プロローグ
教室の窓から見える夕暮れは、春の匂いを運んでいた。
綾小路葵は、今日も放課後の教室に残っていた。
入学から二週間。青陵学園の制服は、まだ少し肩に馴染まない。
誰もが認める優等生として、彼女はここでも完璧を演じていた。
クラス委員にも選ばれ、教科担任からの評価も上々。
だけど、そこに納得感や満足感といった類の感情は一切ない。
家に帰れば大きな洋館で、家政婦の藤堂さんと二人きり。
海外の両親からは、事務的な報告のような言葉しかない。
「青陵に入学したのね」「次の定期テストの結果を待ってるわ」
期待。期待。期待。
でも、それは愛情ではなかった。ただの、当然の責務。
夕暮れの教室で、葵は夕日を反射するスマートフォンを見つめていた。
長文のメールの中には、仕事の近況、展示会の成功、新しいプロジェクトの話など、葵にとっては正直どうでもいい話が列挙されている。
けれど、そこには娘への愛情など、一言も見当たらなかった。
窓に映る自分の姿が、少し歪んで見えた。
優等生という仮面は、今日も完璧に見える。
誰か、いないのだろうか。
この仮面の下を覗いてくれる人は。
この重圧を、理解してくれる誰かは。
新学期の風が、教室のカーテンを揺らす。
まだ誰も知らない。
この物語の行方を。




