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僕の置き忘れたもの

 他人から予想もしなかった質問をされると、どうしてその人がその質問をしたのか考える。何かそのことを自分に尋ねたことは意味があるのか、それとも誰でもよかったのか、もしくは質問自体が意味をなしておらずただ話したかっただけなのか。答えがどうであれそれを知る由もないのだけれど、抽象的な会話はその人の人となりを表すような気がして、苦手な会話あるいは問答であった。



「ねえ“キミ”。“キミ”は幸せというものを知ってるかい。」

 彼女のいつもの問いが始まった。席が前後になったこともあり、お互い席をわざわざ移動してまで友達と昼ごはんを食べたいという欲がないため、自然と一緒に食べるようになった。彼女の席は僕の前だ。昼休みになると、彼女は僕の机の上に我が物顔で弁当を置き、身体を横に向けて座る。だから僕の真正面には彼女の横顔と右肩が映るのだ。たまに背もたれに身体を預け、首だけ動かして僕の弁当をじっとみては、何も言わずにおかずを奪っていく。僕が彼女の弁当からおかずを抜き取ろうとすると、ひょいっと彼女はお弁当箱を取り上げてしまうから諦めた。

 今日の問いは幸せについてらしい。幸せな出来事はこれまで生きていた感じたことはあるし、幸せだと口にしたことさえある。

「知ってるけど。」

「じゃあ“キミ”の幸せは一体何だい。」

 幸せが何かと言われてもすぐには出てこない。今の日常に不満は特にないけれど、この状態が一番なわけでもない。けれどもおいしいものを食べたときの、あの感じは一体何だろうか。香りとともに口に入っていき、舌の上に転がせば染みわたる味わい。それを咀嚼し音も楽しむ。喉を通り、すっかり無くなってしまうと満たされたような感覚とともに襲ってくる虚空感。それでいてほっとし、体に命を分け与えたような、活力が戻ってくるこの感覚は、あの満ち足りた瞬間は。

「おいしいものを食べているときかな。」

「ふうん。じゃあ“キミ”はおいしいものを食べているときだけが幸せなのかい。」

「別にそれだけってわけじゃないけれども。」

 彼女の質問はいつもどこか哲学的で、僕には難しい。というよりも、考えもしなかったことを議題にするのだ。

「じゃあ質問を変えよう。“キミ”にとって幸せとはどんな風なものなのだい。」

 どんな風だといわれても言葉にすることは至難の業だ。何せ感覚の問題なのだ。

「こう、なんていうか満たされる感じかな。心地よくって頭がぽーっとしてくるっていうか、まあそんな感じ。」

「へえ。そっか。」

 そう言いながらまたもや僕のおかずを一つ奪っていく。彼女の選ぶものは、たとえば唐揚げのような皆が好みそうなおかずばかりではない。さっき彼女が取っていったのはただの野菜の炒め物である。僕はあまり野菜が好きなわけではないから、別にとられても困らない。少しだけありがたい。

 回答が気にいらなかったのか、それとも元から実はそんなに僕の返答に興味がなかったのか、彼女は黙々と弁当を食べる。

「じゃあさ、××にとって幸せは何なんだよ。」

 弁当をおいてふっと顔を上げる。その姿が途轍もなく綺麗だと思う。一番真顔で、一番彼女らしい。そして二、三秒僕を見た後、左下に目線をやりながら考える姿も美しく思える。

「幸せは皆と一緒に得られないものだと思う。」

 また少し下を向いては視線を戻す。

「幸せは誰かの不幸の上で成り立っていると思うんだよ。ある一つの幸せに対して、何人の不幸が支えているかは個人差や状況によるだろうけれど、何にせよ何らかの犠牲があると思う。だから、みんなが同時に幸福になることなんてないのじゃないかな。」

「なるほどな。」

 彼女の考えは嫌いじゃなかった。確かに幸せの事象が起きるということは、そこに自分以外の人の関与があるために起きるわけであるからだろう。

「じゃあ××はどういうときに幸せだと思うんだい。」

「例えばさっき“キミ”が言った『美味しいものを食べたとき』というのは、口に含んでああ美味しいなと感じて、ただその美味しいの最上級表現に適する言葉が思いつかないから、代わりにあてはめてるのじゃないかと思うんだ。“キミ”は他にもあると言ったけれど、きっと多くは最上級表現なのじゃないかな。だから私には、そのように幸せを定義づけている人たちの“美味しい”と“幸せ”の違いがわからない。」

「それじゃあ幸せの定義は何。」

「私は幸せが何かは知らないけれど、どうなったら幸せになるかは知ってるよ。」

「何。」

 鼻で僕を嘲笑い、僕の目を見つめる。

「愛されていると実感することだよ。」

 また彼女の箸は僕の弁当のおかずを取っていき、彼女の口に運ばれた。別に美味しそうに食べるわけでもなく、何の感情もなく、ただ目に映ったものを食べているだけのようであった。

「なんで僕のおかず食べるの。」

「その人のためだけに作られたものって特別な気がするじゃない。」

「弁当自分で作ってるのか。」

「うん、毎日ね。」

「大変だな。」

 朝はできる限り寝ていたいし、そのせいで忙しくなるから僕にはそんなことはできない。朝から御苦労さまである。料理ができることは悪くないし、親が将来のためにさせているのか、自らなのかわからないがえらいなと尊敬する。

「私の残り、あげるよ。」

 そう言うと、彼女は自身の弁当のおかずを僕の弁当箱に入れていく。空になると、彼女は弁当箱を包んで鞄にしまった。それから僕が食べているのを頬杖をつきながら眺めている。

「ねえ“キミ”。」

 何、と言いながら顔を上げる。

「“キミ”は今、幸せかい。」

「どうだろうね。」

「例えば“キミ”が幸せだったら、一体何人の人が不幸せなんだろうね。」

 そういうと彼女は自分の机に向かって、本を読み始めた。

 彼女の理論で行くのならば、幸せだと感じたのは一体いつだろうか。親には感謝しているし、この状況は恵まれていると客観的に見てそうだと思う。けれどだからって日々の言動に愛されていると実感するわけではない。思い返せばきっとあいつがいた頃だ。ずいぶん昔のようなことの気がする。僕はずっと昔に幸せを置いてきたのだ。

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