4.勇気
勇気視点です。
『50.お兄ちゃんはやっぱり過保護』で、蓮に追い出された彼がどう感じていたか、というお話です。
俺達を見下ろす大きな男から、ドロドロとした昏い圧力が滲み出ているのを感じる。
整った眉の下の鋭い双眸が冷たく俺を品定めしている。明らかに生き物としてあちらが上位でこちらが下位。そう本能で感じてしまうから―――体は勝手に逃げ出す準備を始めてしまう。
だけど内心の圧力を押し切り、俺はグッと足を踏みしめて堪え傍らに立つ凛の柔らかい手を握りしめて、言い切った。
「付き合う事になりました」
蓮さんは一般的な背の高い男に比べても、ずっと背が高い。俺が今後どんなに目いっぱい成長したとしても、きっと俺がこの人を見下ろす事など一生ないだろうって思う。けれどもだからこそ……気持ちだけは、負けちゃいけないんだ。
だから視線に力を込めて、逸らす事だけはするまいと心に決める。
するとチラリと俺が握りしめた凛の手に視線を送り、改めて目を細め温度の無い瞳で。彼は俺をまっすぐに見つめたのだ。
「勇気」
「はい」
途端に左手が熱くなる。
一瞬何が起こったか分からなかった。が、掌にさっきまであった温もりが消えた事にすぐ気が付いた。そう、蓮さんが手刀で俺達の手が繋がった所を切り離したのだ……!
「勘違いするな、これからお前が凜に相応しい男になれるかどうか―――じっくり検分してやる。まだまだこれからだからな!」
「お兄ちゃん!」
凛は抗議の声を上げたが、その声の調子など意に介さないように蓮さんは優しく彼女の手を掬い上げた。
「ゴメンな、痛かったか?ちょっと頭に血が上って力が入っちまった」
「痛くはないよ。じゃなくて……」
まるで俺がいないように、愛し気に凜を気遣う蓮さん。
しかし無かったことにされてしまっては困る。
大体以前、蓮さんは言ったでは無いか。凛が俺の想いを認めるなら、俺が傍にいても構わないと。
「蓮さん……」
「勇気」
凛の手をガッチリと拘束したまま、蓮さんは俺を睨みつけた。
その視線には―――殺意が混じっているような気がする。『気がする』と言うか、間違いなく混じっている。
「―――時間。8時はとっくに過ぎたぞ、今すぐ帰って風呂に入って寝ろ」
納得いかない。
しかし、蓉子さんとの約束は守らねばならないので、渋々頷いた。
ちなみに俺が凛のお母さんを『蓉子さん』と呼ぶのは、俺が蓉子さんの事を『おばさん』と呼んだのを聞いた蓮さんの逆鱗に触れたからだ。幼い俺にだって蓉子さんが綺麗な女の人だって理解できたし、決して中年の『オバサン』だと貶める意味で言ったのじゃない。単に『凛のお母さん』と言う意味で口にしたのだ。しかし小学生の俺は蓮さんの冷たい視線に晒されて、恐怖した。「『おばさん』じゃない……『蓉子さん』と呼べ」と命じられ、その時以来俺は凛のお母さんを『蓉子さん』と呼ぶようになったのだ。
蓮さんには未だに気力でも知力でも、きっと体力でも敵わないだろう。だから彼の命令には刷り込みも合って俺はほとんど逆らえない。
けれども―――
俺は追い出される寸前に振り返り、凜を見た。
少し名残惜しそうに俺を見つめるつぶらな瞳に―――『大丈夫』と言う意味を込めて、しっかりと頷いて見せる。
大丈夫。だって俺達は―――明日からずっと一緒に、お互いが特別な相手として隣にいられると言う約束を交わしたのだから。
すると、凛も口をひき結んで。
しっかりと意志を込めて俺に頷いてくれた。
「また明日ね」
そう言って、薔薇の蕾が綻んだように―――微笑んだ。
「うん、朝一緒に行こうな。迎えに来る」
「―――うん!」
凜が満面の笑みでもって、大きく頷く。
まるで一面の薔薇園が満開になったように、艶やかで華やかなその笑顔。
胸がくすぐったいような気がする。
今改めて、俺の胸に新しい恋心が芽吹いたような感覚に陥ってしまう。
「早く帰れ」
湧いた頭に冷水をぶっかけるような声が、俺を現実に引き戻した。
凛の手を握っていた大きな男が、怖い顔をして俺の背を押して凜の視界から排除しようと動き出す。
視界から凛が消える直前、頬を染めた凛が恥ずかしそうに小さく手を振った。
―――くっそ!……めちゃくちゃ可愛いな!!
叫びたくなった。
これから始まる予感に―――嬉しくて胸がワクワクする。
俺は満面の笑みで手を振り返す。後ろからムッとしたような硬い空気が漂ってきたが―――恐怖を一瞬忘れるほど、幸せな気持ちで胸が一杯になったのだった。




