宿
オベリアは朝早くに宿を出た。
人は少ない。小鳥のさえずりが聞こえるが、森にいた時のような爽やかな気分にはなれない。寧ろ街の不気味さを際立たせていた。
半刻ほど経っただろうか、洗濯物を干す女や店の準備を始める人が増えてきた。
ついでに警備兵も街に出始めた。昨日の夜の出来事もあり、オベリアはできるだけ警備兵らを避けるように西の街に進んだ。
進むにつれ、街道を埋める声に少しずつ活気が増えていく。端の方に比べれば多少はマシなのだろうか。
ぐ〜……
朝早くからエネルギーを消費する体は、香ばしく焼けた肉串やトウモロコシの匂いにつられて鳴き始めた。
金は十分にある。オベリアは鳥串とトウモロコシをそれぞれ2本ずつ買った。
流石に歩きながら食べる事は難しかったので、近くの広場で食べることにした。
噴水の側の長椅子に背負っていた荷物を置き、その隣に腰かける。まだ暖かい鳥串を頬張り、続けてトウモロコシを齧る。鳥の脂とトウモロコシの甘さが口一杯に広がる。
「ん〜〜!おいひぃ!」
これに勝る幸福はこの世にないのではなかろうか。
オベリアはそう思いながら幸せそうに食べていると、それを囲むように警備兵達がオベリアの前に立った。
周りはそれを見てオベリア達の周りから離れていった。しかしそんな事はお構い無しに、オベリアは鳥とトウモロコシを満面の笑みで咀嚼する。
警備兵の1人が少女の膝の上の鳥串に手を出そうとした、その時だった。
メキャ…!
「ぎゃぁぁああ!!て、手がアァァアア!!」
突然警備兵の手がグシャリと潰れて血を噴き出した。周りの警備兵は予想外の出来事に困惑する。
少女はその場から動いていない。そして警備兵の事も見ていない。まるで何をいないかのような振る舞いをする。そして顔色ひとつ変える事なく警備兵が奪おうとした鳥肉を幸せそうに頬張る。
「お、お前!一体何をした!!」
「ふふっ、おいし!」
「こんのぉ!ふざけるな!」
警備兵の1人が少女に掴みかかろうとしたが、触れる前に後ろの噴水に放り出された。
少女は手を出していない。ただ食べ物を口に運び、その度幸せそうな顔をするだけ。
それを見た他の警備兵は少女の荷物を奪おうとした。吹っ飛ぶ覚悟もしたが、特に何も起こらなかった。
「ねぇおじさん?私の荷物をどうするの?」
警備隊の隊長は背筋を凍らせた。事実動くことができなかった。
少女は満足気な顔をしていた。
「まぁそんな事はどうでもいいか。それじゃあね、兵隊さん。」
少女は荷物を背負うと警備隊に背を向けた。
「あ、そうだ!これ、あげるね!」
少女は荷物のあった場所に鳥が刺さっていた串を2本とも椅子に刺した。
串の先には警備隊達の手がある。
「それじゃあ、またね!」
少女の影が警備隊の影から離れると、限界まで張られた糸が切れたように警備兵らの束縛は解かれ、串は掌から手首まで深々と突き刺さった。
少女は痛みに悶える警備兵を静かに笑い、その場から立ち去った。
その後も少女は食べ歩きをしつつ西に進んだ。
「わぁ〜、大きなお城。」
おそらく王国の真ん中あたりまで来たのだろうか、広場に出ると右手の少し奥に大きな城門と城が見えた。周りにいるのも、昼前の警備兵なんかより立派な鎧をガシャガシャと鳴らす兵士がほとんどだ。
「一日中歩いたし、今日はこの辺りで休もうかな。」
歩き続けているうちに、背負っている荷物も少しずつ軽くなってきた。
大家族の夕飯の買い物から帰る頃だろうか、沢山の野菜やお肉を持つ女性に話しかける事にした。
「お姉さん!今夜ここら辺で泊まろうと思うんだけど、どこかいい場所ないかな?」
体つきの良い女性は少しだけ驚いていたが、すぐににっこりと笑った。
「あら、大きな荷物を持って。どこかへお出かけなの?」
「ううん、一人で色々な所へ行ってるの!」
「まあ!それは凄いわね!そうねぇ…たしか今日はまだ部屋が空いてたと思うからうちにいらっしゃいな。少しうるさいと思うけど、泊まるには困らないと思うわ。」
「ほんと!?ありがとうお姉さん!」
「どういたしまして。それじゃあ行きましょ。」
この女性は普段『お姉さん』と呼ばれる事が少ないのだろうか?そんな事を少女は考えたが、すぐにやめた。
話を聞くと、女性は少し広めの酒場と宿屋の看板娘らしく、その買い出しの帰りだったらしい。
店に来る客は酒飲みが多いが、常連の老人や友人もよく来るみたいで、出される料理は西側出身のお姉さんが作る家庭料理らしく、評判もいいみたいだ。
【close】の木板が掛けられたドアを開けると、思ってたよりも広い食堂だった。
女性は店に着くなり、奥の台所に向かっていった。何か作ってくれるようだ。
少女はカウンターの高い椅子に座ってお行儀よく待つ事にした。
「姐さーん!いるかー?」
『あらパヴリエル、悪いけど少し待ってくれるかしら?」
「あーい。ん?誰だお前?」
ジュウゥゥ…と何かが焼ける音が聞こえた頃、さっきの女性より若い赤髪で『パヴリエル』とお姉さんに呼ばれた褐色肌の女性が入ってきた。
「こんにちわ!赤毛のお姉ちゃん!」
「……姐さん、このガキどしたの?」
「この子?今夜ここに泊まるお客さんよ。一人で旅してるんですって、こんなに小さいのにすごいわよね〜。」
台所から戻ってきたお姉さんは赤髪の女性にそう言うと、ふんわりとした黄色い楕円形の物に少し酸味の香る赤いソースをかけた物とナイフとフォークを少女に出した。
「お姉さん!これなぁに?」
「オムレツよ、初めてかしら?美味しいから食べてみなさいな。」
「いただきまーす!」
オムレツにナイフを当てるとオムレツは少し反発した後にスッとナイフを通した。
中には鶏肉が入っており、味はブラックペッパーとチーズというシンプルな物だったが、とろけるような口当たりの中にも確かな食感を感じることができた。
「あらあら、よっぽど気に入ったのね。」
「姐さんは何作らせても美味いからな!どれ、オレも一口……」
右隣で別の物を食べていたパヴリエルが、少女のオムレツにフォークを伸ばしたその時……
——ドスッ
「私の『おむれつ』取らないで……」
「あ、あぁ……悪かったよ。」
少女はパヴリエルのフォークにナイフを突き立て、鋭い目つきで彼女を睨んだ。
先程までの振る舞いからは到底想像もつかない少女の殺気にパヴリエルは唖然としていたが、お姉さんはそれを微笑ましく眺めていた。
「フフフ、一人旅っていうのは、あながち嘘でもないみたいね。」
「あー、やっぱりお姉さんも信じてなかったんだー。」
「あら、バレてたの?ウフフ、ごめんなさいね?でも、どうして旅なんかしてるの?お母さんやお父さんは心配してない?」
「あぁ……それ、なんだけど。」
少女は俯いた。それはこのお姉さんに更に迷惑をかけてしまうかもしれない、と思ったからだ。
お姉さんは黙り込んでしまった少女の様子に首を傾げた。
「ううん!お父さんもお母さんも大丈夫だよ!」
「そう……それなら良かったわ!」
「えへへ…///」
「あ、そういえばまだ自己紹介をしてなかったわね。私の名前はスコールって言います。改めてよろしくね?」
「私はオベリアだよ!よろしくね!」
「…………。」
スコールとオベリアの会話を隣で見ていたパヴリエルは、笑うオベリアをただジッと見つめていた。
この時スコールとパヴリエルは気づいていた。
オベリアと名乗るこの少女の両親は既にこの世にはいないという事に。
「ちょっと寝てくる……また後で来るよ、姐さん。」
「そう、お休みなさい。」
「ん。」
察した理由はそれぞれ違った。
スコールは職業柄顔色を見るだけで大抵のことを把握できる。
しかしパヴリエルはスコールとは違い、普段から他人を小バカにするような性格だ。じゃあなぜ察することができたのか?それは彼女も同じ——いや、似たような境遇であったからだ。
間が空いてしまったので、次はこれまでのまとめとかになるかもです。