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勉強はなぜしなければいけないのかちょっとだけ考えてみる

作者: 花咲トーポ
掲載日:2026/09/17

「勉強はなぜしなければいけないのですか」


 私が小学生だか中学生だかの時、尊敬していた先生にそう尋ねたことを覚えている。幼少期の私には将来のモチベーションがなく、勉強に意味を見出せなかったのだ。


「勉強すれば将来の可能性が広がるよ」


 当時はその言葉に膝を打った。だが、ある程度年を取った今になると先生の発言は正確ではないことがわかる。勉強をすれば将来の可能性が広がるのではない。勉強をしなかったときに将来の可能性が狭まるのだ。


 ある赤ん坊を例に考えよう。その赤ん坊は太郎と名前を付けられ、両親に愛情をもって育てられ、無理のない範囲で勉強をし、ある程度名前の通った大学に進学し、給料の良い職を得た。この世界線の太郎は勉強をしたおかげで大きな苦労なく、ある種の成功を収めたことになる。


 しかし、例えば太郎が勉強を全くしなかったとしたらどうだろう。太郎は大学に進学することができず、家の近くの企業に就職することになった。前者に比べると給料が少なく窮屈ではあるものの、衣食住に困ることはない。ここで考えたいのは「勉強をしたら太郎は得をする」という単純な因果ではなく、太郎の持ちえたポテンシャルである。


 どちらの世界線においても、赤ん坊の太郎には最低限大学に進学できる程度の運の良さと才能があった。前者の太郎は勉強をしたおかげで「大学に進学する」という可能性が残されたものの、後者の太郎は勉強をしなかったせいで「大学に進学する」という可能性がなくなってしまった。すなわち、勉強をすること自体がポジティブな効果を生むのではなく、勉強をしないことがネガティブな効果を生むのである。


 さて、それでは前者の太郎は可能性が全く狭まらなかったかといえばそういうわけではない。勉強から努力全般に話題を拡張してみよう。


 太郎は元々プロの野球選手になるという夢があったとしよう。勉強と野球の練習の両立が難しかった前者の太郎は仕方なく勉強をとったのかもしれない。対して、後者の太郎は野球の練習を優先したおかげで社会人野球に進み、プロ野球への夢を失わずに済んだのかもしれない。そうすると勉強をしたせいで太郎はプロ野球選手という可能性を失ってしまったということになる。


 努力をすると可能性が広がるのではなく、努力をしないときに可能性は狭まる。前者の太郎は勉強に努力したおかげで学業の可能性は維持されたが、野球の可能性は失った。後者の太郎は勉強の代わりに野球を努力したため、夢を追い続けることができた。努力は何かの可能性を維持することができるのは確かだろう。残念ながら人間の時間は有限なので如何に効率よく努力を重ねてもすべての可能性を失わずに済むことがありえない、というのもまた事実である。限られた時間の中で何に努力するかを選んだ結果、別の可能性を失ったのだ。


 冒頭の質問に戻ってみよう。


「勉強はなぜしなければいけないのですか」


 当時の先生の答えとは違い、今の私ならこう答える。


「勉強だけをする必要はないよ。でも、何の努力もしないと自分の望む可能性を維持することはできないよ」

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