11 厨房の使用権(本)を手に入れました
「ああ、本当に美しいスープですねえ」
おじいさんは独り言のように呟くと、大切なものに触れるときの慎重さで、そっとスープを掬い上げた。
ドキドキしながら、おじいさんの動作を見守る。
わ、おじいさん、食べ方すごくきれい……。
おじいさんの食事をする姿は、とても洗練されていて、ひとつひとつの仕草がとても上品だということに気づいた。
やっぱり、このおじいさんかなり身分が高い人なんじゃ……。
そんな人に、プロでもない私が料理を作ったりして大丈夫なんだろうか。
やんごとなき御仁だったら、普通は必ず毒見をされるものなんじゃないの?
今さら、不安になってきた。
でも止めに入るか迷っている間に、おじいさんはスープを口に運んでしまった。
ああっ。
一瞬で、心拍数が早くなる。
毒なんて入れてないけどね!?
おじいさんはゆっくりと味わうように瞳を伏せた。
その直後――。
「……んんっ!?」
カッと目が見開かれ、くぐもった声を上げた。
「これは……っ」
えっ!?
毒がどうのと考えていたせいで、本気で焦った私のことを、おじいさんがガバッと振り返った。
「とてもおいしい……! 感動しましたぞ!」
「ほ、本当ですか……」
「さらさらとした口当たり、口内に広がる優しい甘み……。シンプルながら、素材の持ち味を活かした最高のスープです!」
熱意のこもった優しい目が、決してお世辞ではないよと訴えかけてくる。
変に謙遜するのは失礼だと思い、私ははにかみ笑いを返した。
お口に合ったようで、よかった。
おじいさんに喜んでもらいたい一心で作ったスープだったから、すごくうれしい。
「このひんやりしたところがまた新鮮でいいですな。初めての味と出会うことが、こんなにうれしい驚きに満ちているとは……。妃殿下、ありがとうございます。あなたはこの年寄りに、新しい喜びを教えて下さった」
褒められすぎなのが恥ずかしくて、頬が熱くなる。
おじいさんは噛み締めるように、スープをもう一口二口と口に運んだ。
「このなめらかな舌触り。芋の味をちゃんと感じられる。儂の育てた野菜が、こんなにおいしいスープに変化するとは……」
感極まったような言葉を繰り返しながら、あっという間にスープを完食してしまった。
求められたお代わりをよそったあとは、私も隣の席でいただくことにした。
スプーンで掬って試しに一口。
すぐに優しい味が口内にふわっと広がった。
そう、これこれ。
母から習ったスープの味だ。
ほどよくとろりとしているけれど、決してしつこくはない。
おじいさんが褒めてくれたとおり、新鮮な野菜だからこそ出せる深みのある甘い味がした。
飢えていた胃袋が、喜んでいるのを感じる。
ああ、久しぶりに体が求めている料理を食べられた。
おじいさんはお代わりの分のスープも、完食してくれた。
私もせっせとスプーンを口に運ぶ。
「ふー、心が満たされた……」
グーグー鳴っていたおなかが、なんとか落ち着いてくれた。
ただ、スープでおなか一杯になってしまうのは問題だ。
ほとんど絶食状態だったから、胃が小さくなっているのだとしても……。
エミリアちゃん、もともと食が細かったのかな。
これから少しずつ食べられる量を増やしていかなくちゃね。
最後の一滴まで飲み終わって、スプーンを置いたとき、斜め上の辺りから強い視線を感じた。
ん?
首を傾げつつ、顔を上げると、こちらを凝視している料理長とばっちり目が合った。
料理長は慌ててあらぬ方を見た。でも、すぐまた視線が戻される。
もしかして私のスープに興味を持ってくれてるのか?
勘違いだったら恥ずかしいけど、知らんぷりもしていられないので、確認を取ってみる。
「あの、よければ料理長もどうぞ」
「……! い、いえ。どうぞお気遣いなく……」
料理長はまだスープの入っている鍋を凝視しながらも、ぐっと口元を引き結んで断ってきた。
「ほっほっ。料理長、せっかく新しい味にであえる機会をふいにしてしまうのですか?」
「そ、それは……」
「本当は妃殿下のスープが気になってしょうがないのでは?」
料理長はぐむっと唸って、スープと私を交互に見やった。
むっつりした顔のままなのに、彼が何を考えているのか手に取るように伝わってくる。
ものすごーく葛藤しているようだ。
さすがにその態度で確信を持つ。
やっぱり料理長、興味を持ってくれているんだ。
でも職人としての意地が邪魔して、素直になれないのだろう。
ちょっと頑固者だけど、このおじさん、嫌いじゃないかも。
私は苦笑して、勝手にスープを一人前分よそってしまった。
料理長は濃い味つけが好きな人だ。
そういう料理を毎日作っている。
私のスープが彼の口に合うことはないだろうけれど、興味を持ってくれているなら試して欲しい。
「もしよかったら一口だけでも、味見してみてください」
料理長は眉を下げて、私を見つめてきた。
そういう顔をされると、いよいよ憎めない。
「……妃殿下と言えど、お世辞で褒めることはいたしませんよ。料理人のプライドがありますので」
「無理して褒めてもらいたいなんて思ってませんって」
私が肩をすくめて笑顔を向けると、料理長は目を見開いたまま固まってしまった。
「料理長?」
「あっ、し、失礼しました」
逃げるように俯いた先には、私のスープが。
彼は一度大きく息を吐き出すと、腹を括るための儀式のようにグッと目を閉じた。
「では、少しだけ……」
料理長はひと掬いしたスープをじっと見つめたあと、えいっという感じでそれを口に運んだ。
最初の反応は、やっぱり私が予想したとおりのものだった。
「……味が薄い」
ああ、やっぱり。
ところが、すぐにつき返されてしまうかと思いきや、料理長は二口、三口とスープを口にし続けた。
「……薄いがそれだけではない何かが潜んでいる……気がする」
完全に独り言になっている。
私が困惑していると、隣に立つおじいさんが無言のまま目配せしてきた。
料理長のスプーンはまだ止まらない。
「なんだろうな。わからない……。もう一口……」
驚いたことに、結局、料理長はスープを完食してしまった。
料理長が口元をハンカチで拭ってから、少しの間、厨房はなんともいえない静寂に包まれていた。
うっ、息が詰まる。
たまらなくなって、私のほうから「どうですか?」と聞きかけたとき――。
「申し訳ありません、妃殿下。いまの私には、この料理を語る言葉が見つかりません」
「えっと、お口に合わなかったなら無理しないでください」
「いえ。そうではないのです」
たじたじしている私をじっと見つめたあと、料理長は慇懃な態度で丁寧に頭を下げた。
「私は私の料理に誇りを持っています。濃厚な味つけ、全ての者の腹を満たすボリューム、見た目の豪華絢爛さ。――妃殿下のスープを口にした率直な感想は、『味が薄い』というものでした。ですが、この料理はそれだけではない。私は確かに、この味の中に旨みを感じているのです」
「料理長さん……」
「ただこの旨みの正体がなんなのか、まだわからない……。王室専属料理人となってから十五年。私の舌は濃い味つけに慣れすぎて、繊細さを失ってしまったのかもしれません。料理人として、お恥ずかしい限りです」
自分を恥じるように頭を下げた料理長を前に、私はますますたじろいでしまった。
そこまで重い話だったっけ……!?
私が困り果てているのに気づいたのか、おじいさんが助け船を出してきてくれた。
「ならばどうでしょう、料理長。これからも妃殿下の料理を、時々ご相伴にあずかるというのは」
「え!?」
「妃殿下。よろしければ今後も儂らに料理を振舞っていただけませんか」
「私は料理させてもらえるなら、ありがたいですけど」
料理長のほうはそれでいいのだろうか。
不安を抱きつつ、ちらっと視線を向けると、なんと料理長からも頼まれてしまった。
「妃殿下、私からもぜひお願いいたします。殿下の料理に感じるものがなんなのか、その正体を見極められなければ、私は料理人としてこれ以上成長することができないでしょう」
「それじゃあ、その、私が厨房を借りに来ても大丈夫ってことですか?」
「ええ、もちろんです。いつでもお待ちしております」
「……! いつでもって本当に!?」
つい前のめりに聞き返すと、料理長は目を丸くした後、初めて私の前で表情を崩した。
笑うと取っつきにくい印象が和らいで、イケオジという感じの雰囲気になる。
「妃殿下は本当に料理がお好きなようですね。是非、これからも厨房を使ってやってください」
うそみたい。
まさかの展開で、厨房の使用権を手に入れてしまった。
しかもおじいさんから、あの畑の野菜を好きに使っていいとのお許しもいただいた。
わあ、どうしよう!
うれしい……!
新鮮な野菜と厨房があれば、いつでも好きな時に体の求めている料理を口にすることができる。
あとは侍女長から外出の許可を得るだけだ。
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