第五十六話:英語
イタリア:
日本でも英語教育はやっているんだろう?
どうしてそんなにダメダメなんだい。
女性社員:
一応やってますよ。中学と高校で六年間、
最近は小学校から始めてるみたいです。
ムスリム:
六年も学んでいれば、
日常会話くらいは出来てしかるべキでは?
男性社員:
辞書とか翻訳ツール片手に、
読むだけで精いっぱいっすね!
韓国さん:
勉強効率が悪すぎます。
そもそも文法から入る教育は非効率なんですよ。
英語は言語であって、数学ではないんですから。
ムスリム:
文法知識だけ入って話せない例は、
他の地域でも皆無ではナイですが……
イタリア:
それでも仮にも先進国、経済大国の一角である日本を考えると
正直、少し情けないね。
男性社員:
英語どころか、外来語のカタカナ羅列にも
適応できないのが日本人なんですよねぇ。
私:
それはそう。こないだ専務から送られてきたメールでね
「マーケットのニーズをキャッチアップしつつ、
既存のフレームをアンロックして大胆なシナジーをクリエイト。
ユーザーエクスペリエンスをコアバリューとして再デザインし、
真にメガヒットをドライブするニューフェイスをローンチせよ」
とか、本気でどうしようかと思ったよ……
MtF:
やだ、ナニそれ。怪文書すぎて、まるで意味が分からない。
韓国さん:
和製のカタカナ英語は邪悪な文化だと思います。直訳すれば
「市場の動向を把握しながら、 既成概念にとらわれない
大きな相乗効果を生み出しましょう。利用者の満足度を第一に
考えて作り直し、大ヒットにつながる新商品を世に送り出そう」
…といった所でしょうか。
イタリア:
それは英語より難解だと思うよ。
どう理解しろと(´・ω・)
・和製英語
和製英語とは、英語のパーツを用いながらも、
本国とは異なる意味で定着した「日本独自の言語」である。
それは多くの場合、英語話者には通じず、
日本人にとっても正確な意味は曖昧なままだ。
いわば翻訳を放棄し、雰囲気を優先した結果の産物と言える。
正確さよりも、耳心地の良さ。
定義よりも、なんとなくの先進性。
「格好いい」「新しそう」という空気感を纏わせるために、
外来語は都合よくカスタマイズされていく。
結果、万人に分かりにくい、誰にも優しくない言葉が量産される。
和製英語は、外来の概念を柔軟に取り込める寛容さであると同時に、
「深く考えず、分かった気になる」ことを助長する、
非常に危うい表現でもあるのではないだろうか。




