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“キミ”は媒介者であった

『貴女の意志はわかりました。それではこれから私が貴女に課題を出していきます。その最後に“お気に入りの場所”を教えます。では最初の課題です。


 “三日間以内にクラスメイト全員に自分から話しかける。”


 では健闘を祈って。 謎の女より。』


 謎の女から返事が返ってきた。課題をこなさなければならないらしい。まどろっこしい。そもそもこの女に一体何のメリットがあるのだ。私がクラスメイトに話しかけることによって、何の変化が生じるというのだ。

「おはよう、××。」

「ああ、おはよう。」

 れいなが話しかけてきた。もうすでに私から話しかけていない。今のところ一番話せる相手はれいななのに。

「あれっもしかしてそれ。」

 彼女への問いに頷き、その手紙を見せた。彼女はすぐに手に取った。

「なるほどね。意外と簡単じゃん。」

「そんな簡単じゃないよ。」

「なんでよ。話しかけるだけでいいんだよ。」

 彼女は何もわかってない。自分から話しかけることが、どれだけ勇気のいることか。普段から仲良くしているわけではないのだ。いきなり話しかけられたら、なんと思われるかわからない。

「案外、怖がるんだね。」

 黙っていると、彼女からそう言われた。

「意外だったかな。」

「うん。だって普通に今まで話してたじゃん。」

「だって、それは向こうから話しかけてくれたからだよ。自分から話しかけたことない。」

「おはようって言えば、それでいいんだよ。おはようって向こうも返してくれるからさ。」

「今まで挨拶したことなかったんだよ。いきなりしたら、不自然じゃないかな。」

「大丈夫、大丈夫だから。やらなきゃ情報手に入らないよ。」

 そう言われると、何も返せなくなる。やらなきゃ何もできないことぐらいはわかってる。ここでごたごた言ったって、どうせやるかやらないかの違いだけなのだ。

「次、教室に入ってきた人に話しかけるよ。」

 有無を言わせない彼女の発言に、私は諦める。心の底に泥が溜まっていくようだ。本来は自分一人で行うことなのだ。ましてや、ただ他人に挨拶を自分からするというだけなのだ。こう言ってしまえばとても簡単なことのように思えるのに、実際彼女が引っ張ってくれてるからやらざるを得ない状況に陥っている。なんとかせねばと思うのに、身体は動かない。別に怖がる必要はないのだ。周りからどう思われたって構わないと、そう思ってきたはずなのだ。なのに、なのに。

 私は弱くなってしまったのだろうか。

 がらっとドアを開ける音がすると、彼女は私の手を取って歩き出した。入ってきた女子が一番前の席に座ると、彼女は私の手を離してその女子の席まで行った。おはようと彼女が話しかけたのに続いて、私もおはようと言った。

「おっおはよう。どうしたの。れいなはおいておくにしても××さんが私の席のところにくるなんて。何かあったの。」

「実はさ、今日のテスト範囲どこだったか忘れちゃって。それで××に聞いたのだけど、どうやら珍しく聞き漏らしたみたいでさ、わかんないのだよね。というわけで教えて。」

「ええっ。×× さんが聞き漏らすなんて本当に珍しいね。」

「私にもたまにそういうことあるのよ。」

 彼女の機転の良さには舌を巻く。無難な会話を瞬時に判断して物語を形成する。あたかも私達が本当にそんな話をしていたみたいだ。そして私が会話に入れるようにも工夫してある。私の場合、話を振ってくれれば問題ない。そうすれば自然な対応ができる。

 知っている範囲をわざわざ聞いた私達はお礼を言い、私の席に戻った。ねっ簡単でしょ、とにこりとしながら言う彼女と対照的に、私は座ってむすっとして頬杖をついた。

 泥は半分ほどまで溜まっていた。耐えられないのだ、私には。無駄なような気がしてならない。なぜ必要のないことを、わざわざ嘘をついてまで話す必要があるのか。確かに話しかけることが課題である。それでもこんな風に続けるのは気が滅入る。早くも課題をこなすことができなさそうだ。やはり人と話すのは向いていない。

 会話には無駄なものが多い。昨日何をしただの、どこで遊んだだの、誰が何をしただの、不必要な情報ばかりが飛び交って、時間だけが無駄に過ぎてゆく。ぺちゃくちゃ喋っている奴らに、時は金なりという言葉を教えてあげたい。

 本来、会話とは情報の交換なのだ。何の情報性もない奴と話して何になる。人の愚痴が一番意味がわからない。話す方は確かにすっきりするかもしれないが、話される方は気分が悪くなる上に、相手を慰めて、それに付き合わされる。そんなにすっきりしたいのなら、壁とでも話しておけばいいんだ。独り言でぶつぶつと呟いていればいいさ。それだったら誰にも迷惑をかけないだろう。

 もし、“キミ”に愚痴について話したらどうなるだろうか。きっと彼のことだから、共感性だの、友情だの言ってくるに違いない。あいつは情が好きで、情で動く奴だ。ふと、“キミ”が生きている世界を想像した。


 私は自分の席に座っている。くるりと後ろを向くと、彼は数学の問題を解いている。どうやら宿題のようだ。彼は解き方がわからないのか、問題とにらめっこをしながら、シャーペンをくるくると回している。問題文を逆さの状態で読んでいく。昨日授業でやったところだ。私は筆箱からシャーペンをとって解答用紙の隅に計算式を書く。『おい何してるんだよ』という声が聞こえてきても、御構いなし。『早くしてよ。私は“キミ”に話があるんだ。』そう言うと、『何だよ』と言いながら宿題を片付ける。そうすると『“キミ”は愚痴についてどう思うかい。』と質問する。そうすればきっとそんな情を持ってしても、面白い話をしてくれるだろう。


 そうだ、語りたいのだ。情報を交換して、有益な情報を仕入れたいのだ。他人が考えていること、目には見えないものを私は情報と呼んでいるのだ。

 つまりは自分の興味のある事柄に関しては、自ら話にいける。しかし、語りたいと思う相手はいない。その相手とはある程度の仲がいる。それをどうやって形成していただろう。

 一人が歩いてきて、私の隣の席に座った。おはようと話しかけてみる。相手はとても驚いた反応で返した。

「なんだよ。そんなに私が挨拶したら変なの。」

「いやっそのっ。変じゃないけど、初めてだったからびっくりした。」

 挨拶をしたぐらいで驚かれる理由にはならないが、そこはしょうがないと受け入れる。

 先生が教室に入ってきたので、れいなは席に戻っていった。ホームルームが終わると彼女は私のところへきて、とんとんと肩を叩き、私の机のそばでしゃがみこみ、耳元で話した。

「挨拶する時は、相手の名前も付け加えるとよりいいよ。」

 そしてすぐ席へもどる。また次の日には別の助言をしてくれた。

「別に無理して話しかけなくていいからさ、自分がこれから先楽しくなるように、楽になるように関係を築いていけばいいから。」


 このようなことがあって、一応私は三日間以内にクラスメイト全員に話しかけた。帰り道、れいなと一緒に歩いていた。

「本当によかったね。なんとか課題終わったじゃん。」

「まあそりゃね。」

「でも意外だったなあ。」

「何が。」

「××って案外怖がりだったね。」

「そりゃまあ隠してたからね。」

 欠点を隠す。恥を知ってるから、他人には何一つわからないようにする。自分の欠点を知られることは迷惑なことだ。弱味を握られ、それに振り回されていく。やはり他人と関わることは面倒だ。

「けれど、自分が楽しいこともわかってよかったじゃん。」

「そうかもね。」

 私は誰かと語りたかったのだ。概念を、抽象的な事柄を、他人はどんな風に考えているのか、感じているのか、他者と自分はどれくらい一緒で、どれくらい違うのか、他者から見える自分を知りたいのだ。私が求めたのは『会話』じゃなくて『対話』だった。けれど現実に起こることは、結局会話から対話への移行なのだ。ということは、会話が出来なければならない。

「けれどさ、一つ気になることがあるんだよね。」

「なに。」

 私にはずっと変だと思っていることがあった。

「どうやって謎の女は私がクラスメイト全員と話しかけたって、わかるんのだろうね。私がその話しかける相手と二人きりの時だったら、どうやって判断するつもりだったのだろう。」

「確かに言われてみればそうだね。」

 茜色に照らされた私達は、その美しさに魅入られて空を見上げた。優しい光に包まれて、私達も茜色になった。

「けれど、確信してたのだと思うよ。絶対にそんなことは起きないって。」



 そういえばすっかり忘れていた。この幽霊は光に弱いのだった。


 だから前が見えなくなりそうだ。どうか冷たい通り雨が降らないように。

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