篭
太陽が少し西側に傾き始めた時、オベリアは西門前の広場に着いた。
腹も空いてきたので何か食べようかと思っていたとき、それはオベリアの視界に入ってきた。
「あれ……なんだろう。」
獣が門の両脇に座っていた。周りの様子を見る限り、どうやら検問がより厳しくなったみたいだ。
その体は成人男性よりも大きく、黒く短い体毛が光に反射して、その筋肉量を更に際立たせる。
とてもじゃないが、今のオベリアが太刀打ちできるような相手ではない。
オベリアが遠くからジッと見つめていると、片方の獣と目が合った。
オベリアはさっと目を伏せ、足早に立ち去った。
その直後、少し遠くから獣の咆哮が聞こえた。
その瞬間オベリアは走り出した。
あの獣が追って来ると瞬時に理解したのだ。
運の悪いことに、オベリアが通っている道は路地が少なかった。
路地を探して必死で通りを駆け抜ける。少し先に小さな路地を見つけたが、何か大きな力がオベリアを横に吹き飛ばした。
脳と視界が揺らぐ。
体中痛くて思うように動かない。
口の中は徐々に鉄の味で満たされていく。
明るかった視界が少し暗くなったかと思うと、大きな板のような物で体を仰向けにされた。
生暖かて湿っぽい空気が肌を撫で、低い唸り声が鼓膜を震わせる。
オベリアが最後に見たのはあの黒い獣だったのだろう。
なんとか保っていた意識はそこで途絶えてしまった。
**************
「な〜、もう丸一日は閉じこもってるぜ?」
「…………。」
「ん?おい、返事しろってば。」
「…………zzz」
「ったく、俺はもうクタクタだから帰るぜ?」
「zzz…」
「はぁ……。」
鎧の男は自分の鎧に着いている外套を、書物を開き、座ったまま眠ってしまった女にかけた。
男は静かに書庫を出た。するとすぐに横から兵達がガシャガシャと音を立てて駆け寄ってきた。
「ゲイル団長!ご報告申し上げます!」
「あぁ折角なんだが、場所を変えよう。なんだか外の空気が吸いたいんでな。」
「はっ!お伴します!」
「すまないな。」
男は兵を連れて一番近いテラスに出て、葉巻に火を点けた。
男が一服すると、兵は声をかけた。
「それより団長、鎧の外套はどうされたのですか?」
「ん?あぁ、少し急いでたんで忘れたんだろう。まぁそんなことは良い。用件は?」
「はっ!今日の昼過ぎに門に控えさせていた三号が少女を捉えました!」
「三号が女児を?まさか暴走ではあるまいな?」
「いえ、三号は少女を気絶させた後、そのまま元の場所に帰還し、辺りの警戒に勤めていました。」
「ほぉ。それでその女児はどうしたんだ?」
「はい、その事なんですが……」
**************
「…………あれ?わたし……」
オベリアはベッドの上で目を覚ました。ここが知らない場所だという事は匂いで分かった。服も気を失う前に着ていた物ではなかった。
上は袖の無いシャツに、半分透けててヒラヒラしてる、無駄な布が着いてて、下は簡素な半ズボンだった。上下ともに汚れひとつなく、真っ白に洗濯されていた。
そして起き上がろうとしたが中々起き上がれなかった。自分のあちこちが包帯でぐるぐる巻きにされ、片脚は少し高いところから吊るされていた。
取ろうとしたが、何か固い物がピッタリと巻きついていて自力で取れそうになかった。
「邪魔だなぁ……」
オベリアがそう呟く。
それに呼応するように、オベリアの視界の外から黒い影が伸びてきて、脚にまとわりついていた物を飲み込んだ。
オベリア自身もこの黒い影を見るのには慣れた。
最初に見たのはあの果実を食べた数日後……その後も度々目の当たりにした。
初めこそどう扱ったらよいのか分からず、只々暴走して周りが荒地になるだけだったが、最近は少しずつ扱いに慣れてきた。とは言ってもいつ出てくるのかは未だに掴めない。
「あ……」
ふと横に目をやると小さなテーブルに、果物が篭一杯に盛られていた。
アレコレ考える前に一番上の、真っ赤に熟れた一口大の小さな林檎を食べた。
赤い色に反して甘みはあまり感じられなかった。3つ目を口に頬張ろうとしたが、それは口に運ばずに篭の中に戻した。
代わりに少し長く曲がっていて、所々黒い斑点のある黄色の皮の果物を手に取った。5本くらいの束から1つもぎ取る。訳もわからずとりあえず半分に折ると中の白い部分から甘い香りがした。
試しに齧ってみる。渋いような苦いような、なんとも言えないモノが甘さを邪魔した。なんとか中の部分だけを食べようと試みるが、口の周りや手がベタベタしてそれどころではなくなってきた。
「きもちわるい……」
辺りを見渡す。
ここの部屋は広いくせに、ベッドと果物の篭が乗った小さなテーブル、小さめの暖炉、そして木の椅子ひとつしかなかった。
外に出るべくドアノブに手をかけようとすると、ドアは勝手に開いた。
オベリアは一瞬だけ驚いたが、すぐにその隙間を縫って外に出た。
そして右側の廊下を進もうとした途端、何かにつまみ上げられた。
「女王陛下、勝手に部屋から出て来られては困ります。」
首だけ後ろに向けると、眼鏡をかけた女性がしかめっ面でオベリアを見ていた。
「お姉さん誰?私は手を洗いたいんだけど……」
それを聞いて女性は呆れた顔をしてため息をついた。
恐らくこの女性は、自分を再びこの部屋に閉じ込めるつもりだろう——そう思ったオベリアは捕まった薄い布を影で引き裂き、一目散に逃げた。
女性が何か叫んでいたが、オベリアが後ろを振り返ることはなかった。
あれからしばらく迷路のような廊下を走り回ったが、お手洗いらしき場所は見当たらなかった。
ふと大きな窓から外を覗くと、下の方に小さな噴水があった。
「陛下!早くお部屋にお戻り下さい!」
「あ、またあの人だ…」
息が切れていながらも、よく通る声でさっきの女性がこっちに向かって走ってきた。
「仕方ないよね。このままベタベタしてても気持ち悪いし、おトイレは見つからないし。」
オベリアは少し後ずさって、思いっきり窓ガラスに飛び込んだ。
ガシャーン、とガラスの砕け散る音が響く。
横目で女性が追いかけて来ないことを確認すると、オベリアは呟いた。
「“ダルク”…お水の所まで連れてって。」
ダルク、とはオベリアが影に付けた名前である。それまでにもいくつか呼び名があったが、一番反応が良かったのが “ダルク” だった。
オベリアが呼ぶと、服の影からダルクがオベリアをすっぽり包んだ。
そしてギュッと小さくなって消えたかと思うと、噴水に一番近い影からずるりと真っ黒な影が現れ、そこからオベリアが顔を出した。
オベリアがよじ登るように影から抜け出すと、影の濃さも周りと同じくらいになった。
「ありがと、ダルク。」
オベリアは自分の影に礼を言った。
そして手と口元を洗い終わる頃に、さっきの女性が顔を真っ赤にしてオベリアの前に立った。
今度は逃げられないよう、女性はオベリアしっかりと抱っこした。
口と手をゴシゴシ拭かれ、抱っこされたオベリアは何だか複雑な気分になっていた。しかしそれは身の世話をされている事にではなく、もっと別の、得体の知れないモヤモヤとした感情に対してであった。
お久しぶりです。そして大変お待たせして申し訳ございません。<(_ _)>