1、昔々、
昔々あるところに、たくさんの人間とたくさんのドラゴンと、あとちょっぴり魔法使いも住んでいる世界がありました。
人間というのは二本足で歩き、二つの手でものをつかむ生き物。そして、角の生えた獰猛な生き物でした。
ドラゴンは大きな牙とか大きな双翼とかもあるのですけれど、とにかく人間とは違って温厚な生き物でした。好物は森の草木や果実でした。
魔法使いはとにかく自分勝手で気ままな生き物でした。
さて、そんな世界にとあるドラゴンの村がありました。ドラゴンの村は大概山岳地帯にあって、ドラゴンたちはその山腹にそれぞれの巣穴を作るのです。
そのドラゴンの村にはイズーという名前のメスドラゴンがおりました。若くて美しいドラゴンである彼女は、生まれつき目が全く見えませんでした。
「夕日は赤色なんだ」
「赤色とはどんな色なのですか?」
「草は緑色なんだ」
「緑色とはどんな色なのですか?」
「そんなことも分からないなんてイズーは気の毒だな」
同じ村に住んでいるドラゴンたちがいくら説明したところで、彼女は目に映るものの美しさも、大空を自由に飛ぶこともできず、進む方向に障害物がないか恐る恐る鼻先で確かめながら地面を歩くばかりだったのでした。
ある日のこと、イズーがいつものように気を付けながら村の周囲を散歩していると、鼻先に妙なものがぶつかりました。それは突然鼻先に現れて、柔らかくて、小さなものでした。イズーが驚いて飛びのくと、これまた小さな声がしました。
「痛いじゃないか」
「ごめんなさい。わざとぶつかったわけではなく、悪気はなかったのです」
イズーは咄嗟に謝りました。声はイズーの頭の位置より低い位置、すごく地面に近いところから聞こえました。小さな子供ドラゴンでしょうか。それにしては言葉のイントネーションが自分の村のドラゴンのそれとは違うように感じます。確か、人間はドラゴンよりうんと小さいと聞いたことがありましたが、それにしては人間独特の獰猛さや野蛮さは感じません。となると、人間と同じくらいの大きさの生き物、魔法使いかもしれません。
「悪気がないなら仕方ないよ。こっちはちょっと擦りむいただけで大した怪我もしていないから。謝ってもくれたし。ただ、あまりに大きな体がぶつかってきたもんだから、ボク、驚いちゃったんだ。あ、ボクの名前はトリシュトっていうんだ。キミ、名前は何て言うの?」
「イズーと申します。この先の村に住んでいます。貴方もこの近くの村の方ですか?」
「うーん」
イズーがトリシュトに尋ねると、トリシュトは考え込むように唸り、
「それがよく分からないんだ」
気落ちした声で答えました。
「今朝、気が付いたらあっちの方の崖の下にいたんだ。それまでのこと何にも思い出せなくて……。たぶん高いところから落ちて頭を打ったみたいなんだ。ほら、ここにこぶがあるだろ。他にも体中擦り傷だらけで」
「それは大変でしたね」
イズーは心底そう思いながら言いました。
「私もよく怪我をするんです。額を木にぶつけてしまったり、石で足を擦りむいてしまったり」
「キミが?信じられない。キミはそんなに大きくて綺麗な翼を持っているのに、どうして空を飛ばずに地面を歩くんだい?」
「私は、」
イズーは少しためらいました。同じ村のドラゴンたちのほとんどは、目の見えないイズーのことを大仰に気の毒がるか、からかって嫌がらせをするばかりなのです。ましてや、トリシュトは出会ったばかりで言葉も大して交わしていません。けれど、その言葉の端々、声の響きからイズーはトリシュトが親切で優しい者だと感じてもいました。
「何か事情があって、言いたくないなら言わなくても良いよ」
イズーが何か言うより先にトリシュトがそう言いました。
「でも、一つお願いがあるんだ」
「何ですか、トリシュト?何でも言ってください」
イズーはそう応じました。記憶をなくしてしまったトリシュトの力になりたいと思ったからです。
「ボクはほとんど何も覚えていない。だから、自分がどこに帰るべきなのかも分からないんだ。だから、思い出すまでで良いからボクをキミの村に置いてもらえないかな」