第六十九話:侮辱3
―― 同日深夜。イタリアは数秒ためらってから、スマホを操作する ――
(呼び出し音)
韓国さん:
……はい。
イタリア:
起こしたならすまない。今、少しだけいいかい。
韓国さん:
新年早々、声が険しいですね。—— 要件は?
イタリア:
今日、初詣の帰り道で仲間が侮辱された。
白人の観光客が、女性社員にぶつかって……「yellow monkey」って。
韓国さん:
……
イタリア:
僕は止めた。謝れと言った。
でも当の本人たちが、あまりに平然としてて……腹が立って仕方がない。
韓国さん:
日本側が、怒らなかった?
イタリア:
「どうでもいい」「関わらない方が得」みたいな顔だ。
僕には理解できないんだ
韓国さん:
(溜息)事情は把握しました。
イタリア:
君ならどうする?
——正直に言ってくれ。僕は間違ってないよな?
韓国さん:
私なら……相手が逃げようとした瞬間に、まず "止めます"。
ただし、手を出すかどうかは状況次第です。
イタリア:
止める、よね。
韓国さん:
ええ。
韓国では、侮辱は「相手の問題」ではなく「こちらの面子の問題」です。
そのような言葉を吐かれて黙っているのは、"負けた" ことになる。
イタリア:
そうだ。僕が言いたいのはそれだ。
侮辱は、後悔させないといけない。
韓国さん:
ただ—— "後悔させる" にもコストが掛かります。
日本の街中で旅行者と口論して、不愉快な思いをして、時間を消費して、
最終的に何が残るか。得るものは少ないでしょう。
イタリア:
……
韓国さん:
私にもプライドはありますが、同時に現実的な視点を持ち合わせています。
怒りを示すことと、日常を守ること。両方を秤に掛けるでしょうね。
イタリア:
……なら、どうするのが "現実的" なんだ?
韓国さん:
短く、冷静に、逃げ道を潰します。「今の発言は人種差別だ。謝れ、今すぐに」と。
——それで相手が謝るなら終わり。謝らないなら距離を取る。
時間と精神力を浪費したくありませんから。
イタリア:
……なるほど。合理的ではあるな、実に不愉快だが。
韓国さん:
上司さんが土下座したと聞いたことを、覚えていますか。
衝撃でしたが、あれは "早く日常へ戻る" という合理性の塊でもあった。
日本人の「スルー」は、それに似ています。
——許しているのではなく、無駄を極力省くための選択。
イタリア:
でも……それで差別が消えるわけじゃない。
韓国さん:
ええ。消えません。だから、あなたが怒るのも正しい。
ただ —— 日本の同僚が怒らないのも、腰抜けとは限らない。
戦い方が違うだけです。
イタリア:
……Damn.(くそっ)
韓国さん:
口が悪いですね。まあ、あなたらしいですが。
イタリア:
すまない。……少し、頭を冷やして考える。
Happy New Year.
韓国さん:
はい。おやすみなさい。
(通話終了)
イタリア:
……くそ。どうしろと(´・ω・`)
・韓国の文化
韓国には情(정/ジョン)と呼ばれる、強い情緒的な結びつきの感覚がある。ざっくり言えば「身内/仲間」を大切にする、関係の深い相手への情を深く持つという文化だ。だからこそ仲間が侮辱されると、侮辱された本人だけの問題ではなく周囲の人間も強く反応しやすい。
そこに重なるのが体面(체면/チェミョン)—— いわゆる面子の文化で、対人関係の中で尊重されたい・侮辱されたくないという意識が、誇りや恥の感覚と結びついて働く。 基本的には誇り高い文化だと考えて間違いないだろう。
ただし、怒りをストレートに出す=常に正解だと考えているわけでもない。韓国側にも合理性があり、相手・場所・コストを見て、最短で決着をつける(もしくは切り捨てる)判断も普通に起こる。
自尊心(자존심/チャジョンシム)を重視する一方で、それを絶対視もしない。
ある意味で、韓国の考え方は西欧と日本の中間のような位置にあるのかもしれない。




