第六十三話:鍋
~~ 和食店・個室 ~~
湯気を立てるてっちり鍋(フグ鍋)が卓上に置かれる。
私:
おー来た来た、美味しそうだねぇ。
男性社員:
うおー鍋だ。やっぱ冬はこれっすよ。
MtF:
はいはい、落ち着いて。
取り箸とおたまを使って、自分の小皿によそって頂くスタイルよ。
男性社員:
えー、直箸で良くないっすか?
鍋ってそういうもんでしょ。
(空気が一瞬止まる)
イタリア:
……いや、それは "汚い" だろ。
男性社員:
えっ。
イタリア:
皆で共有する料理に、自分の口をつけた箸を突っ込むのは
さすがにマナー違反じゃないか?
女性社員:
私も、正直ちょっと嫌かな。
間接キスは、さすがに……
男性社員:
え、そこまで気にするもの!?
家族鍋とか、男子校時代の同級生との飲みとか、ずっと直箸でしたけど……
私:
あー地域差、と性別かな。
韓国さん:
個人的には、そこまで強い忌避感はありません。
ただコロナ以降は、自前の箸と取り箸を分けるのが主流になりましたね。
ムスリム:
私も共有物に直接口を付けた物を入れるのは、
あまり好ましく感じまセン。
男性社員:
うわ、俺が一番ズレてる感じ?
MtF:
ズレてるというより……
「昔は当たり前だった」ってだけね。
私:
今じゃ、回し飲みもしないしねぇ。
私が若い頃なんかは普通だったんだけど。
女性社員:
回し飲みも無理です……
イタリア:
日本の鍋文化は興味深いが、
親密さを前提にしすぎている気はするね。
男性社員:
鍋って、仲良くなるための料理じゃないんすか?
MtF:
だった、のよ。
時代は変わっていくのねぇ。
ムスリム:
距離感を保ったまま、同じ料理を楽しむ……難しい文化デス。
私:
まあ、今日は取り箸で行こうか。
楽しく食べるのが一番だし。
男性社員:
……了解っす。でも具材の投入順序とかは仕切らせてもらっていいっすか!
女性社員:
出た、鍋奉行。
いえ美味しく仕上げてくれるなら、歓迎ではあるんですが。
私:
鍋一つでここまで意見が割れるとはねぇ。
ほんと多様性って大変だ。どうしろと(´・ω・`)
・大皿料理
一つの料理を複数人で取り分けて食べる形式は、一見すると合理的で親密な食事スタイルだが、その受け止め方は文化によって大きく異なる。
日本では大皿料理(鍋も含む)は、親しい関係を前提とした食事様式として発達してきた。家族鍋、宴会料理などに見られるように、同じ皿を共有すること自体が連帯や親密さの証と捉えられてきた側面がある。
一方、欧米では共有料理であっても取り分け用の器具を使うことが基本的なマナーとされる。自分の口をつけた箸やフォークを再び共有の皿に入れる行為は、不衛生・無作法と受け取られやすい。
イスラム圏では、清浄性への意識から「共有物に口をつけた物を戻す」こと自体に忌避感を持つ人は多い。
韓国は伝統的に、一つのチゲ(鍋)をみんなのスプーンでつつく文化は非常に強い国だったが、作中にある通りコロナ禍を経て衛生観念が劇的に変化。現在の若者や都市部では、個別に取り分けるスタイルが主流になりつつあるようだ。
大皿料理は親密さを前提にする文化と、距離を保つことを礼儀とする文化の境界線に立つ食事形式である。誰かがズレているのではなく、前提としている「距離感」が違うだけなのだろう。




