僕は僕を壊しました
人間の一番強い感情は執着だと思う。いい意味でも、悪い意味でも、執着があるから行動を起こすのじゃないかって。だから、仏の悟りでも執着心をなくしなさいとよく説くのだろう。けれどだからこそ、執着心の存在こそが人間である証なのじゃないかな、とも思う。現世に執着するから、仏ではなく人間なのだし、現世に執着するということは、生きたいという願望と同じなわけである。執着が明日生きたいと思う希望にすらなれるのだ。でも執着があるから、いざこざは起きるし、いがみ合い、下手すれば争いが勃発するわけだから、本当に人間って報われない。
彼女はあれから、僕によく話しかけてくるようになった。
「ねぇ“キミ”、“キミ”の好きな食べ物は何だい。」
「ねぇ“キミ”、“キミ”の嫌いなものは何だい。」
「ねぇ“キミ”、“キミ”の好きな色は何だい。」
「ねぇ“キミ”、“キミ”はどうして好きなの、嫌いなの。」
「ねぇ“キミ”、“キミ”はこれどう思うの。」
「ねぇ“キミ”、“キミ”の話を聞かせて。」
「ねぇ“キミ”」
「ねぇ“キミ”」
僕は彼女の質問に一つずつ丁寧に答えていった。彼女は満足げに頷くから、それが了承の合図だと思った。けれども、彼女からの質問は止まない。
彼女は僕のことについて、知りたがった。あれこれ根掘り葉掘り聞いてくるものだから、まるで僕の皮を剥いでいかれるみたいで、僕という人間の本性を、底の浅さを知られるような気がして、僕は彼女を少し警戒しなければならないのかとも思い始めた。あの時、一枚皮がむけかけてしまってから、彼女はまるで弱味を握ったかのように、勢いに乗ってまだまだ剥ごうとする。そうさせるわけにはいかなかった。僕は何もかも穏やかで、抑揚のない日々を望む。そうであるのならば、どんな世界でも構わない。けれど、僕から僕の平和な日常を潰そうとする奴は許さない。手段はどうするか。もちろん決まってる。穏便にさ。
ひたすら皮を生産していく。厚くて硬い皮をどんどんと。防護壁は何重にも僕を取り囲み、一段と高くなる。そして仕上げに僕は仮面を被る。顔にぴったりと張り付いて、気持ち悪い。いつか馴染むのか。
いきなり防御力を上げても、彼女に気づかれてしまうだろうから、慎重に慎重を重ねていった。
ただひたすら逃げたかった。僕の本性がばれることが、見透かされるのが、暴かれるのが怖かった。僕につきまとってくる犬みたいな奴を追っ払いたかっただけなんだ。
無神経に、無意識に吐き出された言葉は刄となって傷つけ、そのくせ伝えたい、伝えなきゃいけない言葉は相手に掠りもしない、届かない。ただ人を傷つけるだけの兵器のような、それでいて本人は馬鹿で無頓着で何も知らない、何もわかっちゃあいない、どうしようもない僕を存在させる必要なんてない。また〈あいつ〉のように、傷つけて、ぼろぼろにさせて、壊してしまえば、取り返しのつかないことになる。もう二度と繰り返しちゃいけないんだ。
わかってる。わかってるよ。でも彼女の行動、態度にうんざりした。もう惨々なんだ。
僕の平和を奪おうとする奴は許さない。僕の中で溢れる感情は治るところを知らない。僕の平和、これだけは死守しなきゃいけないんだ。それを壊そうとする奴は敵だ。奴を倒せ。
待て、よせ、やめろ。わかってるだろ、お前の激しい感情を。憎しみも怒りも愛さえも、全て燃え上がるような嫉妬からきていることを。お前は彼女に嫉妬してるんだ。昔のお前がしていたように、あっけらかんと、悪気なく、あけすけに、いろんなことを暴かせられるのを、そしてそのことで、一度も傷ついたこともなく、苦しむこともなく、生きていることを。嫉妬して激しい熱い感情を持ったせいで、〈あいつ〉がどうなったか、忘れられるはずのない惨劇を、また繰り返すのか。
うるさい、うるさい、黙れ。あれは仕方なかったじゃないか。偶然だったじゃないか。
確かに偶然だったかもしれない。けどまた起こる可能性だってあるんだ。もしそうなったら、お前はどうやって責任を取るんだよ。〈あいつ〉の時だって、結局何もできなかったじゃないか。壊れる瞬間を見て、壊れた残骸を見て、言葉も出ず、ただ立ち尽くしただけだったじゃないか。その後一人で泣いて泣いて泣き喚いて、時が過ぎるのを待っただけじゃないか。
うるさい、〈あいつ〉〈あいつ〉って連呼するんじゃないよ。僕は忘れたいんだ。だから写真だってもう撮らないんだ。
嘘つけ、忘れられるはずないだろう。逃げてるだけじゃないか。
うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、とっとと消えてくれ。
理性と感情の喧嘩が頭の中で響き渡り、頭痛をもたらす。
本当にわかってるからさ。
前のことを経験したからには、失敗なんて言葉で済まされないけれど、活かすしかない。これしかどちらの意見を含有することはできない。
手段は穏やかで。
でも××を潰す。