第七十二話:空気
ムスリム:
学習中の失敗談なら、私にもありマース。
男性社員:
えっ、ムスリムさんにも。
女性社員:
何だかんだで地雷を踏まされることはあっても、自分からは踏まないムスリムさんが。
ムスリム:
…私を何だと思っているんデスカ?
イタリア:
で、どんなミスをやらかしたんだい?
ムスリム:
交換留学で日本に来て、1年弱が過ぎた頃だったでしょうカ。ホストファミリーの家で「鍋」があったんデス。白菜、ネギ、豆腐、キノコ、すき焼き用の牛肉…一目見て、コレは御馳走の準備をしていると悟りマシタ。
シカシ当時の私は、いわば居候の身。美味しそうだと期待に胸を膨らませる一方で、イスラム教徒は卑しイと思われるヨウナ、下品な振る舞いは慎まなくてはナラないとも考えていまシタ。
私:
当時は学生だったんだよね?
既に国際感覚を身に着けているというか、流石というか。
ムスリム:
鍋が食卓の中央に置カレ、ホストファミリーの家族と私で、和気あいあいと夕食を頂く。ソコで私はさりげなく、さりげないつもりで、肉を取る量を控えたんデス。居候である以上、最高級の食材を狙うような真似は嫌がられるだろうト。
MtF:
日本人が好みそうな気遣いではあるわね。
留学生の子にそこまで求めることは無いと思うけど…
イタリア:
オチが読めないな、地雷が隠れているようには思えないんだが。
ムスリム:
シカシ野菜を中心に頂いている私を見る視線が、いつしか冷たくなってイルことに気が付きました。内心で混乱シツツも、これ以上どうすれば良いのか分からナイ。そして…私は意を決して「何か失礼がありましたか」とハッキリ尋ねまシタ。
女性社員:
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥…ですかね。
男性社員:
なんて言われたんですか?
ムスリム:
"マツタケ" だったそうです。
イタリア:
???
私:
あー…鍋の具材、か。
ムスリム:
ハイ。私が肉を避けツツ、頂いていた白菜、豆腐…そしてキノコ。
そこに牛肉すら足下に及ばナイ、高級食材が隠れていたんデス。
男性社員:
なるほど。率先して鍋の中の松茸を狙い、ハンティングしていく姿勢。
たしかに冷たい視線を向けられそうなシチュエーションではありますね。
韓国さん:
状況は理解できますが、それを "察しろ" は難易度が高すぎる気はします。
ムスリム:
日本は高文脈な意思疎通が常だという事前知識はありまシタガ…あの時ホド、日本の「直接言わズに察することを要求スル」文化を恨めしく思った事はありまセーン。どうしろト(´・ω・`)
・空気:ハイコンテクスト文化の罠
日本のコミュニケーションは、典型的なハイコンテクスト文化に分類される。
言葉そのものよりも、場の雰囲気、前後関係、人間関係、表情や声色といった
言語化されない情報に多くの意味を委ねる様式だ。
「言わなくても分かるだろう」
「察してほしい」
「空気を読め」
こうした前提のもとでは、あえて説明しないことが礼儀とされる場面すらある。
しかし日本人同士であれば円滑に進むやり取りも、異文化圏の人間にとっては情報が欠落したまま進行する不可解な会話になりやすい。
特に厄介なのは、
・注意や不満が直接言語化されない
・しかし「分かっているはず」という期待だけは存在する
という構造である。誤解が生じても、どこで間違えたのか本人には分からない。
空気を読む文化は衝突を減らし、集団の調和を保つ強力な道具である。
一方で背景を共有していない相手に対しては、
意図せず地雷原を作り出してしまう危うさも併せ持つ。
「言わない優しさ」は、時に「伝えない不親切」に変わる。
その境界線は文化の外縁に立つ者ほど、踏み抜きやすいのだろう。




