1
遅すぎる時間と早すぎる時間がある。
遅すぎる時間は、ただ何もすることごなくて一分一秒が長く感じられる退屈な時間。早すぎる時間は楽しかったり焦っていたり、一分一秒が惜しまれる時間。
僕の時間は早すぎる時間にいる。
最寄りの大きいスーパーマーケット。沢山のフードコーナーやゲームセンター、数々の専門店が並ぶ専門店街まであるくらいの大きさだ。
久々に訪れたそのスーパーマーケットで食材を買いに来たわけだ。
欲しいものは人参と糸こんにゃくとじゃがいも、あと牛肉。
適当にこまぎれで三十%引きの物を手に取りかごにいれる。
そう、一人暮らしの自分にとって最早定番と化してきた肉じゃがを作ろうと思ったのだ。調味料は家にあるため買わないで大丈夫だ。
あとはレジに並び会計を済ませるだけだ。
頭の中で肉じゃがの味を思い出す。
(へへっ)
心の中で笑みが止まらない。
「全部で千六百五十八円です。」
店員の声で我にかえり財布のなかから千円をまずおき六百五十八円を必死に探す、五百円玉と百円玉、五十円玉はすぐに見つかったが八円が全部一円玉なので探すのに苦労する。中々取れない。
何とか見付けた一円玉を大切に持ち出した僕は店員さんの手に渡す。
ふぅと安堵のため息をついた。
じりりりりりりりりりりりりり!!!!
その音は突然鳴り出した。
「えっ、火災?誰かが間違えて押したのかしら?」
目の前の店員の言葉に並んでいる他の客も騒ぎ始める。
その時ー
「大変だ!火事だ!逃げろ!」
とても大きな男性の叫び声が突如ホールに響き渡りとたんにかんだかい赤いトレンチコートをきた女性の絶叫が鳴り響いた。そして叫び声の方から徐々に走り出す。
走り出した人を見てまた誰かが声をあげて走り出す。
一瞬で何人もの人が無我夢中で走り出す。
店員さんが慌てて落ち着くように呼び掛けるが誰も聞く耳などもたない。そんな中会計を済ませていないので食材を持っていくわけにもいかず、今日のご飯を考えている状況ではないので出口に向かって走りだす。
「ちょ、痛いって、押しすぎ……」
僕が発したそんな声は人混みに消えていく。
そんな喧騒の中でひとつだけ泣いている声が聞こえた。
出口に押し寄せる人の濁流からなんとかすり抜け、鳴き声の正体を探すと、小さな男の子がお母さんの名前を叫びながら泣いていた。
どうやらこの喧騒の中でお母さんとはぐれてしまったようだ。
ほっておくこともできるが少しはある良心が働きかけ、助けようと思えてしまった。
「きみ、お母さんとはぐれたのか?とりあえずここから出よう!」
男の子の小さく震える手を握り外に出ようとする。
「あれ?」
言葉が空気に残る。
そこには静寂が響いていた。
先程までの喧騒がまるで嘘のように。
カチャリ。
スーパーマーケット正面の鍵が閉まるような音。
間もない時間にシャッターが閉まる。
外から見える光は段々と遮られていき光が完全に閉ざされた。
「ちょいちょい、マジかよ!まだここに人がいるだろ!なに閉じてんだよ!」
「うぁぁぁぁん!お母さぁぁん!!」
シャッターを強く叩くもびくともしない。
拳に赤みがまして痛みで手がしびれただけだ。
(何してんだよ、ここに子供だっているのに……)
高校をでてようやく入った大学。
これから楽しいことが待ってるかもしれないのにあんまりだ。
火事で死ぬなんて……
うぁぁぁぁぁ!!
ふと後ろから叫び声が聞こえた。
後ろを見ると背広をきた男性と同じく背広をきて眼鏡をかけた男性が大慌てで走ってくる。
その慌てようは尋常じゃなくはってでもこちらにむかってくる勢いだ。それほど火が近くなっていると言うことなのだろうか。一刻の猶予もなさそうだ。とりあえずこの男の子を母親の元に返してあげなくては……
身を震わす男の子の肩をそっと抱き寄せる。
「大丈夫さ、必ずお母さんに会わせてやるから。この小鳥遊雄一にまかせろ!」
「……うん」
男の子の手を握り、非常口めがけて走り出そうとしたとき。
PAN!
何かの破裂音がして近くの遮蔽物に男の子と共に身を隠す。
何事かとそろりと顔を少しだけあげるとさっき走っていた背広の眼鏡を着けてない方の人が足を引きずりながら泣き叫ぶ男の声。
それをゆっくりと追ってくる背丈的に男であるだろう人物。と、いうのも顔をおかめのか面で隠しているから把握できない。その男の手には拳銃があった。
頭を瞬時に引っ込める。少年に絶対に泣かないように指示をする。
今まで異常な状況に置かれているのは理解していたがこの状況は更に異常であることには違いなかった。
(いや、わけがわからない。なんなんだこの状況は……)
不用意に顔を出すわけにはいかず音を立てないように息を潜める。
ミシリ、ミシリと足音が近づいてくる。鳴き声を発しそうな男の子の口を塞ぐ。男の子は涙ぐみながら必死に声を漏らさないようにする。
ミシリ、ミシリ。
一歩二歩進んで止まった。もう動く様子はない。
そろりと顔を出して様子を伺うと足を撃たれて這いずっていた人の真上にたっているのが見えた。おかめの仮面の男(仮)は腰に下げていたナイフを取りだしじっくりとナイフを背広の男性の背中に刺していく。
「ぎぃいいあいいいいいいいい」
声にならない断末魔の叫び声が鳴り響き、恐怖が支配する。
逃げろ。ここから早く出なくては。
どうやら火災は嘘のようだ。火も煙も立ちやしない。
スプリンクラーが作動しているようだがこちらからは確認できない。
出口付近の案内図を見て非常口の場所を確認する。
今いるところが出口付近の花屋さんのレジカウンター。そこから一番近いのはここを出て食材売場を真っ直ぐいき中央にあるエスカレーターを登ればすぐ近くに非常口が設置されてある。
そこまで走れば何とかなるのだがそうもいかなくなってしまった。
さっきの悲鳴で奴の仲間と思われる人が二人ほどやって来た。
男性と女性。どちらもお面のようなものは着けていない。
二十代半ば位の見た目の男女で、特に変わった格好をしている訳ではなく、男は体つきがよく、背が高い。女性は赤いトレンチコートをきて、足がながい。くだけた感じで立ち、おかめの仮面の男(仮)に話しかけた。
「まだ一般人いたんだ。さっさと出とけば死ななかったのに。」
平然と言ってのける女性に対しおかめは絶命した男の背中からナイフを抜き取りその仮面に血を塗りつける。
「ああ、でもまだ3人ほどいるみたいだよ。んー、いいにおいだ。」
おかめは機械音声で男の声でしゃべるため男と判断して良いかわからないが男としよう。そのおかめはゆびで出口付近の食器売場の影に隠れる眼鏡の男性がいるところとこちらの花屋のレジカウンターを指した。
(えっ、ばれてる!)
心臓が震えているかのように鼓動が早くなる。
「へぇ、まだいるんだ。じゃあ、私とケインで狩ろうか。」
「……ああ」
もう一人の男はケインとよばれ日本人ではない容姿である。鼻が高く、堀が深い。青色の瞳はこちらを見ているようだ。
「じゃあ、グッパーで別れようか!」
「……なんだそれは」
「え、知らないの?ぐーかぱーをだして、グーの人はあっち、ぱーのひとはあっち!みたいなやつ。」
「……知らん」
「えー、マジでぇ、ま、いいや。じゃあ、いくよ!グッパーで……ほい!」
「よし!私はあっちね!ケインはあっち。」
「……これをする意味があったのか分からんが、まぁいいだろう。」
完全に目視されている状態で動けないのは確実。
諦める他ないように思えた。
出来るなら大学をでて中流企業につき働いて、可愛い彼女ができて、幸せな家庭をきづきたかった。そんな些細な夢は叶わないものだなと、ただ何気なく友達や家族のささえの中に生きていた自分の人生を振り返る。ケータイで電話やメールを送ろうとすると電波障害かなにかで県外のままだ。固定電話も繋がらない。完全に電源が切られているようだった。
死を、覚悟した。
男、小鳥遊雄一。ただ死ぬなんてばかみたいだ。
こんな訳のわからない死に方してたまるか。せめて、この男の子を救う夢を見させてもらってもいいじゃないか。
決心した男に勇気がともる。男の子にレジカウンターの小さな隙間に入るようにいってそのうえに花と小さな目立たないレースでカモフラージュする。
そして絶対に動かないように注意を促す。
カウンターにおいてあるカッターを手に掴む。忍び寄る足音に唾を飲み込む。もう一方の手には殺虫剤。これで目を攻撃する予定。
キリリリと、刃を剥き出しにし、固定する。足音はヒールの音ではなく革靴のような足音からして男だと判断できた。
(さぁ、こいよクソヤロウ)
ズシリ、ズシリとした足音がじょじょに近づいてくるのを微弱な振動で感じながらカウンターを飛び出すタイミングをうかがう。
じわりとにじみ出てくる汗を不快に思いながらもぬぐいとることはしない。するような余裕が今の小鳥遊にはなかった。
ズシッ。着実に、そしてゆっくりと近づく足音はあともう少しの所で止まった。正直なところたぶんあともう少しのところだ。実際はもうカウンターを隔てて真っ正面にたっているかもしれない。
だが、小鳥遊にはわからなかった。耳が悪いわけではないが、こんなにも感覚を研ぎ澄ましたことなどあるわけもなく、ただならない緊張感のあまり相手の位置を把握できずにいた。
額に溜まっていた汗がゆっくりと頬を伝い顎までおち、しずくとして地面に跳ねる。唾をぬみこむのも相手に気取られそうで飲み込めやしない。万事休すかと思われたその時。
「おい、早く出てくるがいい。何をしようが必ず死ぬことになるのだから。」
なんと向こうから場所を示してくれた。
カウンターを通り過ぎて花が並んで影になる部分などを乱暴に探している。ガシャンッと花瓶が割れる音がするが気にする素振りを見せなかった。だが、いまならいける。顔を出して相手の様子を伺う。
身長は自分より少し高いくらいだ。180㎝より上で190㎝はいってないであろう高さをしていて青色の瞳は冷たさを感じさせる。
Tシャツにジャケットをはおい、ラフなかっこで一般人にしか見えない彼は案外がっしりとした体つきをしている。
かといって、後ろから近づかれたら流石に対処できないだろう。
刺すのではない。人質にとるのだ。
おかめの男はもう一方を凝視しているためこちらには気づかないだろう。一瞬で奴の背後を取らないと殺される。
意を決してカウンターから飛び出る。静かに着地し、素早く奴の背後に迫った。あと一歩で体当たりできてしまうほどの距離に。
ばっ!勢いよく振り返るがたいのいい男。完全にきづかれていたようで振り返った奴の顔には冷たい微笑を浮かべていた。
「ようやく出てきたか!」
ナイフを右袖に仕込んでいたのか袖の中から折り畳まれたナイフを瞬時に出しこちらに向けてきた。
(不味いって!)
プシュッ!
小鳥遊は左手に持っていた殺虫剤を奴の顔面に目掛けて吹き掛けた。
スプレー缶のノズルから噴射された霧状の殺虫剤は確実に目に直撃。
うがぁ、と小さく悲鳴をあげたがかんぱついれずに後ろをとり、腕をうしろに折り曲げナイフを奪う。まるでやったことがあるような完璧な自分の動きに自分自身を褒め称えたくなるほどだ。
息をはき、落ち着きを取り戻す。カッターをすて奪ったナイフを首に当てる。
「おい!動くな!」
おかめの仮面の男は気づかぬ間に距離をつめ、銃の先端をこちらに向けていた。あと一歩遅ければ死んでいたかもしれない。
ふと頭に浮かんだのは先程殺された男性の断末魔の叫び声だった。
恐ろしくてナイフをもった手が震える。そんな手を何とか押さえておかめの仮面の男を睨む。
「その銃をこちらに捨てろ。早くしろ!」
出したこともない怒声を浴びせる。恐怖を打ち消すために放った大声は目の前の男の様子に怯えて弱々しい物に変わってしまった。
「くふふっ。」
「な、なにがおかしい?お前の仲間が……」
PAN!
ホールに響き渡る音が2つ。
ひとつは銃声。
そしてもうひとつは向こうに行っていたはずの女性が整った綺麗な顔を妖しく歪めながら拳銃を構えて笑い声をあげていた。
先程まで力を入れて持っていたナイフを落とし、力なく後方に倒れていく。体が自分のものではないような感覚が支配する。
おもい、何も考えられない。
ドサッという音だけが耳に聞こえるがそれ以外を感じることができなかった。
死ぬのか?それともこれは死んだのか?なにがあった?僕はただ、今日の晩御飯を買いに来ただけなのに。肉じゃが食おうと思って来ただけなのに。何なんだよこれは。何なんだよ。だめだ、意識が……途切れそうだ。あの子、無事に生きて……母親の元に……返さなきゃ……
なんとか……しなくちゃ……
「げっ、ゴブリンかよ。まだ生きてんじゃん」
冷たい女性の声が聞こえたが気にする余裕も気力も既に失われていた。
死ぬ訳には……いけない。なんとか外に連絡を……
PAN!!!
小鳥遊が最後に聞いたのはむなしく響く銃声とこどもの悲痛な叫び声だった。
はずだった。。。
「さぁ、小鳥遊雄一。貴方が再び生を願うなら。二度の目の生を与えましょう。……私が関与できるのはこの瞬間だけだから理解できないでしょうけど。勝手な話を貴方にすることにします。貴方は……
……それでは、新しい世界へようこそ。
上手く生き残れるよう祈っています。」