第七十六話:歴史
イタリア:
現代における多様性と、歴史問題の相性が悪いってのはその通りだね。
欧州でもヒトラーやスターリン、ムッソリーニなんかの話題はセンシティブだし、もっと遡れば十字軍なんかも…ねぇ?
ムスリム:
私に振らないでくだサーイ。
とはいえ宗教が絡み、今なお引きずっている地域が
中東でアルことは否定できませんガ。
韓国さん:
そこは現在進行系なので、センシティブが過ぎますね。
MtF:
日本では揉め事を避けるために「政治と宗教と野球の話はするな」なんて言われるけど。国際部門では……政治と宗教と、歴史の話はするな、が真理かもしれないわね。
女性社員:
そうですね。
私たちの常識って、ほぼ全部「自分が教えられてきた事」で成り立っていますから。外の世界の価値観を混ぜると、途端に火薬庫になるというか。
男性社員:
同じ出来事でも、相手の教科書だと全然違うなんてザラだしなぁ。
イタリア:
まったくだ。歴史は事実より "記憶" で語られる。
だからこそ慎重にならないといけないね。
ムスリム:
神の教えが一つでも、人の解釈は無数デスからネ。
韓国さん:
結局、歴史も宗教も政治も "正しさ" を競うほど争いになる。
だからこそ事実を軽んじず、感情にも巻き込まれすぎない
姿勢が必要なのだと思います。
私:
なるほど、みんなも気をつけてくれよ。
もし何かの弾みで国際問題にでもなったら……
ああ、どうしろと(´・ω・`)
・歴史:事実と記憶の非対称性
歴史はしばしば、「過去に起きた事実を客観的に並べたもの」
だと考えられがちである。
しかし実際にはどの出来事が強調され、どの出来事が忘却されるかは、
その後の社会構造と力関係に強く左右される。
たとえば民族の排除や隔離、土地の収奪といった政策は、20世紀以降も各地で行われてきた。その中でもっとも有名なものは、おそらくナチスドイツによるホロコーストであり、これは「人類史上まれに見る極悪非道な犯罪」として現在も強く問題視され続けている。
一方でアメリカにおける先住民の強制移住や隔離政策、オーストラリアにおけるアボリジニ政策などは同様に深刻な人権侵害を含みながら国際社会で同じ強度の議論が継続されているとは言い難い。
この差は善悪の大小だけで説明できるものではない。
被害を受けた側が、現在も社会的・政治的な発言権を持ち、声を上げ続けられるかどうか ―― その「記憶の持続性」が、評価の差を生んでいる側面もあるのだろう。
歴史とは単なる事実の集積ではなく、「誰の記憶が残り、誰の記憶が消えていくのか」という極めて政治的なプロセスの結果でもある。
だからこそ、歴史を語ることは常に慎重でなければならない。




