第五章 愛されたいもの②
「ベンジャミン。私、お見合いをすることにしたの」
エレノアからそんなことを言われたのは、ある日の早朝だった。
朝早くに訪ねてきたので、ベンジャミンはまだちゃんと目が覚めていなかった。
だからきっと聞き間違えたのだろうと、言葉をオウム返ししてしまう。
「お見合い、するの?」
「ええ、お見合いをしようと思っているの。明日よ」
「明日」
えっと、俺の《最愛》は何を言っているんだろう、と意味を考えようとするがわからない。寝起きのせいかうまく頭が回らない。
(お見合い……。俺の、最愛なのに?)
さらに混乱してくるのは、彼女はやけにいい笑顔で口にしていることだろうか。
前にエレノアから、魔法使いの《最愛》になったのに縁談が入ってきて困っているという話を聞いたことはあった。もちろん断るけどね、と言っていたので安堵したものの、内心ひやひやしていた。
(そういえば、最近……)
何やらエレノアの様子がおかしいということには気づいていた。
いつもは会いに来ても、獣化した姿を見たいからとマナの浄化を遅らせるために触れてこようとしないのに、ここ数日は毎日やってきては、ベンジャミンの手をにっこりと笑いながら握っていた。
いつも穏やかな笑顔を見せているけれど、あの笑みはなんかすごみがあるというか……ちょっと、優しすぎて怖いとは思っていた。
マナの浄化をしてくれるのは嬉しいことだ。仕事で魔法を使いやすくなるし、獣化した姿でエレノアにもてあそばれるのは、少し恥ずかしいし。
でも、あんなにも獣化したベンジャミンの姿を堪能したがっているエレノアがどうして毎日訪ねてきて浄化してくれるのか、その理由がわからないのがなんか怖い。
それにおかしいと言えば、彼女の服装だ。
前までは年ごろらしく、派手すぎない色合いのドレスを着ていて彼女の可憐さを演出していたのに、ここ数日はなぜかタイトなドレスを着るようになった。
胸元が見えそうで、「その服……」と言いかけたら、何かという顔をされてしまったので口出しはしていないけれど、最近のエレノアは背伸びして大人っぽく振るまおうとしているように思えてならない。
(もしかして、縁談相手に良い男でもいたのか? だから大人っぽく振舞おうとしているのか?)
はあ、とベンジャミンはため息をついてしまう。
ベンジャミンの手を握っていたエレノアの力が強くなる。
「私の縁談に、何か不満でもあるのかしら?」
「……ないよ」
絞りだしたのはそんな言葉だった。
本当は言いたいことは山ほどあるけれど、ベンジャミンに口出しする権利はないはずだ。
よく考えると、エレノアは《最愛》だけれど、婚約しているわけではない。
恋人関係かと言われると悩むところだ。
そもそもエレノアはベンジャミン自身ではなく、獣化したリスの姿を好いてくれている。
小さい物好きな彼女にとって、ベンジャミンみたいに背の高い男は好みではないのかもしれない。
(《最愛》だからと言って、必ず結婚するわけではないし……)
ベンジャミンの両親は貴族だったが、資産を維持することができずに没落してしまい、爵位を返上してしまっている。
ベンジャミンはたまたま魔法の才があり魔法使いになれたけれど、侯爵令嬢の彼女からすると、ベンジャミンの権力は少し物足りないのかもしれない。
ベンジャミンの返答を聞いたエレノアが、眉を曲げた。
「…………そう」
たっぷり間を溜めたエレノアは、ベンジャミンから手を放すと立ち上がった。
「不満もないのね。わかったわ」
「ねえ、エレノア?」
「何かしら?」
「その縁談、本当に受けるの?」
「そうねぇ」
エレノアが意味ありげに微笑む。
「貴族のお見合いに必要なのは、相手の家柄とこちらに利益があるかの相互確認よ。でも、私はそれに加えて、趣味嗜好なども大事だと思っているの」
「趣味嗜好?」
「ええ、私は小さいものが好きよ。小さければ小さいほうがよくて特に、リス、とかかわいいと思っているわ?」
「んんっ。そ、そうかぁ」
「ベンジャミンは何の動物が好きなの?」
「……うーん。俺は、強い動物か好きかな。鷹とか、ライオンとか」
本当はベンジャミンもそうなりたかった。獣化して空を飛んでみたり、長い足の生き物になって草原を駆け回ったり。
でも実際は、小さな足で駆け回り、頬袋に好きな木の実を詰めることぐらいしかできないリスがベンジャミンの獣化した姿だった。
「そう」
エレノアはいつもの笑みを浮かべていた。
「やっぱり私たち、趣味嗜好が合わないのね」
近づいてきたエレノアが、おもむろにベンジャミンの頬に触れる。
「私、結婚相手には必ず求めていることがあるの」
「求めていること?」
なぜか両手で頬を挟まれている。
ぎゅうぎゅうと弾力を確かめるように力を入れられて、頬がもてあそばれる。
何かを確かめているみたいだ。
まるで頬袋に隠した木の実を、無理やり押し出そうとしているかのように。
「一途であることよ。私、浮気って嫌いなのよね」
吹き出しそうになったが、残念ながら頬はまだぎゅむぎゅむされているので、ベンジャミンはどうすることもできなかった。
ベンジャミンの頬を心ゆくまで堪能すると、エレノアは言った。
「だから、距離を置きましょう」
「……え?」
散々もてあそばれた頬には、まだ彼女の温もりが残っている。
「私たち、しばらく会わないほうがいいと思うの」
まるで別れ際の恋人みたいだなと、放心したベンジャミンは他人事のように考えていた。
◇◆◇
「――って、テオドール様はどう思いますか!?」
「はあ、どう思うとは?」
エレノアに散々頬をもてあそばれたベンジャミンは、魔塔に出向くと真っ先にテオドールの私室まで行き、顔を合わせるや否や、つい考えていたことを吐き出した。
「しばらく会わないほうがいいって、どういう意味だと思いますか? もしかして俺、獣化したらもう人間の姿に戻れないとか、そんなことあると思いますか!?」
「えっと、話の流れがまったく見えないのですか?」
テオドールは困惑している様子だった。
朝が弱いテオドールは、レベッカに起こしてもらうようになってから昼前に魔塔に来ることが増えた。
そんな彼は、手元の資料を自分の手で捲っている。前は指を振って魔法を使って読んでいたのに、珍しい光景だと頭の隅で考えながらも、ベンジャミンの頭の中にはエレノアから言われた言葉がずっと巡っている。
「テオドール様は、レベッカちゃんから『距離を置きましょう』と言われたら、どうしますか?」
資料を捲っていたテオドールの指が止まる。
それなのに謎の風が巻き起こり、資料がひとりでに捲れていく。いや、風の勢いがどんどん強くなって、資料がバサバサと揺れている。
「…………彼女の意思を、尊重します」
「ぜんぜんそうは見えないんですけどっ!?」
「ですが、きっと何か原因があるはずです。一度自分の行動を省みて、レベッカさんとちゃんと話をして、謝ります」
「……原因がわからない場合は?」
ベンジャミンは何もわかっていない。エレノアがどうして自分から距離を置こうとしたのか。心当たりも全然ないというのに。
「じゃあ、レベッカちゃんがお見合いをすると言っても、快くお見送りをするんですか?」
「は、お見合い?」
また風が強くなった。今度はベンジャミンの亜麻色の髪がボサボサになる。
「もしもの話です。多分レベッカちゃんは大丈夫だと思うんですけど」
「……そうですね。僕の場合は、お見合いをするのを引き留めますかね。だって、彼女は僕の《最愛》なのですから」
「引き留める?」
あれ、とベンジャミンは朝の出来事を思い起こしていた。
そして頭を抱える。
(もしかして、エレノアは……。だから、そんなことを)




