003 一筆啓上夜露死苦
ヤズーは俺の顔を伺っている。ガンを飛ばすとかメンチを切るとかいう表現の方がしっくりくる程度に凄まじい威圧感だが、無抵抗の意志を示すためにも必死で目を合わせる。ぶおんっと風を切り、大槍が俺の喉に突きつけられる。
「で、お前は何なんだよ」
恐らくこれが最後の問答の機会だろう。返答を間違えるわけにはいかない。
「俺はいわゆる記憶喪失なんだ。覚えているのは竜王に、邪竜を倒せという使命をもらったことだけだ。ここがどこだかわからないし、騎士とか冒険者もわからない。通行料もわからないし、銀貨が銅貨何枚分かも知らなかった」
「竜王……」
ヤズーは穂先を微動だにさせずに俺の話を聞き、何かを吟味している。
正直竜王がこの世界でどんな存在なのかわからないし、神様的存在から夢のお告げをもらうようなことが日常あるのかもわからない。もしかすればこれで俺の命も終わるかもしれなかった。
だが、ヤズーという男は見かけや言動の割にちゃんと物事を見極められるヒトだと思う。そう思うしかない。お願い許して!
「記憶がない、か。その割にはよく俺の槍を躱せていたな」
「それは身体のおかげだ。この身体は竜王にもらった……そう、加護を、もらったんだ。俺自身は戦いなんてしたことがない。記憶がない」
「なるほどな、速さも力もあるのに、動きが素人くさいのはそういうことか」
少しわかってもらえたのか、ヤズーはひとつ何かに納得したようだ。
「なぜ竜王は自分で邪竜を倒さない? お前を代わりにした?」
「確か竜王は物語が欲しいと言っていた。俺がやれば偉業になると」
ヤズーは顔をしかめる。気に食わない返答だっただろうか。しかし真実だ。言ってしまったし、どうしようもない。
「他には? その竜王はなんか言っていたか?」
「他には、ええと、ネルという恋人がいるらしい。美人だそうだ」
ヤズーは俺を見つめ、やがて大きくため息をついた。
「お前、その邪竜を倒すのか?」
「ああ、そのつもりだ。今のところ、それ以外にすることがないからな」
俺は迷いなく答える。それが今のところ唯一の目標だからな。
「そうか、倒すか。どうやって倒す?」
「それは分からない。どうやって倒そうか、それを考えるためにこの街に来た」
「そうか、ふっはっは、そうかそうか、くっくっく、ハーッハッハッハッハッハッ!」
ヤズーは愉快そうに笑い、そして穂先を下ろす。周囲の番人たちの緊張も目に見えて消えていた。一番年長のような番人のおじさんが高笑いするヤズーに声を掛ける。
「お、おいヤズー……」
「ハーッハッハッハッ! ん、ああ、いいんじゃね街に入れても。なんか身分証とか手形はねえけどよ、邪竜を倒すってんならちっせえことにこだわってもしょうがねえよな!」
そう言ってヤズーは俺の腕を乱暴に掴み、立たせてくる。バンバンと肩を叩いてきて痛い。
「おう、竜王様の使いならそう言えばいいじゃねえか! まあ、ちっとまだへっぽこみてぇだが、俺の槍を捌けるなら将来性あるだろ! ああ! 竜王様の使いっつっても誰も信用しねえよなあ! 仕方ねえ! 俺が身元保証人になってやるよ! おう、よかったな! 街に入れるぜ!」
「そ、そうか、面倒をかけたな! ありがとう!」
「いいってことよ! よおし、一筆書いてやるよ、詰め所に来いや!」
そういってヤズーは関所をくぐり、その先の建物に向かう。俺は剣を拾い、鞘に収めると、集まった番人達に騒がせた詫びを入れる。
「作法を知らず迷惑をかけた。すまなかった。その、ええと、あれの修理代は如何ほどですか?」
ヤズーが破壊した物見櫓を見ながら、胸当ての裏から銀貨の入った袋を出す。年長の番人は断ったが、俺にも思惑はある。幾らかの問答の末、年長の番人は顎に手を当て思案し、指を二本立てた。俺は銀貨二枚を渡す。
「すまんなあ。あれはヤズーがやったんだろうが、まあ、分かってくれるだろうが、ヤズーはとにかく物を壊すんでな」
「責任の一旦は俺にもあるからな。銀貨二枚で所在不明な俺の身上を保証してくれとまでは言えないが、何分この世界のことを知らないんだ。迷惑をかけるだろうからその前金だ」
「いや、まあ、確かに身元が不明なのはあれだが、お前さんはちゃんと物が分かる輩だろう。身元が確かでもヤズーみたいなのがいるしな」
年長の番人は苦笑し、同情するように言う。
「ヤズーが身元保証人とはな。お前さん、厄介な奴に気に入られてしまったな」
「ちゃ、ちゃんと話せばわかってくれるヒトだと思う……」
「その度にいちいち槍を突きつけられるのはたまらんだろう」
俺が青い顔をしても、番人たちは諦めろといった感じだ。仕方がない。せっかくできた知人であるし、無碍にもできない。いつ槍が飛んできても避けられるよう警戒しつつ、俺はヤズーの後を追った。
◇◆◇◆◇
ヤズーは詰め所に置かれた机で書き物をしていた。筋骨たくましい男が筆を取る姿はなんとも異様だが、ヤズーの手は迷いなく動いていた。
「おう、書けたぜ。名前はベルガーだったよな。っと、文字は読めるか?」
「ううむ、ああ……読める。読めるぞ! ふうむ、物を知らない俺が言うのもなんだが、達筆だな。勢いがあって、だが整っていると思う」
「お、そうか! まあ、割と上手いって評判なんだぜ」
ヤズーの書いたのは紹介状だった。文字も読めるとは竜王の亡骸は万能だぜ!
『この男、名をベルガーという。事故により記憶を失っているが、その人格に問題なく、身元保証人として、本人がシュケン国の法を遵守し、誠実に使命を果たすことを保証する。
万一、本人がこれに反する行為を為したときは、本人にその責任を取らせることを保証する。
なお、身元保証期間は本日より三年とする。
シュケン国レイニーグ領主フォル次男 ゴルドベル小隊長 焼髄禹』
署名の部分が夜露死苦とか愛羅武勇な印象を受ける達筆なのは置いておいて、書面を読み終えた俺はおずおずと顔を上げる。
「ヤズーって領主の御曹司だったのか? というか小隊長?」
「ん、ああ、親父はここの領主だな。それがどうした?」
「なんでその息子が関所の番人なんぞやってんだ?」
「ああ? 馬鹿かテメェ。街の入り口は防衛の要所じゃねえか。そこに強いやつを置くのは当たり前だろう。俺は強いからな!」
だからといって領主の子息がわざわざ重い鎧を着て、日中ずっと関所の門番をし続けるのか?
番人たちはヤズーを呼び捨てにしており、ヤズーもそれを気にするようではなかった。仮にも小隊長なのに? さっきは下っ端なのかと思ったが、これでは話が違ってくる。
ヤズーがこの関所の、そして、もしかすればこのゴルドベルという街の軍兵のトップなのかもしれない。部下たちと気安い関係なのは人柄だろうか。
なるほど、このヤズーは気性が激しく苛烈であるが、それだけではない男なのだろう。書の見事さから教養があることは分かるし、兵との関係や職務への忠実さからも、身分が低いというだけでどうこうする性格ではないのだろう。
「うちに仕官でもいいがよ、それにしたってもちったぁ勉強しねえとな。ベルガーには教養ってやつが足りねえよな! おう、だからよ、それ持ってとりあえず冒険者ギルドにでも行けや。そこでそれ見せて登録すれば、身元保証なんてそれで終わりだ」
「助かる。この礼は必ず返す」
「おう、邪竜を殺るときは声をかけろよ。俺も野郎にはムカついてんだ」
「え、いるのか? 邪竜」
「は? いるだろ、邪竜」
変な空気が流れる。ヤズーはおもむろに槍を突き出しながら問いかけてくる。速い怖い。
「お前、邪竜が何かも忘れちまったのか? いや……知らねえのか?」
「すまん。邪竜というからには竜の一種だろうとは分かるんだが、どこにいるのかとか何をやらかしたのかとかさっぱり分からん。あ、竜は竜王が作った世界最強種というのは聞いたぞ、竜王から」
ヤズーは呆れた顔をする。ヤズーに心配されるほどに俺は残念な感じらしい。いや、ヤズーはこれで教養があるのだ。
「……とりあえずそれ持ってギルドに行け。俺も仕事が終わったら行くからよ。そこでいろいろ教えてやるよ」
「すまん……助かる」
どうにも、この世界での常識とか知識がないと話が進まない。逐一「何それ」と首を傾げていたら、いつ槍をぶち込まれるかわからない。ヤズーの仕事が終わるまでに、ちょっとこの世界についても調べよう。