果実
今日は珍しく晴れた。晴れるのはいいことだと思う。足の皮がふやけて腐ったりしないし、夜は冷え込まない。でも水分を含んだ生ゴミが臭いだし、傷ついた足にとっては乾いた地面は棘に等しい。
それはそうと、少女は目を覚ますと昨日の少し栄えた街から離れて森に入った。入るだけならいつでも入れた。でも街で流れていた"とある噂"のせいで、森に入る事はなかった。
しかし『もうこの街で生きてはいけない。あの森なら、きっと食べ物がたくさんあるに違いない。』そう考えた少女は森に入る事を決心した。が、森の環境は少女にとってあまりにもが厳し過ぎた。連日の雨によって地面はぬかるみ、木の根や石が足裏に刺さる。街とはまた違った気候のせいもあり、少女の意識は朦朧とし始めた。
「あ……食べ物だ。」
緑と茶色の世界に一つだけ真っ赤な色が見えた。ぼやけていく視界でも分かるほど、ソレは目立っていた。
『もう毒でもなんでもいい。この空腹を満たしてくれるのならばなんでもいい。』少女は不自然なほどに真っ赤で、両手で抱えるほどの大きさのソレを、茎から強引に引きちぎると、何も疑うこともなく齧りついた。
「甘い……甘いよぉ」
真っ赤な果肉は柔らかく、中心部からは紫色の液体がドロリと溢れ出す。その果実は種子まで柔らかく、その果実は全てが甘かった。特に種子の甘さは病的なまでの甘さだった。
そのあまりの甘さに少女はポロポロと涙を流した。ゆっくりと咀嚼し、舌で存分に味わってゆっくりと飲み込んだ。手についた蜜も綺麗になめとった。
生まれて初めて満腹になった気がした。そのせいなのだろうか、急に力が湧き上がってくる感じがした。
「……?」
少女はさっきの果実の茎が茂みの中へ続いてる事に気がついた。
『もっと食べたい!』そう思うよりも早く体はそちらに向かっていた。
子どもが四つん這いになってようやく通ることができる程に狭い通り道の真ん中に、あの果実の茎は続いていた。
「はぁ……はぁ……!」
もう何時間地面を這っているのだろう。この道の終わりがないように思えてきたが、今更引き返す選択肢などなかった。
掌や膝、脛、顔に至るまで、枝の棘や石ころで傷だらけになっていた。特に掌と膝の傷は滅茶苦茶になっていた。しかし少女はそれを気にも止めず、ただひたすらに茎を辿った。
そしてやっと出口が見え、明るくなった。
『またあの果実を食べれる!』少女は想像した。あの真っ赤な果実がたわわに実る絵を。考えただけであの甘さを思い出して溶けそうになる。
「……え?」
しかし少女が期待した物は待っていなかった。待っていたのは真っ赤な果実が沢山なっている光景ではなかった。
自分なんか比にならない程大きな紫色の繭のような物体が一つ。その周りには少女が食べた果実がたわわに実っていた。
「…………」
あの果実がたわわに実っている点では同じだが、想像してた光景との落差が激し過ぎて少女は言葉を失っていた。
すると果実の一つが小刻みに震えだした。何故か少女はそれから目を背けることは出来なかった。
徐々に震えは大きくなり、グパッと果実が割れて目玉がギョロリと姿を現した。そしてそれに続くように他の果実も割れ始めた。
「あ、あ……」
少女は自分のお腹をさすった。血はすでに乾いていたが、ジンジンと痛む。
『私はアレを食べた。』その事実から目を背けようと視線を下ろした。
「!?」
そこに追い打ちをかけるよう、更にショッキングな光景を目にした。下には自分と同じ人間の骨らしきもので埋め尽くされており、そこにもあの果実はなっていた。『あの果実も咲いてしまうのだろうか。』考えるだけで震えが止まらなかった。
嫌な視線をどこからともなく感じる、思えば体が熱くなってきた気がする。
「あ……ァァア"ア"ア"ア"ア"!!!熱イ"ぃぃぃぃぃ!!!た、タスケ…ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"!!!!!」
そしてそれは次第に高くなっていって、少女は遂に悶え始めた。それは火刑にかけられてるかのような熱さだった。臓物が煮えくりかえり、脳が沸騰する。まさに地獄だ。
少女はただ苦しみ、のたうち回る事しかできなかった。
次第に限界が近づいてきた、少女の意識は溶けるように薄れていった。薄れゆく意識の中でも、少女はまだ咲いていない果実に手を伸ばすのだった。
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魔法———魔法は特別な力だ。その特別な力の中でも特別な者は領主になれる。またその中でも特別な者は国王になれる。要するに、力があれば思いのままに生活ができる。その金ならいくらでも湧いてくる。だから毎晩違う女を侍らせようが、いくつも大きな家を建てようが、そいつの自由だ。人を殺めたとしても、きっと許されるだろう。
けれど魔法は無限じゃない。一度切れてしまえばお終いである。だから魔法の扱える国王は存在しない。大抵は暗殺されるか、魔力が枯渇して干からびるだけだから。結局は純粋な力が全てとなる。『魔法使いにロクな奴なんて居ない。』血塗れた歴史から、人々は魔法使いに対してそんな先入観を抱くようになっていた。
「う、うぅ……」
少女が目を覚ました。ボヤけた視界には紫色しか入ってこない。明かり一つないくせに、まわりは明るかった。
ボロボロな服はいつも通りボロボロのままで、徐々に鮮明になっていく視界が捉えたのは、紫色に濁った池に浸かる自分だった。池に自分の顔が毒々しく映る。
右手に違和感があった。知らぬ間に何か握っていたようで池の中から手を出す。
「ひっ…!」
歪な形をした小さな目玉だった。少女はすぐに投げ捨てた。目玉だったモノはドプンと音を立てて池に消えた。
ふと上を見ると、あの大きな繭が縦にパックリ割れて、中からは紫色の液体を滴らせるグチュグチュした黄色い物体が顔を見せていた。
あまりの不気味さに少女は声も出せず、暫く動けないでいた。
「おーい!そこでなにしてるのー?」
無駄に響いた声に少女はビクッとして、恐る恐るその声がした方を見た。育ちの良さそうな少年が池の岸辺にいた。
「ねぇ!そこにいたら危ないよー!こっちに来なよー!」
少女は何もしないままカタカタ震えていた。すると少年がこちらに向かって走り出した。バシャバシャと音を立てながらこちらに向かってきた。
少女は逃げようとして反対側に走り出した。池はそこまで深くはなかったが、足場がグニュグニュしてて何度か足を取られて転んだ。逃げ道を探しながら走ったが、そんなものはどこにも見当たらなかった。
「捕まえた!」
そうこうしてる間に、少女は少年に追いつかれて押し倒されてしまった。
ヒンヤリと池の水が背中を冷たくする。
『これから一体何をされるのだろうか。』少女はさらに震えた。
「ねぇ!君何でここにいるの?名前は?お父さんとお母さんは?どこにいるの?」
「………」
ぐ〜……
少女の心境を無視するかのようにお腹は鳴いた。すると恐怖は消え、とてもお腹がすいてきた。
「ん?お腹すいたの?僕リンゴ持ってるからカバンのところに行こう!」
少年は少女の手を引っ張って、さっきいた岸辺に少女を連れていった。
その間、お腹は何度も鳴いた。『早く飯を寄越せ。』少女にはそう言っているように聞こえた。
池から上がり、少年はすぐにカバンを漁り出した。少女はふと少年を見る。自分とは真反対の血色のいい肌、程よい肉付きをした腕……もはや少女は、少年が “美味しそうな肉の塊” にしか見えなくなっていた。
「はい!どうぞ!」
「……おいしそう。」
「きっと美味しいよ!ほら、食べなよ!」
肉塊が呼んでいる。自分を食べろと呼んでいる。空腹はピークに達していた。
「じゃあ———頂きます。」