13 国王陛下の胸の内 ①
王妃エミリアの暮らす離宮から、中庭を横切り、温室の脇を通り、教会を越えて、さらに庭園を抜けた先にアントワーヌ宮殿はある。
若き国王テオドールは、久しぶりに宮殿内の執務室に戻ったところだった。
いつもより一層、顔色が青白いのは、視察に訪れた国境付近でオーガの群れに襲われ、ほとんど不眠不休で討伐した帰りだからだ。
ここ数年、凶暴化した魔物の暴走が後を絶たない。
兵士はもちろん、強力な攻撃魔法を操るテオドールも、率先して戦いに参加していた。
国王を戦いの場に出すなどありえないという意見もたびたびあがったが、彼の力なくしてこの小国を守っていくのは至難の業だった。
テオドールは強く、その戦力によって明らかに国の防衛力は増していた。
そんなわけで若き国王は、執務と戦の両方をこなすこととなり、多忙を極める身となった。
おそらくは国一番忙しい男だろう。
今回も十五日ぶりの帰還だ。
そのため書き物机の上は、山積みの書類で埋まっていた。
珍しい光景なわけではない。
常に公務に追われているテオドールの執務室は、だいたいいつもこんな有様だった。
「お帰りなさいませ、陛下」
テオドールを出迎えた執務補佐官ジスランは、大股で歩み寄ってくると、珍しい人物の来訪を伝えてきた。
「――ジェルヴェ公がこちらに顔を出されているだと?」
「はい。いつお戻りになるかわからないとお伝えしたところ、のんびり待っているから構わないとおっしゃられて……。今は白鷺の間にてお待ちです」
「そうか。次の予定は元老院との会議だったな」
テオドールは懐から懐中時計を取り出すと、文字盤を見つめながら頭の中で予定の帳尻を合わせた。
「これからすぐジェルヴェ公にお会いする」
「ですが陛下、この時間に昼食をお召し上がりにならないと、次は二十三時まで空きがありませんよ。貴方のことです。どうせ朝も摂られていないのでは?」
線の細いすらりとした体躯と、メガネをかけた神経質そうな顔つきがいかにも文官らしい印象を与えるジスランは、もともとテオドールにとって六つ違いの学友だった。
そのためか、それとも彼の性質なのか、ジスランは相手が国王陛下であろうとも、お小言を容赦なく投げつけてくる。
ただし本心から心配してのことだったので、テオドールも煙たがったりはしなかった。
学友から、国王と執務補佐官という関係になっても、テオドールにとってジスランは、気心の知れた兄のような存在なのだ。
「朝食を抜くなど、私からしたら考えられません」
「食べている時間がもったいない。それに朝と昼の食事を抜いたぐらいでは、死なないだろう?ジェルヴェ公との面談の間に、会議の準備をしておいてくれ」
「食生活の乱れ、慢性的な睡眠不足、過労が重なれば、死を招く恐れは十分あります」
銀フレームの中の細い瞳が、気遣いと非難を綯い交ぜにしたような視線を投げかけてきた。
「戦闘面では無敵だと謳われる貴方でも、病に侵された場合、そうはいかないでしょう。どうかご自愛下さい。王位を継承されてからの生活は、目に余るものがあります」
確かにジスランの言うとおり、このところ真っ当な生活を送れていない。
そのせいか頭痛を覚えることも多い。
「わかった。今、死ぬわけにはいかないからな。夕食はしっかり食べるとしよう」
信用ならないという顔をしたジスランが口を開く前に、言葉を付け足す。
「ジスラン、日頃からの気遣い感謝している」
柔らかく微笑みかけられたジスランは、毒気を抜かれたように黙り込んだ。
信頼を込めた眼差しと共に、そんなふうな言葉をかけられては、お小言を飲み込まざるを得ない。
普段のテオドールがほとんど表情を動かさないからこそ、時折見せる親しげな笑みには、どうしたって心を動かされた。
『浮世離れした美貌を持つ国王陛下の微笑は、老若男女を問わず、どんな相手の心も一瞬で捕らえてしまう』
人々の間に広まるそんな評判は、決して大げさなものではなかった。
テオドールは他者の感情を翻弄する気など皆無だし、今、ジスランに向けた言葉にも裏の意味などない。
ジスランなどはテオドールの人となりをわかっているからいいものの、妙な誤解をして面倒を起こす輩は後を絶たない。
国王という立場から考えると、人心掌握術は
重要な武器になる。
とはいえ度が過ぎて魅了してしまうのは、やはり問題だった。
少し前にも、テオドールから寵愛を受けていると勘違いした侯爵令嬢が乗り込んできて、騒ぎを起こしたばかりなのだから。
「せめて陛下がどなたか一人に心を向けてくだされば、面倒な誤解も生まれないのですが……」
「なんの話をしている?」
「いえ、なんでもありません」
ジスランが複雑な気持ちになっていることになど気づかず、テオドールは慌ただしく執務室を出ていった。
テオドールがひとところに一時間以上留まっていることは、かなり稀だった。
◇◇◇
テオドールが白鷺の間に足を踏み入れると、ジェルヴェ公はこちらに背を向けて、のんびりと庭園を眺めているところだった。
「ずいぶん忙しくしていらっしゃるようですな、陛下」
ゆったりとした仕草で、ジェルヴェ公が振り返る。
祖父であるジェルヴェ公が諸外国巡りの旅に出て以来、数年ぶりの対面となるが、彼の与える印象は全く変わらなかった。
穏やかな声音も、理知的な態度も、どことなく掴み所のない眼差しも。
「ジェルヴェ公。旅はいかがでしたか?なかなかご挨拶に向かう時間が取れず、申し訳ありませんでした」
「なにをおっしゃる陛下。なかなか挨拶に来ない無精をしていたのは、儂のほうですよ。実は戻ってからずっと、畑作りに精を出しておりましてな」
「畑、ですか?」
戸惑い気味に尋ねる。
ジェルヴェ公が単なる雑談をするため、宮殿のほうへ顔を出すとは思えない。
しかし、それならこの話はどこへ繋がっていくのだろうか。
「ただふらふらしていたおかげで、妃殿下にお会いできましたしね」
「……! ……エミリアにですか?」
予想外の言葉を聞き、一瞬、頭が真っ白になった。
腑抜けた声でなんとか返事をしたものの、まだ混乱している。
離宮から出ることのないエミリアが、どうしてジェルヴェ公と会う機会を得たのか。
わけがわからない。
「陛下も随分と意地悪をなさる。妃殿下が会いたがっておられるというのに、袖にするとは」
(会いたがっている?)
テオドールの眉間に刻まれていた皺がますます濃くなる。
混乱が困惑に変わっていくのを感じた。
「何かの間違いでは? エミリアが私に会いたがるなどありえません」
「いえいえ、確かに本人から聞きましたぞ。侍女長を通して陛下に謁見の申し込みを出したのに、未だに返事をいただけていないと」
驚きのあまり目を見開く。
謁見の申し込みなど目にしていない。
もしや先ほど書き物机の上に載っていた書類の中に、その文が紛れているのだろうか。
「少々お待ちください、ジェルヴェ公」
にこにこしている老人に言い残し、急いで執務室に戻る。
会議の準備をしていたジスランは意外そうな顔で、テオドールを出迎えた。
「陛下。ジェルヴェ公との会談はもう終わったのですか?」
「いや、まだだ。最近来た封書はここだな?」
「いえ、こちらです」
ジスランはテオドールが手を付けようとした机の上の書類ではなく、部屋の隅にある三つの木箱を指さした。
「これは?」
「右から順に、重要度高、重要度中、左が重要度低のものとなります。なお机上にあるものは、時期を問わず最重要のものとなりますが」
なら、妃からの手紙はやはりここだろう。
テオドールは机の上に積まれた書類を探しはじめた。
「陛下……?」
ジスランが訝しげに問いかけてくる。
しかし今は構っている場合ではない。
探しても探しても、エミリアからのものらしき手紙が出てこないのだ。
「ない。おかしい」
では、重要度高の箱の方か。
そう思って探してみても、手紙は見つからない。
重要度高のあと、重要度中ときて、手紙はようやく見つかった。
重要度低の箱の中、かなり下のほうに、エミリア付き侍女長の名前で封筒があったのだ。
テオドールはそれを掴み、再び執務室を出て行った。
珍しくかなり慌てた態度で。
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