2 上司二名。立地条件良。ただし不満多々あり。
俺は早瀬正輝、二十歳男性。職業ヒーロー。表向きは公務員。月給手取り四十万。成績及び普段の仕事へ向かう姿勢によって給料の上下あり。
家族は、高校二年生の妹の美希、そして高校受験を控えた中学三年の弟の善樹、そして病院で寝たきりになった母さんがいる。父さんは一年前に死んだ。
家の働き手は俺一人。一人で家族の入院費やら授業料やら何から何まで稼がなくちゃいけない。
父さんの残してくれた金だけでも数年は働かないで暮らしていけたけれど、でも、金ってのは油断すればすぐに底をつく。
だから俺は働いている。
気乗りのしないこの仕事を続けている。
この街の駅には、二本の路線が通っている。朝と夜はサラリーマンでごった返しになる。駅前には七階建ての電気屋があり、競うように大型の本屋やファミレス、パン屋やファートフード店がひしめいている。ラーメン屋は四軒、牛丼屋は有名どころが殆ど営業している。その少しの合間を縫うようにしてビルが聳えていた。昼間はそこで、せっせとサラリーマン達が働いている。
駅から少し離れると、そこにはマンションがいくつも建てられている。当然のように二件の大型スーパーが存在し、互いに客を取り合っていた。
義務付けられた毎日のトレーニングが終わり、俺は先輩である源さんや乃木さんと共に家路を歩く途中だった。
源さんは三十代にしては屈強すぎる体付きをしている。二の腕は常人の倍はある。胸襟が盛り上がり、今は違うが、シャツを着てればピチピチに突っ張るだろう。
乃木さんは物静かな男の人で、俺の六つ上。後輩の俺の面倒をよく見てくれている。顔はなかなかに整っていて、未だにこの人に彼女がいないのが信じられない。
駅から離れたこの場所には、一戸建てや安アパート、銭湯に商店街などの、駅前とはまた違った風景がある。賑やかな駅前とは違い、ゆっくりと落ち着いている感じがする。近くには高校があり、その隣にはエスカレーター式に進学のできる大学もある。どちらかと言えば、俺はこっちの、このゆったりとした感じが好きだ。駅前はごちゃごちゃしていて、あまり好きじゃない。
長距離やらスクワットやら腹筋やら背筋までさせられたせいで、身体が重い。歩くだけで辛い。もうかれこれ一年は繰り返している事なんだけれど、未だに慣れない。
今日は下半身と体感。明日は上半身強化メニュー。明後日になれば、ようやく流しで楽なメニューになる。今日は源さんが休養日だった。明日は乃木さんが休養日。上半身、下半身、休養日ってメニューを三人でローテーションしている。
また、出撃の無い日は模擬戦まである。バーチャル空間を利用し五感を再現した、疑似戦闘だ。今日、出撃のあった俺は免除されているが、俺のほか二人は模擬戦をやっている。
俺たちの表向きの職業は市役所に勤める公務員。実際は、街に現れる化け物達を人知れず倒しているヒーローだ。給料の話をすると、源さんはたしか、百五十万くらい貰ってたと思う。乃木さんは百万。二人とも俺よりもはるかに高い給料を貰っているのは、ちゃんと結果を出してきているからだ。
まだこの仕事に就いてから一年くらいしか経ってないから、手際が悪く、月に倒す化け物の数も少ない。それでも、手取り月四十万ってのは、二十歳って言う俺の年齢を考えれば、十分すぎるくらいだ。でも、俺にはまだ金がいる。
「今日も一日、がんばりましたっと」
源さん――フルネームは二階堂源さん――が、呟く。
「頑張ったって、今日は源さん、営業に出てないじゃないっすか。しかも、トレーニングも流しだったし」
俺達は化け物を倒すために外に出る事を「営業」と呼んでいる。一般人に話を盗み聞きされても問題がないように。
ちなみに、「営業」命令が出た時、優先的に出向くのは前日に軽いトレーニングをした者、となっている。今日は、昨日軽めに流した俺が「営業」に出る。明日は、今日流した源さんが。明後日は乃木さんが、と言った具合だ。
「俺は今年で三十八。普通だったらメタボってる歳だっての。若いお前らとは違うんだよ」
などと源さんは抜かしているが、二十歳の俺よりも体力は上だし、筋力だってかなりある。腕なんて、平均的な成人男性のそれよりも二倍くらいは太い。太股は筋肉が隆起して逆に気持ちが悪いくらいに見える。
「俺よりも乃木の方が動けるしな。もう駄目なんだ。最近は身体が重くてよ」
乃木さんはそれに対し頭を振って答えた。謙遜しているんだ。そんな事ないですよ、とか、そんな感じに。多分、その通りだ。
一年間付き合ってきて、ようやく殆ど喋らない乃木さんの思考を読み取れるようになった。
乃木さん――本名、乃木功治さん――は源さんほど筋肉があるわけじゃないけれど(というか源さんが異常なんだけど)、引き締まったいい身体をしている。腹筋に力を入れなくてもはっきりとわかるくらいに割れている。源さんとは体重の重さの分の差もあるだろうけど、三人の中で体力が一番あるのは乃木さんだ。足が一番速いのもそう。かつて、強豪高校のサッカー部でレギュラーとして全国大会に出た事があるらしい。身体を使うセンスが高い。源さん曰く、「ポテンシャルの塊」だそうだ。
「つーかよ、正輝テメー、またやったらしいな。何回目だよ」
「え、何のことっすか。いやだなー。おかしな事いわないでくださいよ」
「ごまかしても無駄だって。お前はいつになったら下水を破壊しないで闘えるようになるんだよ」
「いや、まあ。あはははは……」
「……早瀬、お前はもう少し落ち着いて闘った方がいい……」
俺たちに聞こえるか聞こえないか、それくらいの声で乃木さんが呟いた。
「何なのお前? 器物破損楽しんでんの? 俺らの仕事を公になんて絶対にしねーから、法律違反にはならねーけどよ。減給はされっけど」
「そんなわけないじゃないっすか。給料下がるのなんて、最悪ですよ。今、余裕ないですし。今月はまだ一回目なんで、大丈夫でしたけど……」
三人の中で一番ひょろっちいのは俺だ。筋力面では源さんに絶望的なまでの敗北を喫している。脚力や体力でも乃木さんに圧倒的に劣っている。反射神経がいいわけでもない。何か別の特出したもの、例えば状況判断が言い訳でもない。身体を鍛えている分、その辺のサークル生活をしている大学生よりは筋力もあるし動けるが、それだけだ。
だから化け物の撃退数も伸びないし、だから給料も増えない。
「……焦っているか……?」
乃木さんの言うとおりだ。俺が一番劣っているのがわかっていて、だから、焦る。焦りがあるから、ミスをしでかす。給料も増えない。そして、また焦る。悪循環だ。そうわかってても、焦らずにはいられない。俺には金がいるんだ。一刻も早く、給料を上げなきゃいけないんだ。
最初の月給は三十万。この一年で、給料は十万も上がった。でもまだ足りない。俺はもっと、金を稼がなくちゃならない。そうしなきゃ、家族皆を養えない。
「最近はあいつらの数も減ってきたよなあ」
源さんがぼやいた。あいつら、というのは俺たちの敵である、あの怪物達の事だ。
「そっすね。前は三日に一回くらいは出てましたけど。二週間ぶりですもんね」
「あいつらいないと暇なんだよな。トレーニングばっかだと飽きるっつーか」
不謹慎だなあ、とか思いつつ、俺は相槌を打つ。あの化け物たちに、殺された人間もいるんだ。まあ、冗談だってことはわかるんだけどさ。
「でも、平和に越した事はないっすよ」
「いや、まー、確かにそれはそうだな」
あの怪物たちが一体なんなのか。科学者たちによると、あいつらは突然変異の産物らしい。詳細な説明をされたことはなかった。興味もなかった。倒すべき相手。俺には、それだけで十分だ。
「数、減ってきてるって事なんっすかね」
ここ二ヶ月の傾向をみていると、そうなのかもしれない。
「さあ? その辺は俺にはわからん。こりゃー、俺たちがお役ごめんになる日も近いかな?」
「……笑えないっすよ」
仕事がなくなるって事は、要するにクビだ。表向きは公務員ということになっているが、政府から特殊な形でやとわれているわけだから、解雇されて記憶を消されるという可能性がないわけじゃない。怪物たちを目撃した一般人にも記憶を消したり違う記憶を植えつけたり、そんな事をしている奴らだ。ありえなくはない。
「冗談だって。上手く隠れてるか、安定期が重なってるだけなんだろ。そのうち、すぐに忙しくなるさ」
そうじゃないと困る。もしもこの仕事をリストラされたら、俺は生きていく術がない。
源さんはどうなんだろうか。結婚はしているし、ちゃんとその辺の事は考えて、貯金とかしているのかもしれない。父さんもそうだった。
商店街の中に俺達は入っていく。商店街はアーケードになっている。塗装のはげかかった看板や、地面の罅割れたタイル。お世辞にも綺麗とは言えない。
その分、活気に溢れている。八百屋のおっさんは元気に声を張り上げてるし、魚屋ではマグロの解体ショーなんてのをやっている。店の前に小学生が何人も群がっていた。
他愛のない会話をしながら俺達は商店街の中を歩く。
「ありがとうございまーす」
花屋の店員が明るい声で客のおばあさんに微笑んでいた。おばあさんの手には花が添えられている。
俺も、たまにいく花屋だ。この辺で花を買えるところといったら、商店街の中か、マンションの立ち並ぶ住宅街近くにある大型ショッピングモールの中にしかない。別にどちらで買ってもそんな違いはないと思う。
「ま、そんな心配するこっちゃねーわな。最悪、コネを使って市役所に天下りすりゃいいんだしな」
源さんの明るく無責任な発言に、若干救われる。いや、そもそも俺を不安な気持ちにさせたのは源さんか。感謝するのは色々と間違ってるな。それに、この歳で天下りってのもどうかと思う。
「そんじゃ、俺は今日当番なんでこの辺で。後は二人でよろしくやっててくれ」
俺と乃木さんが頭を下げた。一応、先輩なんだ。最低限の礼儀は守る。心の中でちょっとくらい悪態をつくのは、しょうがない。
源さんは狭い店と店との間に入っていった。少し窮屈そうだ。その先には入り組んだ道があり、行き止まりとなっている。何も知らなければ絶対に気がつかない場所にスキャナーがあり、そこに専用のIDカードを差し込めば壁がずれ、裏道へ繋がるようになっている。
俺達の雇い主は政府だ。街の改造なんて、当たり前のようにやっている。
例えば、商店街の中にもある、マンホール。この街にあるそれのいくつかは、俺が闘っていた化け物――ビーストを捕獲し、下水に引き込む装置となっている。蓋が電話ボックスほどの高さにまでせり上がり、誘導式のワイヤーが目標を捉える。強化ガラスの中にビーストを引き込み、そのまま下水に送りつける仕組みになっている。地下には俺や源さんが下水に直行できるようにと、通路が用意されている。源さんが向かったのもそこだ。
「……どうする。飯でも、食いに行くか……?」
俺達はよく一緒に飯を食いに行く。せいぜい牛丼屋やラーメン屋程度だが。
乃木さんはいい人だし、源さんもなんだかんだ言って優しい。いい先輩だ。一緒に飯を食うのは楽しい。
「すいません、今日は止めときます」
けど、今日はそんな気にはなれなかった。
「……そうか……」
乃木さんの口調には少し寂しそうな感情が篭っていた。意外と寂しがりやなんだ。この人は。
「すみません。今日はちょっと、寝たい気分なんで」
嘘をついた。本当は寝たくなんてない。ただ、独りになりたかっただけだ。
商店街を抜けた。ここから先、俺と乃木さんの帰り道は違う方向になる。
「じゃあ、俺はこの辺で」
頭を下げ、乃木さんと別れた。乃木さんも軽く会釈をしてくれた。
俺は一人で街を歩く。
今は四月。入学して間もない学生と一つ学年を上げた学生が、世間には溢れかえっている。新鮮な気分で毎日を過ごしてるんだろう。俺だって本当だったら、大学三年生になっているはずだった。
今すれ違った三人は、多分この近くにある私立大学の学生だ。賭け麻雀の話をしていた。三万も負けた、と言っていた。
懐かしい。俺も大学に入りたての頃よくやっていた。あれほど大学生に向いている遊びはない。娯楽の極地だ。今でも源さんや乃木さん、あとはスーツのメンテと改良をやってくれる数人の技師たちと麻雀をやるが、しかし大学生の頃にやっていたあの雰囲気はもう味わえない。
こんなはずじゃなかった。どうしてこうなっちまったんだろう。
後悔なんて及ばない所に原因があったっていうのに、俺は心の中で悪態をついた。
ちくしょう、ふざけんなよ。何で俺は、こんな毎日を送らなくちゃいけない?
我が侭だって事はわかっている。皆、生きる為に毎日働いているんだ。俺はたまたま、それが人よりハードで人より暇がないという、それだけのこと。
わかっているが、俺はこの仕事が嫌で仕方がない。