35 陛下、あなたってもしかして……
陛下は馬車から先に降りると、私に手を差し出してくれた。
え、ん?
この手をどうしろと?
首を傾げて顔を上げると、陛下も不思議そうに瞬きをした。
「どうした。降りないのか?」
「え!? あ!!」
手を取れってことか!
ひえー、王子様みたい。いや、本物の王様だった。
確かにこの長いドレスとヒールの靴で、不安定な馬車のタラップから降りるのは危ないもんね。
こんなの普通のことなんだろうけれど、文化的ギャップで緊張する……!
私は針金でも入っているんじゃないかってぐらい、ぎこちない動きで、陛下の手を取った。
というか自分の手を添えた。
「それではバランスが取れないだろう。もっとしっかり握ってくれ」
「え!? いえ、あの、私バランス感覚抜群なので!」
その言葉が嘘にならないよう、なんとか地面に降りることができたのでホッとする。
「ありがとうございました……」
「ああ」
穏やかな微笑みを返されて、非常に居心地が悪い。
ていうか心臓に悪い。
元の世界では心臓苦しくなって死んでるから、ドキドキさせられるのはあんまりうれしくない。
異世界を楽しむのであれば、「美青年にエスコートをしてもらうなんて役得!」くらいの気持ちでいるべきなんだろうけど、到底そんなふうに思えない。
げっそりした気持ちで顔を上げた私は、視界に飛び込んできた景色があまりに美しすぎて、ハッと息を呑んだ。
目の前に広がるのは、一面ラベンダーに埋め尽くされた丘だった。
感動しすぎて、すぐには言葉が出てこない。
だって、すごい……。
これほど美しいものが存在しているなんて……。
紫色の絨毯が、青空との境まで広がっている。
こんなに解放感のある景色、生まれて初めて見た。
驚いている私の前を優しい風が通り過ぎていくと、ふわっとラベンダーの匂いが香った。
大きく深呼吸をして、胸いっぱいに爽やかな匂いを吸い込んでみる。
ああ、癒やされる……!
「陛下はこちらによく来るんですか?」
「いや。昔は時折訪れたが、即位してからはまったくだな。自分のために時間を使う余裕はない。そうしている間に、どれだけの仕事が片付くかと思うと、居ても立っても居られなくなるのだ」
「ええ!? もったいない」
こんな素敵な場所、私だったら毎日通いたくなってしまう。
そう考えてすぐ、はたとなった。
いや、『今の私なら』だ。
社畜時代の私なら、おそらく陛下と同じような言葉を口にしていただろう。
……でも、国王陛下とはいえ、社畜と似た考えを持っているってまずくない?
過労死した立場から言わせてもらうと、社畜の先に待っているものは身の破滅だ。
改めて陛下を見ると、目の下のクマがすごい。
顔色もよくない。
本人はしゃきっとしているけど、不健康な感じが滲み出ている。
「気になっていたんですけど、陛下、ちゃんと寝てますか?」
「よくされる質問だが、案ずるな。睡眠は毎日取っている」
「ちなみにどれくらい?」
「2、3時間だ」
いやいやいや!
それって仮眠の域を出てないよね!?
「もうちょっと寝ましょうよ!」
「睡眠に費やす時間はないんだ。やるべきことは山ほどあるしな」
「でも、いくらなんでも。分担するとか」
「そういうわけにもいかない。どれも臣下に負わせるには責任が大きすぎる問題だ。代わりがきかない以上、致し方ない」
うわ、出た!
洗脳された社畜っぽい発言が次々飛び出して、私は震え上がった。
この思考パターン、社畜時代の私にも経験がある。
自分がやらないと他の人に迷惑がかかる。
誰も出来る人がいない。
自分がやるしかない。
NGワードのオンパレードだ。
このひと! 完全に! 社畜!!
だってあの頃の私も同じようなこと言ってたもん。
「それに周りの者は一様に睡眠を取れというが、眠気を感じないのだ。床についても仕事の案が浮かんでくるだけで、眠いという感覚に襲われないのだ」
うわあ。
それも社畜あるあるだ。
本当に忙しいときって眠くないんだよね。
アドレナリンが出まくっていて、自分が眠いっていうことすら分からなくなっちゃうから。
それにせっかく寝入っても睡眠は浅い。
寝ている間も無駄に脳がフル回転しているのだと、どこかで聞いたことがある。
「陛下、夢は見ますか?」
「ああ。仕事をしている夢をな。それがどうしたか?」
やっぱり~~!!
このままじゃ陛下も過労死まっしぐらだよ。前世の私と同じ末路になってしまう。
だからって、こうなっちゃってる人は、他者のアドバイスになんて耳を傾けない。
そもそも人に忠告されて休めてるぐらいなら、過労死なんてしてない。
ノイローゼみたいなもんだしな……。
私はやんわりと忠告してみたけれど、陛下は微笑みを浮かべたまま頷くだけで、聞き流されてしまった。
「それより花を摘まないのか?」
「あ、摘みます!」
私は慌てて必要な分の花を摘みながら、こんなに忙しい陛下を付き合わせてしまったことを、内心、申し訳なく感じた。
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