08 獲れたてキュウリと謎のおじいさん
林の中に突然現れた小さな畑ってだけでも奇怪なのに、『ご自由にお食べください』の立て看板まで立てかけられているとは。
私のために用意された状況みたいで、ますます不信感が募る。
異世界転生した場合、自分に都合のいいことが起こりやすくなったりするのだろうか。
さて、どうしよう。
新鮮な野菜を食べてみたいという気持ちと、警戒心がせめぎ合う。
迷いながら、とりあえず畑の前にしゃがみ込んでみた。
キュウリもトマトも本当においしそうだ。
太陽の光を受けて、つやつや輝いている。
自然と頭の中に味が思い浮かんできて、食べてみたいという衝動が強くなった。
どう考えても怪しいのに、さっきからおなかはぐーぐー鳴りっぱなしだ。
こんなに色の濃くて立派な野菜、スーパーではそうそうお目にかかれない。
自分がどんどん誘惑に屈していくのがわかる。
「すみません、ちょっとだけ……!」
手を伸ばして気づいた。
新鮮なキュウリって、本当にトゲがあるんだ。
手を傷つけないよう気をつけながら、一本もらう。
茎がしっかりしていて、なかなかもぐのが大変だ。
ドレスの端っこで、キュウリのトゲを折りがてら、土を落として表面を磨いた。
色つやがいいだけじゃなく、端から端までの太さが均一だ。
お尻側が膨らんでいると、水分が下にたまってしまうため、実に空洞ができやすくなる。
そういうキュウリはスカスカしていて、歯ごたえが悪い。
味も薄らぼんやりしてしまう。
でもこれは絶対においしいキュウリだ。
「いただきます!」
かぶりつき歯を立てると、ポリッという軽快な音が響いた。
口の中に、瑞々しいキュウリの味が広がっていく。
「……っ! んーっ……おいしい!」
カリカリポリポリと音を立てながら、二口、三口、と続ける。
歯ごたえがいいし、味も濃厚だ。
塩も何もつけていないキュウリだから、もしかしたら物足りないかもって思ったけれど、このキュウリは甘みが強くて味がしっかりしている。
種すら大きくて、ぷりぷりと柔らかい。私は夢中で口に運んだ。
「はぁっ、こんなにおいしいキュウリ初めて! 本当に最高だよー!」
「ほっほ。お気に召したなら何よりじゃ」
不意打ちで話しかけられ、ビクッと肩が揺れる。
慌てて振り返ると、白髪のおじいさんが立っていた。
顔中をしわしわにして優しい笑顔を浮かべたおじいさんは、うれしそうに歩み寄ってきた。
鼻の下の白いひげが印象的な、好々爺というかんじのおじいさんだ。
手には鍬、背中に籠を背負っているのに、動きはかくしゃくとしている。
まさか、この人が畑の主だろうか。
「こんにちは。妃殿下。お初にお目にかかります」
ニコニコしながら隣に立つと、おじいさんは私の手元を見て、ほほっと笑った。
「これは珍しい。まさか野菜を生で食べてくれる人間が儂以外におるとは……。料理に使われる場合は、なんでもかんでも濃い味付けにされてしまうからのう」
私は慌てて立ち上がると、勝手にキュウリを食べてしまったことを大急ぎで謝った。
「ご、ごめんなさい! ここおじいさんの畑ですか? 私、勝手に食べてしまって……!」
「ふふふっ。気にしないでくだされ。そのために立札を出しておいたのですから。それより率直な感想を聞かせてくれませんかのう。儂の野菜たちはどうでしたか?」
「本当においしかったです! 瑞々しいし、甘いし。感動して、体が生き返った気がしました」
そう言うと、おじいさんは心底嬉しそうな顔で頷いた。
「丹精を込めて作ったから、そう言ってもらえるとうれしいですのう」
「野菜からも、とても愛情をかけて育てたことが伝わってきました」
「キュウリはこう見えて、わがままな野菜でしてな。肥料が多すぎても具合が悪い。毎日野菜たちの機嫌を見ながら世話をしております」
「なるほど。だからこんなに立派な葉っぱが育ったんですね。瑞々しいキュウリを育てるには、欠かせない条件ですもんね」
「おっ。妃殿下はわかっておられますなあ。それにしても、よく生で食べなすった。しかもソースすらかけずに」
「新鮮なキュウリやトマトは、生で食べるのが一番じゃないですか」
「そうなのですよ! 儂は何度もそう言っておるのに、他の人間は誰も認めてくれんのです。それどころか試してみようとすらしない」
おじいさんはしょんぼりと肩を落とした。
おじいさんによると、ここは、野菜本来が持つ味の良さを普及したくて作った畑なのだという。
ところが自由に食べてくれと書いてあるのに、誰も手を伸ばしてはくれないのだそうだ。
だからさっき私が野菜を食べてるところを見つけて、驚きもしたし、それ以上にとてもうれしかったと言われた。
「私も、おじいさんみたいな人に会えるなんてびっくりしました。生野菜の価値をわかってる人がこの王宮にいるなんて」
そう言ったあとで、しまったと焦った。
「ごめんなさい、別に王宮の人たちを馬鹿にしてるわけじゃないんです。ただ、感覚が違うんだなって思って。この世界の人は、こってりした濃い味付けのものを好まれるようなので……」
「む? この世界の人?」
ああ、もう。私の馬鹿。
また余計なことを言ってしまった。
どう誤魔化そうか迷っていると、おじいさんは興味深そうに目を細めた。
「なるほど。妃殿下の国では、濃い味付けよりも薄味のほうが好まれていたのですな?」
出身国とこの国の文化を比較したのだと、勘違いしてくれたようだ。
都合がいいので、そのまま話を合わせる。
「そうなんです。うちの国は、素材の味を活かすための料理が多かったんです」
エミリアちゃんの故郷のことはわからないので、日本の食文化について話した。
「健康のため、濃い味付けのものは控えるように言われていたり。とくに生野菜は、体のためにも欠かさず摂取するように言われてました」
「ほほう。それは面白い。この国とはまるで真逆ですな」
おじいさんはかなり興味を持ったようで、真剣な顔で色々質問されてしまった。
そんなやり取りの中で、ふと疑問を抱いた。
この人一体誰なんだろう。
最初に会ったとき、「初めまして」って言われたから、エミリアちゃんと顔見知りなわけじゃないんだよね。
だったらストレートに聞いちゃって大丈夫だな。
「……ところで、おじいさんは一体?」
畑作りは庭師の仕事じゃなさそうだし。
かといって使用人が王家の敷地内に畑を作ることなんて許されるのだろうか。
首を傾げて返事を待っていると、おじいさんは楽しそうに顎をさすった。
「儂はただの隠居のジジイですじゃ」
明らかに怪しい。
でも、私も人目を盗んで抜け出してきた身の上だから、あんまりしつこく追及はできない。
多分、おじいさんには何か知られたくない事情があるのだろう。
「そうじゃ、妃殿下。あなたの国で、この花を見たことはありませんか?」
「花?」
おじいさんが指さした先を目で追うと、奥の畑に咲いている紫色の花に気づいた。
「異国の商人にわけてもらった種の中に、こいつも混ざっておったのですが……。商人が置いて行った育て方の紙が間違っていたのか、花は咲いたもののいつまでも実がならず、気になっていたのですよ」
「これって……」
「実がつくのを待っていたら、そちらの畑では花が枯れてしまいました」
ん?
この紫の花って、じゃがいもじゃないかな?
おじいさんが枯れたと言っている畑を少し調べて、やっぱり、と思う。
確かにじゃがいもの収穫は、その方法に関して知識がないと、どうしたらいいかわからないかもしれない。
「おじいさん、これじゃがいもですよ。ちょっと掘り起こしてみますね」
私の祖父母は田舎で農家をしていたので、じゃがいもの収穫は何度か手伝ったことがある。
その時の要領を思い出しつつ、ドレスの袖を軽くまくった。
周りの土を丁寧にかきわけてから、えいやっと力を込めて引っこ抜く。
確かな手ごたえと共に、じゃがいもを掘り出せた。
ごろごろと根っこに丸くついたじゃがいもを見たおじいさんは「じゃがいもはこんなふうになるのか!」と感動しっぱなしだった。
「大きくていいじゃがいもですね!」
「ええ、本当に。妃殿下。もしよければ、おすすめの食べ方を教えていただけませんかのう」
「じゃがいも料理ですか」
じゃがいもを使った料理は、おいしいものがいっぱいある。
私は手を顎に当てて、少し考えてみた。
海外の人にも抵抗がない料理がいいだろうから、洋食から探したほうがよさそうだ。
さっき素材の味を活かした料理の話をしているし、シンプルかつ体にいいメニューを教えてあげたい。
でも、いきなりものすごくさっぱりしたものだと、味気なく感じるかも?
となると、素材の味を活かせるようにじゃがいもが主役で、体によくて、さっぱりしすぎていないメニューだ。
それなら、もうこれ一択。
私は自分も大好きな料理『じゃがいもの冷製スープ』の作り方を説明した。
「色々調理方法はあるけど、この季節なら冷製スープにするのもいいですね。たまねぎと一緒に煮込むんです。もしあれば、牛乳で薄く延ばすと、ポテポテしすぎないで、飲みやすくなります。さらっとした癖の少ないスープになるので、夏の暑さでくたびれた日や、病明けで食が進まない時にでも、飲みやすいんです」
新じゃがも新たまねぎも味がしっかりしているから、ブイヨンを入れず、塩コショウだけでも十分おいしいスープになる。
「ほおお、冷製スープとな?」
おじいさんは好奇心に目をきらきらさせて、前のめりになった。
「それはうまそうだ。どんな味か知りたいですのう」
「厨房が借りられれば、作れるんですが」
「なに、本当ですか!? じゃあこのじゃがいもを収穫して、このまま厨房にいきましょう。玉ねぎもほれ、そちらの畑になっております」
「え!? 料理をさせてもらえるのはうれしいんですが、厨房を使うには国王陛下の許可がいるって言われたんです。それに料理長にも悪いですし……」
薄味の料理を注文して、すでに彼の機嫌を損ねてしまったふしがある。
私が戸惑ったまま、もごもごしていると、柔和な笑みを浮かべていたおじいさんの目に不敵な光が宿った。
「なあに、安心してください、妃殿下。問題はありません。儂がなんとかいたしましょう」
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