19話 一緒にいようよ!
憎悪を知ったのは、小学校2年生の時だった。
それを知るのが速いか遅いかは、わからないが。
多分早いと思う。
身体能力テストで、50m走をやって教室に戻ってきた瞬間だ。
もはや名前も顔もおぼろげな女子が、陸上に命を賭けてるような奴が言っていた。
大会で優勝したことだって何度もあるらしい。
天才として、テレビから取材が来てるのも見たことがある。
そんな彼女からの
「なんなんや、アイツ」という恨みがましい、その言葉を聞いた。
憎しみ、嫉妬。子供らしく感情をそのまま吐き出している素直な言葉。私に向けられたものだった。
なんでこんな事を思い出すかっていうと、今の私は夢を見てるからだ。
何度も見る夢だから、起きてる時には思い出しもしないのに、夢だってすぐに気づいてしまう夢。
小学2年生の私の過去を、今の私が教室の隅っこから眺める夢。
少しどうなるか気になった昔の私に跳び蹴りをかましてみた。すり抜けた。
「なんなんや、あいつ」
どき、と心臓が跳ねる。
だがそれが私に向けられた言葉で無いと思いだし、安堵&安堵。
私のタイムが陸上少女とほぼ同じだったことに対する不満の言葉が呟かれている。
多分独り言なんだろうけど、当時私の耳に入るレベルだから声量は大きかったのだろう。
当時は、べつにお前がクラス内で一位だからいいじゃんと思った。
ちなみに私は0.1秒差で2位だ。
まぁ、でも今ならわかる。
一生懸命努力してるからこそ、大した努力もしてない奴に食いつかれるだけでも悔しいのだ。
成長した人間ならそういう事もあると割り切れる。
奮起する者もいるだろう。
でも幼少の彼女の心には、耐えがたいモノがあったに違いない。
どうしようもなくどうしようもないどうにもならない出来事に。
「……」
無言で、髪が短い幼き私の目の前に立って、当時の私を陸上少女は睨みつけている。
「……なに?」
小さな私は聞いた。
陸上少女は小さな私の胸倉をつかむ。
何か手だししてみよっかな、となんとなく思うがやめた。
やめた理由は、どうせ夢だから。
なにしたって、無駄だ。
無駄という事は無意味だ。
そんな事、もうしたくない。
当時の私は、不可思議そうに陸上少女を見ていた。
……この後、どうなったっけ?
あぁ、大したことは無い。
そのまま、陸上少女が自分のやってることがオカシイとわかったのか手を離したんだ。
彼女は確か、泣いてたっけ。
急に場面が切り替わった。
夢の中らしく、自然と当たり前のように脈絡もなく。
無秩序だが、受け入れるしかない。
どうせ夢だし。
さて、今の私は綺麗な一室で、ソファに座っていた。
正面にはテレビがある。
よくあるカクカクとした普通の部屋。
テーブルや洋服だなといった当たり前の家具が小奇麗に設置されている。
隅っこにある大きめの本棚には色んな本が並んでいた。
昆虫図鑑や歴史書、漫画とジャンルは様々だ。
えーっと、たしか、なんかやることがあった、なんだったかな。
あぁ、思い出した。
本棚まで歩き、適当に一冊取る。
タイトルは、文字化けしていてよく読めない赤色の表紙。
ページをペラペラめくっても乱雑にテレビに映るノイズの塗りたくられてるだけでつまらない。
それでもコレを取ったのは、こうすれば夢が進んで目覚められるからだ。
なぜそれを知っているのか、という疑問があるものの記憶をたどっても答えは出ない。
きっと理由なんて無い。
突如さっきまで座ってた場所から
「パパ?」という声がした。
振り返ると、私がいた、小学二年生の私が父親の膝に乗っている。
「……私、クラスメイトに嫌われちゃった」
「その子に悪い事をしたのかい」
首を振るガキな、私の頭を親父が撫でる。
今と比べて随分穏やかだな。
その私が首を振る。
「わからないか、このままじゃ、いつかまた誰かを傷つける」
「どうすればいいの?」
「頑張るんだ、頑張って、誰も傷つけないための力と知識を身に着けるんだよ」
……そうそう、親父はこんなこと言ってたっけ。
吐き気がする。
自分に向けて、試しに本を投げつけてみたがすり抜けた。
やっぱり、無意味だった。
もう投げないぞ、本を雑に扱うのにちょっと罪悪感もあるし。
「頑張るって、何を?」
「色んな場所で、たくさんの事を、沢山学べばその分誰かを傷つけないためにどうすればいいかわかるから」
お前は叔父さんに騙されて借金背負ったけどな。へッ。。
自分が傷つかない方法を学ばなかったらダメだろーが。
まぁ、ともかく。それからだったか。
私が毎日多少の努力をするようになった。
毎日なにかしら本を読んだし、運動もした。
近所の公園や、川釣りや、色々なところに行った。
自分の行動で誰かが傷つくと理解してしまった私がいる。
誰もが誰もを傷つけうると知っている私がいる。
「早く、目覚めないかな」
呟く。
場面がいつの間にか切り替わっていた。
……アレ?こんなに夢続くっけ?
いや、どうだっけ?
「あ―――!」
うわ!?何!?
急に女の声がしたのでビビッて、そっちを向くと。
母親にあの頃の私が首を絞められ背中を壁に叩きつけられている。
格闘漫画さながらの迫力で、殺されそうだった。
被害者は小学6年生の頃の私。
つまり去年の光景だろう。
でも覚えてないぞコレ
「天才だったら!そんなに賢いんだったら!どうにかしてよ!ねぇ!?」
あぁ八つ当たりだ。完全に八つ当たりを受けている。
そういったことは当時日常になっていたが、ここまで酷いことされてたっけ?
とりあえず察するに、私が何か失言をしたのだろう。
思い出した。
なぜかこのシーンはいつも全身全霊で忘れるようにしてるんだ。
でも何で?
いや、そりゃまぁ母親に暴行されてるシーンとか見たいわけじゃないけど。
だからといってそこまで拒絶するほどの事か?
その疑問に応えるように
「がぁッ!」
去年の私が、目の前で母の喉に貫手を放った。
何も考えず、ただ自分が助かりたい一心で、敵を排除しようとしてやったソレは
奇麗に入り過ぎてしまった。
「「……あ」」過去と今の私の声が重なる。
ヤバい事をした、そういう気持ちが今と過去で一つになる。
母が、ガヒュガヒュと声をだしながら喉を抱えてうずくまる。
初めて本気の暴力を振るった相手は母親だったらしい。
「ごめんなさ――」
「何してる!」
謝ろうとしていた私に、母親の暴力をただ見ながら傍にいたらしい父親からの殴打が決まった。腹に拳がめり込んでいた。
「ごひゅ」
躊躇の無い打撃に腹を抱え前かがみになった、そんな私の顔面にケリがぶち込まれ、さらに腕を掴まれ一本背負いが決まる。
必要以上に綺麗に。
背中から叩きつけられ、そして立ち上がった私の肩が外れている。
右肩だった。
互いに喧嘩もロクにした事が無い人間、加減がわからなかっただけなのだろう。
父の表情に少し後悔が見え隠れする、気がする。
だけど当時の私は、父が本気で殺そうとしているかと思ったらしい。
過去の私は残った三肢でファイティングポーズを取っていた。
「はぁッ!はぁッ!」
息を切らして、父を睨む姿はどう見ても飢えた獣と同じ、理性の無い存在だ。
人には少しでも理性や優しさがあるべきであれば、そこにいる彼女を人と呼ぶべきではない。
突然の信じていた親からの攻撃、右肩の激痛、色んな事が積み重なってぐちゃぐちゃな気持ちで、ただ目の前にいる相手を敵と認識した姿。
「何を……」
理解出来ない父が訝しむ。
過去の私は、左腕で殴りかかった。
記憶が鮮明によみがえる。
初めて殺し合ったのは、父だったのだ。
そっか……よくわかった。 ――――ガツ。頭を私は壁にうちつけていた
私と家族の不破の決定的原因は、私だったんだ。
もう見たくない、私は視線を背中の壁へと逸らした。 ―――ガッ。鈍い音が響く。
いっつもこの夢は忘れるように努力してるわけが。 ―――ガッ。ちょっとずつそれは激しくなる。
いくら封じ込めようとしても、何度も浮かび上がってくる ――ゴキャ。夢は大概死ねば終わるから。
こんな記憶、今回も早く閉じ込めてしまおう。 ――ぐちゃ。皮膚が破け骨が露出する。
置いていこう。こんな記憶未来に持っていきたくない。 ――ゴキャ。頭蓋が砕けた。
だから早く起きないと。 ――ぐちゅ。 脳みそが弾けた。
自分が他人を傷つけてしまう性質を持つと知った、私がいた。
でも、いただけだ。
きっと、もういなくなる。
私は、死ぬのだろう。
私は床に倒れている。叩き潰れたゴキブリのように。
体中が生暖かい、血が一面に広がって景色を赤で染めていく。
あぁ。
意識が遠のいていく。
―――――――――――――――――
起きた。
いや、え?起きたよね?え?
ここは、現実、呼吸もしっかりしている。
リアルな夢で、本当に死んだかと思った。
汗びっちょり、きもちわる。
天井は、小奇麗ですぐ病室にいるとわかった。
目がぼやけるのは、寝起きだからか別の理由かハッキリとはわからない。
ただ涙がにじむことだけがたしかだ。
夢を忘れる努力をしようとした瞬間
「うなされてたよ?」
牡丹の声がした。
ベッドのすぐ横で、椅子に彼女は座っている。
薄茶色の大きいトートバッグを膝に載せている、空っぽの菓子袋等が中に見える。
起き上がろうとするとずきりと痛む、右肩が外れているのを忘れてた。
「動かない方が」
うるさい。
私は左手で肩を掴み、ぐいッと力を込めた。
バキン。
「すごッ!」
牡丹が驚く。
右肩は、はまってた。
そういえば耳鳴りもしない。
試合の後遺症は軽くすみそうだ。
覚悟していたとはいえ、一安心。
さて。
牡丹を見ると、私の右肩を不可思議そうにじろじろ見ていた。
そんな彼女に聞きたい事がある。
「私が入院する必要は?」
とりあえず、軽く聞く。本題では無い。
「無いと思うよ」
やっぱり、と思うが。
ちょっとだけ安心。
「昼倒れたのもただの疲労らしいしふぁあ」
眠いらしく牡丹は話しながらあくびをした。
「ふぁぁ、もう夜だねぇ」
あくびの言い訳をするかのように牡丹が言う。
……夜?
そんな時間に見舞い?
そういや菓子袋は空だ。……普通に考えればお腹が空いて食べたのだろう。
もしかして私が倒れてすぐここに来て、夜までずっとここにいた?
私がそんな光景をスムーズに想像できるのにびっくりだ。
「りんご剥こうか?」
訝しむ私の目の前で、牡丹はゴソゴソガサガサ。
トートバッグに手を突っ込み、ビニール袋を牡丹は取り出した。
その中にもやはり何か入っている。
さらにそこから彼女の右手へ鮮やかに赤いリンゴが転げ出る。
さらに果物ナイフを取り出す。
……ッ!
身構える。
彼女が本気で殺しに来たら、今の私に戦えるか?。
そんな心配をよそにリンゴを彼女は剥きだした。
拍子抜けした。
「待っててね」
ざくざくと皮が剥けて行く。一気に剥けない、ときどき迷うようにして手が止まる。
下手だ。絶対私がやった方が速い。
皮だけを剥ぎ取らず、身ごと削ぎ取ってしまっている。
「私がやろうか?」
「やだ、にっけちゃん怪我したし」
そんなに短く、強く、言われて、私は黙るしかない。
しょうがないので、彼女のナイフが力強く動き続けるのを見た。
そして、しばらくした。
多分数分程度。
でこぼこで、不格好。
そんなリンゴを、私に差し出してくる。
彼女は曇りなき真っ直ぐな目で、私の目を見つめる。
なんだか、怖くなって目をそらす。
あ。
そういえば、言わないといけないことがある。
質問とは関係ないけど。
「ごめん、わざと突き飛ばしたの」
彼女の目を見ていった。目を逸らさないようにしたから、どくどくと心臓が嫌に跳ねた。
「うん、いいよ」
即答。
完全なる即答。
軽い。
一言二言文句は言うだろうと思ってたので面くらいながら
リンゴを受け取って、食べると甘かった。
「……なんで突き飛ばしたか、とか聞かないの?」
「聞いて欲しい?ねぇねぇ聞いて欲しいの?」
牡丹は身を乗り出した。
……私は問いの答えに迷ってしまった。迷うから、誤魔化すように質問したくなった。
「答えを言った方がいいの?」
「どっちでもいいよ?」
またしても即答。
そういわれると、本当にどっちでもいい気がする。
なら、優先させたいことはべつにある。
聞かないといけない事じゃなくて、聞きたいことだけど。
「あー、あのさ」
言いだすのが怖くて。
うつむいて、口の中でもごもご言って。牡丹がいぶかしんでいる。
コレじゃダメだ。
ちゃんと言わなきゃ。
顏を上げて、口を開く。閉じないよう大きく。
「なんで、応援してくれたのさ?」
「え?なんでって?」
“なんでそんなこと聞くの?”的な態度で牡丹は視線を泳がした、それから私を見据えて不思議そうに言った。
「友達じゃん」
イマイチ納得いかないぞそれ。
「いつ友達になった?私が何をした?酷いことしか言ってないししてない、一緒にどっかへ遊びに行ったわけでもないそれが友達?」
何一つとして、牡丹にとって私がいい人である要素はない。
友達じゃない。
「え、私はもう友達だと思ってたんだけど……」
う――、と牡丹は唸った。
「……一緒にいてくれたし、他にもいろいろあったよね、それじゃダメ?」
そう言いつつも私の顔を見てうじじじ。と幼児のように爪を噛んだ。
でも、、それからパッと、顔を明るくした。
「じゃあ、今から友達になろうよ」
え?
なんだこいつ。なんなんだ。
私には理解が出来ず、ひたすら困惑が私を支配する。
「ね、ね、ね?いいでしょ?」
詰め寄ってきた。
距離を取りたかったが、寝過ぎた体は上手く動かなくて
つい目をそらすだけに留めてしまう。
ちくしょう、いい笑顔だなクソ。
「どうせ、すぐわかれることになる」
「……え?」
牡丹の笑顔がひきつった。
いやまぁ、目をそらしているので実際見たワケじゃないけどそんな気がした。
「私はクビにならなきゃ駄目、つまり徳宮テクノロジーの選手を止めなきゃいけない」
「……なんで?」
「私が良い結果を得たのは、偶然」
「私は個人の理由で徳宮テクノロジーっていう世界を”捨てようとした”、何の責任も取らずにはいられない」
「よくわかんないけど、結果はよかったんでしょ?ソレで良いよ!」
碌な説明をしてないから、牡丹はよくわかってない。
「今回は確かによかった、だけどまた世界のために個人を捨てないことが起きたら?その次は?そういう奴は世界にいちゃいけない、自分から捨てたんだから責任は取らなきゃ」
自分でもつらつら言葉が出てくる。
なぜこんなことを牡丹に話しているのだろう?必要ないのに?
なのに、口が止まらない。
黙ろうという選択が良いモノだと思えない。
「でも、にっけちゃんがいないと徳宮テクノロジーは選手がいなくて困るよね?」
それは言われると思った。でも問題ない。
「選手なら私が探すよ、全力で」
借金問題を解決しようと思って色んな事や体験談を調べたことはある。
その時、何人か似たような境遇の奴に出会った。
そいつらの誰かを説得すればどうにかなるだろう。
「もう行っちゃうんだ、そしたら私と会うことも無いんだ……」
牡丹はぶつくさ言って、それからしばらく壁の時計の針音だけが続いた。
納得したのだろうか?
ゆっくり視線を戻すと、牡丹はうつむていた。
それをボンヤリ見てると、彼女のあたりの床がなんだか濡れている。
泣いてる?泣いてるんだ。牡丹が。
泣く必要、無いだろ。
会って、たった何日かしかない。
ロクに話してもいない。
なのに、別れを泣く必要があるのか?いや、無いだろ。
「やだ!いっちゃやだ!」
ガキみたいに喚きながら、牡丹が私のベッドに飛び乗って、私に馬乗りになった。
「……ッ!この!」
風火に攻撃を受けた時の様に反撃しそうになって、肘を背に振り下ろそうになった。でも躊躇した。
牡丹に攻撃する様子は無い。
だから、私は拳に力を込める。
殴るためじゃない。
殴りそうになるのを抑えつけるために。
「反省してるんだったら、もうしなければいいじゃん‼」
私の顔を涙で濡らしながら。牡丹は叫ぶ。
腹の上で動かれるから、重くて痛い。
向こうだけのテンションがあがって、むしろこっちは冷静になっているから。
苦痛が鮮烈だ。
「一緒にいようよ!」
それは出来ない。
「でも、私は――ぐぇ」
言葉が続かなかった。
牡丹が、私に抱きつくよう押し倒したからだ。
「牡丹――?」
なんだ、なんなのさ?
そういうのは恋人とか両親にやりなよ。
と言う空気じゃない。
「血の繋がってる方のお母さんもお父さんも霞ちゃんも、私の好きな人は皆いなくなる」
……あ。
そういえば、そうだった。
この前、牡丹は両親の死を気にしてないのかと思った。
知り合いだったらしい不動霞がいなくなったことも。
でも、泣いている。
違った。
そう振舞っているだけだった。
何のために?
彼女自身のため?
いや、違う。
牡丹は私の腹あたりに顔を埋めて顔を隠す。
声も殺している。
泣き顔を見られるのが恥ずかしいのだろうか、いや、だとするなら彼女は感情を表に出し過ぎる。
私のためだ。
おそらくは、自分が泣けば他人を不愉快にさせると思っているから。
ふと気づく。
私の拒絶はやけに中途半端だった。
やろうと思えば、もっと良い方法が使えると知っていながら。
もしかして私はに引き留めてほしかったのか?
なぜ?
「ねぇ、にっけちゃん、私はにっけちゃんが好きだよ」
名前を呼ばれた途端、ぞわぞわと嫌悪感が体中を這いずる。
彼女が、真っ直ぐ私を見つめてくる。
「霞ちゃんも好きだった、お母さんもお父さんも好きだった、それで、にっけちゃんも好き」
あぁ、そうか。
彼女は私と不動霞を比べた事が一度も無かったのか。
ただただ、彼女は私が不動霞の代わりであるという事を意識しない。
あくまでこの世界に存在する、人物一人一人として見ている。
彼女は澄んだ目で、私が嫌いな私をうつす。
そこに不動霞はいない。
風火とも、徳宮テクノロジーの人達とも、女将とも、まるで違う彼女の目。
彼女への感情のほとんどが、そこから来るものだと今さら気が付く。
そうかわかった、私は馬鹿で愚かだ。
孤独に、あるべき人間と頭でわかっていても、そうでなかった頃の記憶が邪魔をする。
かといって、他者を当たり前に受け入れる程の楽観もない。
人との繋がりが結局のところ苦痛を伴うおぞましいモノだと知っていて。
私は孤独も愛も、受け入れられない。
そんな中途半端な性質だから、どっちかが要らないと思えるまでの時間が長くてもがく。
だからなのだろうか。
多分遠回しに引き留めて貰おうとしたのか、私は?
いや馬鹿だ大してつながりもない無い人間に対してそんなことして、私は鬱陶しい構ってちゃんか。
色々馬鹿やっといたうえで。
そんな自分が嫌になる。
寂しがりやか。
でも。
それでも牡丹は私に、ココにいてくれと言うのならば。それを望むのなら。
そして、私にそれを叶える力があるのならば。
「……わかった」
自分でも驚くほど、ガキ臭い声が出た。
デパートで玩具買ってと言ったら置いてけぼりにされて泣き喚く駄々っ子が。母に迎えに来て貰って文句を言いながらぐずるように。
「出来る限り、ううん、出来る限りよりも、私はずっとここにいる、がんばるから、それでいいかな」
根拠のない約束である。
が、守る。
牡丹のために、ここに残りたいと切に願う。
でも。
「そろそろ離してくんない?」
今は距離を置きたかった。
かなり力を込めて抱きしめられているのがキツイ。
彼女の指がどんな形かはっきりわかるくらい強くだ。
牡丹の体は大体のところが柔らかいが、ここまでの力だとちょっと痛い。
あったかいのはいいけど。流石に汗も出てきた。
牡丹の返答は穏やかな吐息。
というか、寝息だ。
「寝てる?」
夜だと牡丹が言ってた。
おそらくは、私達くらいの子供がもう寝るべき時間なのだろう。
私といえば久々に全く眠くない。
さっきまでグッスリ寝てたんだから当然だが。
だが私は既にメチャクチャに寝ている。
既に脳は覚醒しきっていて、いまならフェルマーの最終定理でも解けそうだ。
……”そう”なだけで、実際やったら無理だ。
流石に寝続けるのは健康に悪いので牡丹を起こさぬよう、拘束をほどき。
ベッドから這い出る。
上手く出来た私は凄い。
……で、どこを歩く。
トイレに行きたいワケでも無い。
とりあえずドアをそっと開けて、後ろ手でやはりそっとしめて、廊下に出た。
ふと気づく。
窓があった。
そこまで歩いて、ガラガラと窓を静かに開ける。
夏らしくどこか焦げたような匂いが鼻についた。
ソレと、熱気がぶわっと入ってきた。
いつの間にか完全な夏になったようで、夜までもが熱い。
だけど、体の芯だけが冷えていた。
汗をかいていたみたいだ。
中はひんやり、表面はアツアツ。
調理にしっぱいしたコロッケみたいだと思いながらわびしい解放感に浸る。
見たいものがあるから、顏だけ出して、空を見上げると。
真っ暗な中に一つだけ、光り輝くソレがあった。
部屋が明るかったのはやっぱり月のせいだ。
しかも満月。
それで世界中に光が満ちていたらしい。
月が静かにたたずんでいた。




