8 出撃前、そして苛立ち。
待機室には乃木さんしかいなかった。
控え室と言っても、特に部屋の中には特に何かがあるわけでもない。壁に接したベンチが二つ。冷水器と個室のトイレがあって、あとは入り口とは別に、もう一つドアがある。下水へと続く入り組んだ通路へと繋がる道だ。
俺は赤い色をしたスーツ、乃木さんは青い色のスーツを着ている。胸部にはあの石が収納されてる。内部に入っているから外からはわからないが、他の部位と比べ、その部分が僅かに膨らんでいる。
今はまだいないが、源さんは普段黄色いスーツを着ている。色が違うのは、視覚で相手が誰かを認識する為だ。あとは、パーツを取り間違えない為。
「源さんはまだっすか?」
「……来ていない。もしかしたら、まだ整備室にいたのかもしれない……」
まだスーツのメンテが終わってないのだろうか。源さんは複数のビーストと闘った、と言っていたし、その時、スーツの一部が故障したのかもしれない。
「あの、やっぱり、俺のせいですかね」
そうなったのも、俺の責任だ。金とかそんな事は関係はなく、取り返しのつかないことをしたんじゃないかって思う。
源さんが闘う羽目になったのは俺のせいだ。俺がもう少しちゃんと考えて闘っていれば、あの時加減していれば、下水が壊れる事はなかった。
源さんが俺のせいで大量の敵と闘う羽目になったんだ。
「……お前のせいではないのかもしれないな……」
「でも、俺があの時、あの壁を破壊しなかったら」
オリジナルとやらは、下水から逃げる事はできなかったんだ。
「……いや……あそこは下水の中で、一番壁が薄い場所だった。お前が偶然そこを破壊して、オリジナルが偶然そこを突き止め脱出して、そしてオリジナルの逃げたコースで偶然待ち伏せが起こった……そう考えるのは、不自然だ……」
乃木さんの言っていることは、つまり。
「俺が壁を壊したのはビーストの誘導ってことっすか? 」
「……オリジナルには知能が芽生えているようだからな……ありえない話じゃない……」
そのために、ビーストを一体を犠牲にしたって言うのか?
それって、俺たちがビーストを捕獲して下水に送り込むことを理解して、そして下水の中で壁の薄い場所を調べなければならないじゃないか。さほど人間と変わらない知能を持っているんじゃないか?
「……そう考えていけばだ……オリジナルは確実に壁を破壊できるように、一番経験の浅いお前の時を狙ったのかもしれないな……」
俺の知っているビーストは、力こそ人間の何倍もある化け物だが、思考能力に関しては動物とさほど変わらない。そこが幸いして倒せている部分もある。
そのビーストに、人間並みの思考能力を持ち、管轄する親玉がいるのなら、それは相当に厄介だ。
「オリジナルって、一体なんなんっすか? 」
ビースト達の親玉。人間並みの知能を持っている化け物。どうして俺は今までそんな奴の存在を知らされなかったんだろう。
「……それは俺の口からは言えない……」
「何でですか ?さっきの源さんもでしたけど、なんか無理に俺に隠そうとしてないっすか? 」
「……それは……」
乃木さんが躊躇いがちに口を開いたその時だった。
「俺が最後か」
源さんの声がした。ドアの方へ視線を向ける。
「あれ、源さん? そのスーツって」
そこにいた源さんは、いつもの黄色のスーツではなく、黒い色をしたスーツを着ていた。始めてみる色のスーツだった。胸の部分の、石を収納する部分が他のスーツよりも大きい気がする。
「……源さん、それは……」
乃木さんの声には驚きが込められてた。
「それなりの覚悟は決めとかなくちゃな、ってことだよ」
源さんが軽く笑う。特別なスーツみたいだ。何かいつものスーツよりも性能が高いのだろうか。
「ああ、そうだ。正輝」
思い出したように名前を呼ばれた。
「お前は絶対にオリジナルと闘うな。恐らく、奴は数体のビーストを陽動として使ってくるはずだ。そいつの相手をしろ」
そう、命令される。
まただ。違和感のようなものを感じる。無理矢理強制する事で、俺を何かから遠ざけようとしている。オリジナルって奴との接触を避けさせようとされるだけじゃなくて、それ以外のもっと別の何かから、俺を遠ざけようとしている。
「今日の源さん、おかしいっすよ」
気がつくと俺は呟いていた。
「俺は今までオリジナルなんて知りませんでした。オリジナルって奴の事だけじゃなくて俺ってしならない事沢山あるっすよね。今まであまり興味なかったっすけど何か隠そうとしてないっすか?」
ほとんど一気に捲くし立てた。無性にイラついた。
信用されてないのかと思った。そこが、どうにも腹立たしかったんだ。
俺はこの仕事は嫌いだ。でも、皆は好きだ。源さんや乃木さんはもちろん、一癖ある技師の連中、ほとんど喋らない監視員の奴ら、どこか鼻にかけたような科学者連中も、俺は嫌いじゃない。みんな、いい人だ。この仕事は最悪だと思うけれど、みんなはそうじゃない。
それなのに、俺だけ蚊帳の外にいるような気がした。俺だけ何も知らない。俺だけ信用されていない。知るべきはずのことを知っていない。
「お前は知る必要のないことだ」
さっきの会議の時と同じような口調だ。
「必要なくたって、教えてくれたっていいじゃないっすか」
源さんは俺の言葉を無視している。
一体なんなんだよ、これ。
色々と腹が立った。
源さんが俺に何かを隠そうとしていることに対してだけじゃない。この仕事に、それを押し付けて死んでいった父さんに、それに対して苛立っている俺自身に。何もかもがムカついた。ダムから感情が溢れそうになる。それでも壊れはしない。俺一人で抱えている限りは。
俺は今、何をしてるんだ?
唐突に疑問が浮かぶ。
金を稼ぐ為に闘って、それ以外何もしていない。けど、その唯一の事だって満足に知らないで、流れに身を任せるように生きている。
何のために生まれて、何をして生きるのか。それ以前に、今、何をしているのかすら満足に答えられない。
チクショウ。なんなんだよこれは。
腹が立つ。こんな中途半端な生き方を選んだ俺自身に。
《ポイントC-58にビーストが現れました。装着者早瀬正輝は至急、向かってください》
放送が流れた。俺一人、名指しで出撃命令だ。源さんが口ぞえしたんだろうか。それとも、源さんの思考とはまったく別の、戦術的判断なのだろうか。
オリジナルとやらが通常のビーストよりも強力なのはわかる。それに対し、強い人間を当てるのは常識だ。そのために戦力を温存しておく。一番戦力的に低い俺が出撃する。
源さんの口ぞえでも、戦術的判断でも、どちらもありえることだ。どうせ考えてもまともな答えはでてこない。
「……いってきます」
下水に通じる通路のドアを開け、部屋を後にした。源さんも乃木さんも言葉を返してはくれなかった。俺にうんざりしているとかそういうのじゃなくて、ただ、闘うべき相手に対して緊張していただけなのかもしれない。