第四章 愛の妙薬⑥
貴族の娘も、聖女も変わらない。
エレノアはそう思っていた。
侯爵令嬢として生まれた自分に自由などないことを、エレノアは幼いころから理解していた。家庭教師が口を酸っぱくして言っていたということもあるが、何よりも二人の兄と姉の姿を見て育ったというのも大きい。
エレノアは末娘だということもあり、両親は好きな相手の結婚をしてもいいと言ってくれたけれど、それでも貴族ではない男との恋愛は認められないだろうし、姉と同じように政略結婚をすると思っていたから自由な恋愛にうつつを抜かすつもりはなかった。
それは聖女になってからも変わらないことで、魔法使いの《最愛》に選ばれたとしても、その魔法使いと添い遂げるか、結婚できなくても《最愛》の魔法使いのそばに一生いる以外の選択肢はない。
どうあがいても自分に選ぶ権利なんてないと。
そんなエレノアの《最愛》が見つかったのは、十五歳の頃だった。
相手は王宮魔法使いのベンジャミンで、下級貴族の出だという。
彼の名前は知っていた。大魔法使いであるテオドールの弟子だということもあり、将来有望な魔法使いとして聖女の間でもたびたび名前が挙がっていたからだ。
エレノアは神聖力が多めだということもあり、それなりの地位の魔法使いの《最愛》に選ばれるだろうと思っていた。
(でも、まさか、ベンジャミン様とはね)
ベンジャミンの第一印象は、ヘラヘラした軽い男だった。
落ち着いた大人の貴族とは違っていたが、癖のある亜麻色の髪は思わず触りたくなるほど柔らかそうで、朗らかな笑みからも人の好さがうかがえた。
すらりとして身長が高く、女性から人気が出そうだと思ったけれど、正直エレノアの好みではなかった。
エレノアは小さなものが好きだ。
花々も好きだし、特に好きなのが小動物。
リスやハムスターは特に好きで、あの小さな体で一生懸命動いている姿を見ると、キュンっと胸が高鳴るのが好い。
ベンジャミンはその反対だった。
だから悪戯心が働いたのかもしれない。
《最愛契約》をした後、侯爵邸を訪ねてくるベンジャミンとは最低限のマナの浄化だけをして、あまり会わないように努めていた。
そして獣化したベンジャミンの姿を見た瞬間、エレノアの中ですべてがはじけた。
「かわいいわ!」
エレノアは小さなものが好きだ。特に小動物など。
リスの姿を見たら頬ずりをしてしまいたくなるほど、大好きだ。
だからベンジャミンの獣化した姿はエレノアを虜にして、たびたびマナの浄化を遅らせることにより、彼の獣化した姿を堪能した。それが一番の楽しみだった。
次第にベンジャミン自身に惹かれていくのも自覚していて、このまま《最愛》として彼と結婚するのだろうと、侯爵家の力を使っても絶対に幸せにしようと思っていたのだけれど――。
エレノアは常にベンジャミンとの間に一定の距離があるのを感じていた。
それはさりげない動作や言動に現れて、少しの違和感を抱かせた。
それは身分の差か、年の差か。
年の差と言っても二歳しか違わないし、政略結婚で七歳年上の貴族に嫁いだ姉に比べると遥かにましだ。
身分も、ベンジャミンが王宮魔法使いということもあり、いくら没落貴族出身だからと言って、どうにかなる範囲だろう。周りが認めてくれるかはともかく、エレノアは彼との婚姻以外は考えられなかった。
エレノアは散々ベンジャミンにアピールしてきた。
かわいいものを愛でるのも隠さなかったし、自分の気持ちも隠さなかった。
でもベンジャミンは、エレノアのことを大切にしてくれてはいても、なかなか距離を縮めてくれなかった。
そんな折に耳にしたのが、《愛の妙薬》の噂だ。
なんでも相手の愛情を確かめることができる薬らしい。
(その薬があれば、ベンジャミンの気持ちがわかるかもしれないわ)
侯爵家の力を使って探してもなかなか《愛の妙薬》は見つからなかったが、ある日手掛かりを見つけた。
そしてそこで得た情報をもとに、さらに花街を調べてもらったのだけれど――。
その花街について調べていた使用人から、ある情報をもらったのだ。
エレノアはそれを直接自分の目で確認するため、もう一人の当事者であるレベッカを伴って花街にやってくることにした。
エレノアたちが向かったのは、花街の入り口からさほど遠くない建物だった。
橋を渡ってすぐ、門番と思われる男たちに呼び止められたが、事前に話を通していたのですぐに通ることを許してくれた。基本的に花街は女性と子供の立ち入りを禁止されているので長居はできないだろう。
(それでも十分よ。すぐに確かめられるわ)
侯爵家の護衛は、今日は見えるところにいる。
花街の通りは昼間とは思えないほど人気がなく、とても静かだ。
建物の中にも人の気配は感じなかったけれど、入り口の扉をたたくとすぐに人が現れた。
通されたのは、応接間のようなところだった。
貴族の家とは違い、小さな空間だけれど、対面で話せるためのソファーがある。
「まさか貴族のお嬢さんがこんなところに足を運んでくれるなんてねぇ」
「本日は、よろしくお願いいたします」
「ええ。それで、なんの話でしたか?」
腰を掛けてから対面するのは、一人の女性だった。
年はエレノアよりも十ほど上だろうか。豊かな髪に豊満な体形が魅力的だ。
きっと男から引く手あまただろうと思わせる姿に、エレノアは自分にない魅力を感じて少し羨ましい気持ちになる。
「先日、下町で果実の種をお売りになりませんでしたか?」
「……果実の種……。ああ、あれですね。ええ、確かに買い取ってもらいました」
「その種は、どちらで手に入れられたのですか?」
「どちらって、客ですよ。客からもらったのですが、なんか不気味な種でねぇ、売ってしまったほうが早いと思って」
女性のいう客とは、花街を利用する客のことだろう。
花街とは主に芸や体を売る女性と、それを一夜限り買う客で成り立っているところだ。
主に富裕層の遊びの場ではあるけれど、身分を隠して利用する貴族もいるらしい。
貴族令嬢のエレノアには関わりのないところでもある。
「フードを被った怪しい男でねぇ。ここでは珍しく、異国の言葉をしゃべっていましたよ。一夜を買っても、特に手を出されることもなく、自慢話のようなものを聞かされて終わったので顔までは見えなかったんですけどね」
「自慢話?」
「よくわからないんですけどね、研究していたらすごい薬を開発してしまったという話でしたよ。その薬の一部である果実の種を私にくれてね、これを育ててまた生まれた種を町に広めてほしいとか。怪しいったらないから、すぐに売ってしまったんですよ」
(やはり、種は薬なのね)
ここまでは使用人から聞いた話とほとんど同じだ。
「そうでしたのね。貴重な話をありがとうございます」
「いえいえ。……それにしても、最近はよくこの話を聞かれるのですが、何かあるのでしょうか?」
「……いえ、ちょっとした好奇心ですわ」
「そうですか? ……最近は花街でも妙な薬が流行っていたりして、よく変わった格好の方もいらっしゃって、街に活気があっていいやら悪いやらで」
おしゃべりが好きな女性らしく、つらつらといろいろ話してくれる。
エレノアはニコニコと女性の話に相槌を打つ。
昼過ぎに花街にやってきて、外はもうすぐ暗くなるという頃合いだろうか。
外に目をやると、エレノアはちょうど話の区切りを見つけて、切り上げることにした。
「それでは完全に暗くなる前には街から出ないといけませんので、私たちはこれで失礼しますわ。お話をありがとうございました」
「こちらこそ、長々と話してすみませんねぇ」
女性と別れて建物から出ると、橋の方に向かうレベッカをエレノアは静止する。
「レベッカちゃん。少し散歩してから帰らない?」
「え、でも暗くなる前に」
「少しだけよ。護衛もいるから大丈夫だわ」
薄暗くなってきた通りには、ちらほらと明かりが灯りはじめている。赤色白色青色などなど、街を薄暗く照らしている。
「念のためにマントを被ってね」
「うん」
エレノアから渡されたフード付きのマントをまといながらも、レベッカはまだ困惑しているようだ。
(もうすぐよね、確か)
花街に着いて調べてくれた使用人によると、暗くなると毎日のようにここに足を踏み入れていると言っていた。
だからすぐに見つかるだろう。
(見つからない方が、いいのだけどね)
エレノアの考えも虚しく、一時間後、周囲が暗く成ってすぐに二人の姿を見つけた。
黒いフードを被っているものの、銀色の髪は闇に溶け込むことなく輝いている。
先に、レベッカが声を上げた。
「テオ様だ!」
すぐにでも近寄っていきそうなレベッカの手を、エレノアは掴むと首を振る。
「私たちがここにいることが見つかったら怒られるわ。だから、もう帰りましょう」
我ながら言葉が乾いていることには気づいていた。
(見間違いだったらよかったのに)
でも、あの姿は確かにテオドールで、そばにいたのはベンジャミンだった。
大の男が花街に来る目的は決まっている。
(……愛の妙薬を使うまでもないわね)




