一話 「なんなんだ!」
空が暗い。
夏の空気が冷たい。
だというに私は何をしているのだろうか。
電柱の影から馬鹿を見て笑うという、後ろぐらい行いをしていた。
自分で自分を最悪だと思う。
「……や――い、しね――」
ボソボソと暴言を吐く私と対照的に”彼”はガンガンガンと耳障りな音をたてて、深夜で近所迷惑だというのに。
「オラ!出てこい!オラ!いるんだろ!返すモノ返さんかいコラ!」
なんて大騒ぎしている面白い男がいるのである。
笑わずどうする。
チンピラがアパートのドアをガンガン蹴って騒いでいるのだ。たぶん十分くらい続いてる。
流石にあのぼろいドアは、そろそろぶっ壊れて開くと思う。
金融業者の人が”違法取り立て”をしにきたのである。
まぁ、大したことではない、もはや普段の事だ。
そんなことより、彼は出世できないだろうなぁ。
きっと一生下っ端だ。
肝心なことに気づけ無い彼が出世できるものか。
彼の蹴ってるその部屋の中には誰もいないのだ。
誰もいない部屋に「オラ出てこい!」なんて言っているのだ。
滑稽。間抜け。あほくさい。
あんまり長くうるさくしてると、警察を呼ばれてパクられるリスクもあるってのに。
きっと頭がよくないのだろう。
「……ふ」
やはり小声でのたまう。
私の中に優越感が溢れた。
私は彼を出し抜いているのである。
そう、私はあの部屋の住人なのだ。
ちなみに、あんなチンピラが来る原因は親父だ。私の親父が叔父の連帯保証人になってこうなってるわけだ。
正直うける。笑える。笑うしかない。楽しくなってきた。
ま、現実逃避してるだけなんだけどさ。
いつの間にか私はため息をついていた。
深夜零時だってのに、親父も母も帰って来てないし。
クソ、なんだあいつ等。クソ。
眠い中チンピラが突如どんどんドアを叩いて来たから、ビビッて保険証とかの貴重品を取られないよう取って、窓から逃げ出した私はかなり不幸だと思う。
今は初夏で夜はまだ寒い、私の健康な肉体が風邪を引くことは無いがきついもんはきつい。
急に鋭い痛みが来た。
電柱に爪をいつの間にか突き立てていたのが滑って、変に削れたようだ。
目視でハッキリわかる程の怪我ではないが、それゆえにじんじんとした痛みがより不愉快だ。
「はぁ」
ため息が零れ出てしまった。
なんで私はここにいるんだ。
情けないような、虚しいような、孤独なような、切ないような、とにかく暗い感情が空から降ってきて私に纏わりつくよう。
いや‼‼落ち着け‼‼こういう時は明るく、だ‼‼
……必死で払いのけても感情の雨はどんどん降って来るようだ。普通につらい。
「……オラッ!」
チンピラが叫んだ。バキャという破壊音が共になる。
あ。
どうやら、チンピラはドアをぶち破ったようだ。部屋の中にずかずか入っていく。
家のドアを蹴るチンピラは昔から結構多いけど、住居に侵入までしちゃう奴はほぼいなかったそうだ。
最近の日本は治安が悪くなっているみたいで困る。
さて、外からでは彼の姿が見えなくなった。
「どこだ!ココか!鍵なんかかけやがってテメェ‼」
台詞から察するにトイレの鍵がかかってるのを、中に誰かいるのだと勘違いしてるみたいだ。
ガンガンとドアを蹴る音が聞こえる。
叩き起こされたことへの嫌がらせで、私の髪を留めてポニーテールたらしめている三本の針金で外から鍵をかけただけなのに。
あはは、引っかかってやんの―――!ばーか!あほ!死ね!私がピッキングすら出来ちゃう天才という洗礼を受けたな!
警察にも“暴れ回ってる男がいる”って通報して呼んでるッ!もーちょいで来るだろうから逮捕されて坊主にされて刑務作業してこい!そして前科モンになるんだ!覚悟してろ死ね!「あの、其処の君」私をこんな夜中に叩き起こした罰を受けろ!あんたは大人なのに女子中学生に完全敗北したという過去を永遠にしょい込み続けろ!
やーいバーカ……
「そこの君!」
「うわッ!」
借金取りを馬鹿にすることで無理矢理心を温めていた私は、近くで大きな声がしたことに驚きながら、振り向く。
いつの間にやら私の真後ろに人がいた。
男だった。
顔は生真面目そう、ガタイはそこそこいい。
身長は150㎝の私と比べだいぶ高い、180くらいだと思う。
とにかく油断は出来ない。
私はまぁ強いから、同年代の女子に殴り合いの喧嘩で負けた事は無いけど、流石に成人男性と一悶着起こすのはあんまり気兼ねしない。
殴り合いになったら、もし勝てても大怪我する、そんな気がする。
たぶんその感覚は正しい。
勝算の薄い戦いに挑むは、どうしようもない時の最後の手段だ。
しかしまずい。
彼が悪い人だったら、私のような一般人は簡単に誘拐されかねない。
そして”臓器売ってでも金返せ!そうしないと娘の命はない”なんて私の両親に言うこともできる。
まぁそんなこと言っても、娘のピンチに帰って来てない家族は金なんて作らないだろうけど。
……今、そんなことネガティブ妄想で落ち込んでる場合じゃない。
ちゃんと現実を見て、目の前の高身長男をどうするか考えないと。
「いやはや、呼びかけたんだけど無視ですか、寂しいです」
男は私に優しく話しかける。
「私に何か用ですか?」
ぶっちゃけビビりながらも敬語で平静を装う。
そうしながら髪留め代わりの針金を取るか考えた。
今の私が武器として使えるのはコレだ。
目を突き刺すくらいには使えるからいつも持ってる。
……逆に言うとそのくらいにしか使えない。
この場で戦闘になったらステゴロの方がマシな気がする。
「あのですね、僕は糸川にっけさんを探してここに来たんです、たしか君と同じくポニーテールの子と聞いていましたが……」
その変な名前はどう聞いても私の名前だ。
どうやら私を探してるみたいだ。
だが目の前にいるソレが探し人とは気づいていないらしい。
ラッキーなのだろう。たぶん。
「そうなんですか」
私は”糸川にっけは”私です!なんて言わないようにして話をあわせた。
この人がここに来たのは、私にとって不利益な目的を持ってのことかもしれないから。
まだ彼を見極める時間は要る。
「……あの家がにっけさんのお宅ですよね?」
「えぇ、そうです」
一応本当のことを言っておく、無駄なウソをつくのは自分の立場や印象を悪くするだけだ。
こういう言い方なら後で文句を言われた時どうとでもいいわけがつく、でもウソはウソにしかならない。
そして男の反応は、予想もしてなかったものだった。
「では助けてきますか」
といって、ズンズンと歩き出した。
……え? 助ける?何のために?
私が聞こうか迷ってるうちに
男は、家の中に入っていった。
それからしばらくして外からじゃ見えないが、声は聞こえてきた。それでどんな状況かだいたいわかる。
「おい!なんだテメェ」チンピラは頭に血が上り切っているらしい。
「いえ、すみませんがこの家に用があるのです、どいてくれませんか?」
男は冷静沈着なようだ。
「……ぶっ殺すぞ!」
「ちょっとやめてください!」
ゴッ。という鈍い音がした。血の気ありまくりなチンピラが男を殴ったのだろう。
ゴッ。バキ。ドガ。ガンガン。そんなバトルの音が響いてきた。
喧嘩してる。
たぶんボコられてんだろうな、さっきの人はチンピラに。
ちょっとかわいそうにも思うが、何か出来るワケでも無いし時間の経過を待った。
そしてようやくぷーぺーぽーぺーと警察の車がやってきた。
パトカーだ、私が呼んだ。
「ここか現場は!」パトカーから数人の警察が出てきて、ゴチャゴチャバッタンギャーギャと騒ぎになっている家を見るなり、突入していった。
「おい!お前!なんてことをするんだ!逮捕するぞ!」
ココからじゃ様子が見えないが中でてんやわんやの大騒ぎみたいだ、暴力をふるってたチンピラがとっつかまってるのだろう。
「こら!暴れるな!言い訳なんてするな!」
おーおー、みっともなく足掻いているんだろうなぁ。
「まったく!」
そして警察の人達に連れられて、住居侵入と暴行の現行犯として出てきたのは。
チンピラじゃなくて私を助けに来たなんて言ってた男だ。
……え?!
何で?!
「違うんですよ!僕はただ悪い男がいるからそれを倒しただけでむしろヒーロ―的な……」
男は必死で言い訳をする。
「言い訳は署でしてもらう」
かわいそうに、男の拳には返り血が思いっきりついていた。
殴りかかって来たチンピラを返り討ちにしたのだろう。
そしてソレを見た警察が誰が暴れてたのかを誤解したんだ。
「あ――あ、ご愁傷様」
そんな乾いた感想をつい呟いた。
でも、コレはちょっとあれだ。
あの人は理由はわからないけど”私を助けに来た”人で、そして実際チンピラと戦ってくれたわけである。
だというのに、今私が警察を呼んだせいで困っている。
このままならあの人、人助けをしに来て捕まってしまうわけだ。
……そんなこと私は頼んだわけじゃないし、返り血から察するにわりと一方的にチンピラをボコボコにしたのだろう。
でも、やっぱりあの人が私を助けようとしてくれたのは事実だ。
……
このまま何もせず事が進んだら胸糞悪いのではないか?
と思えば、やるべきことは決まった。
とはいえやっぱりこの場に飛び出るリスクを考えてしまって私が
「ちょっと待ったぁ‼」
と男の人を連れていかんとする警察の前に飛び出るのは。
彼がパトカーに載せられる直前となった。
「その人はちがいます!この人は暴れてる男を取り押さえただけです!家の中に倒れてるチンピラがいたでしょ?その人が暴れてたんです!」
私はどうやら自分で思っているより慌てていたようで、がなりたててしまう。
警察の人が全員コッチを見ていて、なんとなく気まずくて逃げたくなった。
でも流石にその程度の苦痛は、踏みとどまれた。
「……!そうそう!」
男の人が、涙ながらに賛成する。
そしてまた、予想してないことを言った。
「僕はですね!この家に住んでるにっけちゃんっていう子をスカウトしに来たんです!」
え?スカウト?
「セーフキリングの選手として大会飛び入り参加してもらいにきたんです!」
”セーフキリング”。
その一単語は私を困惑させた。
たぶんつづりはsafe killing 、意味は安全な殺しだろう。
なにさ、その、穏やかに始まって物騒に終わるその響は。
……だいたいそれは何?選手って事は何かの競技?
警察の人も困惑している。
でもそれは“何それ?”という反応ではない。
「この家に住んでいる子はそんなに凄い娘なのか?」とか
「なに?セーフキリングの関係者か?それは失礼した」とか
そういった感じの事を言ってる。
何やら大層な競技のようだ、でもなんで私をスカウトしに?
たしかに私のスペックは高い。
それにそこら辺の汚い雑草や虫を食べて腹を下すことが無いサバイバーさとか。
あと二回転バク宙も出来るし、ちょっとだけピアノも弾ける。
……私の良いところをあげつづけたらキリがないのでやめる。
まぁだからって、名声がどこぞに轟いてわざわざスカウトしに来る奴がいる事は無い。
部活に入ったりして、世界に私の実力を披露したことはない。
だからそもそも知られてない。
まさか私が、そんなことない。
そんな事迷っていたら。
警察の人から解放してもって、自由になった体を伸ばしたりして楽しむ男のあたりでドサリ、ドサリ、と音がした。彼の懐からモノが落ちたのだ。
「……え」
私は、ただただそれを見て驚いた。
それはいくつかの札束だ。
間違いなく札束だ。
借金まみれの生活を送る人間にとっては夢のようなものだ。
現実感の無いその量を見て私は一つの束を素早く手に取った。
見た目よりも重い。
束から一枚取り出して、スカシを見るとちゃんと入っていた。
偽札なんかでもない。
寒気がした。
なんなんだ、この男の人。
何かの競技でいい成績を残してるワケでも無い私をスカウトしに来て、こんな金まで持っていて。
それに、さっきのチンピラは結構血の気が多そうだったし普段から喧嘩慣れしてるだろう、それが相当暴れただろう。
……だというのに無傷で制圧?そんなこと出来る一般男性はたぶんほぼいない。
じゃあこの人は“一般”男性じゃないのか?
私は男の人の顔を見た。
何処から見ても一般男性。
だというのに、怖い。ハッキリ言ってさっきのチンピラより怖い。
敵か味方か正体がわからない。
男が、ヘタレて動けずにいる私を見てふと思ったらしい。
「もしかして、君が糸川にっけさん?」
「ッ!」
名前を呼ばれ反射的に身構える。
そうした瞬間、ヤバイと思った。
この反応は、彼に“はい、私は糸川にっけです”と言うようなものじゃないか。
「やっぱり、そうですか」
男が、微笑む。
わからない。彼がなんなのか。
表情の意図がわからず、ただただ、不気味に見えた。
……私は、持った札束をポトリと落として、後ずさって。
男はその金をとった。
「君の、モノですよ」
それから私の手に、握らせる。―――は? え? は? え?
「……なんなんだ!」
私は叫んでいた。
何一つとして、状況がわからなかった。