「旅立ちと五年前の決意」壱
空は蒼く澄み渡り、風がそよぐ気持ち良いこの春の季節。
少年は門出を迎えようとしていた。
「ゼファー!…行ってらっしゃい!…必ず戻って来るんだよ!」
母が泣きながら手を振り、少年を見送る。
彼は歩き出した足を一度止め、首だけ肩越しに振り返ると、微笑を浮かべて、
「……ああ、必ず…旅を成功させて戻って来るよ!…母さん、見ててくれ!」
と言い、ゼファーは駆け出した。
長きに及ぶ旅路へと。
そして、木々がざわめく中を歩きながら、彼は天を仰ぎ、「五年前」のあの頃を思い出し、クスッと笑った。
五年前
彼の故郷セレメント王国内ではちょっとしたトラブルが度々起こっていた。
例えば金に肥えた貴族の言動や行為で民衆と喧嘩になったり、盗賊が商店の一つを襲ったり、そう言ったトラブルが。
とは言っても直ぐに鎮圧される程の本当に小さな類な騒動だった。
しかし、そんな小さな「トラブル」は時として被害者に大きな心の傷を負わせるモノだ。
ゼファーの祖母はそのホンの小さなトラブルに巻き込まれ、亡くなった。
商店を襲った人に話しかけようとしただけで斬られ、出血多量で即死だったそうだ。
彼は泣きに泣き濡れた。
だが、彼は憎悪という感情を持たず、その死を乗り越え探検家であり、世界各地で伝説を残し続ける父に憧れている自分を失わず、旅に出ると言う夢の為にひたすら前を見続けたある日の事だった。
母に買い物を頼まれ、最寄りの商店に向かっている最中だった。
遠くの方で何やら叫び声だろうか、それとも悲鳴だろうか、どちらにせよ人間の声が聞こえた。
ゼファーは駆ける。
息があがり、横腹が痛くなるが走り続け、そこに辿り着くと、ある男が乱雑に剣を振るう男ら数人を相手に何とも美しい剣技で圧倒していた。
その男は髭面で人相が悪そうな人だったが彼はそこには注目せず、その剣技に見惚れていた。
彼が持つ肉厚の剣を一振りするだけで武器が弾かれ宙を舞う。
同時に回転を加えて横薙ぎに男らを吹き飛ばす。
1人の男が立ち上がり、渾身の一撃だったのだろう凄い気迫で放たれた拳が彼に迫った。
彼は
「ふっ…、まだ立つのかてめえ」
笑い、剣を背にある鞘にしまうとだらりと態勢を崩した。
「お前…俺を舐めてんのか?…なら、死ね!」
それを見た男は一層怒りを表しその拳に力を加える。
そして当たる瞬間。
彼は右足の脛で防御し、そのままひねりを加えて蹴り飛ばした。
男は息が詰まったような声をあげ、地面を転がり、動かなくなった。
「ふう…。…これでいっちょうあがりだ」
息を吐き、ぐるぐると右腕を回す男は視線をずらし、ゼファーを見ると
「ん?…どうした坊主。…ここは危険だ。…早めに家に帰った方がいい」
と諭した。
ゼファーは
「はい…あの、俺、ゼファーって言います。…貴方は?」
名乗り、男の名を聞いた。
男は鞘から剣を抜き、肩に担ぐと、
「俺はフェルド。世界中を旅してる。…んで、さっきのは俺流剣術だ」
歯を見せつつ笑った。
「フェルド…さん…か。…あの折り入ってお願いがあります」
ゼファーは一縷の望みの為フェルドの目を見据え、冷や汗をかきながら、
「僕に…その剣技を教えてもらえませんか?」
と頼んだ。
「はあ?」
頼まれた彼は怪訝な表情でゼファーを見る。
「なんでいきなり…てか俺は唯の旅人。…何も凄腕って訳じゃねえ。…だから他当たれ」
ため息を吐き、怠そうに片手をひらひら振った。
ゼファーは一度奥歯を噛み締め、
「僕には…いや、俺には夢がある!」
踵を返し、ゼファーの前から去ろうとするフェルドに叫んだ。
「あ〜、そう。…それで?」
「……俺の…、俺の夢は…最果ての島に建てられた塔を目指して旅する事だ!」
その言葉に彼は立ち止まり、振り返った。
ゼファーは突然振り向いた彼に驚き少し退いた。
フェルドはゼファーの目を睨み、こう問うた。
「…あるのか?…その旅路で幾多の困難を乗り越えるその覚悟が…」
「ああ」
ゼファーは頷く。
「ではもう一つ。…その旅路の中で出来た仲間の死を乗り越える覚悟があるか?」
その問いの意味が分からなかった。なのでゼファーは
「…え?…あ、あるさ!…あるよ!」
言葉に詰まりつつも答えた。
「愚問だ」と思いながら。
それを聞いた彼は
「わかってないな…」
と呟きつつも、
「分かった…そう言う事なら鍛えてやる。…途中で泣き言言うんじゃねえぞ」
と笑い、ゼファーの頭を軽く撫でた。
「うん!…ありがとう!」
こうして少年とフェルドが出会い、この頃から過酷な剣術修行が始まったのだ。
そこから西の記念公園に彼らはいた。
その公園はある程度広く、噴水もあるのだが不思議な事にあまり人工で造られている事を感じさせない。
ゼファーはフェルドから指導を受けている。
彼の指示通りにフェルドから借りた剣を振り、「剣を振るう感覚」を掴むためだ。
最初は剣の重量に振り回されまくりで文字通りその剣自体に遊ばれていた。
しかし、次第にその重さに慣れてきたのか、それとも腕に筋力がついたのか自分の思った通りに剣を振るえるようになってきた。
「よーし、いいぞ〜。…次はもうちょっと素振りを速くして振ってみろ」
素振りが何とか様になったところでフェルドはゼファーに声をかけた。
「速く?」
言われた通りに剣を振るう速度を上げる…すると、
「うわあ⁉︎…痛っ!」
急に剣に引かれて前のめりに転んでしまい、その拍子に頭を強く地面にぶつけてしまった。
「おいおい⁉︎…大丈夫か?」
フェルドが駆け寄り、訊く。
ゼファーは頭を右手で抑えつつ、よろよろと立ち上がり、
「あ…うん、大丈夫大丈夫。……多分…痛て」
と苦笑しながら応えた。
フェルドは腕を組み、
「うーむ…、剣の腕は上達したと思うがまだ何かと剣自体に振り回されているな…そこを解消したい…」
とぶつぶつ呟く。
数秒後彼がゼファーに言った事は
「よし、筋トレだ!…はい、腕立て三百!」
だった。
「うええっ⁉︎」
ゼファーはこれには流石に驚きを隠せず、素っ頓狂な声をあげた。
「…ま、マジですか?」
恐る恐るフェルドに訊くと、
「そりゃそうだ。…筋肉が足りてねえから剣の重さに耐えきれずに引っ張られちまうんだろ?」
頷きながら言った。
聞いたゼファーはがっくり項垂れる。
「そんなあ…俺、筋トレだけは嫌いなんだよなぁ…」
「はいはい…つべこべ言わずにさっさとやる〜」
「うへーい…」
フェルドに言われ、渋々腕立て伏せをしようとした時、
「あははははははははっ!」
フェルドの笑い声が耳に届いた。
「は?」
怪訝な顔で彼を見ると、腹を抱えて大笑いしていた。
「……あははっ…普通に信じちゃってるよ…傑作だ。…あははははっ!」
「な…」
ガーンとなるゼファーを一瞥して、
「ああ悪い悪い…何も腕立てなんてしなくていいのさ。…脳筋野郎じゃあるまいし」
「え…じゃあどうするんだよ」
「なーに、簡単簡単。…剣を持つ構えの重心を低くすればいい。…そうするだけで振りやすくなるはずだ」
手短かに説明して、後はやってみろとフェルドに促される。
ゼファーは彼の言ったとおりの体勢を取ってみた。
すると、
「剣が……前より軽い!……行けそうだ」
重量をあまり感じなくなり、前回よりも構えやすくなった。
そこで軽く振ってみる。
ブオン!と空気を切り裂く音が響く。
今回は剣の重さに振り回されなかった。
「……やった。…すごく振りやすい」
「だろ?…ま、こっからみっちり鍛えてやら〜。覚悟しろよ」
フェルドは成功したゼファーに笑いかける。
「おう!」
少年は決意する。
自らの夢をこの剣で必ず叶えてみせると。
その想いは小春日の空に浸透するかの様に透明で何よりも輝いていた。