第七十一話:日本語
イタリア:
しかし、あらゆる言語の中でもトップクラスに難解な日本語話者が "英語が難しい" と主張するのは…いや、止めておこう。
MtF:
別に自重しなくていいわよ。
日本語が複雑怪奇なのはネイティブだって漠然と理解してるし。
ムスリム:
ソウなんですカ? 確かに私も日本語習得は非常に大変デシたが。
私:
あー、私なんか日本語ネイティブ50年超えてるけど。
未だに読めない漢字ゴロゴロあるしねぇ。
男性社員:
読めるけど書けない漢字はもっと多いっすね、魑魅魍魎だの跳梁跋扈だの。
已己巳己とかネイティブから見ても嫌がらせでしかない。
女性社員:
最後のやつ知らない…
韓国さん:
ひらがな、カタカナだけで100文字。そして常用漢字が2000文字強。
私も勉強中は「この言語どうなってんだ」と、何度悪態をついた事か。
イタリア:
しかもようやく理解できるようになったと思っても、 時と場合によって意味が変わる言い回しが多い、多すぎる。酷い目に遭ったことも、一度や二度じゃない!
MtF:
…なんか具体的な体験談がありそうね?
イタリア:
あるとも、あれは留学生として日本に滞在していた時だった。
学校からの帰りで駅構内を歩いている時にね、ふとある看板が目に留まったんだ。
「清掃中につき、ご協力ください」ってね。
女性社員:
ああ、たまにありますよね。掃除中だから使えませんよって奴。
イタリア:
それだよ。冷静に考えてみてくれ。
「清掃中につき、ご協力ください」という文章の中に、使用禁止を謳う文言はあるかい?
男性社員:
…深く考えたことなかったけど、確かにないな。
イタリア:
当時、日常会話をこなせるようになっているという自負があった僕は、
その看板を見てこう思ったね。
「学校帰りで時間もあるし、"協力" するか」ってね。
ムスリム:
…オチが分かった気がしマース。
イタリア:
清掃活動ボランティアへの協力は善行。そう考えた僕は意気揚々とトイレに入り、掃除用具入れからモップを取り出したんだ。しかし、それを珍妙な表情で見る清掃員の方…なぜ歓迎されないのか、理解できなかった。
女性社員:
あー…(苦笑)
イタリア:
あの時ほど恥辱にまみれた気分になったことは、後にも先にも無いくらいだよ。
当時の同級生たちには「トイレ清掃の紳士」なんて揶揄されてね…
どうしろと(´・ω・)
・日本語という言語の三重苦
日本語は学習者にとって極めて過酷な言語である。
その理由は、大きく分けて三つある。
第一に文字の多さ。
ひらがな・カタカナという二つの音節文字に加え、二千字を超える常用漢字が存在する。しかも漢字は「読めれば終わり」ではなく、書き分け・使い分けまで学ぶことが必須だ。ネイティブですら「読めるが書けない」を当たり前に抱えている時点で、難易度は察するべきだろう。
第二に読み方の多さ。
一つの漢字に複数の音読み・訓読みがあり、熟語になると突然別の顔を見せる。
学習者にとっては「同じ文字なのに、なぜ毎回読み方が違うのか」という理不尽の連続である。これは暗記ではなく、慣れと経験に委ねられる部分が大きい。
第三に主語の欠落。
ようやく意味を理解できるようになった学習者がもう一度躓くのが、実会話である。というのも、日本語では主語や含意が頻繁に省略されるせいで「何の話か」を理解するには、文を余すことなく把握しなくてはならないのだ。
例:「昨日の夜は雨に降られちゃったよ」
→ 私は昨日の夜、雨が降ったせいで酷い目に遭った。といちいち言わない。
主語がしばしば「文脈と空気」で補完される前提になっている日本語は、会話文としては成立しているのに、論理的には情報が欠けている文が量産されるという難儀さも抱えているのだ。
この三点が組み合わさることで、日本語は「文字は多い」「読み方は安定しない」「誰の話か分からない」という、学習者泣かせの言語となっているのだ。




