第六十八話:侮辱2
駅へ向かう道すがら。
少し張り詰めた空気のまま、歩き続けている。
MtF
はいはい、二人とも落ち着いて。
イタリアにも分かるように説明するわ。
イタリア
……正直、あまり分かりたくもない。
MtF
まあ、そう言わずに。日本において差別ってね、
「やられたら怒るもの」というより――
「やる側が恥ずかしいもの」なのよ。
イタリア
……?
女性社員
悪いことだってのは分かるんです。
でも正直、怒りより先に「うわ、面倒」って思っちゃって。
反応したら相手の思う壺、みたいな。だから反応が鈍いのかも。
男性社員
うん。根本的に「相手したくない」んだよな。関わる価値も無いっていうか。
実害がないなら、放っておけばいいやっていう割り切りですかね。
ムスリム
……それはそれで、なかなか強烈デスネ。
MtF
だから結論は「変な奴だな……関わらんとこ」ってなるの。
正面からぶつかって、自分のエネルギーを使う方が無駄だと考えるわけ。
イタリア
……だが、それでは差別を黙認することになるじゃないか。
MtF
黙認はしないわよ。身近な範囲で、継続的に起きるならね。
ただ、今みたいな不意の接触程度なら無視して終わり、ってだけ。
イタリア
侮辱は後悔させなければならない。
罪は、償わせなければならない。
そうだろう?
ムスリム
ウーン、私も自国であればそうしマス。
デスが、ここは日本デスからね。
女性社員
悪いことだってのは分かるんです。
でも正直、心が痛むわけでもなくて。
だから反応が鈍いのかもしれません。
男性社員
うん。根本的に、「どうでもいい」んだよな。
実害は別にないし。
ムスリム
文化の違い……ここに極まれり、デスネ。
イタリア
……今回ばかりは、理解を拒絶する。
僕は、仲間が侮辱されて黙っている腰抜けになるつもりはない。
MtF
それも、間違ってるわけじゃないんだけどねぇ。
ああ、もう。どうしろと(´・ω・`)
欧米の人権意識
作中でイタリアが「なぜ怒らない!」と仲間を叱責し、理解も拒絶した背景には欧米社会に深く根ざした正義の責任という考え方がある。
18世紀の哲学者エドマンド・バークの言葉とされている「悪が勝利するために必要な唯一の条件は、善き人々が何もしないことだ」という教えに象徴されるように、声を上げないことは臆病や無関心ではなく、倫理的な敗北とみなす風潮が強いのだ。
更にイタリアのような地中海文化圏では、家族や仲間を侮辱されることは、自分自身を侮辱されることと同等、あるいはそれ以上に重大な事態である。
ここで戦わないことは仲間を見捨てる行為、すなわち「友情の欠如」を意味する。彼が激昂したのは、単に相手が許せなかったからだけではなく、「なぜ自分たち自身の尊厳を守るために立ち上がらないのか」という強い戸惑いがあったからだ。
しかしこれは日本の「スルー文化」と致命的に相性が悪い。
同じ土俵に上がらない、バカは相手にしないといった、争いを最小化し日常を維持するための合理的な処世術は、イタリアの目から見れば差別を許容する弱さと映ってしまう。しかし日本人から見れば、逆にイタリアの反応は些末な悪意にわざわざ反応して問題を大きくする行為、と映ることも少なくない。
「声を上げなければ社会は変わらない」という、戦って権利を勝ち取ってきた欧米の歴史と、「波風を立てずに、精神の平穏を保つ」という、和を貴んできた日本文化。
一方は社会正義のために個人のエネルギーを使い、一方は個人の平穏のために実害の無い社会不正を一時的に脇に置く。この価値観の相違こそが、差別の是非以上に根深い文化の衝突を生んでいるのだろう。




