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木犀公園

 公園の中には甘い匂いが満ちていた。何の花なのか陽菜には分からなかったけど、この小さな公園の入り口付近にある2本の木に咲いている花だろうな、とは思った。オレンジ色の、群れて咲く小さな花。

 その公園の中のブランコに、所在無気に足をぶらぶらと揺らしながら、陽菜はピンクのニンテンドーDSでゲームをしている。もう辺りは暗くなってきて、液晶の画面が妙に浮き立って明るく光っている。傍から見たら、その明かりで陽菜の顔も不気味に照らされているんだろう。

 秋が深まって、日は急に短くなった。おまけに今日は天気も悪くて、空は厚い雲に覆われているから、辺りはもう真っ暗だ。だけど、この公園は住宅地のど真ん中にあって、警察や地元自治体の見回りなんかも多く、結構安全だと言うことを陽菜は知っている。知っているからこんな時間にのうのうとゲーム機で遊んでいる。もっとも、本来の目的はゲームをすることではないのだけど。

 その証拠に、時々画面から顔を上げて、辺りをちらりと見渡したり、唐突にブランコをこいでみたりする。そしてまた、黙々とゲームに戻る。

 「狭山さん?」

 そんな声に、陽菜は画面から目を上げた。なんとなく、視界が暗くなったなぁ、とは思っていたのだけど、果たして、目の前には公園の外灯を背にて遮る形で、人が立っていた。人、といっても大人じゃない。陽菜と同じくらいの年頃。というか、同い年。同じ小学校の同じ学年だ。クラスは違うし、一度も同じクラスになったことはないけれど。結構目立つし、名前が逆に珍しくて覚えている。

 小野太郎。

 「小野君。こんばんわ」

 「こんばんは。何やってんの? 狭山さん。もう7時半だよ?」

 「小野君こそ何やってんの? もう7時半だよ?」

 陽菜な同じ口調で同じように言い返してやって、それから付け足す。

 「わたしは家がすぐそこだからいいけど、小野君は家は近所なの?」

 「おれは男だからいいけど、狭山さんは男なの?」

 仕返しされた。

 「男の子だって危ないよぉ」

 「家が近くたって危ないだろー」

 まあ、ここは結構安全らしいけどね、と付け加えて太郎は、ちょっと笑った。

 「もうすぐ、雨だって降るよ」

 「雨? 降るの?」

 「うん。天気予報でも言ってたし。それに、雨の匂いがする」

 「雨の匂いぃ?」

 うたがわしげな陽菜の言葉に、太郎は大人びた苦笑をしてみせる。

 「疑ってるー」

 「だって」

 「いいけど、別に。でも、傘持ってないんだろうし、さっさと帰った方がいいよ」

 「小野君だって持ってないよ?」

 「俺はここでしばらく雨宿りすんの」

 「えー?」

 冗談かと思って陽菜が笑うと、太郎もにっこりと笑った。

 「狭山さん、思ったより言い返すんだね。もっと大人しい子かと思ってた」

 「わたしは小野君、もっと恐い人かと思ってた」

 「恐い?」

 「うん、なんとなく、こわそーって思ってたよ。恐そう、っていうか。偉そう?」

 「へー」

 「あ、うそ。なんでもない」

 「……へー」

 面白そうなニヤニヤ笑い。予想外によく笑う子だなぁ、と思った。

 「で、狭山さん、何してるんだっけ?」

 最初の質問に戻ってしまった。

 最初の質問をされた時は同じ学校にいて、顔は知っていても、一度も喋った事がなかった。だけど今、ちょっと喋ってみたら結構話せて、感じも良いし、気が合いそうな感じが、なんとなくだけどした。だから、陽菜はちょっと考えて、それからちょっと笑う。

 「プチ家出ー」

 「なに?」

 「プチ家出。何時まで帰らなかったらご両親がわたしがいないのに気づくか、実験中」

 「なんでそんな事」

 「私って愛されてないなー、って実感するため。……うそ。ホントは、愛されてるって実感するため、だったんだけど、よく考えてたら愛されてないなーって実感するために来たとしか思えない」

 へえ、と太郎は意外そうに言って目を大きくした。

 「なんでそう思うの? 愛されてないって」

 「いつもそう思うの。お母さんの言葉とか、私を見る目とか、触り方とかで、そう思うの。そんなの勘違いだって言うかもしれないけど、違うと思う。んーと、勘違いじゃないって事ね。お母さんには私以外にもっと大切なものがいっぱいあって、私の事は結構どうでもいいんだって、よく思う。お金とか、アクセサリーとか、バーゲンとか、ブランドとか。誰々さんよりも自分の方がきれいとか、自分の方がお金があるとか、偉いとか。……自分の子供の方が可愛いとか」

 そこまで言って、陽菜はちょっと首をかしげる。

 「わたし、ひねくれてるかなぁ?」

 「別にそうも思わないけど」

 「そう? お母さんは、お父さんよりも安田さんって男の人が好きだし。お父さんは中野さんが好き。一緒に外出したりするとすごく仲良くて、私にも優しくしてくれるけど、いつもはほとんど口聞かないの。私が何か話したくても、すぐうるさいわね、ちょっと黙ってちょうだいって言うよ」

 「意外だな」

 太郎はそう言って、それからちょっと笑う。

 「でも、狭山さんはまだ良い方だと思うけど」

 なんで? と聞こうとしたら頬に冷たいものがあたった。ぽつり。続いて首に。スカートの下のむき出しの素足に。

 「冷たっ」

 「やっべー。降ってきた」

 「傘ないよー」

 「だから言ったのに」

 といって、太郎はため息をついてから、陽菜の手を引っ張って立たせた。

 「あっちで雨宿りしよう」

 あっち、と指したのは、石造りの滑り台の下に作られた洞窟のようなコンクリートの穴。

 「懐かしいー。幼稚園の時、よく入った」

 「おれ、結構今でも入ってるよ」

 「なんのために? 遊ぶの? まだこれで」

 陽菜がちょっと呆れたように言うので、太郎は違くて、と笑う。

 「だから。雨宿り」

 「普段から傘持ち歩こうよー」

 「めんどくせー。しかも雨宿り必要な時、けっこうせっぱつまってるから」

 「なんでせっぱつまってるの?」

 「父さんに殴られるから」

 さらりと言って、びっくりした顔と半信半疑が入り混じった顔の陽菜を試すように覗き込んだ。

 「信じない?」

 「だってー」

 太郎はおもむろに、自分の着ているシャツの裾を持ち上げてみせる。

 「え、ちょっと何……」

 とりみだして、目をつぶるか迷っているうちに見えたものに、陽菜は言葉を止めて絶句した。

 白く柔らかそうな太郎の腹にはいたるところにどす黒くも見える禍々しい青紫の痣や、生々しい傷跡がいくつも見られた。

 「これは、昨日殴られたトコ。これは……覚えてないな。これは、タバコ押し当てられた。熱かったあ。こっちは、拙かったよホント。ここ殴られたとき、食べたもん全部吐いちゃったもん。吐くものがなくなっても、うえ、うえって体が痙攣するの。あん時はマジで死ぬかと思った」

 太郎は穏やかとも言える口調で、一つ一つ指差して説明して行く。

 「で、これはさっき」

 まだ新しい、真っ赤に腫れた肩の少し下辺りを見せて、また、笑う。

 「だから、狭山さんはマシなんだって。愛されなくても暴力は振るわれないだろ」

 「うん……」 

 そぞろに返事をしながら、陽菜は魅入られたようにじっと太郎の傷を見つめる。なんで太郎は、笑っているのだろう?

 「親が子供を愛さないのなんて、結構普通の事なのかもな」

 「そーだね」

 「……そんな、キョーミある? 触ってみる?」

 太郎はからかうように陽菜を覗き込んで、そう言う。

 「なんて、ね」

 太郎がそう言ったのと、陽菜の手のひらが太郎の肩の、ひときわ赤い、出来たばかりの腫れに触れたのは同時だった。太郎は意表をつかれて言葉を飲み込む。寒い屋外にずっといたせいか、陽菜のてのひらはひんやりと冷たかった。

 「あつい。熱もってる」

 「……」

 「なんで笑って言うの?」

 「……」

 「痛かったでしょう?」

 「……うん」

 陽菜の口から嗚咽が漏れる。別に陽菜は痛くはない筈なのに。手のひらから、じんじんとした熱と鼓動が伝わってくる。いたいいたいって言っている。たすけてたすけてって、言っている。

 「どーしてぇ……」

 陽菜は手はまだそこに当てたまま、俯いた。

 涙が次から次へと溢れてくる。

 どうしてだろう。どうして、太郎がこんな目に遭わなくちゃいけないのだろう。

 どうして太郎は笑ってこんな事、受け入れてるのだろう?

 太郎はしばらく黙ったまま、外の雨の音を聞いていた。

 雨の音は、まるで外とこの場所を遮断するかのように、激しく、そしてどこか優しく聞こえた。まるでこの小さくて無力な子供たちを誰かの代わりに何かから守ろうとしてくれているように。


 「雨、小降りになったね」

 鼻をすすりながら、陽菜は言って手を離した。

 「うん。だから、狭山さんはもう帰りなって。家、近いんだろ?」

 シャツを下ろしながら、太郎は言う。泣いたのが気恥ずかしいのか、太郎の腹に触ったのが気まずいのか、陽菜は素直にうなずいた。

 「そーする」

 立ち上がって、じゃあね、と挨拶して、陽菜が出て行ったのを見送った穴の中で、太郎は壁にずるずると体重を預けながらうずくまる。

 「……寒ぃ」

 ふと見ると、自分の吐いた息が白い。寒いはずだと、納得した。上着を着てくれば良かったとも思うけど、そんな暇はなかった。振り上げられた手から這い出して、必死に逃げ出すのが精一杯だったから。

 独りぼっちになった穴の中で、腹を抱える。今頃になって、腹の痣が痛む気がした。もう、麻痺したかと思っていたのに。

 でも、耐えられる。今まで耐えてきたのだからと、ただ息を殺して、腹を抱えて。

 ふと、甘い香りが鼻先で香った。なんとなく目を上げて、入り口に人が立っているのを見る。驚いて、ちょっと目を見開いてしまったのは、その子がもう行ったと思っていたから。

 「濡れちゃうじゃん。なにやってんの?」

 「小野君、寒いんじゃないかと思って。薄着だし。これ、貸してあげる」

 言って、陽菜は手にもったものをぐい、と太郎に押し付ける。いったん公園の出口まではいったのだけど、ふと思いなおして、上着を脱いで戻ってきたのだ。遠慮されてつき返されてはたまらない。だから、渡してすぐに駆け出す。

 「今度こそ、じゃあね」

 太郎はしばし呆然とそれを握っていて、それからもぞもぞと動いて、ニット地の暖かそうな上着を羽織ってみる。

 上着からは、強く、甘い花の匂いが香った。

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