第13話「拳がッ!」
やばい。やばい。やばい。
体中が焦ってる。
汗は噴きだし、息は荒い。
風火は本気だ。
本気で殺りに来てる。
殺されかける体験なんて、たまにしかない。
だから、冷静になりきれない。
クソ、変な奴だとは思ってたけど、想像上以上だこいつ。
くそ、苦しい。
私は首を絞める手を引っぺがそうと、掴んだ。
でも引っぺがせない。
風火と私を比べればこっちの方が筋力量は上なのに。
風火の脳のリミッターがハズレでもしてるのか。
いや違う、寝起きだから私の力がイマイチでない。
視界が、明滅する。
ホントにヤバイ。
このままじゃ死ぬ。
……それも、いいのかもしれない?
このまま死ねば、諸々が楽になるかとも思う。
いや。
コイツには嫌だ。
こんな奴に殺されるのは、ただただ。ムカつく。
ただ一つのその願いを元に体中が力を発揮する。
恐怖が、消える。そこに憤怒が置き換わる。
風火、私を殺すのか。
ふざけんな。
ざけんな。
やめやがれ。
しね くたばれ しね しね くたばれ
ブッ☆◇%―‼‼
単純でそれゆえ強い感情が、爆発した。
自分でも聞き取れないほどに、理性の無い言葉が頭の中でぐわんぐわんと響く。
「がぁぁあああ―――‼‼」
獣の様に私が叫び、首から上を跳ね上げて頭突きした。
額と額がかちあう。
ごきゃ。
クリーンヒット骨の中を震動ががけ巡る感覚が来た。
熱くてぬるっとした感触もした、多分どっちかが血を吹き出したのだろう。
でも、私の首元から彼女のしなやかなに見えて案外武骨な指は離れない。
一瞬、視界がぐるりと回る。
反動でダメージが来た。
だがつまり。向こうにも今の一撃は効いている。
拘束は少し、弱くなっている。
勝機はある。
「このッ!」
今度は左手で風火の目を覆い。握りしめるように引っかきながら右手で掌底をぶち込む。
一瞬怯んだ、今だ。
死ね!という心意気で側頭部から殴りつけた。
またしても上手く入ったようで、私の上から彼女は転がり落ちる。
「……なんだ!いったい!」
立ち上がって彼女に聞く。
いったいなぜ私を殺そうとしたのか。
倒れた彼女を踏み付けようとしたが、彼女は転がって避け、立ち上がり、何も答えず構えた。
ボクシングやムエタイと違い、手を低く位置した控え目な姿勢。
胸と頭のガードががら空きだけど、威圧感がある。
まるで攻撃を誘っているかの様。
その姿は静かで、重苦しい。
戦いの意思は明らか。
何も答えるつもりが無いとも明らか。
……戦うしかないか、ならばまずは観察だ。
構えは、あまり見ないタイプ。打撃系とは違う。
攻撃を誘ってカウンター狙い?
そう思った瞬間、風火が私の懐へ飛び込んできた。
風火は、非常に真っすぐで迷いが無かった。
非常に正面からの争いに自信があるらしい。
という事で接触を避けるため下がると、風火の手が空を切る。
殴打しようとしていたんじゃない。
掴もうとしていた。
あぶなかった。
グラップラーなのか?
じゃあ、投げ技や極め技を使うのは止めといた方がいい。
風火が投極を攻撃に使えるなら、それの防御もある程度熟達してると考えるのが無難だろう。
専門家でない私が相手の土俵に上がって戦うのは不利。
打撃を主軸に攻めるか。
風火がまた飛び込んできた。
さっきよりも速い、反撃するのは危険だ。
私は風火の迫りくる拳を払いながら素早く後ろに下がる。
どか。
「こふっ」
やべっ、急に背中が痛くなって咳が出た。
背中が壁に当たったらしい。
マズイ。
風火を見る。
そしてまたしても風火が私に飛び込んでくる、ことは無かった。
正確に言うと床を強く蹴って跳びはしたのだが、その移動を右脚で無理やり止め、いきなりこちらに背中を向けている。
一瞬何してる?と思ったが、すぐ理解した。
だから私は姿勢を低くし、彼女の右脚へ見てタックルした。
頭上を風火の脚がかすったらしく熱くなる。
右脚を軸にして相手の頭部を狙う後ろ回し蹴りだ。
投げ技をメインに使うと見せかけてから、あえての打撃。
まともに食らえばヤバかった。
どこぞに蹴りをぶつけたらしく重たい音がしてる。
だが、私は避けた。
そんな大技、隙だらけ。
残念でした、私の勝ちだ。
そして風火の右脚――軸足を抱え込んで。
「うおらッ!」
私は脚で、踏ん張る。そして勢いのまま持ち上げ、転がした。
「がッ!」
背中から落ちたらしい風火が声をあげる。
今がコイツを倒すのに絶好の好機。
そう思うと、体が熱い。
興奮がせり上がっていた。
もう私は止まれなかった。
相手を倒す事しか考えていなかった。
――なぜ、いきなり下手糞な回し蹴りを彼女がしたのか、少し考えればわかりそうなものを――
このまま脚関節を極めれば勝利だ、そう思ったが止めた。
打撃の方が得意だし。
というわけで私は風火に馬乗りになる。
風火が私の下でもがく。脱出しようともがく。
一撃、大人しくしろというかのように全力で顔を殴りつけた。
だがあまりダメージは入っていないらしく風火はまだ動く。
ダメだ、まだ駄目だ。もっと殴らないと。
殺しに来た相手なんだ、ちょっとやった程度で戦いを止めるもんか。
全力で風火の顔面を殴りつける。
右、左、右、右でフェイントして左。
ちょくちょく掠っただけだったり。床を殴りつけてしまったりしてしまっている。
風火が首を左右に大きく振るから意外とクリティカルヒットが難しい。
くそ。
攻撃しながら考える。
えっとどうする?
相手を止めりゃいいわけだから……首でも絞めればいいのか?
いや、そんな事をされた人間がどうなるかみんな知ってる、ソレをしたら死に物狂いの抵抗が来るだろう。
もっと、抵抗する気も起きない蹂躙が必要だ。
「貴方は」
風火が、何かを言い出す。
「あ?」
「生命の胚種を、知っていらっしゃる?」
脈絡もなく風火がそんな事を言いだすので、手を止めつい聞いてしまう。
「不動様の後をいつも尾けていたのですがその時たまたま聞いた言葉ですわ」
何言ってんだこいつ。
ナチュラルにストーカー歴を語っている。
……それより気になるのは、今なぜそんな言葉を吐くのか?ということだ。
気になって、拳を振りかぶったまま止めてしまった。
「生き物がどこから生まれて来るかわからない時代に、生命の胚種っていう不思議なモノから生まれてくるとか言ってる時代もあった」
「その通り、よく知っていらっしゃりますわね」
「で、それがどうしたって?」
「不動様のもとへ、悪い大人がやって来たことがありますわ」
「それで?」
「大人達は生命の胚種のことを話し、不動様はソレに怒りました」
「……」
「フフッ、もっと詳細に聞きたいですか?気になるのですか?」
鼻で風火が笑う。
気になるのは事実だから、しょうがない。
「教えません、わたくしは貴方が嫌いですもの」
「そんな気は、した」
「とにかく不動様は正義ですわ、そしてあなたがそこにいる事は彼女への冒涜」
返答は、結局のところ私への敵意だった。
生命の胚種だーとか、不動霞と話していた大人だとかは気になる。
ちょっと真相が知りたい。
でもまぁ、聞いても答えてくれないだろうし無駄なワケだ。
気になるけど。
そもそも全部が私を困惑させる嘘の可能性すらある。
わざと牛丼台無しにするクズなんだ。
食べ物に対して敬意が払えない奴だ、くそ牛丼思い出したら腹立ってきた。
だから、まともに話聞くのが無駄に思えた。
とにかく。
こいつは狂人。
ゴチャゴチャ言うけど、それに飲み込まれたら駄目だ。
そう考えよう。
これ以上気になる話をされても鬱陶しい。
もう片付けよう。
拘束する方法はもう思いついてる。
左手で風火の前髪付け根あたりを鷲掴みにした、風火が苦悶の表情を浮かべるのを見て、これが効果的な証拠だと満足。
そのまま右手で連続殴打する。
バキッ。ドカッ。バキッ。ゴッ。
結構、良い音が鳴る。
さっきよりは狙い通りに殴れる、良かった。
だから、もっともっと殴るんだ。
この体勢では威力が出し切れない、だから数を重ねる。
ちょっとずつ私の拳速が落ちていくが、風火のダメージが蓄積していく。
もっと。
もっともっと。
殴る。
ひたすら。
殴る。
突然。襖が開いた。
電気が、パチリとつく。
そっちを向くと、牡丹がいた。
「……にっけちゃん?」
なんで、ここに来たんだ?寝てただろ?
彼女が来たことで我に返った。
興奮も、恐怖も、引っ込んだ。
そして自分が、恐ろしいことをしてる、そう気づく。
牡丹から見た私は風火にマウントをとって、髪の毛を掴んで殴りつけている。
その姿だけ見たら、私がどのような人物に思えるか。
「うわッ!なにこれ!?」
壁に開いた穴。多分後ろ回し蹴りの時出来たヤツを見て、牡丹が素っ頓狂な声をあげる。
もしかして、ソレが開いた時の爆音で目覚めて確認しに来たのかもしれない。
なんで、なんでそんなのにビビるのに来ちゃったんだ。
やばい誤解される。
やばい やばい。殴っていた手も止まる。
しかも牡丹は私と関係性が最悪、私が悪者であるとすんなり思えるだろう。
心臓がどくどく鳴っていた。
焦る中、牡丹の後ろから女将まで出てくる。
私の姿を見て目を見開く、殺人現場でも見たかのように。
「こっ、こいつが……!」
違う。私は正当防衛だ、立ち上がってそう言おうとした。
だが。
「その手……?」
牡丹が聞いた。
え?手がどうかしたのか?手―――?
私は自分の手を見た。
「うッお、うわぁッ!こ」
拳がっ、血まみれだった。
赤色が滴っている。
床や風火の額を殴ったせいで出血したせいでもある。
でもそれ以上に、返り血が贅沢にこべりついていたことが原因だ。
「どうして、どうしてこんな……ッ!?」
風火が泣きだした。
まるで一方的被害者かのように私に叫ぶ。
彼女は鼻血を出しているし、顔のところどころが腫れあがっていた。
ずっと暗かったせいで、ここまでケガさせたことは気が付かなかった。
過剰防衛になる可能性がある、ここまでやったら。
私が完璧な悪者だ。
……ん?
ふと気づく。
まさか、こいつはコレを狙ってた?
マウントを私がとってから抵抗が薄いだとか、妙に隙が大きかった後ろ回し蹴りだとか
そんなのは私に過剰に攻撃させ、私を悪者にする罠。
そんなこと言っても、誰も信じてくれないだろうけど。
「にっけちゃん?」
牡丹が私の名前を呼ぶ。
それはどういう意図があるのかわからないが、恐怖心が混じっていることだけはわかった。
「私は―――」
弁明しようとして言葉に詰まった。
女将も、牡丹も、私への恐怖心が見て取れる。
飢えた獣を見た時のような目をしていた。
何を言っても、無駄。
そんな気がして。
後ずさると、脚がつっかえて尻餅をついた。
嘲るようにゴミ箱が高く舞い上がる。
コイツのせいで転んだっぽい。
馬鹿にするかのように、中に入っていたガムを包んだティッシュが私の頭に落ちてきた。
べっちょりとガムが髪の毛についた。
「大丈夫?」
牡丹が私に肩を貸そうとした、それが急激なものだったから
「ッ!」
突き飛ばしてしまった。
「にっけちゃ……」
牡丹が言葉に詰まり、目を見開く。
「”さっき”の、わざとなの?」
”さっき”。その“さっき”はいつのものか。
私は、すぐに、わかった。
視線が痛い。
風火を、睨み付ける。
彼女は、顔を両手で押さえて泣き続けていた。
さも被害者の如く。
あまりの高レベルな演技に、殺意が湧いた。
だけどソレをどこにもぶつけられない。
この状況では、ソレが何の解決にもならないと知っている。
ただ、もうこの状況は最悪であった。
ただひたすら、私の周りで事態が悪化していく。
どうにかしなきゃ、そう思って焦る度に。
泥沼みたいな場所に、引きずり込まれる。