1 『推し』との再会
灰色の髪に明るい茶色い瞳、百七十センチの中肉中背。
特徴のない印象の薄い顔立ち。これと言った特技のない、人より動物のほうが多い田舎生まれの三十歳──モブ魔導士、リィド・アストンは転生者だ。
前世は会社員。出社中に胸の痛みで目の前が真っ暗になり、気付くと、この世界で産声を上げていた。
ここは『純心をあなたへ捧げる』というBL小説世界の中。
主人公はマルヴァラ王国の公爵家の跡継ぎにして、王国一の剣の使い手であるアッシュ・ウィフォーク。
長らく続く人族と魔族の戦いの中、彼は王国の守護者として周囲の尊敬を一心に集めていた。
そんなある日、魔族と共に行動する赤髪に美しい金色の瞳を持つ青年騎士レオニスとまみえる。
激しい戦いの末に勝利したアッシュは、レオニスを保護する。
彼はこの小説のもう一人の主人公。
アッシュの恋人であり、リィドの推しだった。
それまでBLものを読んだことがなかったが、アッシュとレオニスの切なさのあるやりとりにすっかり虜になったのだった。
アッシュは、強力な呪いからレオニスを解放する。
レオニスは幼い頃に魔族に拾われ、魔族の尖兵として戦うことを強いられていたのだ。
アッシュはレオニスを保護し、騎士団へ入る仲介をした。
レオニスはアッシュに負けず劣らずの魔力や剣の腕を持っていたこともあり、誰もそれに異論を唱えることは出来なかった。
二人は共に魔族との戦いに赴き、多くの功績を挙げる。
それでも周囲のレオニスへの疑念が解けることはなかった。
あれは魔族に育てられた、呪いが解けたと言っても魔族の仲間なのではないか?
ついにはレオニスを庇うアッシュさえ、魔族の呪いによって洗脳されているのではないかと言われる羽目になった。
アッシュは周りに何を言われようとも気にしなかった。
しかしレオニスは自分のせいでアッシュが後ろ指を指されることに耐えられなかった。
レオニスはアッシュに黙って、魔族との戦いの最前線に赴く。
それを知ったアッシュは追いかけるが、戦場についた彼が目の当たりにしたのは、魔族と相討ちになり、戦場に散ったレオニスの姿だった──。
そう、これは多くの読者を悶絶させた、悲恋の物語。
リィドは原作の結末を回避するため、スラム街にいたレオニスを保護し、親代わりとなって育てた。
当時のリィドは十四才。レオニスは五才だった。
魔族にさえ拾われなければ、レオニスはアッシュと幸せに結ばれるはずだ。
『僕がレオニスを守るから』
リィドはレオニスにそう約束した。
最初こそ、リィドに対して警戒を崩さなかったレオニスだったが、少しずつ打ち解けていき、年相応の少年らしい笑顔を見せてくれるようになった。
彼は原作通り、類い稀な才能を開花させ、田舎にはあまりに不釣り合いなほどの凛々しく秀麗な見た目を持つ、少し生意気だが、心根の優しい少年に育ってくれた。
これならばきっとアッシュと幸せになれるだろう。
しかし悲劇は唐突に訪れる。
レオニスが十五才になり、王都の騎士団に入ってみないかとそろそろ勧めようかと考えていた矢先、悲劇が起きた。
レオニスの魔力が暴走したのだ。
魔力暴走は、激しい感情の高ぶりと、少年期特有の魔力コントロールの不安定さにより引き起こされる現象で、原作では魔族との戦いでアッシュが傷ついたのを目の当たりにしたレオニスによって引き起こされた。
魔力暴走には大勢の村人が巻き込まれ、リィドもその一人だった。
幸運にも死者は出なかったが、意識を取り戻すと彼は行方をくらました。
死んだのではないと確信できたのは、家から彼の私物が消えていたからだ。
(これはきっと、罰だ。僕が物語を自分の都合のいいように捻曲げようとしたから……)
たとえ悲恋を回避するためであっても、そんなことをするべきではなかったのかもしれない。
たとえこの世界が物語の中であったとしても、この世界の住人たちは全員、自分の意思を持ち、生きているのだ。
リィドがしようとしたことは結局、他者の運命を弄ぶような行為だったのではないだろうか。
リィドは生まれ育った故郷を捨て、レオニスと再会するため、大陸を放浪した。
最早、レオニスとアッシュに幸せな未来を──そうは考えていなかった。
ただ、もう一度、会いたい。
リィドの胸にあったのはそういう想いだった。
一日のはじまりとおわりに必ず、レオニスの無事を祈った。
同居を始めた頃は推しと過ごせることそのものにただただ興奮していたものの、長い時間を一緒に過ごすことで、本当の愛情が胸に芽生えていた。
しかし、彼を見つけることはついに叶わなかった……。
「──リィド殿、お疲れですか?」
長い思考にどっぷり浸っていたリィドは、はっと我に返る。
馬車の向かいに座るのは、鎧を身に纏い、青いマントをつけた青年。
育ちの良さを感じさせる上品な笑顔を称えた美貌に、美しい金髪。涼やかな眼差しはエメラルドのように澄みきって美しい。
惚れ惚れするような貴公子。
彼こそ物語の主人公、アッシュ。
(確か、二十一才だよな。俺より五つも年下なんて信じられないくらい大人びてる)
彼は王都から、リィドを迎えに来たのだ。
なぜか。
それはリィドが魔族が生み出した瘴気を浄化する術式を編み出したからだ。
瘴気とは、生きとし生けるものを衰弱させ、魔族や魔物に力を与えるという、魔族が編み出した結界のようなもの。
出来る限り目立ちたくなかったリィドだが、惨状を見過ごすことができず、原作知識で編み出した術式を展開し、瘴気を浄化したのだ。
話がそれで終われば良かったのだが、その場に役人が居合わせていたのだ。
リィドは、瘴気対策のために王都へ迎え入れられることになった。
(僕のせいでストーリーが大きく狂っちゃったんだ……。このままじゃ、物語が破綻しかねない)
ストーリーそのもののは悲恋だが、レオニスの献身によって最終的に王国が魔族の手から救われたことは確かだ。
しかし現状はどうだろう。
リィドが介入してしまったせいで物語そのものがどう転ぶか分からない状況になってしまっている。
レオニスが騎士団に入団していない現状、王国が魔族によって滅ぼされてしまうという最悪の結末を迎える可能性も否定できない。
(物語の筋書きを壊した責任は取らないと)
だからこそ、リィドは国からの招きに応じたのだ。
原作知識があるリィドなら、魔族たちの先手を打てる。
馬車は王都に入り、目抜き通りを王城に向かう。
通りは大勢の人々で賑わっていた。
「王都は初めてですか?」
「あ、はい。すごく賑やかですね」
嘘だ。レオニスが目の前から消えてから真っ先に探したのは王都だった。
騎士団の話をそれとなくしていたこともあり、もしかしたらと思ったのだが、レオニスは入団していなかった。
魔力暴走から六年の月日が経っていた。レオニスは今、二十一才。
ちょうど、物語が幕を開ける年齢。
(今さらどうでもいいことだけど)
レオニスがいなくなった以上、物語が始まることはない。
(こんなお粗末な転生者って僕くらいだろうな)
思わず、自嘲で唇が歪んだ。
馬車が王城に到着すると最初にアッシュが降り、手が差し出される。
「どうぞ、リィド様」
「あ、ありがとうございます」
アッシュは原作通り律儀な性格で、何度敬称はつけなくてもいいと言っても、「我が国をお救いくださる魔術師様ですから」と聞き入れてはくれなかった。
アッシュの後に続き、城の敷地を進んでいく。
"美しく剪定された生垣は迷路のようで、ここでしか見られないスノーホワイトという白い花からは美しい香りが立ち上る。”
ふと、頭の中に原作の一文が蘇る。
(当たり前だけど、原作の描写通りだ)
麗しい花々に、おもわず相好が緩んだ。
「レオニス、戻っていたのですね」
「ついさっきな」
(レオニス?)
リィドははっとして顔を上げた。
「!!」
見間違えるはずがない。
アッシュと同じく美しい装飾の入った騎士団の鎧に身を包んだ、百九十センチ近い上背の青年がそこにいた。
少し癖のある夕日を思わせる赤い髪に、月明かりを思わせる黄金の瞳は切れ長。
最後に会ってから五年。
当時はまだ残っていた幼さが今は完全になくなり、あの頃よりもずっと精悍に──立派な一人の男の面構えになっている。
レオニスと目が合う。
彼の顔にもまた驚きがあった。
「レオニス。こちらは……」
アッシュが、リィドとレオニスを交互に窺う。
「リィド様。レオニスと知り合いなのですか?」
「……あ、はい」
レオニスが信じられないものでも見たかのように、不快そうに眉間に皺を刻み、目を細めた。
再会を喜んではいないという事実がありありと分かり、胸にズキリッと痛みが走った。
しかしそんな態度を取られるのも仕方がない。
最初に約束を破ったのは、リィドのほう。
「どうしてここにいる」
「リィド様が、瘴気を浄化したという魔術師だ。しばらく城に滞在することになる」
「……元気そうで良かった。本当に」
そう心からの言葉を伝えた。
魔族の手に落ちてしまったのではないか。それだけがずっと気がかりだったから。
レオニスは何も言わなかった。
「アッシュ様、部屋に案内して頂けますか?」
「分かりました。こちらです」
アッシュは、リィドとレオニスの間に流れる空気感に気付いたように、頷く。
「……レオニスは、いつ頃、騎士団へ?」
「三年前です。傭兵だった彼が魔物の襲撃に遭遇した王太子殿下を救ったのがきっかけで入団したと聞いております」
「アッシュ様は、レオニスと親しいんですか?」
紆余曲折を経ながらも、原作通り、レオニスは騎士団に入っていた。
ということは、二人の関係も原作通りになっているのではないだろうか。
「親しいとは言えませんね」
「え……」
「彼は誰かと親しく話すようなタイプではないようなので。ただ優れた騎士であることは間違いありません」
「そ、そうですか」
「その……リィド様こそ、レオニスとはどのような……」
「彼と同居していたんです」
「ご家族ということですか?」
「血は繋がっていませんけど……」
「そうでしたか」
残念に感じる一方、出会い方が違うのだから仕方ないとも思う。
「こちらが、リィド様のお部屋でございます」
「……すごい」
気後れしてしまうくらい広い部屋。
部屋の間取りだけではない。
絨毯はふかふかで、置かれた調度品は審美眼のないリィドの目にも繊細な細工を含め、上質の品だと分かる。
と言っても金に飽かした成金の部屋という下品さはなく、落ち着いた色でまとめられ、品の良さがある。
そして部屋にはメイドが二人が控えていた。
「ここが応接間、あちらが浴室。あの扉の向こうは寝室になっております。何かご用命があれば、この者たちになんなりとお伝え下さい。リィド様の滞在中はご不便がないよう、最大限、配慮させて頂きます」
「あ、ありがとうございます」
「では失礼いたします」
「あ、はい」
頭を下げてアッシュを見送ると、メイドたちが笑いかけてくる。
「お茶はいかがですか?」
「頂きます」
「かしこまりました」
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