序章
とある部屋の一室。真ん中のテーブルを囲むように四人の女子高生が座っている。その上には教科書やノートが広げられており、シャーペンがカリカリと音を立てている。窓の外は夕方特有のオレンジ色で染まっており、学校が終わりそのままここに集まったという感じだ。
『あんず、ここ教えて』
『うんっ、いいよ』
『私はここ教えてくれるかな?』
『うん、わかった』
あんずと呼ばれた女生徒は少しも嫌な顔をせず相手にあわせて説明の仕方を変える。そのやり方はとても分かりやすいのであろう質問をした二人(ありさ、めぐ)の晴れ晴れとした表情が物語っていた。
『ほんとにあんずの説明は分かりやすいな』
めぐが嬉しそうに呟く。
『ほんとほんと、さすがは学年トップのあんずちゃんだよね』
とありさがいつもの調子で茶化す。
『そんなにわかりやすいかなぁ、でもそういってもらえると嬉しい!!』
あんずは頬を赤らめながら、笑顔で素直な気持ちを口にした。
『うーん、どうやったらそんなに頭よくなんのさ。あぁ、もうぜんっぜんわかんないっ!!きっと今回も駄目だな私』
一人教科書とにらみあっていたるりが嘆く。
『るり、諦めちゃ駄目だよ。頑張ろ!!』
『そうだよるり』
『るりも補習なんてしたくないでしょ?みんな一緒』
めぐ、あんずに続いてありさも口を挟む。それぞれ短い言葉ながら、るりをもう一度やる気にさせるには十分な力があった。これが友達というものなのだろう。
・・・しかしもう日は落ち時計の針は十九時を回っていた。今日は解散することに。
『じゃ、またね』
『うん、ばいばい!』
あんずは、手を振りめぐを見送る。
『今日はあんがと、わたしもうちょい、頑張ってみる』
『るりならきっと大丈夫だよ。わかんないこととかあったら遠慮しないで電話してくれていいから』
『うんっ、あんず!…なんかわたしやれる気がしてきた!』
めぐとるりを見送ったあんずはトイレに入っているありさを待つ状態だ。
『ふぅ、すっきりしたぁ』
水の流れる音が聞こえ、ありさがトイレから姿を現わした。
『なにも声に出して言わなくても』
『ふふ、気にしない気にしない』
といつもの笑顔。ありさの言葉には相手を(そういうものなのかな)って思わせる力がある。そんなオーラをまとった女の子だ。
『・・・ねぇ、あんず・・・』
靴を履きおわったありさは振り返るとあんずに話かける。その表情、声のトーンからは先程の明るさが感じとれない。
(なにかあったのかな・・・それも大変なことが?)
あんずは一度も見たことのない親友の変わり様に戸惑いながらも、その後に続くであろう言葉を待った。
『・・・あんず・・・あのね・・・』
『・・・うん』
『・・信じて・・もらえない・・と・・思うんだけど・・昨日の夜・・みちゃった・・んだ・・人の死ぬ・・ううん・・たべ、食べ・・られる・・とこ』
『・・えっ』
あんずには初め理解し難い話だったが、ありさの今の状態を見れば嘘、偽りのない真実だと言うことはわかる。今まで一度として涙を見せずに他人を励まし元気づけてきたその親友が今、自分の目の前で涙を流し、小さく震えているのだから。
(だからといって、私に何ができるの?話をきいてあげることしか)
『・・・やっぱり・・・こんな話、信じられないよね・・・』
(ありさは私にどうしてほしいんだろう・・・わかんないよ)
『もういいよっ!!』
ーバァンッ!!
玄関の勢いよく閉まる音があんずの奥深くに突き刺さる。
『あっ、ありさ!』
(ちがう・・ちがうんだよ・・信じてないわけじゃないよ・・信じる・・信じて・・そうだ・・ありさはこの言葉を待ってたんだ・
それなのにわた・・私は・・自分に何ができるとか考えてて・・そんなに凄い人間じゃないのに・・ごめん・・ごめんなさい・・傷つけちゃったよね)
とめどなく溢れ出してくる涙・・それはあんずの後悔、懺悔の気持ちを現したようだった。
感情の波に呑まれ、あんずの家を飛び出してきたありさはただ走り続けていた。視界を妨げる涙を拭いながら・・彼女の精神状態がそれを促していた。
・・しかし、体力にも限界というものがある。だんだんと速度が落ちて徒歩になるのは当然というものだ。自分の駆け足の音が消え、周りの静けさがありさの心に恐怖を植え付ける。
『・・ここ、どこ?』
今だ止まらない涙を手で拭いながらキョロキョロと辺りを見回す。
どうやら途中で道を間違えたらしかった。見覚えのない景色に自分の血の気が引いていくのがわかる。感情に呑まれ振り回された結果だった。人気がなく闇に覆われている状態・・まさに絶望。
『うそ・・そんな・・』
絶望という名の現実。それはありさの思い出したくない記憶をフラッシュバックさせはじめる。やがてそれは、鮮明に脳裏に広がり形作る。
(いや・・暗い・・怖い・・怖いよ・・誰か・・誰かたすけて)
『いっ、いやああああああっ!!』
思いはやがて絶叫となり、漆黒の世界に響きわたる。
・・ガサッ
『・・えっ』
ありさの人としての防衛本能が働いたのだろう。いつの間にか涙はとまり音のした一点を見つめていた。
ガサッ、ガサガサガサ・・
『・・なに・・えっ・・なんなのよ』
草木の擦れあう音、掻き分ける音。風はない・・なにかがいる。その音がだんだんと近づいてくるにつれ、自分の心臓の鼓動がはやくなるのがわかる。
『いや・・こないで・・こないでよおおおおっ!!』
姿の見えない何かに恐怖する。暗闇・・頭の中を支配している思い出したくなかった戦慄の記憶。それらが拍車をかけているのだ。
急に身体の力が抜け、立っていられなくなる。ドンッっと後ろに尻餅をつく。
すぐにでもその場所から離れたいと思い、脳から各部に指令を送る。人が何か行動をするときなどにする事。だが、それを受け付けなくてはどうすることもできない。
(動け・・動いてよ・・動けえええええっ!!)
『おいっ!』
『ヒッ』
身体全体を引きずるように後退していたありさは突然の声、肩に感じる温もりに小さな悲鳴をあげた。
『・・おいっ!どうしたっ!しっかりしろ!!』
とても力強く、頼りがいのある大人の男性の声。それはありさの心を支配していた絶望という名の暗闇に希望の光をさしこませる。ゆっくりと振り返りその姿を確認する。
警官だった。何かを調べに来ていたのであろうその手には懐中電灯を握っていた。なんでこんな時間に・・とも思ったがそんな事を今は気にする必要はない。
『うわああぁぁぁんっ!!』
感極まりとまっていた涙が再び溢れ出す。気づいた時にはその胸に飛び込んでいた。
始めはいきなりの出来事に驚きを隠せない警官だったが、その気持ちを理解したのであろうアリサの小さな背中を包みこむように腕をまわした。
(・・あったかい)
『もう・・大丈夫だ』
・・今まで生きてきた人生の中でこれほどこの言葉に安心感、安らぎを覚えることはなかったであろう、そして人の体温を暖かく感じることも・・。
警官は背中に回していた腕を戻すと、腕時計に視線を移し時間を確認する。
そして再びアリサに視線を戻した。
『・・さぁ、もうこんな時間だ家まで送ろう』
(帰れる・・家に帰れる・・ここから出られる・・)
『家は・・どこだい?』
警官はアリサを刺激しないよう、幼い子供と話すような口調で優しく問いただす。
『に・・ヒック・・にし・・クッ・・ウゥ・・』
なんとか口に出して伝えようと思うのだがままならない。
『相当怖い目にあったんだな・・可哀想に。とりあえずは明るい所まで行こう。ほら』
警官はそう言いながらありさの前に手を差しのべる。
小さな手のひらが、大きな手のひらに包まれる。それは成るべくしてなったもの・・警官である姿がそうさせた?
・・いや、今手を握ってくれている一人の人間の(人間性)が16
歳という年頃の少女に安心感を与えたのだ。
・・始めは自分だけだった足音が今では二つ響いてくる。
(・・一人じゃない・・一人じゃないよ・・)
ありさは人の温もりを今一度実感するため、手に力をこめる。
『はははっ、大丈夫だ。私はここにいるよ』
と優しい声。暗闇で表情は見えないがきっと笑顔だろう。
・・一言でいいからお礼を言いたい。大分気持ちが落ちついてきたアリサは自分にしか聞こえない声で呟いてみる。
(あ・・ありが・・とうござ・・います・・ありがとうございます!!・・言えた・・よし』
『あっ、あの、ありがとうございます!!』
・・返事が帰ってこない。聞こえるのは何故か、何かが噴き出すような音。それも大量に。自分の顔に何か液体のようなものが飛びかかってくるのがわかる。雨ではない。ありさの一番望まないもの・・血のにおい。
・・人間の本能というものは残酷だ。なにかをしたい、したくないに関わらず肉体が勝手に行動を起こしてしまう。
(・・いやっ・・いやぁ・・みたくない・・みたくないよぉぉぉ・・)
それはスロー再生機のように残酷な現実を瞳に映し出す。
『いいっ・・いやあああああああああああああっ!!』
辺りに響きわたるほどのありさという名の少女の悲鳴。目の前の光景は壮絶だった。噴き出すような音の正体それは。首から上のない肉の塊。先ほどまで暖かく自分を見守り安らぎを与えてくれていた人の変わり果てた姿。
人の温もりを与えてくれ、勇気をくれた大きな手のひら。今ではもう・・。
『・・いやぁ・・やぁ・・ぁぁ・・』
もう、涙も枯れはて声を出すこともできなくなっていた。精神崩壊の一歩手前だったのかもしれない。呆然と立ち尽くすありさ。目の焦点が合わない状態。まさに無気力。
『これじゃなかったか。まったく紛らわしい』
ガリッ、ゴリッ、ガリゴリガリッ・・ベチャ・・ベチョ・・
ビシャッ・・・
誰かが何か言ったような気がした。何かを噛み砕く音がした。何かが飛び散る音がした・・でもそんなことなんてどうでもいい。はやく・・楽になりたい。
(わたしも・・もう死ぬんだ・・死ねるんだ・・解放されるんだ・・この悪夢から・・いいこと・・なんだ)
『あれも違うか・・でもまぁ、ちょっとでも私の力の足しにはなるか・・やれっ!!』
何者かの号令がかかり、食事をしていた狼のような獣は、頭をあげアリサに視線を向けると足元のコンクリートを蹴った。尋常ではない速さで襲いかかる。
(・・これなら苦しまずに死ねるかも)
少女はすっと目を閉じ、現世との別れを待つ。死を迎える直前は過去の思い出が走馬灯のように流れるといわれるがまさにその通りだった。家族との思い出、友達との出会い、遊んだ記憶。それらが脳裏に浮かんでは消えてゆく。
渇れたはずの涙が頬を伝わる。目の前に何者かの気配を感じ最後の時がきたことを悟る。
(・・さようなら私の大切な人たち・・大切な思い出)
『やらせないよっ!っやああっ!!』
バキィッ
鼻腔をくすぐるようなシャンプーのいいにおい。感じたことのある気配・・そして声。
『あんずっ!!』
ありさは自分自身でもわからないうちに叫んでいた。かけがえのない親友の名前を・・
『はぁっ 、はぁっ、ありさ大丈夫?』
今瞳に映っている赤い色の綺麗な髪、そして人懐っこい可愛らしい顔。長い付き合いだ見間違う筈がなかった。
『あんず・・どうして』
『・・謝りたくて・・はぁ・・はぁっ』
乱れた呼吸を整えながら少女は答える。
『・・えっ』
『はぁっ・・うっ・・傷つけちゃった・・から
』
少女の目に涙が浮かぶ。自分以外の流す涙がこれほどまでに自分の心を締め付けるとは思いもしなかった。・・それが親しい友達(親友)であれば尚更のこと、
死を迎える直前に学ぶことになろうとは、今までいかに自分以外の心の内を理解しようと思わなかったということだろう。
『・・あんず』
『・・信じてた。ありさの話・・信じてたんだ・・よ。それだけはわかってほしい』
少女は理解した。常に自分自身のことよりも他人を気づかう優しい心を持った親友。私の気持ちに答えられなかったことに心を痛めているのだと。
(だからきっと、追いかけてきてくれた。・・私はなんてバカなんだっ!・・自分の言いたいこといって、被害者ぶってあんずの家から飛びだして・・あげくのはてに迷って・・そして泣いて・・子供だよこれじゃっ・・
私がここに来なければあの警察の人も死なずに済んだかもしれない・・そして今度はあんずを危険な目にあわしちゃってる。ちきしょうっ!ちきしょう!)
『・・どうしたの・・ありさ?』
『許せない・・私・・自分が赦せないよ・・』
もう、少女の脳裏に恐怖、絶望などというマイナス感情は微塵もなくなっていた。
『くっくっくっ、こいつはいい。すぐに殺さなくて正解だったな』
その声に視線を向けるありさ。暗闇に浮かぶ何者かを睨み付ける。遅れてあんずもその姿を確認する。
『感じる、感じるぞ。私に対する貴様の憎悪、殺意が』
ありさの自分に対する怒りと同じ、いやそれ以上の憎悪が心を侵食してゆく。
(こいつだ、こいつがあの優しかった警官の人を・・ぐ・・殺してやるっ!・・殺してやるっ!!)
『くくくっ、だが残念かな。特生変異人←(生まれた時に何かの拍子で常人以上の力を身に付けている人間)を差す。のあんずとやらと違い、貴様は何の力ももたないだだの人間にすぎん。我々悪魔には対抗できんよ』
確かにその通りだった。喧嘩などもしたことがなく、何も格闘技を習っていないありさが戦えるはずもなかった。・・だがそれでまた逃げたりしたらふりだしに戻ってしまう。
弱虫の自分に戻ってしまう。そんな感情が意思を揺るがせなかったのだろう・・一点の曇りのない鋭い眼光がそれを示していた。
そんなありさ心を知ってか知らずか黒い影は言葉を続ける。
『・・それに私が追っていたのは、特性変異人のそいつだ・・それにいらん責任感などで貴様を追いかけてこなければそこの人間も死なずに済んだだろう。
ふふ、貴様自身もこんな恐怖を味あわずに済んだのではないか?まあいい、どちらにしても貴様には特性変異人生の能力開花の手助けをしてもらう。・・死によってなっ!!』
黒い影の両脇に何かが息づいてゆく。狼に似た獣・・サイレントだ。それも二体。ありさ一人に目標を定めている。
(・・まちがいない私だけを狙っている)
特別な能力など、持ち合わせてはいないありさだったが、人間の本能で殺気を感じとる。体中から汗が吹き出し身体が震える。あんずはどうだろう・・同じ気持ちなのだろうか?気になり隣の親友を横目でみる。
・・うつむいていた、誰かに虐められたように。何かを考えているようにも見受けられる。
『やれっ!!』
最後の号令が無慈悲にもかかる。
『あんず、私のことはいいから逃げてっ!!・・がは・・ぐっ・・うぅ』
即座に気を失うほどの見事な膝蹴りがありさの腹部を捉える。親友の少女だった。あんずという少女は学力優秀、スポーツ万能の優等生。空手もこの年齢で段もちだ。他にも例をあげたらキリがないほどの天才だった。
『・・あんず・・どう・・して・・くあ』
ありさは薄れゆく意識の中で、獲物を変え親友に襲いかかる二匹の獣の気配を感じとっていた。それは勿論あんずにも。だが人間の視力で追えない相手への対処方など知るよしもない。そして考える時間も今はない。
(・・ならこれしかっ!)
少女はゆっくりと目を閉じる。よく格闘技を学んだ者が気配を察するために使う方法。だが限りなくゼロに近い可能性。・・失敗それは即ち死を意味する。
(・・チャンスは一度。失敗したら私だけじゃなくてありさも死んでしまう・・そんなのは絶対にイヤ・・守りたいあの笑顔をっ!もし、ほんとうに人以上の力が私にあるというのならっ)
『・・今この場でその可能性にかけるっ!!』
カッっと見開く両の目。自分の身体が軽くなり全身にみなぎる様なエネルギーを感じる。それらはあんずに勝利を確信させていた。
・・一瞬の出来事だった。おそらくは彼女自信も覚えていないだろう。サイレントの一匹は宙を舞い、もう一匹はアスファルトの上で沈黙を保っていた。
ドサッ
やがて宙を舞っていた物体が地面に叩きつけられる。即死だった。
『・・やったの?』
二体の身体から液体が流れ出る。辺りの暗さのせいで色は確認できないが、人でいうところの血液なのだろう。人でならざる物の亡骸。それを静かに眺めているあんずの心境は複雑だった。
大事な人を守ることができた。でもそれは自分が特別な人間の証明、めぐ、るり、ありさとは異なる・・存在。
ふぅっと力が抜けるのを感じる。今まで一度も使ったことのない常人離れした動きが身体に大きな負担をかけていたのだ。力のコントロールができないいまのあんずにとっては諸刃の剣だった。堪えきれず膝をつく。
『・・さすがは特性変異人。やるなっと言いたいところだが、もうエネルギー切れとはな。拍子抜けだ。これでは次も堪えられるか疑問だが・・サイレント!!』
黒い声に答えるように先ほどの魔狼が暗闇から姿を現す。その数は五。
『・・うそ・・ま・・た・・立ち上がら・・なくちゃっ・・』
あんずはおぼつかない足取りで立ち上がり後ろを振り向く。そして視線を下げると気を失っている親友の顔をみた。
(・・ありさだけは何とか守りたい・・でも、この動かない身体でどうすれば・・)
『・・はっ!!』
あんずが気づいた時にはもう、五匹の魔狼は獲物(少女)に向かい走り出していた。
『ぐっ・・もうだめ!!』
瞼を閉じて死を覚悟する。
・・不思議だった。あんずは何度もその魔狼のスピードを目にしていた。人の目では追うことのできない速さ。もうすでに自分はその攻撃範囲にいるはずなのだ。しかし音もしなければ気配も感じられない。恐る恐る目をあけ現状を把握してみる。
『・・えっ!?』
空いた口が塞がらなかった。あんずの人生にピリオドを打つ筈だった魔狼たちの胴体は、それぞれが宙を浮かぶギロチンに囚われて身動きのとれない状態になっていたからだ。
首より上を固定され、前足や後ろ足をバタつかせてもがく様はとても悲壮感が漂う。ギロチンの上の重量感のありそうな刀がサイレントたちの行く末を示しているようだった。
『怪物にも恐怖というものがあるんだねぇ、一つ勉強になったよ』
何処からか聞こえる男の声。まだ幼く感じられる。あんずはキョロキョロと辺りを見回しその声の主を探す。
『探す必要はないよ・・すぐにいくからさ』
この生きるか死ぬかの緊張感がはりつめた空気に合わない陽気な口調。まるで簡単な用事を済ますようだった。自分を助けたところを見るとどうやら敵ではないらしい。何故か誰かもわからないその男にあんずは安心感を覚えた。力が抜け、その場にペタンと座り込む。
(・・助かった。でもなんだろう一度も逢ったことないはずなのに・・信じられる・・それにあの力・・私とは比べ物にならない・・一体何者なの)
『まぁよくやったか・・もうちょっとペース配分を考えるべきだったが、友達を守るためにしたことか・・ふっ、この腐った世の中にもそんな奴がいたんだな・・
・・おいっ、そこのあんた・・狼ばかり出して芸のないやつ。他のことはできないのかよ?』
『な・・なんだとっ!・・ぐっ!・・この私を馬鹿にするとは・・人間風情が死にたいらしいな・・』
見下していた人間に罵られ黒い影は初めて感情を露にする。
『・・よかろう、貴様から殺してくれるっ!!』
『あっ、そっ・・とりあえずは邪魔な犬達を片づけちゃおうかな!』
その言葉の終わりと同時に無慈悲に振り下ろされる五つの刄。ドンッっという音とともに魔狼たちの首と胴体が別れをつげ、ゴロリとアスファルトに転がる。
『ここにこいつらの死体があると町中が騒ぎになるな・・消しとくか』
止めどなく噴き出す血の噴水を眺めながら男は呟く。
ゴオオォォォォ!!
辺り全体が赤く染まる。それは物凄い熱さなのだろう、サイレントたちの焼落ちた姿や、臭いを感じさせない程の・・蒸発と世間では言われているもの。そのまわりに火の粉すら飛ばないのは神業としか例えようがなかった。
『・・すごい・・』
あんずはその信じられない光景を目のあたりにして、思った気持ちが自然と口からもれていた。・・それと同時に恐怖も。
(今は味方になってくれているようだけど、もし敵にまわってしまったら)
そう思うと素直に喜ぶことができない。
『・・あれほどの業火を召喚するとは特性変異人のそれを越えている』
黒い影は初めて人類というものに脅威を感じていた。
『はっ!?』
あんずは目の前に何かの気配を感じ視線を向ける。そこでも信じられない光景が写し出されていた。景色の一部が縦に割れそこから人影が現れるとその人影はゆっくりとこちらに振り返る。
『こんばんわ』
陽気に挨拶をする。
・・この者が、さっきから常識では考えられない光景を作り出していた張本人なのだろうか?とてもそうは見えない。
服装は下からシューズ、ジーンズ、今の季節によく見かけるTシャツの上にポロシャツという服装だった。そしてサングラスのようなものをかけている。
ただ珍しいのはそのTシャツに刺繍してある三本のだんごの絵柄だった。
『予想していた姿と違った?』
『・・え・・いやっ・・あの・・』
急に声をかけられあんずはしどろもどろになる。
『・・くっ』
その少女の様が面白いのか男は口元を緩める。
『転移能力まで扱えるというのか・・馬鹿なっ!!』
『なぁ、今回は退いてもらえないか?・・あんたと俺が戦えばどうなるかぐらい予想できるだろ・・ぶっちゃけ死にたくないだろ?』
『・・ぐぅっ』
男は中々理解を示さない黒い影に苛立ちを覚えたのか、声のトーンをさげ、口調を荒げる。
『わかんねぇやつだな・・見逃してやるっていってんだよ・・殺すぞっ!!』
自分より強きものに弱気ものは恐れを抱く。悪魔が人間に。という珍しい組み合わせではあるが。
『ぐっ・・わかった今回は退かせてもらおう・・だが覚えておけ。いずれ貴様の魂は私がもらう・・覚悟しているんだなっ!!』
負け犬の遠吠え以外何者でもない。それだけの力の差を感じたのだろう。
『・・俺も一つ忠告しておいてやる。俺に対抗するために他の奴等の魂を食らうのは勝手だが、次にその姿を見たときは容赦なく消えてもらう・・こっちもなにかと忙しいんでね』
消えゆく厄の根元を見つめながらあんずは男の言った言葉を心の中で思い返していた。
(他の奴等の魂をくらうのは勝手だが・・それじゃ、他の人はどうでもいいってこと?・・次にあったときは消えてもらう・・これって多分死んでもらうってことだよね・・味方なの?)
『・・あのっ・・』
躊躇するようなか細き声。どうしても気になったあんずは男に後ろから声をかける。振り向く男。
『・・ん、お礼か?・・気にしなくていいよ。俺がしたくてしたことだからな』
『・・あのっ・・あなたは私たちの味方なんですか?』
予想外の質問だったのだろう。男は首をかしげすぐには答えを出せずにいたが、やがて理解したのか口をひらいた。
『・・その答えはNoかな。俺は口先だけで結局は自分のことしか考えていない人間って奴が大嫌いなんだよ。
あんたの友達を大切に思う気持ち、自分を犠牲にしてでも助けようとしたその行動に心を打たれただけのこと・・
なんか格好いいこと言ってるけど。つまりは他の人間達のためにこの力を使うつもりはないよ。』
『・・そう・・ですか・・』
(私はあの人に、敵にまわって欲しくなくて質問したんだ。・・あの強大な力と戦っても勝ち目なんてないから・・大切な人たちを守りたいって気持ちはほんとう・・
でも、その為にあの人に力を借りようとするのは私の身勝手・・。)
『・・う・・ううん・・いっ』
あんずは後ろの方で声がすることに気づいた。その声の持ち主がいるであろう場所に視線を下げる。
『ありさっ!!』
まだ意識がしっかりしていない親友の上半身を抱く。大事なものをいたわるように優しく。守るためとはいえ、気絶させてしまったのだ。あんずの性格が表れた瞬間といえよう。
『あれっ・・あんず?』
ありさの朦朧とした意識が徐々にはっきりしてくる。目の前にはよく知る親友の顔。ありさの脳内で分析が始まる。状況確認である。
(・・勉強会・・トイレ・・暗闇・・警官・・首・・ぐっ・・見えない獣・・何者かの声・・黒い影・・友達・・あんず・・衝撃っ!!!)
『あんずっ!!怪物は!?大丈夫なのっ!!?』
いきなり声を張り上げる親友の姿にあんずは一瞬驚いたが、それからありさの心の内を汲み取ると、分かりやすいように今までの出来事を説明する。それは赤ん坊や子供に話すように慈愛に満ちていた。
『大丈夫だよありさ、おちついて・・大丈夫だからね』
『・・うん』
(なんだろう・・安心できる・・なんかあんずお母さんみたいだな)
『えっと、危険なのは終わったよ・・助かったんだよ私たち』
『・・えっ・・たすかったの?』
一番望んでいた言葉を聞きありさは涙腺が緩くなるのを感じる。そして目の前の親友の無事を確認することができ、いつの間にかその親友に抱きついていた。
『あんずが無事でよかったよぉ、あんずっ!あんずっ!!』
ありさは大切な人の感触を確かめる。何度も何度もその名前を呼びながら。
『うん。ありがとう・・ぐす』
暗闇で抱き合う二人の少女が流す涙は、月明かりでキラキラと輝き光の粒をつくりだす。それはダイヤモンドの輝きを連想させた。
・・ありさはあんずの首にまわしていた腕をほどくと、いつもの明るい表情に戻り感謝の気持ちを口にする。
『あんずが助けてくれたんだよねっ!ありがとう!!・・でもすごいじゃん、あんずってばあんな怪物を倒しちゃうんだもん・・すごいっ、すごいっ!!』
『・・ありさっ』
まくし立てるよう、矢継ぎ早に言葉を紡ぐありさ。命の危険を免れた解放感からか、いささか興奮気味だ。話の切れ目がきたところであんずが口を挟んだ。
『ん、なにっ、あんず?』
『あのね・・私も助けられたんだ。・・だんごの人に』
『・・えっ、だんご?・・その人って何?』
『・・ほらっ、あそこにいる人だよって・・えっ』
ありさはあんずの指先が指し示す方に視線をむける。
『・・えっ!?』
確かにそのような人物はいた。だが、謎なのは首のない警官の亡骸の横に立っていることだった。その足元にはきっと大きな血だまりができていることだろう。二人の少女の視線を気配により気づいた男は口を開く。
『おっ、起きたみたいだな・・じゃあ始めるか・・ちゃんとみておけよ』
男はいつもの陽気な口調でそういうと、横たわってる警官の亡骸に手をかざす。チリチリとアスファルトの地面の焼き焦げる音。それはだんだんと大きくなり、赤い炎となって警官の亡骸を包み込む。
『・・いや・・いやああああああっ!!』
人の肉が焼き爛れる音、骨が軋み焦げる音。臓器が蒸気になっていく音。・・だがありさはその事に恐怖したわけではなかった。・・自分の身近だった人間が小さくなって目の前から消えていくことに寂しさを覚えたのだ。
『・・いや・・いやぁ・・こんな・・ひどいよ』
あんずには親友の言葉の痛みがよくわかったが、男の造りだした炎に何かの違和感を感じていた。
(なんだろう・・あの炎を見ているとあったかい気持ちになれる・・さっきとは違う感じ・・これがともらうってことなのかな・・)
・・やがてその警官の亡骸は完全に消えてなくなる。
『あ・・ああ・・そんな』
悲しみに身を震わせうちひしがれるありさ。
・・頭の中に聞き覚えのある声が響いてくる。
(悲しむ必要なんてない)
(・・えっ!?)
今、目の前で消え遠い世界に旅立ったであろう警官の声だった。ありさは戸惑う。
(心優しいお嬢ちゃん・・こんな名前も知らないような私なんかの為に涙を流してくれてありがとう)
(えっ・・警官のおじさん?)
(肉体が消滅して霊体になったことで君の心へ直接話かけている。)
(ええっ!?そんなことができるんですかぁ?)
(・・私にもよくわからないのだが、どうやらそういうことらしい。)
(あはは・・なんか不思議ですね)
いまのこの状況を非現実的と言わないでなんというのだろうか・・今日一日で起きた様々な出来事がありさの心に変化を与えたのだろう。
このような有り得ないことも平気で受けいられる器のようなものが新たにできたのだ。
(ははっ、それは私も同感だ・・話は変わるがあの少年のことは恨まないでやってほしい。私が頼んでしてもらった事だ)
(・・えっ)
(・・辛い思いをさせてすまなかった。だが君には見ていてほしかった・・人の人生が終わるその瞬間を・・すまない)
(・・どうして・・ですか?)
(それをこれから君に話したい・・すこし長くなるが聞いてくれるか?)
(・・はい)
(ありがとう・・こう見えて私は、署の中では一番の二丁拳銃の使い手でね。色々な事件を解決してきたものだよ)
(・・すごい・・かっこいい)
(ははっ、ありがとう・・だがある日さっきの悪魔が私の前に現れた。先程と同じようにサイレントという名の魔狼を引き連れて・・確か『お前の魂を頂きにきた』
とか言っていたな。自慢ではないが動体視力のずば抜けていた私は簡単にサイレント達を撃退することが出来たのだが、あの悪魔には弾丸が全く効かなかった。
何か見えない壁でもあるかのように弾は止まり地面に落ちて言ったんだ。情けなくも恐怖を覚えた私はその場から逃げ出した。
・・ひとつ聞きたい・・君は力を持ちたいかい?悪魔と戦えることを望むかい?)
(・・えっ・・よくわかんない・・悪魔なんかと戦うのは怖い・・でも、こんな悲しい思いをするのはもっと・・いやだよ。自分に力があればって思う・・)
(それだけで十分だ。君は強い心を持っている。思っていた通りだ。先ほどの話でわかってくれたとは思うが、悪魔に対抗するには選ばれた人間でなくては駄目だ。
私は幸運にも人を越えた動体視力を持っている。・・後、武器もだ。この武器は私を助けてくれた老人がくれたもの。二丁の拳銃で聖なる弾を打ち出す事ができる。名前は邪滅聖魂・・私には使いこなせることができなかったが、君になら使いこなせるはずだ)
(・・邪滅聖魂・・すごっ、強そう)
(私の持っていた動体視力と武器。そして、君の持つ強い意思の力で力を持たない他の人間達を守ってやってほしい・・私はもう歳をとりすぎた。・・これで心おきなく引退させてもらうことができる)
(おじさんっ!!)
(私の都合で君に迷惑をかける・・許してくれ)
(・・そんなっ、大丈夫、きっとその期待に応えてみせるよ・・だから先生・・長い間お疲れさまでしたっ!!)
これがありさという少女の強さだろう。どんなに自分が辛く、悲しくても相手が望むことを受けいられる強い意思。そして覚悟。16歳の少女にとっては重すぎるほどの定め。それを感じとった警官の声が震える。
(はははっ、ありが・・とう・・ほんとうに・・ありがとう・・)
(もうっ、先生ったら、もう大人なのに泣きすぎだよ)
(あ・・ああ・・すまない・・頼んだぞっ!!)
(はいっ!!)
絶望の夜が結んだ師弟の絆、それは忘れられることはないだろう。永遠に。
『・・さ・・ありさ』
ありさの頭の中に響く儚くも優しい声
。ゆっくりと視界が開ける。
『あれ・・あんず?』
『・・よかった・・いきなり反応しなくなったから心配したよ』
『・・うん、ごめんあんず』
『・・あの警官の人のこと・・とても悲しかったんだね・・大切な人だったんだ』
『・・うん、先生だからね!!』
沈んでいると思っていた親友の元気な声にあんずは驚きを隠せないようだ。先生の意味もわからず首を傾げている。それは無理もない。ありさの心の中で行われていた会話など、知るはずもないだろう。その様子に気づいたありさは事情を説明すべく口を開く。
『あのね・・なんて言えばいいのかな・・夢?の中で警官のおじさんの思念体・・でいいのかな・・と会話したんだ・・ふふっ、信じられないでしょ?』
ありさはすこしおどけた様子で言う。それを真面目な表情で聞くあんず。
『ううん・・信じないわけないよありさ』
その真剣な眼差しを向けられ、親友のことを信じられなかった自分に恥じるありさ。気をとりなおして説明を続けた。
『なんかありさらしい・・普通は引き受けないよそんなこと・・わたしなら絶対に無理だよ。』
『そっかなぁ・・でもさ二丁拳銃使えるなんてかっこよくない?』
目をキラキラさせながら話すありさの姿をみて、黒い影の言っていた。特性変異人である自分を気にしていたのが馬鹿馬鹿しくなる。
(ほんと・・ありさのあの笑顔に何度助けられたかわかんないな・・ありがとう、感謝してます)
『どうしたの?』
『・・ううん、なんでもない』
笑顔であいずちを打つあんず。
『ところでさぁ・・さっきの男の人はどうしたの?・・だんごちゃんだっけ?』
『もう、帰ったよこれおいて』
ありさはあんずの差し出した紙切れを手にとってみる。
『これ・・もしかして地図?』
『うん、多分ここから町に帰るための順序だと思う』
『ふぅん・・こんなこといっちゃ悪いけど、字汚いね』
『・・うん・・がんばれば読めそうだけど』
二人は苦笑する。
『まっ、いいや。あんず帰ろっ!!』
『うんっ!!』
悪夢のような時が過ぎ、先程までは聞こえなかった虫達の声があたり一面に奏でている。それは月明かりに照らされ幻想的に。