浸りたく続けたくなる妙に懐かしいモノが確かに今、ここにあった。
だから、私はそれにどっぷりと浸かるのだ。
それが永遠で無く、すぐに霧に散ると知っている、だからこそ、それに。
これで、にっけ編は一旦一区切りです。
次からはせつな編となります(書き溜めとかなくなったから、しばらく時間は空くと思います)




