4 魔塔の主
目が覚めたリィドは自分が一瞬どこにいるのか分からなくなり、一泊おいて、ここが王城であることを思い出す。
(天蓋付きのベッドとかいかにも、こヨーロッパ風ファンタジー世界って感じだ……)
扉がノックされた。
「どうぞ」
二人のメイドが入ってくると、一人のメイドがカーテンを開ける。
日射しの眩しさに、リィドは目を細めた。
「おはようございます。リィド様」
「おはようございます」
「朝食はいかがいたしますか?」
「いただきます」
「かしこまりました。お食事はこちらへ? それとも居間でお召し上がりになられますか?」
「居間で食べます」
リィドはすでに用意されていた服に着替えると、寝室を出た。
身支度を調えている間にすでに配膳は終わっていたようで、テーブルにはすでに朝食がずらずらと並べられていた。
焼きたての香ばしい匂いをたちのぼらせるパンに肉や魚、卵料理。
前世は朝食は抜きがちだったからこそ、余計にその豪華さに戸惑ってしまう。
「こんなにたくさん?」
「食べきれなければ残して下さって構いません」
とはいえ、できるかぎり残すまいとしたが、さすがに手強かった。
さすがに明日以降も同じことになるのは困るので、パンとちょっとした一品料理程度で大丈夫と伝えた。
「厨房の者に伝えておきます」
「よろしくお願いします」
食事を済ました頃、レオニスがやってきた。
昨日の今日で気まずさというものは簡単には拭えるものではなかったが、それでも彼はリィドの護衛。
これからどれくらいかは分からないが長い間、顔を合わせることになる。
少しは離せる間柄になれたほうがいいに決まっている。
「レオニス、おはよう」
彼は目を合わせることなく、「……ああ」と小さく相槌を打った。
「リィド」
ドキッ。唐突に名前を呼ばれ、鼓動が跳ねた。
「な、なに」
「王太子から、お前が編み出した術式の解析を魔塔でせよと命令を受けている。行けるか?」
「もちろん」
魔塔。それは魔術師たちの研究機関である。
魔術師は階級ごと、色分けされたローブをまとっている。
リィドたちのお目当ての人物は最上階の部屋にいた。
漆黒のローブに身を包む、魔塔の頂きに立つ人物。
魔塔のトップを務める、サファイラ・ギー。
伯爵家の当主であると同時に、王国最高峰のの魔術師でもある。
サファイラは原作中ではその類い稀なる発想力で、アッシュたちを助けるキーパーソン。 瘴気を抑制する術式を開発したのも実は、彼である。
だからこそ、本人を前にするとすごく気まずい。
そんなつもりなどなかったが、結果的にリィドが彼の功績を奪ってしまったのだから。
(とはいえ、瘴気を放置することもできなかったし)
緑色の髪に、水色の瞳。
縁無しの眼鏡をかけ、虫も殺さぬような笑みをたたえている。
「やあ、いらっしゃい。私はこの魔塔のトップを務めている、サファイラ・ギー。君だね。噂の天才魔術師というのは!」
リィドは、サファイラが差し出してきた手を握る。
「はじめまして、リィドアストンです。天才なんてそんなことありません……」
「謙遜なんてする必要はないと思うけど? 誰もまだ開発できていない、瘴気を浄化する術式を編み出したんだから胸を張っていい。君の功績で多くの人命が助かることになるんだからねえ」
「謙遜ではなくて、本心です。本当にたまたまなんです」
「ふむ。嘘をついているようには見えないな。魔力量も大したことないなー。ビギナーズラック、というやつか?」
と、サファイラがレオニスに目をやる。
「それにしても、まさか君が本当に護衛役を務めているなんてね、レオニス。殿下は一体何を考えているんだろうねえ。人嫌いの君に、我が国にとってかけがえのない人材の護衛をさせるなんて」
「いつもの気まぐれだろ」
「何の意味もないことはしないだろ? あの人はさ」
「無駄口を叩いてないでさっさとやれ」
サファイラは小さく肩をすくめる。
「リィド。こいつは見ての通り、愛想の欠片もない……」
「そんなことありません。レオニスは優しいんです。確かに感情表現はうまくなくて、素直じゃないところもありますけど……」
保護者精神が出てしまい、つい言葉が強くなってしまう。
サファイラが「おや?」という顔をする。
「君、レオニスの知り合いなの?」
余計なことを口にしてしまったと後悔しても遅い。
「……いえ」
「いやいや! あれだけ反論しておいて無関係ですは信じられないよ!」
サファイラが好奇心で目を輝かせて、迫ってくる。
「昔、少しの間、一緒に暮らしたことがあって……」
「へえ! まさか、恋人?」
「ち、違います。か、家族みたいなものですっ」
「へえ。そんな親しい関係者がいたんだねえ。誰にも心なんて開かないと思っていたのに」
レオニスは黙って答えない。
リィドはいたたまれなさを感じ、咳払いをする。
「そろそろ解析に移りませんか?」
「そうだね。では、見せてもらおっか」
「はい」
リィドは意識を集中すれば魔力が溢れ、目の前に蜜色に輝く紋様を描き出す。
それは心棒に三枚の歯車を通したような形をした術式。
歯車部分には幾何学模様が幾つも描かれていた。
「すごい!」
サファイラが興奮の声を漏らす。
「そう、ですか?」
「多層構造とは! 私もそこまでは頭が向かわなかったよ! なるほど……ふむ、一層ごとに様々な種類の浄化呪文をかけているのか。それで瘴気を外部に漏らさず抑え込む……なるほどなるほど」
サファイラは頷きながら、手元の紙に数式を書き連ねている。
「ところでどうやって、この術式を編み出したの?」
「瘴気そのものを抑え込もうというのではなくて、拡散を防ぐという考えで……試行錯誤したんです」
「なるほど。僕もそのアプローチは考えていたんだ。まあ、まだ思いついたという段階でしかないんだけど」
「サファイラさんならきっと僕よりも完成度の高い術式を考えつけましたよ」
「いやいや、これをしのぐ完成度というのはかなり難しいよ」
サファイラは純粋に褒めてはくれるのだが、一言一言がリィドの罪悪感をチクチクと刺激してくる。
「もう消してくれて構わないよ。ありがとう。とても参考になった」
「お力になれたのなら、いいんですが」
「君はもっと自信を持ったほうがいい。このサファイラよりもずっと速く、瘴気を浄化する術式を開発したんだからねえ!」
「は、はい」
サファイラの圧に苦笑しつつ、頷く。
「ああ、こうしていられない! 早速これを分析せねば!」
サファイラは机に向かうと一心不乱にノートを文字と数式で埋め始める。
「あの、サファイラ様……?」
恐る恐る呼びかけるが、すでに彼にはリィドの声は届かないようだった。
「こうなったらてこでも動かない。行くぞ」
レオニスが促し、リィドたちは魔塔を後にした。
部屋へ戻る途中、回廊の向こうから数人の男たちが歩いてくる。
騎士たちだ。
騎士たちは廊下いっぱいに広がり、賑やかに話をしている。
この廊下は役人たちも使うのだが、お構いなしだ。
(うわ、あいつか……)
リィドは集団の先頭を行く男の顔を見た瞬間、顔を顰めてしまう。
原作にも出てくる登場人物──ギルバート・ド・モンテシエだ。
青い髪に、紫の瞳。年齢は確か三十代前半。
侯爵家の嫡男。
何もせずとも領地収入だけで暮らしていけるのに、彼がわざわざ騎士団に入ったのは、騎士という職業がこの国で最も尊敬される職業だから。いわば、己の箔を付け。
なにより血統を重んじる性格で、同じ貴族出身の騎士たちのリーダー的存在で、庶民出身の騎士たちを『犬』と蔑んでいる。
原作ではアッシュに好意を寄せており、アッシュに近づく氏素性の知れないレオニスを憎む。
そんな男に絡まれたら面倒だと、やや俯き気味に廊下の端に寄る。
集団が目の前を過ぎ去っていく──と思いきや。
「これはこれは団長殿。訓練にも出ず、こんなところで油を売ってお出でで?」
ギルバートのやや高めの声が響く。
彼の腰巾着たちが、レオニスを睨み付けている。
「お前に説明をする理由はない」
「口に気を付けろ。私は膠着家の嫡男だぞっ」
「だから?」
「何だと! 氏素性の知れない平民の分際で……!」
ギルバートが胸ぐらを掴もうとする。
はっとしたリィドはレオニスを庇うように、レオニスの前に立っていた。
「何だ、お前は邪魔をするなっ」
「ここで騒ぎを起こせば、王太子殿下の耳に入るかもしれませんよ」
ギルバートの眉がピクッと動く。
ギルバートは貴族でないものを平然と軽蔑する。剣の腕前がありながら、彼が第一騎士団の団長になれなかったのは、その特権意識の高さゆえ。
それを本人は薄々勘づいているだろう。
王太子の布教買えば、いずれ騎士団から懐妊されないことも。
「貴様は? 見かけない顔だな」
ギルバートは声を落とす。
リィドは頭を下げる。
「リィド・アストンと申します」
「リィド?」
腰巾着の一人が、「王太子殿下が招聘した魔術師では?」とギルバートに耳打ちをする。「ほう、瘴気を浄化する術式を造り出したとかいう……。お前、平民だな」
「そうです」
「私は──」
「ギルバート・ド・モンテシエ様、ですよね。素晴らしい剣の腕前をお持ちだと窺っております」
ギルバートは感心したように繭を持ち上げると、口元を緩めた。
「ほう。平民にも私の名前は轟いているか」
「はい。クレモッサンのゴブリン討伐のお手並みは、語り草となっております」
「ハハハ。あれは、機転を利かせただけだが、まあ、無力な平民には考えもつかない偉業だろう。節度を弁え、国のために尽くせよ、リィド」
肩を馴れ馴れしくポンポンと叩かれた。
自意識過剰の馬鹿はおだてるに限る。
「レオニス。この者のほうがよほど礼儀を弁えているぞ」
上機嫌にギルバートは言って、立ち去った。
完全に姿が見えなくなると、小さく息を吐き出す。
あの男には気を付けないと。
「余計なことをするな。あいつは面倒な男だ。睨まれれば、何をされるか分からないんだぞ」
「ごめん。でも、黙って見てられないよ」
「あんな奴、いつでも叩きのめせる」
「それが心配なんだよ。相手は貴族だよ。下手に目をつけられたら……」
「俺はもう子どもじゃない。自分のことは自分でできる。あんたの力はもう必要ないんだよ」
言葉に胸に突き刺さる。
「……ご、ごめん。余計なことをして……」
本当に大切な時に役立てず、こんなどうでもいいおころでを口を挟むな。
そんな風に言われたように感じ、リィドは目を伏せた。
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