第四十八話:ハンコ
韓国さん:
……(明らかにピリついている)
男性社員:
あの……韓国さん、何かあったんですか?
MtF:
ああ。
書類不備で総務に差し戻された案件の対応中よ。
理由は ―― ハンコが足りなかったんですって(苦笑)。
男性社員:
あー……よくあるやつですね。
ムスリム:
良くありすぎて、私も正直戸惑っていマス。
この「ハンコ」という記号文化……とても非効率的ではナイですカ?
イタリア:
同感だよ。内容に目を通したかどうかの証明が必要なのは理解できる。
だが、それならサインで十分じゃないか?
女性社員:
それは本当にその通りなんですが。
長年の慣習というか……そういうもの、でして。
韓国さん:
それにしても作成者本人印、上司印、会社印まで必要で、
一つでも欠けたり、少しでもはみ出していたらアウト……
正直、意味不明が過ぎます。
(イライラが隠せない)
女性社員:
わかります、本当に。私たちも理不尽だと思いますし。
でも役所に提出する公的書類なんかだと、
形式が一つ違うだけで弾かれてしまうんですよね……。
MtF:
日本人から見ても、意味不明で無駄な慣習よね。
私:
うん……
僕も理不尽で非効率だとは思うよ。でもいち会社、いち部所レベルじゃ
どうにもならないんだよ。…どうしろと(´・ω・`)
・承認文化(ヨーロッパ・イスラム圏)
ヨーロッパ諸国では、伝統的に自筆サイン(署名)が承認の基本とされてきた。
これは「文書の内容を理解し、その責任を自分が引き受ける」という個人責任の明確化を重視する文化に基づいている。
印章文化はほぼ存在せず、押印を求められることは稀。
上司や組織の“印”よりも、署名した個人が責任主体となる
現代では電子署名(デジタル署名)への移行も早く、
EU圏では法的効力を持つ電子署名制度(eIDAS)が整備されている。
イスラム圏でも、基本的な承認手段は自筆サインである。
特に契約や合意においては、当事者同士の合意、証人の存在、文書への署名が重視される。
歴史的に「印章」が使われることはあったが、
それは王侯・統治者・宗教権威など特定の権威の象徴としてであり、
一般的な事務手続きにおける必須要件ではなかった。
総じて書類の体裁より中身、押印の有無より合意の実態が判断基準とされる。
日本の個人、上司、企業といったような多重承認文化は「誰か一人が全責任を負う」状況を避けるための慣習でもあるが、結果として形式重視・非効率を招く場面も多い。
いずれも合理性はあるが、価値を置く場所が違うだけとも言えるのかもしれない。




